革マルの強弁に屈した毎日新聞

(2)隠蔽された「”真相”の真相」

 「”神戸事件の真相を究明する会”=過激派」という『毎日』一地方記者の暴露に対して、同会が行なった抗議は、結果的に革マルの全面的勝利に終わった。報道機関がテロ部隊の圧力に屈したのである。10月1日に発行された『続・神戸小学生惨殺事件の真相』巻末40ページには、「毎日新聞が当会に謝罪」との見出しに続いて、問題の『毎日』による「おわびと訂正」記事が写真掲載されている。

 毎日によるこの「おわびと訂正」の内容検証をもって、毎日側と革マルとの間にいったいどのような経緯があったのかを考えていく一助としてみたい。

 まず、「おわびと訂正」が掲載されたのは、問題の暴露記事が掲載された日からわずか4日後の福岡都市圏版朝刊紙上であったという。冒頭、

 20日付サツ番日記「思い込み」に対して「神戸事件の真相を究明する会」より以下の抗議がありました。

との前置きに続いて、

 @同会の発行した「神戸小学生惨殺事件の真相」というパンフレットで、逮捕されたA少年の犯行とするには 多くの疑問点があることを現地調査の上で指摘したことについて「この程度の調査で結論を出せるなら警察はいらない」と書いているが「この程度で」とはどういう意味か。またA少年が犯人だと推定しているのかA「究明する会」について「同会の実態は過激派」と書いているが、会は過激派と全く関係がないB「母校の自治会を占拠していた彼らは一般学生を・・・スパイと誤認して重傷を負わせたことも」とあるが会は全く関係がない。

 という、”究明する会”からの抗議の趣旨がそのまま掲載されているわけだが、そもそも、この抗議内容じたいが徹頭徹尾、到底承服し難い嘘と強弁で塗り固められたものに他ならないである。革マルよ、ここではっきり言っておこう。それこそ「この程度」の反論で、すでに明白となった『神戸小学生惨殺事件の真相』のペテン性に対する疑惑を払拭できると思ったら大間違いだ、と。

 たとえば@について言うなら、彼らが、まるで自説が100%信用するに足るものであることを証明するものであるかのごとく盛んに喧伝してみせている、あの「現地調査」なるものの内実はどうだったか。それはたとえば、A少年は身長168cm、友が丘中学校の校門は198cm。だから、A少年は淳君の首を校門の上に置けなかったはずだ(って、A少年の腕はそんなに短いのか!?頭上30センチなどはちょっとかかとを上げれば十分手の届く範囲ではないか)とか、あるいはたとえば、事件の数か月前に”酒・鬼・薔薇”といった書き込みがインターネット上の掲示板に流れた(見たのか!?)、とかいったような、およそ検討にも値しないような子供だましのデマの類に信憑性を与えようとせんがための、アリバイ行動に過ぎなかったのではないのか。

 このように、「現地調査」という言葉の威を借りてボーリャク論を好き放題に垂れ流そうとする姿勢こそが、まさにあの毎日記者が的確に批判した、「はじめに結論ありき、説明は後からついてくる」という、事件の”真相”なるものに対する恣意的態度、つまり彼らの度し難い作為性の証左であったのだ。

 「究明する会」は「過激派」と関係がない、などというAの主張に至っては、もはやお話にもならない。

 だいたい、『神戸小学生惨殺事件の真相』『続・神戸小学生惨殺事件の真相』の2冊はいずれも、ISBNコードを取得しておらず、バーコードもない。つまり流通形態としては、取次を通さない自主流通の形式で、書店に対し直接卸されていたものである。そしてこれらのパンフレットが優先的に卸されていた書店とは、他ならぬ革マルの機関誌『共産主義者』『解放』を取り扱っている全国の各大型書店や専門書店に他ならなかった。

 さらに言うなら、あのパンフレット中のところどころに、まさに隠し切れずといった感じでついポロリと漏れてしまっていたセクト独特な言い回しの数々もさることながら、実は、革マル派指導部自身が、「わが同盟による権力犯罪暴露の波紋」などと、「A少年冤罪説」「神戸事件=権力の謀略説」の出所が自分たちであることを、現に内部に向けて誇ってみせてもいたのである。

 一例として、機関紙『解放』1482号において掲載された”海堂徹仁”署名による記事を挙げよう。『権力の情報操作に翻弄された日共・雑派・走狗ども』と題されたこの論説は、こうした彼らの謀略論”人民戦線”構築戦術の二枚舌的実態を傍証するにあまりある。すなわち、”海堂”は以下のように書いているのである。いわく、「わが同盟によって神戸小学生惨殺事件・A少年逮捕の権力犯罪的性格および政治的性格を暴きだされ、かつこの闘いに触発されてブルジョア・マスコミが『A少年犯人説』にたいして疑問を唱えはじめた」。またいわく、「・・・社会的に広がりつつある『A少年犯人説』への疑惑」。万事がこの調子である。つまり、デマ作戦の”勝利”に酔うあまり、機関紙上では彼らは、「神戸事件=権力謀略説」を最初に体系的に流しはじめたのは誰あろう自分たちであって(実際、彼らの神戸事件に対する最初の関与は、A少年逮捕より3週間以上も前、6月5日にまでさかのぼる)、その影響が、「ブルジョア・マスコミ」をはじめとして「社会的」に広く効果を顕しつつあるのだと、さもうれしそうに、堂々と公言してしまっているのである。

 こうした革マルの手の内がすでに彼ら自身によっても明らかにされている以上、「究明する会」の発展形として9月に「神戸事件と報道を考える会」結成という”広範な市民的結集”が実現したという事実にしても、あるいはインターネット上での個人間における”冤罪説”流布という事態の現出にしても、その淵源は、革マル側の綿密な情報操作戦略とこれに追随した一部ブルジョア・マスコミの面白主義じみた”報道”姿勢の結果として捉え直す必要があるだろう。

 要は、いまあちこちで得意顔に語られている「論拠」などは、わが通信に言わせれば、一から十までどれも一種の”デジャ・ヴュ”の感覚を呼び起こすものでしかないということだ。革マルのメディア戦略に踊らされ、ブルジョア・マスコミの自称”反権力陣営”連中がリーク元となっている情報に頼りきって「冤罪説・謀略説」という御輿を担いで回っているようでは、こうした”市民ネットワーク”の可能性なるものもタカが知れているのではなかろうか。「国家権力の情報操作」に反発しようとするあまり、「”反権力陣営”からの情報操作」というものに対しての抵抗力・批判力を全く失ってしまっているようでは、あまりにナイーブすぎると言わざるを得ないだろう。

 事件発生当初から「冤罪説・謀略説」を体系的に構築し発表しつづけていたのは革マルだけであり、「究明する会」が革マルの外派組織であるという事実にはもはや何の疑いもない。

 結局、メイドインカクマルの「体系的な論拠」という”売れ筋商品”が、一部商業主義マスメディアによって流通の軌道に乗せられ、かくして、いわば「”謀略論の論拠”待望気分」とでもいうべき追い風ムードにのって大量に消費・再生産された、というのがこの現象の本質なのである。

 件の毎日記者氏が記事中で言いたかったのも、まさにその点だったのである。Bにおいて「究明する会」が「全く関係がない」と抗議してみせている話題、記者氏があえてこの思い出を例として挙げたその核心とは、「誤認内ゲバ事件」と「謀略史観」に共通する要素、つまりは「思い込み」の恐ろしさということだったのである。「最初に結論ありき」という恣意的態度がどれだけ”真相”を捻じ曲げるものであるかということ。そして記者氏の学生時代の経験における「革マル派学生たちの誤認」が、かつて「スパイ査問による一般学生への暴力」を生んだと同様に、今回の「謀略説・冤罪説」でもやはり、「革マルによる他セクトへの内ゲバ殺人正当化」を目指すものでしかありえないということ・・・。さらに言えば、そうした「”事実”などは”論拠”次第でどうとでもなる」という発想(=謀略史観の特性)が、革マルと無関係なわれわれ一般大衆の間にも、たとえば今回のような「A少年冤罪説」「神戸事件=権力謀略説」といったような面白主義的な情報消費をつうじて蔓延していけば、それは結果として、徐々に、いわば一種の忌むべき群衆心理状況をも醸成していきかねないだろうということ。毎日記者氏の記事は以上のようにわれわれに対して警告していたわけである。

 ところが、である。革マルの抗議におびえでもしたのか、『毎日』編集サイドは、このような記者氏のジャーナリストとしての良心をも完全に踏みにじり、なりふり構わず彼らの抗議内容を認め、命ごいじみた『おわび』をしてみせるという軽挙にでたのである。無論、新聞が仮に記事で間違ったことを書いた場合には、『おわび』をしてはいけない、などという道理はない(一般には、新聞は謝罪すべきときにはもっと卒直に『おわび』すべきだとわが通信も常日頃考えている)。しかし現状として、もし記事中で完全に誤った内容があった場合においても、一庶民からの個人的抗議の場合は、果たして今回ほど迅速かつ全面的な謝罪が行われているものだろうか。ましてや今回の場合、問題とされた記事『思い込み』には、上に検証した通り、虚偽の記述などはまったく何処にも見あたらないのである。

 同会は神戸事件について現地調査の上で疑問を呈しているものであり、またいうまでもなく本紙はA少年については推定無罪の原則に立っており現在審判中の段階でもありますので、コラムの表現は不適切でした。また、同会の実態が「過激派」というのは根拠がなく「母校・・・」以下の件も会と無関係であります。「真相を究明する会」など関係者にご迷惑をおかけしたことをおわびし訂正いたします。

 などという、『おわびと訂正』の記述こそ、明らかに事実と反するものであり、「真相を究明する会」の「真相」を意識的に隠蔽しようとしている点において、まさに福岡都市圏版の全読者を欺くものと言っても過言ではないだろう。ましてや、さらに続けて文末で、

   なお、同会のパンフレットは福岡市内主要書店でも販売中です。

 などと、あまつさえパンフレット販促のお先棒を担ぎだす始末に至っては、驚きを通り越して呆れ返るばかりだ。『毎日』は、このようにして革マルの強弁に完全に屈服し、嘘の追認役に転落して読者を徹底的に裏切り・・・そして、あにはからんや、何と『続・神戸小学生惨殺事件の真相』では、”『毎日』終身名誉社員”の品野実が、”究明する会”への激励の文章を寄稿しているのである。あの「菅生事件フレームアップ説」「帝銀事件米軍謀略説」の品野が動いたのである。この事実が意味するのはすなわち、『毎日』が革マルに対して”身のあかし”を立てたということである。つまり、今後『毎日』は品野を中心に、革マルの走狗として、”謀略論広報”にあいつとめる、と言明してみせたのだ。『毎日』資本と革マル派は根っからの”反権力”同志であって、悪いのはバカ正直な記事を書いたあの福岡の地方記者ひとりでござい、というわけである。

 『毎日』はこのようにして、9月24日付のこの『おわびと訂正』を通じて、一地方記者の勇気ある告発記事を完全に抹殺し去り、そしてついには、テロリストに向かって、事実上「”究明する会”についてはもう何も書きません」とあからさまに誓約し出すに至った。わが通信は、『毎日』資本によるこの一連の保身的行動を、徹底的に弾劾するものである。

(つづく)


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This article was written by Misackey Neighborhood. (ANTI COPYRIGHT)