◎What’s TOPCAT? |
◎The History of TOPCAT. |
1995年1月1日 |
TOPCAT結成。 「TOPCAT」と言う名前もまだ無く、無謀にも売り込み先も決めないまま第一作目の開発に着手。 一部の者はまだ前の会社に在籍しつつも、ひとまず結成。事務所もなく、各自自宅で作業する事に・・ 初期メンバーはK−SUKE、鷹取、SKY、ぼうのうと、かにかに、たね、の6人。 |
1月17日 |
阪神大震災。 神戸市東灘区在住のプログラマー、SKY君の家が損壊。TOPCATの活動にもいきなり障害が発生、先行きの 暗さを暗示する。 |
5月某日 |
(株)エクシングのタケル事業部へ第一作のβ版を持ち込む。 丁度、パッケージ販売を拡充する時期もあってか、その場で販売契約の確約を頂く。 |
某月某日 |
そろそろ名前を考えようと言うことで、命名会議。 会議といいつつ、「ぼうのうと」の家でダラダラとゲームに興じ、無駄に時間ばかりが消費されていく。 どーでもいいネーミングが続出し、いい加減煮詰まっていたところ、ゲームに飽きて点けっぱなしされていたテレビから「世界丸見えテレビ」が・・・ 黒人のデカイあんちゃんがカメラ1つを肩に、ヤバめの事件現場を渡り歩くドキュメントが放映されているのをいつしかみんなで観ていると・・ 黒人のあんちゃん: みんなオイラのことを「TC」って呼んでるぜ〜みたいな〜 ナレーション: 「TC」とはトップキャットと言うスラングの略で、番長と言う意味が・・・」 おお、これやー!! と、即座に全員一致。めでたく決定したのであった(バカ?) |
11月某日 |
第一作「メッセンジャー フロム ダークナイト」(PC−98) (株)エクシングより発売。 一部に熱狂的な支持を得るも、売り上げ的には今一つ二つ三つ・・・・ ただ、返ってきたユーザーアンケートの感触は非常に良かったこともあってか次回作の契約は続行して貰えることに。 と、言うことで第二作目開発着手。 |
1996年5月某日 |
鷹取君、結婚。この不安定な状況で妻帯者が・・K−SUKEの額に冷たい汗が滲む・・・ |
某月某日 |
窮状に耐えかね、たねくん離脱。 |
9月某日 |
第二作「ZAP!TheMagic」(Win3.1/95) (株)エクシングより発売。 某雑誌のクロスレビューでは同窓会とタメを張るポイントを上げつつも、売り上げ的には今一つ二つ三つ・・・・(またかぃ!) ただ、返ってきたユーザーアンケートの感触は非常に良かったこともあってか次回作の契約は続行して貰えることに。 第三作は18禁から一般タイトルへと移行することを前提に話が進む。 |
某月某日 |
と、言うことで第三作目「VD」(仮)開発着手・・しようと企画を煮詰めていたところエクシングさん、パソコン事業部解散。第三作が宙に浮く。 開発ラインが1つしかないTOPCATにとっては死活問題。 |
某月某日 |
あわてて幾つかの会社に企画書の持ち込み、当時18禁では大手の某社との契約話が浮上。 「VD」(仮)は幻の企画となり闇に葬りされ、新たな企画の着手。 |
12月某日 |
年の瀬も押し迫り、正月が明けたら正式契約と言うことで年内の営業を終えた翌日、某社パソコン事業部解散、 契約破棄の申し出が。人生最悪の正月を過ごすハメに・・・ |
1997年某月某日 |
元S社の敏腕プログラマー、gc8wrxくんがメンバーに加わる。 結婚したての上に年収が半分になったと聞いて、またまたK−SUKEの額に冷たい汗が滲む・・・ |
某月某日 |
前作を発売してから半年も次回作の開発に乗り出せずにいるTOPCATは瀕死の状態。 このままでは会社になる前に倒産か?と笑うに笑えない状態に・・ スクリーンセーバーなど、小さな仕事でかろうじて生き長らえつつ、幾つかの会社に企画書を持ち込む。 甲斐あって、当時18禁では大手の某社との契約話が浮上。 |
某月某日 |
正式に契約書を交わし、開発も着手。 やっと事務所も確保し、一息・・と思った矢先、第一回目の入金直前に某社倒産。 今度こそ「ばよえーん」を覚悟するも、かろうじて別の会社とスピード契約に成功。 |
1998年3月12日 |
その後も多少の紆余曲折はありつつも、Peachさんより第3作「雪色のカルテ」を発売。 原画集や小説版も出る等、お蔭様で大ヒット御礼。現在に至る。 |
K−SUKE | 代表/企画/電話番 |
鷹取 | 代表/企画/シナリオ |
SKY | プログラム |
かにかに | 絵コンテ/彩色 |
gc8wrx | プログラム |
犬山工房 | 彩色 |
あやせたつき | 企画/シナリオ |
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