特集
モーニング娘。鈴木あみを生んだ
史上最強のオーディション番組

ASAYANの裏側

『ASAYAN』(テレビ東京系)が脚光を浴びている。これまでも多くの新人アーティストを送り出してきたが、昨年からモーニング娘。や鈴木あみといったヒットチャート上位の常連アーティストを続々と輩出し始めたからだ。4月にはつんくプロデュース芸能人新ユニットもデビューする。『ASAYAN』に何が起きているのか?

Part.2
ASAYANの仕掛け人がタネ明かし
素人がスターに化ける錬金術

これまでも、たくさんの新人をデビューさせてきたASAYANだが、
ここにきてなぜヒットを連発できるようになったのか?


 92年4月スタートのテレビ東京系バラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』は、テレビ史上初のファッションバラエティという体裁で始まった。演出はテリー伊藤氏。浅草キッドをリポーターに据えて、どちらかというと『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系で85〜96年放映)的なお笑い至上主義だった。しかし流行を取り入れたい、できれば流行の発信源となりたいと考えるようになる。当時は、カラオケやクラブシーンが盛り上がっていた。それに目をつけ、「はやりの音楽を取り入れよう」ということになり、95年10月小室哲哉を監修に迎えたのが、番組中のオーディションコーナー「コムロギャルソン」だ。96年4月からはテリー伊藤氏が退き、1時間丸々のオーディション番組となる。

 これまで「乱発オーディション」やASAYANデビュー予備軍“AIS”から続々と新人がデビューしたが、当初はなかなかブレイクしなかった。ところが最近ではモーニング娘。や鈴木あみといったヒットチャート上位の常連アーティストが次々生まれる。

 ひとつのオーディション番組からヒットチャート初登場1位や2位のアーティストを続々輩出するようになった原動力とはなんだったのか。

ヒット連発の原動力(1)
合宿をリアルに見せるデジカメ

 コムロギャルソンのオーディション形式は、番組で告知して志望者を募り、第1次審査を経て面接・歌唱審査という流れだった。番組内で審査過程を見せ、グランプリ受賞者が出た時点で企画は終了する。その後のデビューに至るまでの過程を克明にフォローすることはなかった。

 このニュアンスが変わってきたのは河村隆一をプロデューサーとして迎えた頃からだ。

 「合宿をし始めたのがこの頃からです。シャ乱Qオーディションでは、彼らから『合宿』の提案があった。さすがバンドマンの発想だと思った」(テレビ東京・佐藤哲也プロデューサー)

 候補者を集めて合宿をさせ、第2次審査のプロセス(合宿での個々の表情など)を同時進行で見せることによって、視聴者は各々のキャラクターにふれられるようになった。候補者に感情移入してハードルを一緒に克服し、感動を共有できるようになったのだ。

 ここで活躍したのがデジタルビデオカメラ(以下、デジカム)だ。かつては日常の行動をビデオカメラで追いかける場合、ハンディカメラと音声係とディレクターという3人1組で動くことが必要とされた。被写体側は大所帯のビデオクルーを意識せざるを得ず、自然な表情は映像になりにくかった。

 「デジカムを持つディレクター1人ならば、数時間もすればカメラの存在を忘れて、ナチュラルになるんです」(放送作家・都築浩)。こうして候補者の日常ドキュメントを自然体で撮影することが可能となった。

 実はデジカムが世に出たのは95年である。96年に第2世代が登場し、97年に液晶付きCCDデジタルカメラが発売されているから、ASAYAN史でいうとSay A Little Prayerが合宿している頃だ。

 モーニング娘。や太陽とシスコムーンの合宿経過がリアルに見られるのも、カメラの存在を意識させないデジカムが出現したればこそだった。『電波少年』(日本テレビ系)の猿岩石や朋友によるヒッチハイクも同じ原理だ。ASAYANからヒットが続々生まれたのは、デジカムを多用した番組作りと軌を一にするのである。

ヒット連発の原動力(2)
演出家・タカハタ秀太の眼力

 現場での進行をまとめているのが演出家のタカハタ秀太氏である。

 『元気が出るテレビ』でテリー伊藤氏のもとで、日本テレビの土屋敏男ディレクターらと共に研鑽を積んだ。その後フリーとなってWOWOWで音楽番組を担当、4年ほど前からはフジテレビ系の『ケンカの花道』や『寺内ヘンドリックス』などで実験的なことをやっていた若手だ。コムロギャルソンがスタートするにあたって、音楽に詳しい若手が必要ということでタカハタ氏が起用された。

 コムロギャルソンは最初難渋した。なにしろ小室哲哉の考えが日々変わるからだ。そのたび緊急事態勃発! と番組的には面白く見せられるのだが、CDの場合は発売日がすでに決定していたり、ジャケット写真の撮影が済んでいたりすることが多い。にもかかわらず3人編成を急遽4人編成にできないか、とオファーしてくるのだから現場は相当に混乱した。

 だがそのような試練を経てタカハタ氏の中にオーディションにおける方法論が確立する。膨大な応募履歴書とテープのすべてに目と耳を通すというものだ。提出されたものはすべて彼自身がチェックする。1次審査を他人任せの分業にしないことで、各プロデューサーの好みに合った候補者を確実にリストアップすることが可能となった。

 そのほか、テロップや文字インサートの独特な使い方(企画によって背景色トーンを指定)、「使わないと落ちつかない」という句点の多用。スウィッシュという場面転換技術。コーナー名がすぐわかるためのサイドマークなど、カラフル&デジタルな画面構成を自らのこだわりでやっているのだ。

ヒット連発の原動力(3)
広告会社・電通のプロデューサー

 ASAYANでは番組開始時から、日本最大の広告会社である電通が番組制作に本格的に関わってきた。制作会議に局のプロデューサー、演出家、放送作家のほかに電通のプロデューサーが必ず参加している。すなわちタイアップ案を複数かかえた専属スタッフが常駐していることになる。「CM美少女オーディション」「VOGUE ITALIAオーディション」など次から次へと仕掛けられるのもタイアップ先にありきだからだ。

 実はこれは小室哲哉が音楽業界でやってきた手法でもあった。太陽とシスコムーンのオーディションもDDIポケットからのオファーがつんくにあって初めて成立した話だった。

 「電通制作という一面が番組の特徴でもある」と佐藤Pは言う。ASAYANは、広告会社が制作に携わっているからこそ、通常では考えられないような恵まれた条件でデビューができるのである。

演出家
タカハタ秀太(たかはた・ひでた)
1962年生まれの36歳。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でテリー伊藤氏に師事。ASAYANを演出するようになったのは、コムロギャルソン以降。
プロデューサー
佐藤哲也(さとう・てつや)
1947年生まれの52歳。テレビ東京第一制作部プロデューサー。これまで『サウンドブレイク』など音楽番組を中心に手がけてきた。ASAYANには97年1月から携わる。
放送作家 都築浩(つづき・ひろし)
1967年生まれの32歳。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で作家デビュー。最近では『進ぬ!電波少年』や『特命リサーチ200X』などに携わっている

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