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山形浩生「新教養主義宣言」の模範的罵倒の試み

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以下の文章は、「『新教養主義宣言』を罵倒してみなさい」という山形浩生氏の挑発を受けて、おそらくは山形氏が秘かに用意した「模範的罵倒」の正解のひとつと思われるものを簡潔にまとめたものである。 よって、ここに書かれたことは筆者の真意とは無関係であるし、 以下に登場する「山形浩生」とは、 あくまで「新教養主義宣言」の中に執筆者として描かれた「山形浩生」に過ぎず、 (山形浩生が実在するとして)実在の山形浩生とは(ちょっとは関係しているかもしれないが)大いに関係してなどいない。


「教養の基盤」をどーのこーのとかいっているが、山形氏にはもちろんそんな気はないに決まっている。(はじめにイントロを読んだとき「がらの悪い庄司薫」というフレーズが浮かんだ。あれは純然たるエリートのためのエリート文学だったけど、ふにょふにょした語り口で膨大な数の若者がだまされた。それによって、その連中は、本当のことがわかっている一握りの連中に馬鹿にされた構図になってしまう。ひどい話だとおもう。(あ、もしかしたら橋本治が「がらの悪い庄司薫」だったのかもね。読んでないので知らない。)) しょせん「わかる奴」と「わからない奴」には歴然たる差がある。教育で救えるのは、ぎりぎりこっち側に来そうで来てない奴だけである。 そんなことは、とうの昔から知れたこと。 山形浩生も、そんなことは百も承知だし、それ以上のことをやる気はさらさらない。

それは、読めばわかる。

本当のお約束だったはずの「面白がる秘訣」はどこに書いてある? 冷静にみると、書いてないぞ。

山形というフィルターを通して世界がどんなに面白くなるかは、 具体例を通していろいろ書いてある。 これは楽しくためになる。多くの読者にわかるだろう。

けれど、それ以上のことは何にもわからないのだ。 「マハラジャでは笑え」と覚えなくてはいけなかったかわいそうな子たちは、「ひいずるところの天子」はこう読め、とかいっぱい覚えなくてはならない。「面白がり方」がわかってる奴らはどんどん面白いことをみつけて先に行くのに彼らはいつまでも後から暗記しながらついてくしかない。

でえ。 こんなのは自明のこと。
時間の無駄じゃ。

では、この本の真の目的は何か?

芝居がわからなくて山形氏を幻滅させた女の子の話が妙に突出しているのは何故だ? 「かつて付き合った女の子の話ばかりが浮いている」 との指摘もあった。 山形氏ほどの能力のある人に、自分の文章のそういうったアンバランスが修正できないわけがあろうか?

ここに鍵がある。

「フラニーとズーイ」とか読まなくても、知的エリートたるもの、自分が見る世界と同じ素晴らしい世界をみることのできる相手を求めるのはごく自然。 しかし、それは満たされなかった、と著者は書いている。 そして、しつこくセックスに対する斜に構えた態度をみせる。 だが、これは裏返しにすぎず、彼が知的エリートたる自分にぴったしのパートナーを求めている人間として自分を描いているのは自明ではないか? そういう相手には出会わなかった、おそらく捜してもいない。

ならば、作ればいい、育てればいい。 光源氏がやった(んだっけ?当方、教養の基盤なし)みたいに。
というのが、この本の隠れた主題なのだ。 これは、この先、知的に発達していく若い女の子 --- しかも、あとほんのちょっとで「こっち側」に来る素質をもった --- を著者の理想の相手に教育するというごくごく個人的な目的のために書かれたトレーニングマニュアルなのだ。多くの読者は、イントロに騙されて高い金を払ってそんなものに付き合わされているのだ! 以下、お好みの罵倒をどうぞ。 そう思えば、「俺はアイボか?」に隠された意味も・・・・