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地獄の体験談(柔軟体操編)

柔軟体操に関する貴重な体験談を残しておきたいと思い、このページを作成しました。
箇条書きの形になっていますがご了承下さい。
ほとんどYAHOO掲示板からです。
ここに掲載して不具合のある方はメールをお願いします。削除致します。

新体操ならではの練習の苦労!
山尾朱子
新体操はめちゃくちゃ柔軟性をつけなくてはいけないんですよ。き れいに見せるために普通の人よりもはるかに足を開かなくてはいけ ないんですね。だから、床に足を開いた状態だと180度しか開か ないので、足をイスの上に乗せてそれ以上開かせて、涙目になって 「もうだめです」という所で「じゃそのままで3分ね」とか言って やらせますね。痛くても、それを毎日やらないと戻ってしまうんで すよ。 
柔軟の厳しさには私もかなり苦労しました。 プールも最初なかなか辛かったです。まず徹底的に泳ぎこみをやらされて、50Mプールを気が遠くなるくらい何回も何回も往復しました。あまりに辛くて途中で吐いたこともありました。また立ち泳ぎも延々とやらされたこともありました。足のつかないプールでコーチの話を聞く時も休むことは許されずひたすら水をかきます。でもあまりに疲れると、エネルギーを使わないで楽にする方法を考えて上達していったような気もします。 
久しぶりにカキコします。毎日毎日陸トレ中心の練習を続けてき ました。何となく体も柔らかくなってきた気がします。でも先日、 柔軟性強化トレーニングを行い5時間連続で柔軟をやったんで すが、あまりの痛さのため以前のように泣いてしまいました。柔 軟には今でも苦労しています。 
負荷かけなくても地道に毎日やっていけば半年や1年で驚くほど柔らかくなると思います。私は元新体操部ですが、拷問に近い柔軟を連日やられて短期間で驚異的に柔らかくなりましたが、一般の人はやめた方がいいと思います。私はケガしませんでしたが、肉離れやひどい腰痛になった人もいましたから。 
新体操は美しく華麗なスポーツだというのは大間違いでした。「新入部員で体育館でレオタードなんて100年早い」と言われTシャツ、ジャージ姿で校庭のスミで柔軟の毎日でした。練習はいきなり超ハードで180度開脚前屈などを3人がかりで足を広げられ、何度も背中に馬乗りになられてシゴかれました。最初は堅くて体が前に倒れないため、全身汗まみれになりますが「体の前のTシャツが汚れてないよ」と言われ、更にシゴかれます。でもそのうち何とか出来るようになり、足を左右に目いっぱい開いた状態で前屈し顔、胸、お腹まで地面にピッタリつけられるようになり、体を起こして頬とTシャツの前の部分が胸からお腹まで校庭の泥がベッタリついていて、先輩から「よし合格」と言われた時はうれしかったです。 
マットの上に足を乗せての230度以上の左右開脚状態で1時間分近く押さえつけられた時が一番にキツくて途中から息を吐いたりしても痛みは全然変わりませんでした。大泣きしながら耐えていても「泣く元気があるならまだ大丈夫だな」とか言われて容赦なく続けられました。押さえつける人も疲れるので途中で何人も交代するんですが、こっちは一人で開かされたまま。もの凄い汗と涙で途中から水分が枯れ果てて、涙も出なくなりました。でも最後の20分ぐらいは痛みが麻痺して感じなくなりました。やっと終わって開放されても足が閉じられませんでした。その日は寝るまでそんな状態で、常にガニ股で歩いてるんで家族に変に思われたのを覚えてます。 
あと「食事中は必ず180度開脚しながら食べています」とのことだそうですど、1年の新体操部夏合宿を思い出しました。配膳を終えていざ食べるゾという段階になったら先輩達が、畳の上で前の人と足がぶつからないようにうまい具合にちゃぶ台の下に前足を出して、前後180度開脚状態になり、何をしてるんだろうと思ったら、「1年もやれ」というので私達も開脚すると食事開始となりました。まだ新体操初めて数か月でそんなに柔らかくなかったので、この食事は辛かったデス。2〜3分ならいいけど5分を超えると前足の裏側を後ろ足の付け根痛くてもうご飯食べるところじゃなかったです。ほとんど食事が喉に通らず、ひたすら食事終了の合図を待つ。先輩達は「1年はダイエット出来ていいねえ」とか言われて涼しい顔で食事とってました。ただでさえ1年の練習は手具にはほとんど触らせてもらえず、1日中汗だくで柔軟漬けなのに、食事中までこんな目に遇うなんてホント泣きたくなりました。 
以前にも書きましたが、私の所属していた新体操部はスパルタ式でそりゃもうすごい地獄の柔軟練習の連続でした。入部初日から新入部員は全員足を開いて座らされ、背中を押されて開脚前屈をやらされました。硬い子なんて両足を目一杯広げられた上、前から両手を引っ張られ、更に背中に乗られ4人がかりでシゴかれてました。私も3人がかりで容赦なくやられ、足の筋がブチ切れ、大量の汗と涙で脱水状態になり最後は意識がなくなるほどでした。翌日は歩くだけで足に激痛が走るなか、初日を上回るものすごい負荷をかけられる拷問のような柔軟シゴキで、絶叫に次ぐ絶叫で声が出なくなり、練習が終わった後、一時間以上動けず痛みで泣き続けました。前後開脚でもすごい練習やってました。一番辛かったのは椅子に前足を乗せて開脚する練習で、股関節は自分の体重で180度以上開くため激痛が走りますが、両手は頭の上に上げたまま。全員でやる時は最初は5分とか時間が決められてても、あまりの痛みに耐えかねて誰かひとりでも床に手をつくと、連帯責任で全員の開脚時間が延長さました。手をついた子は練習が終わった後、「あんたのせいで時間が延びた」と先輩から厳しいビンタの制裁があり、新入部員のころは先輩が恐くて、みんな泣き叫びながら痛みに耐え、手をつかないよう必死に我慢したものでした。 
私は、中高と新体操を6年間やっていたのですが、毎日の柔軟体操はほとんど拷問のようでした。入部しての初日は恒例の開脚前屈の儀式めいたものがありました。毎年新入部員は開脚前屈を1週間程度でマスターさせられます。初日は開脚前屈を10分間を3セットやらされます。これは、初心者にとっては地獄のようなトレーニングです。マットの上に足を左右に開脚して座らされます。先輩が2人がかりで体が倒れるくらいさらに限界までひざを押さえながら開かされます。初心者の私にとってもうこの時点で足の内側の筋が切れそうなくらいです。痛くて顔をしかめていると、正面から腕を引っ張られます。そして・・・ひざを押さえられ腰の上に先輩2人に乗っかられます。あまりの痛さに涙があふれ泣き叫んでしまいましたが、先輩はそんなの関係ないという感じで10分間腰の上に乗りつづけます。あまりの痛さに意識がとうのきます。1セット目が終わると、開脚した足は元に戻らなくなります。そしてマットは涙とよだれと汗で、べたべたです。10分間休んだあとまた繰り返されます。ほとんど拷問のようなトレーニングでした。 
> 拷問のような柔軟体操部を6年も続けていたのですね。身体が結構柔らかくな
>っても、柔軟体操の苦痛なのでしょうか。

新体操は、極限の柔軟性が必要です。特にうちの学校の部活は,練習のほとんどを体を柔らかくするトレーニングに時間をさいていました。中2の秋頃までは特に柔軟ばかりだったのを覚えています。例えば股関節は270度開脚が理想です。ロシアなどでは270度開脚できる人が多くいます。180度以上開脚できるようになると、跳び箱を3段積まれ、腕を頭の後ろに組み跳び箱に前足を乗せて前後開脚します。当然自分の体重が重石になって開脚は200度以上になります。ここまでは何とか我慢できるのですがうちの部活では、さらに上から体重をかけられ無理やり負荷をかけられました。痛くて涙があふれてきますが、柔らかくなりたくて歯を食いしばって頑張っていました.柔らかくなればなったでさらに強く負荷をかけられてつらかったですね。今思うとすごいことやってたなと思います。 
柔軟始めと終わりには必ず「お願いします、ありがとうございました」と泣きながらでも言っていました。お互い辛さがわかるので、強く負荷をかけられても納得していました。結構真剣にやっていました。下級生には徹底的に柔軟をさせていました。休日の部活ではほぼ一日中、体が痛くて立てなくなるまであちこちの筋と関節を伸ばしていました。相当我慢強い子でも、涙を流しながら歯を食いしばって苦痛にたえていましたね。柔軟で辛さのあまり吐いてしまったりもしょっちゅうでした。柔軟も10分とか15分とか1セットが長くて意識がもうろうとして、終わると放心状態でした。かなりの柔軟性があってもトレーニングはさらに厳しくなっていきました柔らかいと靭帯や骨を痛めることがないので、なおさら辛かったです。一番辛かったのは跳び箱を左右に積んで、そこに両足を乗せての空中での左右開脚。ここまでだったら余裕ですが、上から腰のところを押され、足は200度以上左右に開いて、これは1分でギブアップでした。こんなことを6年もやっていたせいで驚くほど体は柔らかくなりました。 
> 休日の部活って柔軟にどの位時間をかけていたのですか?

休みは正月くらいでありませんでした。1年頃は休みの日は3時間くらい柔軟に費やされました。年3,4回大きな大会があったのですがそれが終わると1ヶ月くらいは柔軟中心のメニューで、大会前は演技を繰り返しさせられました。大会の後の柔軟のトレーニングは半端じゃなくきつくて、1セット10分とかでやらされ、あまりの辛さに柔らかい子でも泣いていました。いい加減にやっていたりすると、先輩から部活のあと居残りで徹底的に柔軟をしぼられ、筋が切れるほどやらされて、マットの上に吐いた事もありました。たいてい開脚前屈を4人掛りくらいでやらされました。まず跳び箱を3段くらい左右につまれ、その上に足を乗せます。そして腰の上に乗られ上半身がつくまで押されます。足の付け根が切れそうに痛くて、股関節も限界に開かされます。そしてさらに跳び箱の上に乗っている足を両方から垂直方向に引き上げられます。柔らかくなると床に上半身をつけやまま左右の足がかなり上まで上がるようになります。ほんと拷問ですね(涙)はたから見れば・・・ 
続き・・・前後開脚もきつかったのを思い出しました。180度以上開くようになると跳び箱3段積まれ前足をその上に乗せて、両手は頭の後ろに組まされ片足15分ずつ開脚をやらされます。当然自分の体重が股関節と足の筋にかかってきます。時間がたつにつれ辛さが増して、あまりの辛さに意識が朦朧としてきます。そして、レオタードのワキの部分が変なにおいのする汗でびっしよりになってきます。(柔軟がきつかった日は部活が終わるとワキが少しにおいました.脂汗で)最後の1分は上から負荷をかけられて歯を食いしばってラスト1分を耐えていました。足は200度,220度そして最後には240度開いていました。日本人では250,260度開くのが最高ですが、ロシアには270度開く人も多くいます。人間の体ってすごいですよね。(笑)体の柔軟性の極限の美しさを追求する新体曹ヘ過酷なトレーニングを必要とするんですよね。体で表現するスポーツですから・・・ 
新体操部は華麗さに憧れて入部した人が結構多くて、拷問のような厳しい柔軟の連続に嫌気がさし、初心者では辞めてしまう人も沢山いました。特に前にも書きましたが、夏の柔軟合宿は辛かったです。ただ子供のころ新体操教室とか通っていた子達は柔軟の基礎が出来ていたためそれほど苦労せず柔軟メニューをこなせてみんな残りました。 
横地選手の柔軟トレの番組は見たことないんですがさすが全日本上位クラスの選手ですごい練習やってますね。前後270度開脚は私も練習でやりましたが死ぬ程キツイ練習です。壁に前足の裏をつけて前後開脚し、自分の力だけで限界まで開脚します。更に後ろ足の太腿の裏に乗られ220度ぐらいまで開かされて30分ぐらい耐えます。左右開脚より多少楽なので何とか我慢できますが、その後一人に前足を更に体の方へ持ち上げられると同時に二人に背中を壁の方へ思いっきり押され、更に足を壁に垂直に立てようとします。無理矢理250度ぐらい極限まで開いた状態で3人がかりで押さえつけられ更に15分耐えます。前足の太腿や膝裏、ふくらはぎの筋はこれ以上伸びないぐらい伸び切って、お尻の筋肉も切れそうな激痛が襲います。後ろ足は付け根の筋と太腿の前の筋がおかしくなりそうなぐらいでした。左右220度開脚並の激痛でこれ以上は本当に絶対無理という感じでしたが、更に前足を垂直に立てようともう一段力づくで負荷かけられましたが、3人がかりでもこれ以上は開かず、これ以上やると故障すると判断したのか開放してくれました。実際270度開脚までできる人ってすごいなあと思います。上に乗ったりする柔軟補助者は私も上級生になってやったことありますが気持ちは複雑です。特に新入部員が泣きながら耐えているのを見ると、やめてあげようかなとも思うし、いやここでやめたら硬いままで余計可哀相とも思い続けなくちゃと思い返したりとか結構葛藤がありました。でも本当に強くしたいと思ったら妥協したら駄目なんですよね。 
220度以上左右開脚連続30分は最も過酷な練習だったかも知れません。この練習は、他の運動部員の間でもかなり有名でしたが、二人に上から完全に乗っかられて泣き叫びながら耐えている姿にみんな完全に引いてしまい、見ていられないのか見学者はいなくなってしまいます。その後30分近くたち、私が汗と涙と鼻水で水溜まりが出来ている床の上で開脚しながら耐え続けている姿を見つけ「すげーまだやってるよ!」との声を薄れる意識の中で聞いたことがありました。この練習は耐え抜いた選手には部員全員で拍手するのが恒例となっており、時にはバスケ部や卓球部の人達も拍手をしてくれたこともありました。 
新体操の柔軟強化は限度がないんですよね。柔らかくなった人には更に徹底的に負荷をかけてとことんまで柔らかくするという方針で練習メニューも決められます。特に中学生の時は多少無理しても大丈夫って感じで容赦なかったです。柔軟合宿を耐え抜いたといっても、まだまだ新体操選手としては全然柔らかい方ではなく、練習はどんどんハードにパワーアップします。台に片足を乗せての前後、左右開脚も台の高さがひとつクリアしてだいぶ楽になると、もっと台を高くされて、耐える時間も長くなり泣きそうになりました。今でも覚えてる練習は、50センチぐらいの高さの台二つの上で左右開脚し上体を前に大きく倒し両肘や顔を床につけます。自分の力だけでは180度ちょっとしか開けないので股関節やお腹は浮いてしまいますがお尻と背中に二人に乗られて、股関節を床につけようとします。220度以上極限まで左右に開かされて、骨が折れんばかりの痛みの連続でもう耐えられないような状態で更に30分以上我慢させられました。全身脂汗びっしょりに涙、鼻水は流れっ放し、髪の毛をかきむしり、声も出ず、両腕は痙攣、腹筋はつり、時々意識も薄れました。あまりの股関節の痛みを紛らすために自分で手の指を歯でかじったこともありタオルで猿ぐつわをされました。それでも練習はやめません。ようやく開放され、終わった後もしばらく足が閉じられず、左右200度以上に開脚したまま呆然自失状態でした。でも私より柔らかい人はもっとハードな練習を課せられており三人がかりで乗られ前足は壁に垂直、お尻は床という前後270度開脚状態で片足づつ30分我慢なんて練習を泣き叫びながらやってました。こんなに頑張ったのに、オリンピック日本代表選手なんかに比べると硬かったんですよね。その日本代表さえもロシアの選手なんかに比べると全然硬いんですよね。ロシアの代表選手はカバエバ選手に限らずみんなすごいそうです。幼少の頃から柔軟性の飛びぬけた子だけを選別し、長年にわたって徹底的に英才教育するシステムがないと駄目みたいですね。平凡な柔軟性と努力だけでは限界があるのでは?と思います。 
新体操を始めて最初の一年ぐらいは手具の練習はあまりなく、ほとんど柔軟ばかりの毎日でした。特に一年生最初の夏合宿は初心者にとっては別名「四六時中柔軟合宿」と恐れられ、丸10日間朝から晩まで柔軟地獄でした。入部して3ケ月経っているんで既にそこそこ柔らかくなっているんですが、想像を絶する過酷な練習の連続でした。朝食前にウォーミングアップがわりに開脚前屈、前後左右開脚、肩関節回し、ブリッジなど通常平日やる柔軟メニューを全部やってしまいます。その後朝食はたたみに前後180度開脚したまま食べさせられます。日中の練習はまずバレエのようなバーレッスンに始まり、台の上に片足を乗せての前後、左右開脚を先輩に上から乗られ200度以上限界を超えて開かされて耐えること10分、それを一日10セット以上その他ブリッジしての前後開脚、後屈に肩関節を逆側に曲げたり、手首、足首の柔軟など休む間もなく体中の関節という関節、筋を徹底的に伸ばされる練習が続き、痛みのため泣き過ぎで涙も出なくなります。もちろん昼食、夕食時も一年生は前後180度開脚したまま食べなければならないので食事もろくにのどに通りません。夕食後も入浴時とトイレ以外は常に前後又は左右に180度開脚状態でいることを命じられそれが就寝時間まで続きます。一年生部員の半分以上は途中で脱落しましたが、私はかなり我慢強い性格なので、意地で最後まで耐え抜きました。ようやく合宿最終日、寝る時間になって一年生は左右180度開脚前屈したまま寝るよう命じられましたがここまで過酷な拷問のような柔軟に耐え抜いたメンバーは、もう股関節や筋もバカになっちゃってて痛みもほとんど感じず、みんな開脚前屈状態で朝までグーグー寝てました。この合宿を耐え切ったことで、自分でも驚くぐらい段違いに柔軟性がつきました。でも最近はこういうスパルタ式は流行らないようで、今の現役の子達はやってないようです。 
こんにちは。何気なくインターネットしてたらここに来ました。柔軟は、最近また始め、学生時代は新体操部でした。レオタードをばしっと着て、前後左右開脚。180度は今でもオーケーです。新体操部時代は180度が基本で、そこからさらに広げる練習が30分以上でした。3人がかりで、両足を180度開脚状態で、跳び箱に足をのせられ、足の付け根から下に押されるのです。もう限界というところでも更に押されるのです。その当時は220度開脚ぐらいいってたかもしれません。涙涙でしたが、人間の体とはおもしろいもので、だんだん可動範囲が広がるのです。開脚は股関節の柔軟性ではなく、筋肉の柔軟性なんです。特にひざ裏の筋肉とか。180度以上の開脚するとレオタードがくいこんできて、なんか変な感じ。男性の人にはあまりはずかしくてみせられませんね。。。。皆さんも柔軟頑張って下さい。 
私の妹が新体操部でしたが、いつも柔軟に泣かされてました。特に股関節が硬かったため、いつも先輩に三人がかりでストレッチされていたそうです。体育館の壁際で限界まで左右開脚した後、前屈し胸が床につくまで先輩に押されたとのことです。同じ状態に挑戦しましたが3分もたえれませんでした。華麗な演技の裏には、ものすごい練習があるのだと実感し私はやらなくてよかったと思いました。 
妹に柔軟の補助してと言われてお風呂上りに無理に開脚している腰にのったりしましたが姉妹のためあまりにいたがるとそれ以上できません。やはりいままで耐えた先輩か経験者じゃないとなかなか泣いて柔軟にとりくんでる者の背中はおしにくい。他の人はどのように補助しているの?泣いていてもやはり力は抜かないものなの?かなー 
・昨日はね、最後のストレッチのときは、もう拷問だったわよ。みんなの要望で、無理にストレッチコーナーを設けてもらったんだけどね、前伏開脚の時なんかねー、もう。今日は、太股の内側がもう痛いもん。Mさんはどう。 
・なんたったてね、開いた脚が閉じないように脚で押さえといてね、それから、後ろからのっかられちゃうんだから凄いわよ、もう。わたしなんか、もう、内股がビリビリに痛かったわ。 
陸トレはプールに入れない時間にやってました。時期によって練習メニューは違いますが、ランニングはあまり厳しくなかったです。持久力は泳ぎこみでつけるって感じでした。腹筋、背筋、腕立て、スクワットは30回1セットで1日数セットやり、時にはバーベルなども使ってました。あと以前にも書きましたが柔軟が一番厳しかったです。プール内での前後左右180度開脚をこなすためには、陸上での柔軟トレで相当鍛えておかないとダメなので股関節や腿の裏の筋などを数人がかりでとことん伸ばされました。あと大会前になると音楽を流して演技のシュミレーションをみんなで合わせてやったり 
はっきり確信持てませんが、顔も似ていて東京で撮影しているので井村シンクロ、浜寺水練の選手ではないから多分神保さんだと思いますよ。シンクロは上向きでのバレエレッグなどをきれいに見せるため、腿やひざ裏の筋の柔軟性が大切で前屈では必ず足の裏を反り返させてやってました。最初はその状態だと足裏の筋が突っ張って背中が丸くなり上体が全然前に倒れないんですが、前にいる補助者が足の裏を合わせて座り、両手を引っ張り、更にもう一人背中に乗られて徐々に柔らかくしていきました。最初の頃はふくらはぎがしびれるような感じで痛みのため泣いてましたが、毎日何度もやられて1ケ月ぐらいで押されればおなかが足につくようになりました。 
久しぶりに投稿させて頂きます。少しご無沙汰しているうちに、ずいぶん賑わってきましたね・・・わたしの場合もSATOKOさん達と同様、シンクロでの思い出と言えば、息こらえと柔軟でした。以前にも書きましたが、私達の練習は水中でのストレッチがメインとなるので、その練習で息こらえと柔軟の両方が鍛えられます。特に苦しかったのが、水底での前後左右の180度開脚で、上からパートナーにのってもらって、息の続く限り開脚をするというものです。痛くて力が入ってしまうと、その分呼吸が続かなくなり、普段3分以上潜水できる人で もP分 位で限界になります。私の場合、比較的柔軟性には自信があったので、リラックスした気分でストレッチに望めたこともあり、2分以上は水中で開脚をすることができました。 身体の硬い子は、水中でのストレッチに耐えることが出来ないため、初めは陸上で練習をしてから、ほぼ180度以上の開脚が可能になった時点で、水中にトライしていました。この練習のおかげで、ほぼ全員が水中で2分以上の開脚に耐えれるようになりました。ただ、220度とか240度とかのオーバースプリットは全員ができるというわけではありません。私はせいぜい200度でしょうか・・・今では180度以上は開きません。 gymnast99 さんの柔軟性はほんとにすごいですね。200度以上の開脚や、頭と脚がつく後屈などは、何の問題もなく出来るのですか(長時間キープ出来るとか・・・) 
nniiaaさんの部活って、かなりハードですね。昔見た教育テレビのスポーツ教室「体操」で朝日生命体操クラブの子がやっていた以上のトレですね。段違いを用いた柔軟トレは、体は垂直で足と体を低棒ではさむような感じです。(判り難くてスイマセン)でも昔そこまで耐えた人達って、やっぱり柔らかさは残っていますよ!徐々にやっていけば、結構昔の感覚戻ってくるものですでよ!でも柔軟っていろいろな、やり方ってあるものですね。他にもキツイ思いでありますか? 横ソレになってしまいますが、それだけ基礎に重点を置いた部活ですから、大会成績も良かったのでは? 私は中学都大会、高校は補欠だったな〜 オヤスミナサイ 
中学の時、体を柔らかくしたくて体操部に入ったのですが、すごく厳しい部で特に初心者の私には、入部の際の拷問のような柔軟は今でもよく覚えています。開脚前屈をいきなりやらされました、まず、足を左右に目いっぱい開かされ,上からひざを押さえられながら、腰の上に乗っかられます。さらに向こう側にもう一人の先輩に腕をひっぱられます。息も出来ず、動けなくて、痛いのなんのって、これを長時間繰り返され、マットが涙と汗でべとべとになったのを覚えています。ただそのおかげで相当柔軟性がつきました。 
私が高校の時のことですが、トレーニングルームでの新体操部の柔軟体操はいつも見ていて、引いてしまうほどすごかったです。一番すごかったのは、まず2段くらいつんだ跳び箱の上に仰向けに寝かされた部員が、左右開脚をしてその両側から左右に開いた足をさらに力ずくで開かせていました。多分左右に200度くらいは開いていたと思いますが、泣き叫んでいる部員とかを押さえつけたりしていましたが、大丈夫なのかと思いました。あそこまで柔らかくするにはそれくらいの訓練が必要なのかもしれませんねぇ。 
 私も中学の時、体操部でした。区立でしたが、とっても厳しく活発で都大会は常連でした。新入生は3か月位は柔軟ばかり、開脚前屈も跳び箱2段くらいを左右に置いて、かかとをその上に乗せて、床に胸と顎がつくまで背中を先輩に押されて、みんな泣き叫びながらもが繰り返しやっていました。他の学校の柔軟よりかなりハードだったようです。2年生の先輩でもこれは苦手の人がいました。でも柔軟って続けないとスグ固くなってしまうようで、試験前1週間は部活休止で、試験最終日には柔軟やってもイタクテ、イタクテ、すぐにマットや平均台へ移りたかった思いがありました。 
gymnast99さん 今でも柔らかいってうらやましいですyo! 私も遠い昔器械体操部でしたが、高校卒業後は運動らしい運動をしなかったせいか、今はコチコチ、たまに体を動かしても昔のような しなやかな身のこなしできません。やはり継続してストレッチしていないと元に戻ってしまうなんでしょうne! 昔あれほど泣き叫びながら柔軟をやったのに・・・左右開脚なんて、両足を先輩に無理やり引っ張られて・・・・ 
私は体を柔らかくしたいという理由で中学の時体操部(内容は新体操)に入ったのですが、とんでもなく厳しい部活で吐いたりよくしてました。新体操ということで、1年生の頃はほとんど練習は柔軟体操で、それもはんぱじゃなくハードでした。ほんとに毎日泣き叫びながら、柔軟を何時間もやってましたね。特に前後開脚は、前足を椅子の上に乗せられ、体が宙に浮いたところを上からのられ股関節を200度以上開かせられました.中高と6年間おかげで、体は信じられないくらい柔らかくなりました。今でも,少しウォーミングアップすれば、股関節は前後に200度くらいは開きます。前屈も楽に体が2つに折れ曲がりますし、ちょっと自慢です(笑) 
私が中学入った年はコマネチ五輪の次の年で、女子体操部は入部希望者が殺到しました。しかし、入ってみると器具とかには触れさせてもらえず、新入部員は体育館の隅で地獄の柔軟体操の毎日です。先輩二人に腰が後ろに倒れるくらい足を左右に目一杯広げられ、もう一人が背中を押します。手の指先は床にギリギリ触れる程度の状態でドンドン押され続け、最後には腰の上に完全に乗っかられます。内腿の筋が切れそうなぐらいの激痛の中、何度も繰り返されます。翌日はまっすぐ歩けないような状態で這うように学校に行き、また柔軟体操。痛くて開けない状態で容赦ない厳しい練習。ボロボロ泣きながら時には激痛で意識朦朧。あこがれ半分だけで入った新入部員は3日でみんな辞めました。しかし不思議なもんで1ケ月、2ケ月経ち、苦しみを乗り超えると急に楽になりました。夏休みのころには笑いながら180度左右開脚をして前屈するとアゴ、胸、おヘソまでペタっと床につけられるようになりました。(今はもうまったく駄目ですね。もう一度やりたいとも思わないですけど) 
  gymnast99さん&nniiaaさん、こんばんわ!お二方とも私と同じく、中高時代、辛い柔軟を乗り越えてきたのですne? 今日は「体育の日」掲示板のカキコに影響され、久しぶりに柔軟をしてみました。痛い〜、前屈→ひざにオデコが付くのがやっと。開脚前屈→120度位でひじが床に付いた程度。 でも除々に時間をかけたり、反動をつけていくと、開脚前屈では瞬間、顎が床に付きました〜!  う〜むまだまだ、私もマンザラではないなぁ、十うん年前の成果が残っていたのかna! nniiaaさんは段違い平行棒の経験はありますか? 高校時代 エバーマットだったかを重ねて、そこに腰をつけて低棒に両足を開脚して体は低棒をくぐって、両手を補助の人にひっぱられる柔軟は地獄の一言でした。中学1年でだいたいの柔軟メニューをこなしてきましたが、高校へ上がるとワンランク上のやり方があるのかな〜って、また泣きました(- -);;;  gymnast99さんは、中高一貫の部活でしたか? 6年先輩と一緒の活動って、相当厳しいんでしょうne? お互いもっと柔らかくなりましょうネ!! 
確かにひとつの柔軟メニューをこなすとランクアップしちゃうのが泣きましたね。何とか180度開脚が出来るようになると、今度はもっと負荷かけられて ……飛び箱三段位を二つ積み、そこに前後に足を乗せて、真ん中にお尻が付くまで上半身を床に押し付けられたり。あとその飛び箱の上に仰向けに寝て、左右に思いっきり開脚した足を、更に二人がかりで床に向かって押し広げたりられたりとか。200度以上も開かされてもう泣き叫び過ぎて声は枯れるは、両手は突っ張り過ぎで硬直しちゃうわで、この練習が終わると10分くらい床に死んだように倒れてましたね。nappe65さん偉いですね。私も今はもうコチンコチンですが明日ちょっと体操やってみようかな♪ 
段違い平行棒って開脚前屈を仰向け状態で強化する奴ですよね。私の学校では床で足を押さえられてやってました。でも80センチぐらいの高さのエバーマット二つに、開脚した両かかとを乗せ上から押される開脚前屈強化トレーニングは辛すぎました。補助者は押すなんてものではなく、背中の上にお尻を落とし、全体重をかけ完全に馬乗りになります。あごや胸が死ぬ思いで床につくと、今度はエバーマットの上に乗っている足首をつかまれて、思いっきり後ろに引っ張られます。上半身はペタっと床につけながら両足を開脚したまま垂直に立たせようと引っ張られます。(ひえ〜今考えると良くこんな恐ろしい練習やってたものだ。)この練習はかなり柔らかい先輩も恐れていた地獄の練習でヒーヒー言いながらやってましたね。私は声も出ないような状態で、床に押し付けられた顔から涙がドクドク流れ、足の付け根の痛みは極限を超え、時には胃液を吐いたこともありました。さすがに吐くと補助者もびっくりしてどいてくれましたけど(笑) 
練習が厳しかったわりには大会成績はあまり良くなかったですね。今から考えると基礎に重点を置いたというより、忍耐と根性を植え付けるといった色合いが強かったような気がします。メンタルトレをほとんどやって無かったので、大会ではあがってしまい、信じられないミスの連発で、いつも力を出しきれずに悔しい思いをしていたよう記憶しています。トホホ‥‥。しかしgymnast99さんの新体巣gレは凄まじいですね。200度以上開脚30分なんてウチでもやりませんでしたよ!!開脚は180度を超えると、痛みが第二ステップに上がり、一度開く毎に加速度的に増加すると思いませんか?私は前後開脚の200度は5分くらいは保持できましたが、左右開脚は股関節の骨がきしむようで15秒が限界でした。nappe65さん、gymnast99さん、もっといろいろ話しましょう。 
nappe65さんnniiaaさんの投稿を拝見して私も学生時代の拷問とも言えるハードな柔軟のトレーニングを思い出しました。新体操は、極限の柔軟性が必要ですが、特に私の通っていた学校の新体操部の柔軟トレーニングは過酷で県内でも有名でした。そのおかげで柔らかい人が多かったのも事実です。新体曹ナは例えば空中での開脚で、200度以上開かないときれいに見えません。一流の選手は270度近く開きます.ですから床の上では軽く220度は開けないとダメということになります。跳び箱を3段つみ、前足を跳び箱の上に乗せて腕を頭の後ろに組んでの前後開脚30分は辛かったですね.他にもすごいやつはいろいろありましたが、終わると涙と鼻水とよだれで顔がぐちゃぐちゃで、意識が朦朧でしばらく股関節が痛くて閉じれませんでした。こんなトレーニングを中高6年やったせいで信じられないくらい柔軟性がつきました。前後開脚は250度、後屈は頭とお尻がつくまでになりました.今ではその面影はありませんが(笑)一応ちょっと無理すれば200度くらいは開きます。今日はちょっと頑張ってみようかな・・・ 
うちの学校は手具を持つ前にまず基本の柔軟でしたね。1年生はほとんど柔軟のトレーニングで今思うと信じられないくらい過酷なことをやってましたね.私はかなり我慢強いほうですが、さすがに痛みにたえきれず泣き叫んだ時もありました.跳び箱の上に前足を乗せての開脚は、片方15分ずつ、先輩がストップウォッチで時間を計るのですが、痛みに我慢できなくて手を床についていたりすると時間を止めたり、硬い人がいると最後の1分は上から乗っかったり、終わるとレオタードのワキの部分が、ニオイがある油汗でびっしょりでしたね。今でも入部初日の開脚前屈のトレーニングを思い出すのですが、初心者は10分間開脚前屈を、3セットしたら終わりという内容で(これは恒例の儀式みたいなものですが)さすがに終わった後は何十分もたてなかったですね。っていうかんじでこんなこと毎日1年も続けてしまい、どっぷりと新体操にはまってしまいました。 
入部初日の開脚前屈はどこも恒例なんですね。私もやらされました。2組に別れて前半組の私は、足を開いて座りなさいと言われたので、そのようにしたら先輩に更に限界まで足を広げられた上、膝が浮かないように押さえられ、背中をグイグイ押されました。痛くて苦しくて数分経って「交替!」の声でやっと開放されました。涙目で後半組を見ると、みんな青ざめていて、既に泣き出している子もいました。後半組が終わると「2巡目行きまーす」と言われ、またやられました。結局1時間ぐらい繰り返され、終わるとみんな床に這いつくばっていましたね。今ではいい思い出ですけど。(?) 
皆さん入部初日は大変でしたのですne!?私の中学では1か月位は仮入部みたいなもので、それほど厳しくはありませんでした。でも区大会優勝、都大会出場のレベルでしたから、1か月を過ぎたあたりから柔軟にせよ、技にしろ厳しくなっていきました。まっ柔軟はそのせいで、結構自分なりに柔らかめになった段階で、キツクされましたのでそれなりに頑張れる感じでした。それに6月になると地区大会が始まり、先輩達出場する人が大会前にはレオタードを下に着て、その上にTシャツ姿で詰めの練習をしていて、まだ体育着でしか練習したことのない私達新入生には、鮮やかに映り、あこがれでした。それでいてしなやかに柔軟、開脚を決めたり、伴奏とともに軽やかに規定演技をしたりと、私達も先輩達の姿を見て、柔軟も頑張ろうっと改めて奮起しました。皆さん、中学新入生時代の開脚って、前後開脚と左右開脚どちらが、楽でしたか?一般には前後開脚ができた後に、その発展で左右開脚へと進むのでしょうが 私は最初のうちは前後が苦手で、左右の方が楽でしたが?皆さんはいかがでしたか? 
私は最初のうちは前後開脚の方が楽でした。腰を正面に向けないでやる前後開脚については、わずか10日ぐらいで床にお尻がつくようになりました。(先輩にはそんなやり方はズルだとこっぴどく怒られましたが…) 特に右足前の方が得意でした。前後開脚って得意足ってありますよねえ〜。左右開脚は膝近くの内腿が突っ張るような感じがなかなか取れず完璧に開けるようになるまで結構時間がかかりましたね。でも前後開脚っていろんな練習のバリエーションありますよね。床の上に両手を上げて仰向けに寝て、補助者が片足を押さて、もう一人の補助者がもう一方の足を押上げ、耳の横あたりに押し付けようとする練習は、腿の裏の筋が伸び切るようできつかったです。(イメージわきますか?表現が下手でゴメンナサイ) 
左右開脚の辛さは、今でも忘れられません。開脚前屈は何とかマスターできましたが、左右開脚は柔軟の中でも一番辛かったです。2段積んだ跳び箱に左右の足を乗せ180度左右に開脚し、自分の体重で足が左右にさらに開きます。ここまでは何とか我慢できますが、さらに先輩に浮いた腰の上に乗られ、限界以上に開かれます。泣き叫ぶほど痛くても徹底的に開かされ、200度以上左右に開脚させられます。股関節が筋に食い込むようで痛くてしょうがなかったですが、泣きながら必死に耐えて柔らかくしたのを覚えています。長時間続けられほとんど意識を失ってしまったこともありました。ほんと辛かった(涙) 
35でも書きましたが、左右開脚の200度以上ってこの世のものとは思えない痛みですよね。私の学校では15秒くらい思いっきり開かされた後、1分ぐらい休憩を取り、また開脚するとういパターンで何セットかやってました。あまりの激痛で一回には15秒ぐらいしか耐えられないという配慮だったのでしょうか…長時間続けられたそうですが、何分くらいやらされていたのですか?あの痛みを数分間耐えるなんて考えただけで恐ろしい… 
左右開脚は、かなり柔らかい新体操の選手でも、1分が精一杯じゃないでしょうか。私の学校の部活では、1分間の開脚で、数セットやっていました。あの激痛は今思うとよく耐えていたなと思うほど、すごいトレーニングでした。終わると足がしばらく閉じれなくなるほどいたかったです。かなりの柔軟性がついてきても涙が出るほど辛かったです。体操の選手って、新体操の選手と比べると、柔軟も楽で、それほどの柔軟性を必要としないイメージがあるのですが、nniiaaさんの学校ではすごいことやっていたんですね。かなりの柔軟性がついたと思いますがどれくらいの柔軟性がつきましたか? 
そういえば前後開脚のきき足、得意足ありましたね!?体育館の壁や平均台を背にして立って、補助の人に片足づつ上げられての前後開脚、どちからはokで、どちらかは物凄く痛かった。最初のうちの床上の前後って腰がずれても180度でぺタリンコが出来たときはとても嬉しかったです。ホント体荘I手って気分になれました。あと仰向けになっての前後で足を少し斜めにして耳に押し付けるのは、ごまかしがきかないからかなり痛いイメージが残っています。その後に仰向けのまま左右開脚に入りますが補助が一人のままだといいかげんな感じの180度に成り易いので、うまく逃げていました。部活のローティションで体育館が使えない日で、それでもって大会前だと、廊下で2時間軟ばかり、ありとあらゆる方向へ体を動かされて、もうそれは泣いてばかり、廊下ですれ違う同級生には、大変ねって感じで見られていったけ!!    
前後開脚でのきき足、私は左足が前が得意でした。でも新体操では不得意なほうは2倍の時間をかけて柔軟をやらされました。仰向けでの柔軟は特に辛かったですね。特に左右開脚。足が一直線で左右に開脚させられるのと、少しでも一直線じゃないのとでは、ぜんぜん辛さが違いましたね。跳び箱の上に寝かされ、完全に一直線に開かれて3人がかりでの200度以上の左右開脚は、はっきりいって泣き叫びましたね。それから、私は休みの日の部活はいやでした 。ほとんど1日中柔軟のときもありました。4,5時間柔軟づけで、何でこんなに辛い思いをして体を柔らかくしなきゃいけないんだろうと思いながら、他の人に負けたくなくて必死に柔軟してました。中2の秋頃、前後開脚をしたまま後屈をして、頭がひざの裏側につくようになりました。上から胸をさらに押しらって、頭とひざの裏側がついた状態で、さらに後足のひざを曲げられ尚且つ、前足を上げられ200度以上の前後開脚をさせられました。痛くて涙があふれ今思うとすごいことやってたなとおもいます。その時は必死で、もっと柔らかくないたいと思っていました。また当時やっていた柔軟について投稿したいと思います。 
開脚については、負荷かけられて200度が限界でしたね。体操競技の性格上、270度近く開脚できるようになるまで鍛えることはないですから…。新体操のトレーニングはすごいと思います。休みの日は私もいやでしたね。特に1年生の頃は、大会とか関係ないので、一日中基礎トレーニングで大半は柔軟でした。準備運動から開脚前屈、前後・左右開脚や肩の柔軟など力づくで徹底的に体中の筋や関節を伸ばされました。練習が終わると体がバラバラって感じで、もう動きたくなかったです。ただ徐々に自分の体が柔らかくなっていくのが実感できたのがうれしくて歯を食いしばって耐えてましたね。 
ポカポカ陽気に誘われて、久々に柔軟やってみました!まずジョギングで汗をかいて、屈伸などを入念にやり、床に座り開脚前屈の姿勢。最初は120度ぐらいしか開けず、前屈も髪の毛が床に触れる程度。ああ内腿の筋が痛い…なつかしい痛みが蘇りました。しかし時間をかけ、反動をつけながらやっていくとだんだん体育会魂が呼び戻され、まだまだやれるって感じ。2時間ぐらいやって、最後はかなりの激痛にも耐えながら、根性(?)でグイっと上体を押し付け、最終的には足は170度ぐらいまで開いて、多少背中が丸まってましたが、一応胸とおなかは一瞬床につきました。さすがあれだけの練習に耐えた筋肉は覚えているもんですねえ。今日は疲れたからもう寝ます。 
私は卓球部だったんですが、新体操部の練習はいつ見てもきつそうてした。特に新入りは私たち卓球部の練習スペースの後方にある、体育館の隅っこで何か月もずーっと柔軟ばかりやらされていました。前屈、開脚など上から何十分も乗っかられたりして、みんな泣きながら耐えてましたね。私達も卓球の練習で苦しい時は「新体操部を見ろ!」とか言って、結構励みにしていたところもありました。 
yyboyさんの投稿で思い出しましたが、私たち新体操部の隣は中高とも卓球部でした。よく泣いていましたから恥ずかしかったのを覚えています。でも柔軟とかの練習はすごかったので、引いていましたね卓球部の人達。私はやわらかかったので、自慢したいという気はありました。実際人前でよくやらされましたが柔軟体操をクラスの子とか「柔軟やって!!とかいわれてよく人前でやっていましたから。一応特技なのかな? 
シンクロ選手の柔軟の大変さを知ってる人がいて嬉しかったです。新体操とか相撲の股割りとかは結構有名ですが、シンクロについてはあまり柔軟を辛さを知っている人は少ないんですよお。(ToT)小谷選手のやっていたらしいトレーニングですか、私もやりました。180度開脚ができるようになったら、前足をちょっと高い台に足を乗せて、前後開脚をし上から乗られました(二人に乗られとこともあるんですよ!)。ホント220度ぐらい開かされて、痛くて辛くて泣いても徹底的に柔らかくされました。水中の不安定な状態で開脚することを考えれば、そこまで鍛えることは必要だということは、みんなわかっていたんですが、それにしても辛かった!! 
gymnast99さんは個人の選手でしたか、チームでしたか?私はチームの選手だったんですが、チームって立ち泳ぎや開脚を一番レベルの高い人に合わせなければならなかったのが辛かったですね。私のチームは生まれつき体がメチャメチャ柔らかくて、足も水面で楽々220度以上開けちゃう子がいて、コーチから「チームの選手はみんなあのレベルまで引き上げるように」と言われた時は、呆然としました。それから以前にも書きましたが、台の上に足を乗せ、上から乗られ無理矢理柔らかくする特訓の日々で、みんな泣きながらやり、筋が切れんばかりのあまりの痛さに、時にはその柔らかい子に「あんたが柔らか過ぎるから私達がこんな目に遭うのよ!!」って八つ当たりしたりして(今考えるとヒドイこと言ってましたね。ああ自己嫌悪)、何とかレベルを近づけよう頑張ってました。 
私も運動部出身ではないのですが、体の柔らかい人に憧れて、3年ぐらい前から毎日柔軟をやっています。最近ではスポーツジムにも通っています。最初のころはちょっとずつしか柔らかくならなかったのですが、飲み会や残業で遅かった日も、風邪をひいた時もさぼらずに2年間毎日続けた結果、あこがれの180度開脚も出来るようになりました。でも一人でやるのは限界があるため、最近ではスポーツジムに行きインストラクターに負荷をかけてもらっています。そのインストは元新体操選手で、新体操並みの厳しい柔軟をやってもらっています。2年間の基礎の成果か「経験者でもないのに結構平気そうね」っと驚かれました。来年の目標は、仰向けに寝た状態で、足を左右に開いていき一切負荷をかけずに左右に一直線に開脚することです。これは新体操選手でも難しかったそうです。焦らずじっくり挑戦したいと思います。 
開脚前屈より地味ですが、長座による前屈も基礎的練習として最初のころよくやりました。特に二人がかりでやる前屈は思い出に残ってます。一人が前に座り、私と足の裏を合わせ両手を引っ張り、もう一人が背中を押します。足首が垂直に立っているためふくらはぎがビンビン伸びる感じで、更に上から完全に乗っかられ、顔、胸、お腹が足に隙間無くぴったりとつけられます。この状態で15分ぐらい耐えます。最初のころはふくらはぎがしびれますが、痛みに慣れるとこれは意外と我慢できました。この練習のおかげで、身体検査の立位体前屈が30センチ以上記録し、みんなに気味悪がれました。 
私の通っているスポーツクラブにいる、元新体操選手のインストラクターに290度開脚の話をしたところ、「かなり柔らかい選手でもそこまで開ける人は珍しい」と驚いていました。そしてそこまでになるには、@生まれつきの素質 Aもっともっと柔らかくしたいという精神力B並外れた練習量の3つが揃って初めて可能ではないかとのことです。ちなみにそのインストさんも現役時代、いすの上に前足を乗せ前後開脚をした状態で上から乗られ、200度以上開かれて20分ぐらい我慢するような練習をやってたようですが、最高で220度ぐらいまでしか開けなかったそうです。彼女が言うには「結局私は根性が無かったみたい。柔軟も半分嫌々やってたとこあったし。でも同じクラブにはすごい子がいて、その子は長時間にわたる過酷な柔軟で私なんてボロボロになっている状態で、なお居残り練習で先輩にもっと負荷かけてもらって更にハードな柔軟を数時間やってたわ。練習熱心なのはわかるけど何かに取りつかれているみたいで恐かったわ。」と笑ってました。 
rsg makiさんこんにちは。ものすごい柔らかさですね。前後290度ももちろん驚きなんですが、私には左右の240度がとてもとてもとても信じられません!!!!!!。以前にも書き込みしましたが、180度以上の左右開脚は、股関節がきしむようで想像を絶する痛みが襲い、200度近く2人がかりで無理矢理開かされた時は気絶したこともありました。いくら生まれつき柔らかいといっても、やはりそれなりの厳しい訓練をやらないと、そこまでいかないのでしょうね? 
私のクラブにも無理して270度開ける子がいましたが、290度とは…。ただただ唖然です。私なんて180度以上強化するために、毎日長時間上から乗られ、泣きながら激痛に耐え歯を食いしばって柔らかくしようとがんばっていたのに…(泣)レベルが全然違いますね。 
確かに子供の頃に柔軟性を高めるのは有効のようです。以前中国雑技団の特集をテレビで見ましたが、小学生ぐらいの女の子に大人の男4,5人がかりで信じられないような厳しい柔軟をやってました。足なんて300度ぐらいまで力づくで無理矢理広げたり、後屈では上からのしかかって、お尻と背中をくっつけようとしたり。その番組の中で小さいうちに柔らかくしておかないと…といったコメントがあったよう記憶しています。 
15年以上前ですが、中国に転勤で行ってた頃雑技団の訓練所を見学したことがあります。倒立や自転車芸、バランス芸なんかも、もちろんすごく厳しい練習をしてましたが、やはり少女に対する拷問のような柔軟トレが今でも目に焼き付いています。後屈は本当に後ろに二つ折りになるまでやってました。開脚はやや高いイスみたいなものに両足を乗せ開脚し、体の前と後ろに大人二人が乗り、宙に浮いた腰を床に押し付けたり(250度ぐらい開いてたかな?)してました(しかも長時間。正確には不明だが40分ぐらいやってたかも)。途中で意識を失ったような子も多々見られました。私はかなりのショックを受け気分が悪くなったのを覚えています。後で聞いたところ、中国では雑技団員は花形職業で、子供でも給料がもらえるそうで、そのプロ根性で耐えているとのことです。 
nniiaaさん、以前の投稿で段違い平行棒が辛かったとういのをどなたか言ってましたが、私が左右開脚で辛かったのは、平均台の上にマットを敷き、仰向けで左右開脚をできるところまでした後、両脇に2人ずつ乗ってもらい思いっきり引っぱられるというものでした。更に開くところまで開いた脚を今度は背中側にいく様に上下にぐりぐり回されたり、かかとを天井に爪先を床に向ける様に外側に捻られたりというもので、いったいどうなってるのといった格好だったと思います。きしむ様なキリキリとした変な痛みがももの外側をはしり、これ以上やるとおかしくなるのを感じ、さすがに泣きました。その他では、筋膜を切られた子は、それが一番痛かったと口を揃えて言いますね。因みに左右開脚を私くらいできた選手がもう一人いて、彼女は全日本でも6位入入るトップ選手でした。他の部分柔軟は以外とそうでもなかったのですが、種具操作、跳躍力等も備わった良い選手で羨ましかったですね。身体が柔らかいだけではダメでした! 
新体操出身のスポーツクラブのインストに聞いた現役時代の前後開脚練習の話です。前足をちょっと高い長椅子にのせ前後に180度開脚し、更に自分の体重で限界まで開いた上に、前足の太股の上に一人、後足の太股の裏にもう一人乗られ、股関節を床にペタリとつけさせられたそうです。足は220度近く開かされ状態で、20分〜30分限界まで耐えたそうで、痛みに耐え切れず大泣きし「許して」と叫んだりすると乗っている先輩達も「これを我慢すると楽になるのよ」一緒に泣きながら励ましてくれたそうです。青春ですね。私は運動部の経験がないから少しうらやまかったです。でもそんなこと言ったら「私はもういいわ」と笑われました。 


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