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東京都足立区女子高生監禁リンチ殺人事件

 
 
<クソガキ犯罪者どもの名前と近況>
 

犯人の氏名

 

 

宮野 裕史(A)

 

主犯格。懲役20年の刑で服役中。2008年出所予定。 
中学時代は軽量級の柔道の選手として活躍。身長160cmと小柄だがガッシリとした体格。付属男子高校中退。見習いタイル工として働き始めるが暴力団員と知り合い、パシリとなる。  
・父親(当時47歳)…証券マンを経て証券外務員に。  
・母親(当時47歳)…私大音楽学部卒業後、ピアノ教室の講師に。  
・妹…事件当時11歳 
事件後、両親ともに辞職。

妹の家庭教師の日記がHPで公開されていた。(問題の日記へ)

小倉 譲(B)

サブリーダー。すでに刑務所から出所。 
主犯格の1年後輩。180cmを越す長身。検事や弁護士の質問に太い声でハッキリ答える。  
・父親(当時42歳)…運送会社の配達員。長身。愛人との間に2人の子供がいるが、母親との籍はなぜかそのまま。 
・母親(当時43歳)…都内デパート勤務を経て、結婚後は得意だった洋裁で内職。父親が女に走り別居。その後水商売にて一家の大黒柱に。 
・姉(当時20歳)…私立高校卒業後、都内会社員。

湊 伸治(C)

犯行現場の部屋の提供者。すでに刑務所から出所。 
 JR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほど歩いた住宅街。玄関と二階ベランダが南欧風、3DKの建て売り住宅。約百平方メートルの敷地いっぱいに建っていて、両隣の家とは人がやっと入れるほどの狭さ。近くに小さな公園有り。事件の13年前、一家は同じ足立区内から引っ越してきた。  
「足立の学習院」と言われたエリート中学卒。その後、都内では唯一の化学専門工業学校に進学。  
・父親靖人(当時48歳)…東京湾近く、隅田川沿いに近い町工場が密集した一角にある診療所にて事務。入院設備は無いが七つの診療科目を備えた大きな診療所。仕事と酒で子育てはすべて母親任せ。  
・母親ます子(当時47歳)…父親と同じ診療所にて看護婦主任を勤める。事件後、23年間勤めた診療所を辞職。  
 この両親が共産党員であったため、警察はマスコミを恐れてなかなか家に踏み込めなかった。 
・兄(当時17歳)…小倉譲(サブリーダー)と中学の同級生。ほとんど一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで沈黙を守る。

渡邊 泰史(D)

 

  
少年院でいじめに合い、現在引きこもり症候群。 
四人の少年達の中では一番痩せていて、声が小さく、右後頭部、中学教師の体罰を受け出来た10円玉程の白髪が、公判時にはこぶし大にまで広がっていた。定時制の工業高校へ進むが1週間で行かなくなる。ファミコンが好き。  
・父親:幼少時に離婚。その後まもなく交通事故で死亡。  
・母親(当時44歳):元美容師。離婚後、生活保護を受けながら時計部品の工場でパート勤務。 
・姉(当時18歳):母親との面会拒否の為、姉が面会・差し入れを続けていた。 
 

中村 高次(E)

 

  
宮野、小倉、湊からささいなことでリンチにあう。 
現在は地元スナックでこの事件のことを面白おかしく語る無反省人間。 
 

伊原   (F)

 

  
結婚し娘をもうけ、新聞配達員をやっている。
 

   
 なお、「スマイリー菊地」という芸人がこの事件の加害者の一人だったという噂がありましたが、調査の結果、現在までのところ確認できていません。

 

目線の入った顔写真しか入手できていません。目線ナシの写真をお持ちの方はご協力をお願いします。


<検察側の指摘の一部>

平成2年5月21日 論告要旨

「被告人らは、犯行当日の昭和64年1月4日午後8時ごろから同10時までの間、約2時間にわたり、被害者の脇腹部、 脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、さらに長さ約20センチメートル、直径2センチメートルの蝋燭2本のとけた蝋を被害者の顔面にたらした上,短くなったろうそくをその両眼瞼にたて、あるいは500cc用パックにはいった尿を強引に飲ませるなどし、また倒れている被害者を引き起こしては手拳で顔面を殴打し、あるいは顔面、腹部、大腿部を足蹴にし、被害者が鼻血をだし、火傷部分から血濃がでるや、手に血等がつくのをいやがり、ビニール袋でてを包んだうえ、再び数十回にわたり顔面、腹部を手拳で殴打して転倒させ、顔面等を足蹴にし、引き起こしては顔面、腹部等を手拳で殴打するなどの暴行をくわえ、さらに重さ約1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打し・・・・・・」

@「なんでもするから家に返して」と必死に哀願するにもかかわらず、全裸にしておどらせたり、自慰を強要し、直径3センチメートルの鉄棒や飲料水オロナミンcのびんを陰部に挿入したり、陰毛をそり、足首等をライターの火で焼いて火傷をおわせたり、あるいは再三にわたり、無理やりシンナーを吸引させるなど残虐非道の行為をくりかえした。


<鬼畜(宮野達)の所業(判決文より)>

 

**さんに買った小倉と同じ名前の品物を見せ、名前を聞く。

**さんが答えると小倉を呼び捨てにするとはなんだと殴り、 困った**さんが、今度は品物にさんを付けて呼び直すと品物にさんづけするとはなにごとだと殴る。

 

小倉が湊に、

「おい、あれやれよ」と言って小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけた。歌詞の中の「イエーイ」に合わせて脇腹に思いっきりパンチをいれる。

「痛い」と声を出すとまた殴られるため、こらえるので口が変なふうに歪む。 「先輩、この顔が面白いんですね」と小倉。

 

曲が終わってからも全員で殴る。

**さんの顔にロウソクをたらしたり小便を飲ましたりした。

渡辺はいつもは無関心でいるが、 宮野や小倉に、なぜお前殴らないんだと言われるのが怖くなりリンチに加わった。すでに、**さんは鼻や口から血を流しており、 自分の手に血が付くことをいやがった渡辺は、宮野が吸っていたシンナーのビニール袋を手にはめ殴る。

 

その後、宮野は疲れたのでタバコを吸う。小倉と湊は、**さんを真ん中に立たせ、小倉が右から湊が左から、肩や顔に回し蹴りを数発いれていた。

 

そのうち、**さんにパンチがもろに入りステレオにぶつかり倒れる。全身を硬直させブルブルと痙攣して前のめりに手をつきながら倒れてきたのを見て、

「仮病だ、このやろう」 と湊がすごい勢いで怒る。

宮野も、蹴るとかでは甘いんで、もっとひどいことをやってやろうと思い、 鉄球の着いた鉄棒を持ち出し**さんの腹の上に落とし顔面などを殴った。

 

殴り終わった後、 反応しなくなったので怖くなりいつものようにライターのオイルをかけ火をつけた。 最初は動いたが最後になったら動かなくなった。

宮野「こいつ、死ぬんじゃないか」

湊「大丈夫ですよ。こいつはいつもこうなんですよ」

 

ガムテープで**さんの両足首を二周か三周縛る。

10時になったので「いい時間になった。サウナに行こう」と部屋を出る。


 

<事件の概要>

昭和63年9月頃
 家庭内暴力で両親が立ち入れない聖域となった湊伸治の部屋は、9月頃から、中学時代の先輩や後輩が集まる格好のたまり場となった。
 
10月中旬
 宮野裕史が運転する車に小倉譲湊伸治、それに湊の中学時代の同級生の4人が乗り、自転車に乗った制服姿の女子高校生に対して「道を教えて」と声をかけた後、ナイフで脅し、ホテルで輪姦。
 
10月20日頃
 宮野が運転する車に小倉と湊が乗り、宮野の顔見知りの女子高生をホテルに連れ込んで、強姦
 
10月25日
 宮野と小倉でひったくりで12万円を稼ぐ
 
11月8日
 宮野が運転する車に小倉と湊が乗り、足立区内で自転車で帰宅中の19才の女子会社員を車に連れ込み、ホテルで輪姦。
 
11月25日
 宮野裕史が「ひったくりに行くぞ」と湊伸治を誘い、バイクで出発。午後8時すぎ、自転車に乗っている被害者を見ると、宮野は、に「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命令した。 は、バイクで女子高生に近づき、左足で女子高生の右腰を思いっきり蹴って、角を曲がり様子を見ていた。 バランスを失った女子高生は自転車に乗ったまま転倒。溝に落ちた。そこへ宮野が近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。おれも脅された。危ないから送っていってやる」と声をかけた。 宮野は、女子高生を近くにある倉庫の暗がりで「おれはヤクザの幹部だ。おまえはヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅しホテルに連れて行って強姦
 

虐殺された被害者女子高生(匿名)

(私、葵龍雄の判断であえて匿名とし、目線も入れました)

 

11月26日午前1時過ぎ
 「ヤクザが来るぞ」と被害者を騙しながら湊伸治の部屋に連れ込む。
 
11月28日
 湊伸治の部屋で渡邊泰史、湊伸治の中学時代の友達2人(中村高次か?)が、被害者を輪姦。湊は緊張して出来なかった。
 
11月30日 宮野裕史は、被害者の家から捜索願いが出されないように、被害者を連れ出すと、近くの公衆電話から母親と親友に電話をさせている。このとき被害者は「友達の家にいるから、捜索願いは出さないで」と、宮野に言わされている。
 
11月末
 午後9時頃、湊伸治の母親ます子が被害者と自宅で会う。湊ます子が被害者に「遅いから帰りなさい」と言ったが、そのまま二階にあがる
 
12月初め
 湊伸治の母親・ます子が二階にあがり、渡邊泰史と一緒にいた被害者に対して「どうしてここにいるか」を尋ねるが、被害者は答えず。翌日 午後7時過ぎ 湊ます子が湊伸治の部屋のぞくと被害者と小倉譲がいたので、もう一度、すぐ帰りなさい。お父さん、お母さんが心配しているから」と言ったのだが、被害者は動かなかった。(脅されていて動けなかった)
 
12月初め午後4時頃
 少年達が夜遊びに疲れて、湊の家で昼寝をしていたすきに被害者は、二階から階下の居間に降りて110番したが、そのことを宮野裕史に発見され、暴行を受ける。警察からの逆探知は宮野が出て「何でもない。まちがいです」と返事をした。
 被害者の行為を裏切られたと感じた少年達は、以後被害者に対して顔面を殴ったり、足首にライターのオイルをかけて燃やすというリンチを繰り返して行うようになった。これらによって出来た怪我等により、少年たちは、ますます被害者を解放できなくなるとともに、火傷が化膿して、放つ異臭により、被害者を疎んじるようになり、その処分にこまるようになった。
 
12月初旬 
 宮野小倉渡邊を連れて、宮野の所属する暴力団の上部団体の忘年会に出席、宮野は組員達に「会長が自分で、小倉譲が組織本部長、湊伸治は事務局長」と紹介。
 この頃からシンナーを売り出す。
 
12月中旬
 被害者を輪姦した湊伸治の中学時代の友人(中村高次か?)に対して、些細なことから宮野、小倉、湊でリンチを加え、3週間以上入院する大怪我をさせた。
 
昭和64年1月4日午前6時30分
 宮野、小倉、湊、渡邊で被害者に対してリンチを始めた。顔面にろうそくを垂らしたり、次々と顔面を殴り、被害者は血だらけの状態となった。更に1.7キロもある鉄製のアレイを宮野が持ち出し、渡邊が被害者の腹に落とした。
 リンチが終わったのが午前10時ころで、その後、被害者が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると4人でサウナに行った。宮野は、後に「ひょっとしたらあぶないんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという気持ちが出てきたと思うんですが、鉄の棒で殴っても動かないんで」と述べている。
 
1月5日昼過ぎ
 湊の兄から小倉に「被害者の様子がおかしい」と電話がかかり、宮野、小倉、湊で駆けつけて見ると被害者は敷きっぱなしの布団で冷たくなっていた。
 宮野は、後に「”じゃあ、どうする”、”捨てよう”ということになって、自分が劇画を読んでいて、ドラム缶のなかに、コンクリートを流しこんで、海に捨てちゃうという場面を思い出して、そのことがとっさに浮かんで、自分、まえにセメントとか、そういう会社に勤めていたんで、作り方もわかるので、ドラム缶の中に捨てようということになりました」と述べている。
 バックに詰め込んだ遺体は、宮野の家の前で、3人でドラム缶にいれ、コンクリートど流しこんだ。近くの川に捨てようとしたが、小倉が「家が近いので怖い。化けて出るかもしれない」と反対して、東京湾に捨てることにした。
 宮野が借りてきたワゴン車を運転して、東京湾の埋め立て地まで行ったが、適当な場所がなく、道路脇の草むらに捨てた。
 
平成元年1月23日
 11月8日に犯した強姦により宮野等が逮捕される。逮捕後の調べでコンクリート殺人を自供。
 



この犯罪者どもの、出所後の足取りを追跡しています。なにかご存じの方はメールください。(『つとめあげたんだからもう許してやったら』というつまらないメールは無視しますので、送らないでください)
すでに出所している小倉や湊は、この事件について指摘されると「もう済んだこと」などと言って開き直っているそうです。

ましてや中村のように酒の肴の話題にするなど言語道断です!
徹底的に追跡し、批判の声を浴びせてやりましょう!!

 

大体「済んだこと」というのは、現状復帰を果たした者の言うセリフである。被害者女子高生を生き返らせてやって初めて言えることである。

それができない限り、殺人者の罪は永久に消えないのである。