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8月31日(日)

○「赤いsodaの夏休みが終わります」ってのは高野文子の「玄関」の一節。「本当のこと知りたいだけなのに/夏休みはもう終わり」はフリッパーズ・ギターの「ドルフィン・ソング」で、「白いカーテンの揺れる/夏休みの終わりまで」っていうのは雷蔵の「ふらむきりんの校庭」。夏休み最後の日というのは、「8月31日までの夏休み」をとっくに卒業した大人にも、ほどよいノスタルジーを感じさせるもののようだ。
○で、そんなこととは関係なしに僕は眠りっぱなし。疲れてて疲れてて。ダラダラしながら大友克洋の「童夢」を読む。素晴らしいね、この読後感の悪さ。テーマは、「フリークスは排除しろ」かな?違うか。彼の描く絵と同様、非常に細かく構築された世界なのだけれど、いまひとつ胸に来なかった。こういうSFっぽい作品を、今の僕は求めていないようだ。
○僕には、正座をして読みたくなるマンガというものがある。本当に正座なんてしないが、たとえ寝転んで読むにしても、襟を正してしまう本だ。関川夏央・谷川ジローの「坊ちゃんの時代」は、そんな文芸書にも似た重量感を僕に感じさせる本だった。
○その第五部「不機嫌亭漱石」は、いよいよこのシリーズの完結編。死の直前の漱石を通して、近代の日本人の自我を描き出している。関川夏央は、明治時代の終焉こそが、現在にいたる日本人の精神性が確立された時期であると述べているが、確かにこの物語での漱石の自我の揺れは、現在の我々にもそのまま当てはまるものだ。もっともこのマンガが描かれたのは現代なのだから、当然ともいえるが。それにつけても、朴訥としたユーモアと、社会に対峙する人間の無力感を同居させつつ、それでも決して悲壮感を漂わせることがなかったのは見事だ。胸に一抹の寂しさを残しつつも、極めて爽やかな読後感を残してくれる。自分には程遠い大人の味わいというやつだ。ラストなんて、「やってくれるよ〜」と苦笑いしてしまうほどに鮮やかだったのだ。
○それにしても、ここのところ「マンガ評日記」みたいになってきましたねぇ。明日も?



8月30日(土)

山本直樹の「フラグメンツ」1・2巻を一気に読んで放心。エロマンガなんて枠を突き抜けているのはもう当然のことで、セックスが描かれていても、それは人間の性(さが)を露わにするための媒介にすぎない。死のうが生きようが人間から消え去ることない、存在自体が抱える不具を剥き出しにしているのだ。物語は極めて静謐なトーンで紡がれ、それゆえに読み手に与える「重さ」も強烈だ。読んだ後に言葉を失ってしまうほどで、もはや恐ろしいぐらい。構成力も卓越していて、しかも随所に張られた伏線が挙げる効果も見事だ。なかでも、マゾの男の日常への回帰を描いた「夕方のおともだち」が素晴らしかった。だめだ、僕の言葉じゃ追いつけない。
○1週間前に借りてそのままだった「攻殻機動隊」を観る。ベタな感想で恐縮だが、やっぱこの作品全体を覆うクールさはカッコいいなぁ。観念的過ぎるといえばその通りだが、「ビューティフル・ドリーマー」といい「パトレイバー」といい、これほど世界が貫徹した作品を生み出し続けているのはすごいことだ。宮崎駿は社会を見つめ、庵野秀明は個人の内面を煮詰まるほど描き、そして押井守はもっと根源的に存在そのものを問い掛けているのか。
○夜、大学時代の知り合いたちが所属しているオーケストラの演奏会へ。社会人になってもああいう趣味があるってのは羨ましいが、僕なんかもう楽器を練習する気力がない。その後友人と飲んだものの、ただでさえ酒に弱いのに、疲れがたまっているのか足が疲れて仕方なかった。20代とは思えんな。
地下水道を1ヶ月ぶりに更新。一部の消滅ページを削除したので、全体数はそんなに変わってない。マイナーチェンジという感じです。



8月29日(金)

○ホフディランって、渋谷界隈じゃもう大メジャーのようだ。大型店でじゃ平気で売り上げの1位とかで、少々驚きながら「WASHINTON C.D.」を購入。あとoasisの「BE HERE NOW」と、SUN RAの編集盤「太陽神降臨」も。
○レコファンで買い物をして降りると、なんと地下にまんだらけが移転していた。いつの間に。引き込まれるように入ると、コンクリや天井組みが剥き出しの、いかにも急作りの内装。それはそれでかっこいいのだが、店内のステージで店員(?)が歌ってるのにはまいった。なんか皆して彼女に一瞥もくれないし、なんか「目のやり場に困る」って感じだった。そんなこんなで、山本直樹の「フラグメンツ1」の古本を購入。
○時代の空気と見事に合致して、大きなうねりを生み出す作品というものがある。エヴァはその典型だろう。しかしやり切れないのは、本当なら評価されるべき作品が正当な評価を受けられずに、不遇な終焉を迎えることだ。それを改めて痛感したのが、「ヤングサンデー」で連載されていた、落合尚之の「黒い羊は迷わない」の終了だった。
○主人公は、洗脳された人間を「解体」するデプログラマーの男。今年前半(だったか?)に連載された第1部では、彼がかつて潰したカルト教団にいた少女を、憎しみの底から救済する物語だった。第1部というのは、つまり体よく連載を終わらされてしまったんである。
○この男と少女が、「解体」の依頼をこなしていく…というのが、その後始まった第2部だった。ずいぶん方針転換したなぁ、でも人気を得るためなら仕方ないか、と思って読んでいたのだが、それも今週で終わってしまったのだ。まだ1つしか事件を解決してないんだぜ。
○ここまでの説明で勘のいい方は気づくと思うが、この作品のベースには、いとうせいこうの「ワールズ・エンド・ガーデン」と「解体屋外伝」がある。これらの本を読み終えていた僕は、このマンガが始まった時には胸が高鳴った。まさにストライク・ゾーン!って感じで。しかし、この物語は単なる宗教モノにとどまらなかったのだ。孤独に苦しんで、無条件に依存できる存在を求める弱い人間(=羊)の姿と、そこから抜け出す道を指し示す見事な作品だった。それはいとうせいこうを起点とし、オウムを通過し、エヴァとも大きくシンクロしていた。いや、時代の抱える虚無と向かい合うという点では、エヴァ以上に意図的であり、真摯な作品だったと断言できる。まさに、今読まれるべき傑作だったと思うのだ。
○今日終了した第2部でも、その見事な幕引きに感動させられた。感傷に流されることなく、冷酷な現実の姿と希望の両方を同時に提示していた。第3部はもうないかもしれないが、あまりにも惜しい。惜しすぎる。
○思わず単行本1巻を買ってしまったのだが、その巻末の作者紹介を見て驚いた。落合尚之は、僕よりほんの4歳上のだけなのだ。これほどの才能、いつか正当な評価を受ける日が来ることを願って止まない。エヴァにハマったあなた、とりあえず単行本は「買い」だ!



8月28日(木)

○実に1ヶ月ぶりにハイポジ-BODY meets SING-を更新。正直な話、ハイポジへのインタビューの申し込みが今月1日に事務所に断られた件で、完全にやる気を失っていたのだ。しょせん私設ページじゃん、関係者の好意に甘えて今まで調子に乗ってただけじゃん、と自分に言い聞かせてはみたのだが、やはり落ち込んでしまった。なんか更新しなきゃ、ページを見て下さる皆さんに申し訳ないとは思いつつも、気がつけばあっという間に1ヶ月。この場を借りてお詫びします。それにしても、週に3回も更新していた頃があったなんて、今となってはもう信じられなかったのだ。
○ところが今日、ハイポジの事務所であるバイオスフィアから来たDMを見ると、ハイポジの楽曲を収録したオムニバス盤がもう発売しているというじゃないか。CD発売情報が遅れるとはなんたる失態、と大慌てで更新作業。溜まっていたネタもやっとUPできた。昨夜まではこのまま放置する気か?と自問自答していたのだが、いざこういう事態になると、「事務所のホームページにだけは後れを取りたくない!」なんて私設ページの意地が出てしまった。我ながら単純なもんだよ。
○そういえば、「ハイポジ-BODY meets SING-」は去年の9月7日開設。早いもんで、もうすぐ1周年なのだ。やっぱその節目に…いや、なんでもないっス。ただ、ムーンラーダーズ・マニアによる金字塔であるホームページ・Damn! Moonriders Web Serverに匹敵するような、ハイポジのファン・ページは作れなかった自分の力不足は痛感している。なにしろ、あそこには鈴木慶一インタビューがあるもんなぁ。



8月27日(水)

○「Quick Japan」vol.15を買ってきたのだが、案の定、竹熊健太郎と大泉実成がエヴァ完結編について対談している。もうエヴァ絡みの記事は載せないと前々号で編集長は言っていたのに、結局その後も毎月掲載することになったわけだ。一応「もののけ姫」も込みで、ということなのだが、東浩紀も参加してるんじゃ完全にエヴァ向けの態勢。でも、あんな作品見せつけられたら、記事にしなきゃ嘘だよなぁ。あ、内容の方は3人ともエヴァ完結編に大喜びで、とてもすがすがしいです。
○最近、地下水道のカウンタがやたら壊れる。アクセスが多いせいもあるだろうが、やはりSo-netのサーバーの不調が大きいようだ。So-netのサポートセンターに対処法を問い合わせたところ、So-netがユーザーに提供しているカウンタ・サービスを使ってみてはどうかという返事が来た。無料だというし、背に腹はかえられず設定をして取り付けることにした。GIF表示方式になったのだが、他の字に比べて大きくて、やや不釣り合いなのは否めない。それにしても、「地下水道」もいいかげん更新しないとなぁ。



8月26日(火)

○「ガイドブック」と「評論集」という2種類の本は、一般にはその性質が混同されがちだ。しかし、前者は、読者に未知のものを客観的に分かりやすく紹介し、後者は、客観性を保ちつつも筆者の主観に重点を置くという点で根本的に異なる。つまり、評論集の方がより評論対象を通しての自己表現としての性格が強いのである。あるいは、そうあるべきなのである。
○今日読了したいしかわじゅん「漫画の時間」は、そうした必要条件を見事に満たしている。自身もマンガ家として活躍するいしかわの漫画論及び漫画評を収録したものだ。初版が1995年なので、紹介されるマンガは当然それ以前のものとなり、少なからぬタイムラグがあるのは否めない。また、この本で紹介されているマンガのうち僕が読んだのは半数ぐらいにすぎないのだが、そうした点を踏まえても、本書は充分に楽しめたのだ。
○紹介される作品は実に100作。これだけでもいしかわのマンガ好きぶりが窺われるが、彼の本領はそうした点にとどまらない。冒頭のマンガ論で、1冊のマンガ誌を1日かけて楽しみながら読めると彼は述べている。ずいぶん大袈裟な言い回しだと思ったが、ところが本書を読み進めていけば、それが決して誇張ではないことが分かってくる。彼がマンガから読み取る情報は並みではないのだ。構成・描線・造形などから描き文字にいたるまで、マンガに含まれるすべての情報を読み取っているのでは、と思わせるほどである。そうした膨大な知識を持つ彼の書くマンガ評が面白くないわけはない。平易でありながら的確な表現で、各マンガの魅力を引き出してくれるのだ。
○読み終えた後に満足感とともに印象深く残るのは、いしかわのマンガ文化に対する愛情の深さだ。ここで紹介されたマンガよりも、まず彼の作品「憂国」を探さなければ。実を言うと僕は、彼のマンガを本腰で読んだことがなかったのだ。いけない、愛情が足りないようだ。



8月25日(月)

○昨日はそれほど疲れたと感じていなかったんだが、いざ会社に行ってみると、昨日の強行軍の疲れが背中に負ぶさっているかのようだ。昨日の出発の時間なんて会社行くより早かったし、貴重な睡眠時間の代償は大きいようだ。
○退社する頃には、今朝現像に出したフィルムが出来ていた。怒涛の夏コミ3日間から昨日までの全記録を見返すことになったのだが、冷静に見ると本当に異常な風景だなぁ。美しいまでに馬鹿馬鹿しくて、素敵なほど特異な風景なのだ。なかでも、プラグスーツ綾波2人と、初登場時のアスカのコスプレの女の子と一緒に4人で写った1枚は、この夏のベストフォト最有力候補だ。どんな夏だよ。



8月24日(日)

○昨日いい言葉を友人から教わった。「機動力」。馬鹿馬鹿しい事にばかり足を運び、必要以上に金と時間とエネルギーを使いがちな僕のような人間が、自分自身を正当化するのになんとも便利な言葉じゃないか。今までなら自己嫌悪になってしまいそうな軽はずみな自分の行動も、この言葉さえあればもう安心だ。
○というわけで、今日は新幹線に乗って静岡まで行ってきた。往復1万円弱のチケットはさすがに辛かったが、シンジ君の「逃げちゃだめだ」よろしく「機動力機動力機動力」と唱えて、理性を押さえて無事購入。向かった先は…Oさんの待つコミケ会場だった。「こっちは東京とは雰囲気が全然違っておもしろいよー」と言われて、現状視察に出向いたのだ。…やっぱ馬鹿馬鹿し過ぎるな。
○静岡駅からバスで向かったのだが、このバス停で待っていたのは、中学生ぐらいの女の子が圧倒的。必然的にバスの中はスクールバス状態で、僕の意識は早くも「なんで俺はここにいるんだ?」と朦朧。さらに到着したと思ったら、今度は炎天下の中入場待ちで並ぶことに。「なんでこんなに手際が悪いんだ!」と怒りたくもなったが、「いつから俺はそんなコミケの権威になったんだ」と自分を戒めた。さすがに。
○入場後Oさんに合流、狭い机に本をびっしり並べてる。それにひきかえ周囲のサークルは、同人誌よりも便箋やらしおりやらのグッズ中心で、いわゆるコミケの概念とはだいぶ違う感じ。見てまわったが、1冊も買うようなものがない状態なのだ。その一方で、コスプレ含有率が妙に高い。本当に低年齢層が中心で、この状態じゃ、夏コミで売れまくったOさんのサークルのコアな本が苦戦するのも仕方がないと思った。なにせガキ中心なんだもん。
○Oさんが頼まれたスケブ(注:スケッチブックにイラストを描いてくれと客が頼むのだ)も片付けて、イベントが終了した後、Oさんの知り合いの女子高生3人とお茶会。あんまりいい子達なんで、心洗われてしまった。静岡駅で彼女たちと別れ、僕は焼津市のOさん宅へ向かったのだが、「彼女たちも大学にでも入れば変わっていくんだろうねぇ」などと2人して遠い目になる。すっかりおやじモード。
○Oさんのアジトでアナログ盤をかけまくり、マニアックな本をひっくり返し、山本直樹の「BLUE」(光文社版)を借りて撤退。その2時間半後、やっと自宅へ戻ったのだった。疲れるより楽しかったし、たまには強行軍もいいもんだ。機動力。



8月23日(土)

○僕の場合、起きてからも覚えている夢はたいてい悪い夢だ。今日も、フィルムを入れ替えるように、何度も強迫観念に満ちた嫌な夢見て、やっと目が覚めたら午後2時。目覚めても悪夢な気分。
「ベルリン天使の詩」をビデオ屋に返しに行ったところ、先日は貸し出し中だった押井守監督の「攻殻機動隊」があったので借りる。ミーハーだが岩井俊二も1本ぐらい見ておこうと、「Undo」も借りた。どれを借りようか迷ったが、なんか彼の作品の中では一番病んでそうだったんで。
○その「Undo」は、「脅迫性緊縛症候群」なる精神疾患に妻がなり、平穏だった生活が次第に破綻をきたしていくというストーリー。もっとも、そうした精神疾患になった経緯について掘り下げられることはない。むしろ作品の主眼は、「もっとしっかり縛ってよ」と言う壊れた妻と、彼女を精一杯縛るしかない夫の姿を描くことだ。良く言えば映像中心、悪く言えば雰囲気モノの作品。でも意外と気に入ったのは、他人が苦悩する姿を見るのが僕は好きだからのようだ。なんて悪趣味な。



8月22日(金)

○全然見つからないなぁ、山本直樹の「BLUE」。現在は弓立社から「BLUE AND SHORT PIECES」というタイトルで出ているはずなのだが、どこの書店でも見かけない。小さい出版社から出ていることも原因だろうが、やっぱり有害図書指定を受けているのが大きいんだろうな。底無しの廃頽を秘めているような気がして、今読みたいマンガNo.1なのに。
喜納昌吉&チャンプルーズのメンバー・石岡裕さんから突如メールが来て驚愕。地下水道から彼らの公式ページへリンクを張ろうとしたらいつのまにか消えていて、とりあえず沖縄NTTが作成しているホームページにリンクしておいたのだが、幸運なことに石岡さんの目に止まり、公式ページが復活したとのお知らせを頂いたのだ。感謝感激、インターネット万歳!ってな気分だよ。
○僕が喜納昌吉&チャンプルーズを聴き出したのは、90年、高校生だった頃の話だ。再発の廉価盤が出たのを機に、「喜納昌吉&チャンプルーズ」と「BLOOD LINE」を買い、そしてその年に彼らの8年ぶりのアルバム「ニライカナイパラダイス」が出たのだ。以来彼らの作品のほとんどすべてを聴いてきたのだが、レコード会社の移籍が多いこともあって(次で6社目?)、すぐに情報が途絶えてしまいがちだった。で、公式ページが出来た!と喜んだら、英語版のみ、しかもそのうち消滅という有り様だった。ところが今回復活した公式ページは日本語で、しかも彼らのメッセージが全面に出たページになっている。こうやってアーティストとファンがダイレクトに繋がるメディアってのはやっぱり貴重だよなぁ、と改めて思ってしまった。政治色の強い彼らの主張に対しては賛否両論があるだろうが、まずは一読をお勧めします。



8月21日(木)

○柳美里の「家族シネマ」読了。そうか、こういうのが現在の日本の純文学なのか…というのが、表題作を読んだ正直な感想。人間に対する突き放した視点が、強烈にこの作家の個性を匂い立たせていて、読んでいてフラフラしそうだった。こんな感覚、かつて中上健次を読んだ時以来だ。
○この単行本に収録されている作品の中で最も印象に残ったのは、表題作よりも「潮合い」の方だった。転校生をいじめる小学生を描いたこの短編は、異常なまでに心理描写が巧みだ。いじめる側、いじめられる側、そしていじめを隠そうとする側。なぜこれほど卓越した描写が出来るのだろう。才能なのか、あるいは彼女の生い立ちが育てた感受性ゆえもなのか。
○ただ、酒鬼薔薇とその両親に対する最近の彼女の発言は、すこし首を傾げたくもなる。なんか妙に現実味がないことばかり言うなぁ、という印象だ。それでも、例のサイン会中止事件以降、柳美里という存在が妙に気になって仕方ない。「フルハウス」も読もうかなぁ。



8月20日(水)

○映画館の床ってのは、こぼれたジュースやら何やらで、どこでもベタついているものらしい。「もののけ姫」を観に行った劇場もごたぶんに漏れないものだった。しかも親子連れだらけで、「おいおい、アニメ=ガキ向けって短絡思考はやめろよ〜」と言いたくもなった。先月行ったワイルドブルー横浜と異常に客層が近いんだもん。
○昨日ビデオで観た「ベルリン天使の詩」同様2時間以上に及ぶ大作なんで、集中力が持つか不安だったのだが、そこは巨匠だけあって飽きさせない。ベタなほどに盛り上げまくりだ。アニメとしての質も、見ていて落着かなくなるぐらいに動きが滑らかで、贅沢にセルを使ったことが一目瞭然。もはや比較するものがないレベルにまで達した映像美を満喫できた。
○しかし…見終わったあと、意外なほど余韻がなかったのも事実だ。いや、自然と人間文明の対立、そして一筋縄で捉えられない善と悪の複雑な混在など、間違いなく普遍性を持った作品だ。しかし、今の自分にとって逼迫した問題ではないのも事実だし、また同じテーマなら「風の谷のナウシカ」の方が上かな?とも感じた。やはり宮崎駿の最高傑作は、ナウシカのマンガ版のようだ。
○で、大友克洋「童夢」やいしかわじゅんの「漫画の時間」を古本屋で買って時間を潰したあと、僕の足はつい「THE END OF EVANGELION」をやってる劇場へ…。「もののけ姫」が今ひとつ食い足りない印象だったもんで、144席しかないその劇場に入ってしまった。こんな狭い映画館、実は初めてだったのだが、やはり床はベタベタ。小さなスクリーンだったが、特等席で観ることが出来た。
○3回目ともなると、もうお気楽なもの。スタートから55〜60分の辺りで、苦悩するシンジの内面世界が狂ったような映像で描かれるのだが、やはり何度見ても気持ちがいいったらありゃしない。やっぱり最高のドラッグ・ムービーだ。



8月19日(火)

ヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩」をレンタルから借りて観る。何の予備知識もなく観たのだが、まずはその「映像詩」とも呼ぶべき映像の美しさに言葉を失った。こういう映像を、僕はほとんど見たことがなかったのだ。そして、人々の疲れきった心を天使が読取っていく場面が延々と続く展開に、「これがロード・ムービーっていうやつなの?」と不安になったが、やがてすべてが1本の束に集約されていく見事さに感嘆してしまった。いかんせん天使が人間になろうとするまでの展開が1時間もあるのには驚いたが、それでも2時間以上の作品を見終えた時には、すっかり満足。観てよかった。
○映画にめちゃくちゃ詳しいY君に電話して、この感動を告げたところ、「今頃観たの?」と笑われてしまった。そう、僕には映画を見るという習慣がないのだ。画面の前に2時間前後もじっと座っているのがとにかく苦手なせいなのだが、やっぱ映画をもっと観とこうと、いまさらだが思ってしまった。さぁ、次は何を借りよう?



8月18日(月)

○眠った眠った。昨日までの疲れを癒すべく、起きてからもあまり活動せず、買った本を読んだり昼寝したりで過ごす。久しぶりに廃人状態。
○やっぱ同人誌は創作系が一番面白い。個人のパーソナリティーが全面に出るからだ。パロディーやカバーにしても、元ネタはあくまで描く上での口実にして、好き勝手に自分の世界を暴走させたものが読み返したくなった。ただ受け入れるだけが愛情じゃないってことですな。
○そして、絵を描く才能がある人がつくづく羨ましくなったりもした。この歳から絵の練習ってのは、ちょいとキツいもんなぁ。



8月17日(日)

○3日連続の修羅場も今日で千秋楽、夏コミ最後の日である。今日はOさんのサークルの手伝いをするためにサークル入場。日曜の電車の本数も考えて、朝6時40分起きで会場へ向かった。
○オリジナル中心のOさんのサークルは本の種類も多くて、委託も含めて9種類もの本が狭い机に並んだ。そうなるとこちらも気合いが入って、声を掛けて呼び込みまくり。在庫も10数冊となったマニアの受難のペーパー版も順調に売れ、午後1時過ぎには「完売御礼」の札を出すこととなった。たまたま目に触れたこの本を買って下さった皆さん、そしてインターネットを見て足を運んで下さった皆さんに多謝!幸せに暮らせよ、見知らぬ人々に買われて行かれた40冊。
○午後、友人Mさんが会場にやってきた。会社の同僚のWさんが手伝う、Kさんのスペースを見に来たのだ。僕も一緒にKさんに会いに行ったのだが、実はこのKさん、僕が手伝っていたOさんと知り合いであったことが判明。インターネットで知り合ったMさんの人脈と、コミケで知り合ったOさんの人脈が、突如1本に結ばれてしまったのだ。類は友を呼ぶ、世の中狭いもんだと感嘆。
○コミケ初体験のMさんと会場を見てまわり、最後に「コスプレ広場」へと向かった。ところがこのスペース、広いとは言えない場所にコスプレの人々が詰め込まれていて、もの凄い状態。あまりの非日常的な光景に、Mさんも度肝を抜けれている様子だった。そして場の異常な空気に触発されて暴走した我々は、コスプレの女の子と一緒に写真を撮りまくるという暴挙に出て、プラグスーツの綾波レイ3人組と一緒にフィルムに収まったりしたのだった。
○Mさんが帰ったあと、慌ててマンガを見てまわった。エヴァ関係も買い漁る気だったのだが、結局5冊程度しか買わなかった。絵が上手くて、ある程度読みでのある物を探したらこうなってしまったのだ。また、活字サブカル系も3冊程度で、むしろ完全なオリジナルである創作の本で宝捜しを試みた。今回のコミケ、買うことより売ることの方が楽しかったかもしれない。
○終了後、Oさんの車で会場を後にしたのだが、ゾロゾロとあるく人波を見ると「祭のあと」の実感が。祝祭は終わり、日常へと回帰しなければならないことを感じつつ、帰宅後すぐにベッドで意識を失ったのだった。



8月16日(土)

○夏コミ2日目、今日は一般入場。Sさんと待ち合わせて、友人Kが出展している会場へ向う。会場に到着してKのスペースへ行くと、見事に新刊が落ちていた。彼女は、自分の本を後回しにしてマニアの受難のペーパー版のイラストを書き上げてくれたのだ。ありがたい。ただ、2時間しか寝ないで直前まで頑張ったとはいえ、やはりコミケの週にバイトを入れるのは無茶だよなー。そんなわけで、新刊が落ちてスペースに余裕がありまくる机の上に、早速「マニアの受難」のペーパー版をディスプレイ。「勇者司令ダグオン」なんて聞いたこともないアニメのジャンルで、エヴァのコピー誌を売りはじめたのだった。
○この日のメンバーの睡眠時間は、僕が4時間、SさんとKが2時間。みんな極度の睡眠不足状態だったのだが、コミケ会場の熱気に触発され、逆にテンションが上がりまくってスパーク。「午後は店に1人なんだけど、買い物は午前中に済ませておくから店番やってもらわなくていいよ」なんてKは言っていたのだが、やはり我々に店番を任せて、ガンガン買いまくり。Sさんも、我々を驚かすほどの量を抱えて戻ってく始末だった。
○で、当の僕なんだが…今日は5冊しか買わなかった。エヴァ関係の論客として一気にその名が知られるようになった野火ノビタのマンガを2冊買ったんだが、彼女のマンガ、お世辞抜きでいい。人間の抱える虚無を性を通してえがいている力作が多い。同人アンソロジーで知った作家の本を2冊買って、他に「Quick Japan」でも紹介されていた「最強補完文書」を購入。何が凄いって、完結編のすべてのセリフが収録されているのには驚いた。エヴァ・マニア万歳。結局、5冊ともエヴァ物でした。
○「マニアの受難」のペーパー版は、なんと16冊も売れてしまった。スペースのジャンルが違うことを考えれば、大健闘だろう。コミケット関係者の方に「完結編の感想を文章でまとめた読み応えのある本があるのは嬉しい」と言ってもらえたり、「僕がやりたかったことをやられてます」と言ってくれた若者がいたりで、嬉しいこと至極。この日は買うことより売ることの方が楽しかった。
○終了後、3人で喫茶店に入り、お互いの労をねぎらう。僕は話しながら眠気に襲われ、ウトウトしたあと「俺今なにか言ってた?」とか聞いてしまうような夢遊状態だった。
○帰宅後、「マニアの受難」のペーパー版を10部増刷。といっても、セブンイレブンのコピーなのだが。残るはいよいよあと1日、最もエヴァ度とサブカル度の高い日であり、僕にとっての山場だ。さぁ、どうなるか?死んだりして。



8月15日(金)

○いよいよ夏コミ初日。昨日真心込めまくって作成したマニアの受難のペーパー版40部のうち20部を抱え、会場の有明ビックサイトへ向かう。サークル入場券を友人からもらっていたので、9時に間に合うように着かねばならず、おまけに本がめちゃくちゃ重い。出だしからしてハードだった。
○会場で、すでに到着していたUさんとOさんに合流。お祭り騒ぎの1日が始まる予感に、異常なハイテンションでブースの準備。その後、会場時間の頃には一転して眠気に包まれていたのは、躁鬱が激しい証拠だなぁ。
○で、何部売れるか見当もつかなかったマニアの受難のペーパー版は、「飛ぶように」とはいかないものの、興味を示して買ってくれる人もいて、1日で13部を売り上げた。僕が1人で作る最初でそして恐らく最後の同人誌がこれだけ売れたので、もう感動。いやー、良かった良かった。カーネーションや山下達郎など、音楽系の本と一緒に売られたのだが、 その辺が帰ってよかったようだ。
○なかには、「Mijk Van Dijkは、コミケに合わせて来日するらしいですよ」などという驚愕の情報をもたらしてくれる方もいた。そういう時には、渡るべき人のもとへ本が渡った気がして、「幸せになれよ」と、嫁入りする娘を見送る父親のような気分になったのだった。
○終了後、5人でファミレスへ行き食事。今日は歓喜に包まれて1日を終えることができたが、さてこれからは?実はこの修羅場、あと2日も続くのだ。



8月14日(木)

○死んだ。コピー誌作りというものがこんなに大変だとは、思ってもみなかった。いや、大学時代にサブカル系サークルで同人誌を作ったことはあったのだが、20ページの本を1人で40部作るのは、全く別の次元の話だった。
○起床後、時計を気にしつつ表紙のレイアウトを考える。こういう時ほど自分のセンスの無さが恨めしい時はない。いくつかプリントした中から無難なものを選び、さっそくセブンイレブンへコピーに行く。セブンイレブンのコピーの奇麗さは、他のコンビニに比べて抜群なのだ。
○ところが、途中2回も紙詰まりで止まってしまう。紙の裏表にコピーしようとした途端、止まってしまうのだ。仕方ないので、店を替えようと片面だけコピーした紙を給紙カセットから取り出そうとしたところ、その様子を見た店長が「それですよ」。セブンイレブンのコピー機は、裏表にコピーしようとすると止まってしまうというのだ。
○思わぬ事態に途方に暮れて街をさまよったものの、コピー専門店も、他に奇麗なコピー機が店もあるわけではない。片面コピーでは枚数が倍増してしまうが、結局画像や図版の奇麗さにはかなわず、再びセブンイレブンへ向かった。
○で、今度はひたすらにコピー。20ページの本を40部作成するのだから、コピーの総数は400枚!目の前に築かれていく紙の山に呆然とした後、ヒーヒー言いながら家へと持ち帰ったのだった。重かった、ホントに。
○コピーができたら製本作業。400枚のコピー誌を丁寧に折り曲げていくだけで、途方もない時間がかかってしまった。職人かよ俺は!ってな気分である。それが出来たらホチキス止め。ところが、紙の厚さに耐え切れずに、よく針が曲がるんだ。力の入れすぎで親指に痛みを感じながら、日本のホチキスの品質を憂いたのだった。
○そして部屋には、苦労の末に完成したマニアの受難のペーパー版が40部。もう嬉しくて嬉しくて。2度とこんな苦労するマネはしねーぞ!と思う一方で、明日何部売れるかを本気で心配するのだった。惨敗だったらどうしましょ。



8月13日(水)

20世紀ノスタルジアを新宿でY君と観る。Y君は、僕の広末話を聞かされているうちに洗脳され、いまや僕以上のマニアと化してしまった人物。最近は、「広末が時々見せるヘンな表情がたまらない」と病状が急激に進行中で、この映画でもそれが多少見れたとのこと。僕個人は、原将人監督の映像感覚に慣れるのに多少時間がかかったが、さりげない日常の切り取り方に好感を持った。2年間の広末の変化も、いい感じに「封印」されていました。
○Y君と食事をして別れたあと、神保町へ本の買い出に行く。関川夏央・谷川ジローの「坊ちゃんの時代」シリーズの第5作「不機嫌亭漱石」が出ているのを見つけて大喜び。
○足早に本屋を見てまわり、今度は埼玉県東部へ移動。夏コミで売るマニアの受難のペーパー版に載せるイラストを受け取るために、Kに直接会いに行ったのだ。彼女自身も夏コミ2日目に出店するのだが、普段は無職なのに、今週に限って毎日バイトを入れてしまったという無計画ぶり。駅で合流してケンタッキーに入ったかと思うと、おもむろに画材を出し、「今からトーン貼んなきゃ」と作業に取り掛かったのだった。店内の客が少なくて助かったよ。



8月12日(火)

○今日は映画でも観に行こうと思っていたのだが、なにもしないまま3時とかになってやんの。
○昨日ビデオデッキも買い替えたことだし、とりあえず広末のビデオでも見ることにする。いつぞやに買った、映画のメイキング「インフィニティ」と、ローソンのオリジナル・ビデオ「WONDERFUL STORY」の2本。買ったまま部屋に放置され、ビニールの封さえ破ってなかったのだ。テレビの前にじっとしていることが苦手なもんで。
○今新しいページを作ろうと画策中なんで、スタイリッシュなページを作るべく、人様のページのタグの打ち方を研究。しかし、みんなもう専用ソフトで作ってんのかな?運営するすべてのページをWindowsのメモ帳で作成している僕には、もう想像がつかんなぁ。個人的には、萩原健太のホームページとかAcid overdriveとかが勉強になった。特に後者はデザイン良すぎ。食えますよ、この関係の仕事で。



8月11日(月)

○一昨日ビデオに電源を入れたところ、しばらくして電源が切れてしまった。いぶかしがりながらもう一度電源を入れると、今度はテープが出てこない。慌てて電源を入れたり切ったりしていたところ、しまいには手にビリッとくる始末。そんなわけで、今日はビデオデッキを買いに行った。
○しかし、ビデオって今安いんだなー。なにせ12年も同じデッキを使ってたんで、世間のビデオ界(あるのか?)の変動を知らないままだったのだ。3万もあればHi-Fiが買えるとは。で、検討の結果、SONYのHi-Fiのデッキを2万6千円で購入。こういう大口(僕にとっては)消費活動をすると、なんかある種の気持ち良さを感じるんだよな。病んでるなぁ。
○帰宅してセッティングした後、ついでに部屋も片付ける。情報が古くなったインターネット関係の書籍も、思い切って売ることにした。ガロのバックナンバーも売ることにしたが、津野裕子の作品が載った号のほかに、突然「最終号」になってしまった8月号も残しておいた。
○部屋が片付くと、今度は動かなくなっていたLDプレイヤーが気になり出した。サービスセンターに電話すると、今日来てくれるという。夜の8時ごろにやたらよく喋る修理屋が到着、晴れてLDも見れるようになったのだった。ビヴァ電化製品ライフ。



8月10日(日)

○久しぶりに昼まで寝た後、することもなくダラダラと過ごし、思いついたように部屋の片付けをしたが、すぐに諦めた。分厚い「月刊アフタヌーン」なんて、7月号が2冊あって、しかも読んでないまま。どうりで部屋が狭くなるわけだ。膨大な量のフリーペーパーを選別して、広末涼子のグラビアの載った雑誌からはグラビア以外のページを取り除く。これで収納スペースが一挙に小さくなるのだが、「短い人生そんなことをしていていいのか?」なんてことは禁句だ。
○柳美里の「家族シネマ」購入。作品自体よりも、芥川賞受賞後の本人の言動から興味を持って、今ごろ買ってしまった。考えてみると小説なんて読むのは久しぶりだ。
○また、望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」第5巻も発見、大喜びで購入。500円前後の価格帯の単行本としては、最も装丁が優れているのではないだろうか。5巻目でも、だれるどころかテンションはますます上がっている。物語の冒頭で起きた突然の大災害が何かは未だ明かせれないままなのだが、それでもストーリーに見事に引き込んでいく。極限状態の人間心理の描写も素晴らしい。この連載が始まってからの間に、オウム事件も酒鬼薔薇事件も起きた。そうした事件が内包する時代の空気とどこかで確実に同調しながらも、そんな事件の引き合いに出すことを許さないぐらいにこの作品はディープだ。願わくば…ちゃんと完結しますように。



8月9日(土)

○今週のはじめ、下顎の前歯の付け根辺りに口内炎ができた。最初はそのうち治るだろうと思っていたのだが、下顎を動かしただけでダイレクトに神経が痛むようになり、やむなく病院へ。耳鼻咽喉科で診察してもらったのだが、ほんの数分で終了。「ビタミンが不足してるようですが、不摂生が一番良くないですね。」身に覚えがありすぎるなぁ(笑)。
マニアの受難に、夏コミでのペーパー版販売のお知らせを載せる。3日間とも委託なので、心ばかりのお礼に各サークルの紹介も載せておいた。はたして何冊売れるのやら?
○新宿での飲み会の前に、レコード屋を数件まわったのだが、お目当てのCDがさっぱり見つからない。CAPTAIN BEEFHEARTの「TROUT MUSK REPRICA」も、CANの「MONSTER MOVIE」も、ROBERT WYATTの「THE END OF AN EAR」もない。かろうじてオノ・ヨーコの「APPROXMATELY INFINITE UNIVERSE」は捕獲。輸入盤と国内盤で値段が1500円も違うのは悪い冗談だろう。もちろん買ったのは輸入盤。
○その後、大学時代のサークルの先輩が結婚したのを祝して飲み会。結婚した先輩に聞いたら、御祝儀は2万円でもいいらしい。うー、少し光明が見えてきたかな?気のせいか(笑)。



8月8日(金)

○もうすぐ夏休み前なのだが、「こんな状態になるなら夏休みなんていらない!」と思ってしまうほど、片付けなければならない仕事が山積み。今日はせめて栗コーダーカルテットのライヴに行けるようにと仕事を急いだのだが、終わったと同時に書類の紛失という事実が発覚。半ば呆然としながら机周りを引っ掻き回す間に、時計は無情なほど回っていくのだった…。
○「創」の今月号にガロの休刊騒動についての、元編集部側と、親会社ツァイト側の両方の言い分が掲載されているというので手に取る。ところが、酒鬼薔薇事件報道についての大塚栄志と香山リカの対談が載っていて、これに呆れて買うのを止めた。あまりに安易な人選だよな。こんな短絡的な「文化人」崇拝の姿勢こそが、あの無意味極まりない犯人像予想を生み出したんじゃないか。馬鹿の一つ覚えのようにエヴァと酒鬼薔薇とを結び付けた大塚栄志と、犯行声明の分析を朝日新聞に寄せたことを棚に上げて、他の文化人を批判する厚顔な香山リカに対談させてどうすんだ、ホント。
○帰宅したら、ツァイトが倒産したと知ってビックリ。
○友人Fに電話して、結婚披露宴での御祝儀の相場について話したものの、相場は3万円と聞いて卒倒寸前。「じゃあ俺行かないよー」「社会人がそういうわけにはいかんだろう」「誰かに譲ろうかなぁ」「そりゃ行かないより失礼だろ」…社会儀礼とは厳しいものですね。



8月7日(木)

○帰宅の途中、コーネリアスの「FANTASMA」の発売が昨日だったことを思い出す。仕事が忙しくてすっかり忘れていた。渋谷で買って帰ったのだが、抽選で特典が付くHMVではなく、1割引のレコファンで購入。目先の損得が重要なもんで。
○このCD、初回盤は2枚組用カラーケースにイヤフォン付き。本当に好き勝手にやってるよなぁ。かつてナイアガラ・レーベルの運営で苦労した大滝詠一なんて、トラットリアのこの趣味性の徹底ぶりをどう思ってるのかな。
○中身の方は、繊細に構築されたサウンドが、ワイルドな世界を展開。でも感触は極めてクールで、前2作に比べても、アルバムごとに醒めた空気が漂ってきている気がする。先日出たフイッシュマンズの「宇宙 日本 世田谷」ほどではないにしてもね。ただ、この「時代に食いついてる」感じは、あと10年ぐらい経った時にどんな風に感じられるのかな?案外、「不自然なまでの自然体」をサウンドともども演じている小沢健二の方が、年月が経っても新鮮に響くかもしれないね。



8月6日(水)

○大学時代のサークル仲間から結婚式の招待状が届いた。彼は僕と同学年で、結婚相手も同じサークルの後輩。あー、とうとう同じサークルの同学年から結婚する奴が出るのか。高級そうな厚手の和紙の招待状を見ながら、自分たちの結婚に社会的な合意を得るために彼らが踏んできたであろう、諸々の煩雑な手続きを思ってしまった。この見知らぬ名の媒酌人も、きっと会社の上司かなんかだろうな。
○それにしても。僕のもとには「披露宴」と「披露宴パーティー」の招待状がそれぞれ別便で来たのだが、どうちがうんだよ、これ。結婚式なんか出たことないらわからんぞ。やっぱり披露宴って、金たくさん出さなきゃいけないんだっけ?だったらパーティーだけにしとこうかなぁ…なんて、社会人にしてはシケたことを考えているのだった。
宝島社から、資料協力で参加した「別冊宝島330アニメの見方が変わる本」が送られてきた。先週の土曜に買ったの、やはり失敗だった(笑)。



8月5日(火)

宮台真司「世紀末の作法」読了。ブルセラ学者として名高い(?)彼の、援助交際をはじめとする社会現象への提言を60編以上収録したもの。深い現象理解を目指したゆえ、通念に反するような発言もしばしば現われる。装丁も秀逸だ。
○彼によれば、家庭も地域社会も「学校化」した後に、「第四空間」として若者の受け皿となったのがストリートであり、援助交際は、そうした状況で自意識を維持するために必然的に発生した、新たな土着的な性の形態であるという。そう考えると、渋谷の街に溢れるコギャルも、なんとなく許せる気がしてくるから不思議だ。活発なフィールド・ワークの上に構築された彼の分析は、そう思わせるぐらいに説得力がある。もっとも、広末ファンの僕には、彼女たちはやはり気色悪い生物種に見えるんだけどさ。
○本書の中でも、社会のあらゆる逆説を引き受け、常に自己の思想を再構築していこうとする筆者の姿勢は一貫している。「終わりなき日常を生きろ」を読んだ際に僕が感じたカタルシスは、彼のこの姿勢ゆえのものだろう。
○しかし、そうした理論を駆使しての現実への対応が、週間アスキーでの「中学生救済計画」なんてシロモノなのかと思うと、暗澹とした気持ちになってしまう。なにせ、「救済」とかいて「サルベージ」と読ませてたし。その明晰な知性の着地点が、こんなものでは…。相対主義が今もって抜け出すことが出来ない、ポストモダンの呪縛を目の当たりにしたような気分になった。



8月4日(月)

○世間には、「あの人でも死ぬのか」と思わせるような人物がいる。数年前、宇宙感覚のフリージャズを展開したサン・ラが死んだ際、音楽評論家の湯浅学が「サン・ラでも死ぬのかと思った」と述べていたが、今日僕も同じような感慨を受けた。ナイジェリアのミュージシャン、フェラ・クティが死んだのだという。
○今日の朝刊には、小説家ウィリアム・S・バロウズの死去の報が載っていたが、それよりも僕が驚いたのは、フェラ・クティの死亡記事だった。フェラ・クティが死んだという事実への驚きが半分、彼の死亡記事が日本の新聞に載ったことへの驚きが半分。なにせ、バロウズ同様、三大紙のすべてに死亡記事が載っていたのだから。
○フェラ・クティは、ぶっといグルーヴを生み出し続けたナイジェリアのミュージシャン。1曲が平気で30分に及び、まさに呪術的なトランスへと導く男だった。また、1年中パンツ1枚で過ごし、妻が数十人、日常的にマリファナを吸引するなど、奇行の噂にはこと欠かなかった。何年か前の「MUSIC MAGAZINE」の現地レポートで、これらの噂がすべて事実だと知らされた時もかなり驚いたのだが(笑)。
○常人の感覚を超越したスケールの音楽、そして共同体生活の中で音楽を生み出していく姿勢。僕がフェラ・クティの死に、サン・ラの死を連想した理由はその辺にありそうだ。
○今日は久しぶりに彼のCDを聴き返してみようと思ったのだが、収納箱を包囲する埃の猛攻の前に断念。夏休みには部屋の掃除をしなくては…。



8月3日(日)

マニアの受難の絡みで、とある雑誌から取材を受けた。まさか自分が取材なんてモノを受ける日が来るとは思っていなかったうえ、今日はライターさんと編集の方の2人がいらっしゃるという。緊張というには妙に実感が無い不思議な気分で渋谷の喫茶店へ向かった。
○僕個人の名前は出ないと聞き、残念な気もする反面安心して、ベラベラと話しまくる。もう好き勝手に脱線しまくりで、相手の方々に申し訳なかったぐらい。完全に躁モードに突入してました。
○取材自体は1時間で終了、非日常的な時間を過ごせておかげで、雑誌の方々と別れた後もハイになったまま。レコード屋に寄り道して、テクノのμ-Ziq(←これで「ミュージック」と読む)の「Lunatic Harness」を購入。家に帰ってからはそれを流しっぱなしで、六畳間でトランスしてました。
○でも、鬱の大波って、こういう状態の直後に来るんだよなぁ。



8月2日(土)

○何が悪かったのか、昨夜辺りからプロクシサーバーへ接続できなくなった。回線の不調による一時的なものかと思っていたのだが、今日になっても接続できないまま。仕方ないのでSo-netのサポートセンターに電話した。普段はSo-netに文句ばっかり言ってるのだが、土日もサポートセンターが開いてるのが唯一の取り柄なのだ。で、相談したところネットスケープが壊れているのでは?と言われ、インターネット・エクスプローラーで試すとこちらはプロクシに接続可能。やはりネスケの故障のようで、やむなく再インストール。ディレクトリごと削除した方がいいと言われ、その通りにしたので、ネスケが完全に初期化してしまった。ブックマークを追加し直すのが面倒だこと。
○夏コミに向け作成していたマニアの受難のペーパー版が一応完成。また、「THE END OF EVANGELION」使用曲の3曲入りCDシングルも買ってきたのだが、あと1ヶ月もすればこのエヴァ・フィーヴァーともお別れなんだろうな…とふと思った。
○資料協力の形で参加した、宝島社の「別冊宝島330アニメの見方が変わる本」がもう店頭に並んでいて、見本が送られてくるとわかっていながら買ってしまった。気が向いたら立ち読みでもして下さい。



8月1日(金)

○今日は意を決して、ハイポジの事務所である
バイオスフィアへ電話をした。ハイポジ-BODY meets SING-開設1周年を控えて、なんとかハイポジにインタビューをさせてもらえないかというお願いである。勇気を出して電話したものの、1度目はマネージャーさんが話し中。10分後に再び電話をすると、マネージャーさんが出て下さった。
○結果は…玉砕(涙)。向こうの方もうちのページは見て下さっていて、会話自体は和やかな感じだったのだが、やはり「本人たちが登場するのは公式のページにしておきたい」とのこと。当然といえば当然のことで、これが私設ページの限界だよなと、あっさり諦めた。まぁ、納得しているかといえば…納得しているので、これからもいじけずに(笑)更新していきますね。
○夜は、渋谷タワーレコードでTHE SUZUKIのミニライブ。今日は青山陽一青木孝明も登場して、アコースティック主体のサウンドを聴かせてくれた。鈴木慶一は「こんにちはバーズです」なんてボケてたんだが、本当にそんな時代の空気を感じさせる音で、名曲「大寒町」など5曲ほどを演奏。その後にっちもさっちもいかない質問コーナーなども。タワーレコード、やっぱ気前いいなぁ。
○終了後、会場で合流したIさんとIさん(あっ、2人ともイニシャルが同じだ!)と食事へ。夏コミの話が妙に多かったのは、気のせいではなかったと思う。夏ですからね。
○帰宅すると、インターネット・マガジン「SHIFT」の方からメールが来ていた。マニアの受難を紹介したいとのことで、もちろん快諾。そういえば以前「ハイポジ-BODY meets SING-」へもリンクしてくれるって話があったよなぁ、と思ってよく見ると、しっかり紹介されていた。僕がページを作成するに当たって留意している点を見事に理解して下さっていて、もう感涙モノ。インタビューできないぐらいなんだってんだ、私設ページの意地を見せてやる!なんて気分にすらなってしまった。そんなわけで、これからも乞う御期待!




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日記猿人
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