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株式会社アミューズ
代表取締役会長 大里洋吉 氏
キャンディーズの解散、原田真二との別れ、
そしてサザンオールスターズとの出会い

●アミューズ第一号がサザンオールスターズなんだと思ってました。
違うんです。原田君がレコードデビューしてドーンと売れた時に、キャンディーズが解散宣言しちゃったんです。それで渡辺晋社長から「今から半年、キャンディーズの専属プロデューサーとして契約してやろう」って言われて、僕が担当したんです。ところが、そうやってキャンディーズにずっとついていて原田君の仕事はほかのスタッフに任せきりだったんです。それで('78年)4月4日の後楽園球場のさよならコンサートの演出も終わって、僕が原田君のために創ったアミューズに戻ってみたら、彼はしっかり外部の人に「アミューズにいたらキャンディーズみたいなアイドルタレントになっちゃうぞ」と洗脳されてたんです。
●周りにいろいろ吹き込まれちゃったんですね。
もう売れちゃったから自分はロックでいきたくて、アイドルは嫌なんです。原田君はテレビでデビューしているからアイドルの仕事もさせられていたんですよ。…それでキャンディーズの「さよなら公演」が終わって戻ってきたら原田真二君が「アミューズを辞めたい」って言いだしたんです。
原田君に辞められてタレントがいないプロダクションだったんですよ、うち(笑)。それで「誰かいないかなぁ」って思ってたらサザンオールスターズに出会ったんです。原田君が辞めてから2週間後だから運ですね。それはサザンオールスターズもよく知っています。
●出会うべくして出会ったんですね。
運ですね。原田君は、初アルバムがいきなり1位で、ファンクラブの会員も一気に6万人いたんですよ。 原田君がいたらサザンオールスターズをやる余裕はなかったですから。
●いよいよサザンオールスターズとの出会いになるんですね。
そのちょうどうちにタレントがいない時期に、ビクターのディレクターの高垣さん(健氏:現ビクターエンターテインメント(株)取締役スピードスターレコード本部長)が、「女呼んでブギ」1曲を入れたカセットを持ってアミューズに尋ねてきたんですよ。「女呼んでブギ」は1枚目のアルバムに入ってる曲で、ビクターがシングルにしようとした曲です。それを聞いて、「これは色モノだな」思ったんですけどね(笑)。ヤマハのオーディションでビクターがすでに獲得していて「見てくれませんか」って話になって青山のビクターのスタジオに見に行ったんです。 僕はその当時、ヒゲをはやして髪の毛が長くて、ロックの大里って言われてて…桑田は「すごいヤクザっぽい、見るからに業界っぽい人が、スタジオにコツコツと入ってくる」と思ったらしいですよ(笑)。サザンオールスターズはサークルの後輩たちが楽器をセッティングしているような状態で、桑田はジーパンに白のTシャツでした。「ほかに何ができるの?」って言ったら3曲目に「勝手にシンドバッド」を歌ってくれたんです。「この曲だったらいいな」って思ったんです。「女呼んでブギ」って明らかに色モノだけど、「勝手にシンドバッド」はメロディーがものすごくいいし、桑田の歌っている姿がジョー・コッカーにそっくりだったんです。「桑田みたいな顔をテレビに出したらおもしろいだろうな」って思ったわけです。
●ビクターに入る入らないの経緯は、高垣さんから少し伺ったんですよ (「Musicman's リレー」第11回参照)。
でも高垣さんが持ってきたテープに「勝手にシンドバッド」はなかったんですよ。あのスタジオで「勝手にシンドバッド」を見た時の衝撃はすごかったです。それでアミューズでやることに決まって、今度はビクターで会議です。当時の制作本部長は東元(晃)さんでした。これはよく覚えてますが、キディランドの向かい側のビクターの会議室で、「絶対に『女呼んでブギ』でデビューさせちゃいけない」って大激論になったんです。東元さんは立教の先輩なんですが「『勝手にシンドバッド』以外ぜったいダメだ!」って主張して、結局それで「勝手にシンドバッド」になったんです。
●でも、すごい出会いですよね。そのタイミングで。
それは自分でも思いました。アメリカに行くつもりだった所に原田君が飛び込んできて、一緒にアメリカに行って、帰ってきてからアミューズを1年だけのつもりでやったんです。ところが今度はキャンディーズをやっている間に原田君が辞めてしまった。1年経って、社員を入れてしまってるので、社員がすでに5人ぐらいいる歴とした会社なんです。そうなったら無責任に「アメリカに行くからやめる」なんて言えないですよ。タレントはいなくなった、家賃も払えない、社員に対しては責任がある、どうしようかなぁ………と、ここでサザンオールスターズと出会うんですよねぇ。不思議なものです。
●その時も、まさかサザンオールスターズがここまでの存在になるとは思っていないですよね。
そうですね。基本的には何も変わってないですけど、ここまでになるとは、やっぱり思えなかったです。
●そうですよね。そこまで見据えられたら何の苦労もしないですよね。
僕は一生懸命渡辺プロに近づけようとしてやってきただけです。

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学校行かずに映画館へ〜おませな少年時代
ブラスバンドに明け暮れた6年間
大学生活で性格も一変!? ESSで明るい社交家として目覚める
映画会社希望のはずが…勘違いで渡辺プロへ!?
楽しい「学校」だった…渡辺プロ時代
▼キャンディーズの解散、原田真二との別れ、そしてサザンオールスターズとの出会い
アミューズの日進月歩
アナログとデジタルの融合…エンターテインメントの理想を追い求めて
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