February 6th

ある少年の夢 ハートソング



202_02_01  1996年、当時6歳だったマティ・ステパネク君には3つの夢があった。詩集を出版すること、TVでその詩を朗読すること、そして憧れのジミー・カーター元米大統領に会うことだった。しかし、彼にはタイムリミットがあった。
 1990年アメリカ・メリーランド州に産まれたマティ君は、重い先天性筋ジストロフィーだった。成長と共に筋肉の萎縮が進行し、歩行や運動が困難になる病気だ。呼吸さえいつ止まるかわからない。
 その上、彼を出産した時母親のジェニーはすでに離婚しており、マティ君の兄ジェイミー君と難病のマティ君を一人で育てなければならなかった。
 さらに辛いことに、今は元気だが兄のジェイミー君も筋ジストロフィーであり、なんと母親のジェニー自身もそうだったことがわかった。
202_02_02  ジェイミー君とマティ君の場合、母親のたまたま遺伝性の強い型を受け継いでいたのだ。ジェニーは、自分のせいで2人の息子が病気になってしまったのだと、とても苦しみ悩んだ。
 筋ジストロフィーの症状には様々な型があるが、幸い母親は死の可能性の極めて少ないタイプだった。しかしジェニーの症状は徐々に進行し、ほどなく車椅子での生活を余儀なくされた。しかし彼女は、自分が車椅子をマスターすれば息子達に教えてあげられると、くじけずに前向きに考えた。
 ジェニーは自ら病に冒されながら、車椅子で子供達の介護を続けた。成長するにつれ、ジェイミー君とマティ君は病状の良い時は退院し、幼稚園にも通えるようになっていた。
202_02_03  そしてマティ君が3歳を過ぎた頃、母親が使うパソコンの画面を見ていた彼の目に、言葉が文字になるそれは魔法の道具のように見えた。もともと独り言の多かった彼は詩を書くようになり、それを母親にタイピングしてもらった。
 最初はいかにも子供らしい文章であったが、あることをきっかけに、彼の詩は大きく変わる。兄ジェイミー君の死だった。明らかに死を意識した言葉が増えたのだ。
 「僕が死んだら、天国のこどもになりたい」
 死を意識するようになってからも、彼は夢を諦めなかった。6歳の時に参加した筋ジストロフィー協会主催のキャンプで、子供達が夢を書いた風船を飛ばすという毎年行われるイベントがあった。
202_02_04  マティ君はこの時、風船に3つの願いを書いた。「詩集を出版する」「テレビに出て朗読する」「カーター元大統領に会う」これらは途方もない夢だった。
 協会の人も、もっと叶えられるような夢にしないかと彼に提案した。夢に向かって頑張る気持ちが芽生えることを目的としていたからだ。しかし、マティ君の考えはかわらなかった。
 協会の人は、何故詩集を出版したいのか、マティ君に尋ねた。すると彼は、たくさんの人に自分の詩を読んでもらって、世界中の戦争を止めさせたいのだと答えた。戦争では多くの人が死ぬ、自分はお兄ちゃんが死んで悲しかったからだと。
202_02_05  世界の平和を願うマティ君にとって、エジプト・イスラエルの和平を合意させたジミー・カーター元米大統領は憧れのヒーローだった。だからこそ、彼に会うことが3つ目の夢だったのだ。
 協会の人も、彼の夢の目的を理解し、「夢が叶うまで3つの風船を毎年あげ続けよう」とマティ君に言った。それからマティ君は、体調が悪い時は病院に外出許可をもらってでもこのイベントに参加し、風船を上げ続けた。
 11歳の誕生日を1ヶ月後に控えた2001年6月。マティ君の容態が急変した。大量の出血を起こしたのだ。医師は、彼の誕生日会を1ヶ月早くしてあげてはどうかと母親に言った。彼の命は、誕生日まで持つかどうかわからなかったのだ。
202_02_06  ジェニーは、病床の息子に代わり彼の願い事を書いた風船を、筋ジストロフィー協会の人に上げてもらった。それに勇気づけられたのか、マティ君は無事7月17日に11歳の誕生日を迎えた。
 だが、誕生日が過ぎて間もなくの8月23日、医師にあと2〜3日持つかどうかだと宣告される。医師は、かろうじて意識のあったマティ君に、「何か欲しいものはあるかい?お母さんと僕で何でも持ってきてあげるよ」と声をかけた。マティ君は、「3つの夢」と答えた。
 この時医師は、母親から初めてマティ君の3つの夢について話を聞くことになる。そして、マティ君の詩を読み、ある行動に出た。
202_02_07  病院中の手の空いている人を集め、カーター元大統領の事務所と地元の出版社に事情を訴えた。しかし、カーター氏はスケジュールの関係で見舞に訪れることは無理だった。出版社にも、無名の少年の詩を出版することにメリットはないと、断られ続けた。
 だがたった一軒、VSPブックスという小さな出版社がマティ君の詩を読ませて欲しいと言ってきた。そして詩を読むと、その表現力とメッセージ性が子供のレベルではないと感じた。人種間の争いを純粋に嘆き、平和を訴えるマティ君の詩は、確実に心を掴んだのだ。
 すぐに出版が決まったのだが、問題はタイムリミットだった。通常2週間かかる作業だったが、スタッフは原稿とマティ君のイラストをもとに不眠不休で編集を続けた。
202_02_08  そして2001年8月30日、ついに「ハートソング」というマティ君の詩集が完成したのだ。初版200部は発売から5分で完売した。そこには、筋ジストロフィー協会の人達の宣伝も影響していた。さらに出版社が増刷を決定すると瞬く間に本のニュースは広まり、全米のマスコミが注目し、詩集は大ヒットとなった。
 出版から2ヶ月以上たった11月6日、この詩集の出版に携わった人々は、奇跡を目にする。詩集を手にした瞬間から奇跡的に回復したマティ君が全米で最も人気のあるニュース番組に出演したのだ。
 2つの夢が叶った時、残りの夢がまた叶った。この番組に、カーター氏がマティ君に会うために来てくれたのである。
202_02_09  カーター氏は「彼は愛と平和とは何かを国民に思い出させてくれたよ」と話した。しかし奇跡はまだ終わっていなかった。
 現在12歳のマティ君は自宅で元気に過ごしているのだ。通信教育を受ける彼の学力は、17歳レベルだという。今、詩集「ハートソング」は母子の素晴らしい思い出になっている。



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