溝口彰子の『ベルばら』エッセイ幻編


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「憧れの欧州(ルビ:ヨーロッパ)」
構成・文
溝口彰子(みぞぐち あきこ)

 『ベルサイユのばら』が週刊マーガレットに連載されていたのは小学校4−5年のころだっただろうか? それまでも週マは読んでいて、『ガラスの城』とか『あわ雪 さん』でけっこう盛り上がってはいたけれど、翌週の発売日を文字通り指折り数えて待ち、本屋さんに走って買いに行ったなんていうのは『ベルばら』が初めてだった。 舞台版を見るので生まれて初めて宝塚に行ったのがたしか中学受験の直前か直後だっ たから、連載中は塾通いをしながらも『ベルばら』中心の日々だったのだろう。
 当時は年に5センチ以上、それこそ骨がきしむような勢いで背が伸びていたから、 体操服などがすぐに着られなくなって新しいのを買ってもらうことがよくあったのだ けれど、そのたびに「お母さん、体操服って高いね」「あら、そう?」「だって週マ ×冊分だよ!」なんて真剣な顔で言ってあきれられていた。1冊、たしか百数十円だったかな? 毎週硬貨を握りしめて買いに行くうちに「週マ通貨制度」みたいなも のが自分の中にできていたらしい。

 今にして思えば、『ベルばら』が私の思春期の幕開けだった。
 欧州一の美姫、マリー・アントワネットが初対面で目を奪われるほどのすずやかな美貌と、どんなにごつい男にも負けない剣術をかねそなえた男装の麗人、オスカル。 フランス革命という世界史の一大事件を縦軸に、華麗に壮絶につづられる波乱万丈の物語。最高の贅沢も最悪の貧窮も、きらめく幸福も胸のはりさける不幸も、すべての ものの「本物」は欧州にある、そしてその欧州には女より美しく男よりも強い男装の 麗人がいる……そんな欧州への憧れは「宇宙の真理」か何かのように私の中にしっかりと根づいてしまった。
 作者が同時代に生きる日本人女性であるとか、オスカルというキャラクターは全くの創作であるとか、そんなことはもちろん知っていた。でも、関係ないのだ。私という思春期の読者にとって、『ベルばら』の舞台である欧州は限りなくリアルだったの だから。

 日本の片隅で塾通いをする小学生の現実からかけ離れた華麗な世界だからこそ憧れる、それは現実逃避には違いないのだけれど、同時に自分の明日の現実(ルビ:リアリティ)の材料にもなっていた。

 池田理代子さんがつむいだ史実と創作のないまぜになった物語を、私個人の夢、ファンタジーとして受けとめ、さらにはその夢に影響を受けて自分の将来を変えていこう、少しでも添わせていこうとする「自分個人のリアルを作りたい装置」は誰にでもあると思う。

 将来の可能性が無限にひらけているような気がする、「自分の現実」がまだ白紙のような気さえする思春期、自己が定まらない不安定な時代だからこそ憧れの対象に自分の全存在を投影する、そんな思春期においては、とくに。

 そして、『ベルばら』直後にあらわれた、どんな美女よりも美しい美少年たちが活躍する少女漫画の舞台もまた、欧州だった。中でも、『ポーの一族』(72〜76年)、『風と木の詩』(76〜82年)、『摩利と新吾』(77〜84年)のキャラクターたちにしっかり自己投影して育った私は、『しまりんご』の連載が終ったころにかねてから片思いをしていた大学の同級生&親友に告白し、ふられたところで自分の思春期が終った、と思っている。いや、正確には、親友にふられたにもかかわらず、自分が次に好きになる人がまた同性であるような予感と、そこから逃げまいと決意した時点で。

 ところでその親友はイギリスで長年育った帰国子女で、「ミセス・サッチャー」とあだ名をつけられるくらいに完璧なブリティッシュ・イングリッシュをしゃべる人だった。同級生の大多数がアメリカン・イングリッシュだった中で、彼女の「欧州のかほり」は際立っていた。もしかしたら、初恋のスイッチのひとつも「憧れの欧州」だった、のかも。
 初めて自分で稼いだお金で行った海外旅行はイギリス。

 最初の就職がファッション業界だったのも、オシャレに興味があるくせにコンプレックスいっぱいの自分に、一番の荒療治はパリコレだ! っていう思いがあったのは確かだ。たしかJJファッションが流行っていたころで、同級生のカラフルなパンプスをキュートだとは思ったりはしたけれど、何せ自分はオスカル様に少しでも近づかなくちゃいけないんだからそんな格好は問題外。と、そこまではっきり意識していたわけではないけれど、「とにかくパリコレ!」の思いは明確だった。
 現実のベルサイユには80年代後半、パリコレ出張中のオフの日に行った。そのあまりの規模、とくに王族の居室から眺めるために設計された広大なシンメトリー模様の庭園にドギモを抜かれ、あんな贅沢が当たり前になってしまっては、そりゃあギロチンにかけられるかもしれないよな、と納得してしまったのをよく覚えている。少女漫画から離れていた時期だったのだけれど、もちろん頭には『ベルばら』の画面が鮮明に浮かんでいた。

 そうやって英仏もろもろがいーかげんに混同された「憧れの欧州」を追い求めつつ、漠然とオスカルの「華麗な男装の麗人」イメージをベースに、そこにエドガーやアランやジルベールや摩利などをトッピングし、レズビアン化するというひねりを加えた存在(「存在」にルビ:キャラ)を目指して来たのがどうやら私の人生らしい。
 こうまとめてみると、そのあまりの単純さかつ図々しさに自分でもあきれてしまう。
 でも人生って案外、そんなものなのかもしれない……。

 今日までにロンドン、パリ、ベルサイユ以外にも欧州の数都市に足をはこんだ。歴史ある建築や美術作品にふれるたび、『ベルばら』をはじめとしてあの時代の少女漫画作品に描かれていた「憧れの欧州」だわ、と今だにわくわくしてしまう。一方、仕事がらみの時などは当然不愉快な思いをすることもあるし、「極東から来た黄色いサル」扱いに憤然としたこともある。もちろん世界史、とくにセクシュアリティの歴史についての知識がふえた分、「憧れの欧州」のウソに気づくことも多くなってしまった。

 現実の欧州と「憧れの欧州」のギャップは大きくなる一方なのだが……でも!「憧れの欧州」が消えるかというとそういうわけじゃない。二つの「欧州」のはざまで立ち上がる経験や感覚が私にとっての現実(ルビ:リアリティ)なんだよなー、と思う。

 ところで私ってばオスカルとアンドレのカップルを、「ほとんど同性愛みたい」ってとこだけピックアップして自分のレズビアン・アイデンティティの肥やしのひとつにしちゃった節があるんだけど、今回、読み直してみてびっくり。オスカルが「このわたしがレズだってェ!? …ぶ、ぶった斬ってやる!!」って叫んでいるんだもん。(首かざり事件被告のジャンヌに、アントワネットの「レズのお相手」呼ばわり された、あのシーンね)

 そーか、オスカルって「レズ」が嫌いだったのか〜。「あなたのおかげで立派なレズビアンになりました」なんて言ったらぶった斬られるかな。みなさま、ご内密によろしくお願いしまーす。
END.







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