ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』20周年
ドナルド・フェイゲンが82年にアルバム『ナイトフライ』を発表してから既に20年が経つ。このアルバムが大好きだという人は凄く多い筈。僕も大好き・・・ていうか80年代に発表されたレコードでは一番かも。このアルバムの最大の魅力とは、フェイゲンがやっていたグループ、スティリーダン後期の作編曲の凄まじいクオリティの高さはそのままキープしつつ、人の予測の裏をかきすぎる転調や冗漫なインストパート(そこがいいんだけどさ)を省いてあくまでもポップに仕上げたところだろう。

それは十分すぎるほどわかっているつもりだけど、僕にはこのアルバム、実は歌詞こそが凄いんではないかと思い始めてきている。きっかけはデヴィッド・ハルバースタムの「ザ・フィフティーズ」を読んだことから。あの膨大なデータからアメリカにとって50年代という時代は一体何だったのかを論じきった本とこのアルバムからは全く同じ匂いがする。それを意識しつつもう1度歌詞カードを読んで僕は手前勝手な結論にたどり着いたのだ、『ナイトフライ』とは、ドナルド・フェイゲン版「ザ・フィフティーズ」なのだと!

フェイゲン自らの手によるライナーノートに、「このアルバムに収められている作品は、50年代後半から60年代初めにかけて、アメリカ北東部にある街の郊外で育った若者が、抱いていたはずのある種のファンタジーをテーマにしたものだ。すなわちそれは、私のようのごくありふれた体つきの若者が主人公ということだ」と書かれていることから、「幼少期の思いでや憧れを歌ったアルバム」と解釈されがちな本作だけど、実はフェイゲン本人の視点から書かれた歌詞は1曲もない。8つの楽曲の主人公は年代も境遇も異なる架空の人物。だから本作は一個人の甘美な思い出話なのではなく、8篇のショートストーリーをもって自分の幼少期にアメリカで何が起こっていたかを冷徹に語ろうと試みたコンセプトアルバムといえるのだ。

ただしフェイゲンは自分と同じ境遇の人たち(つまりニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンあたりの郊外で生まれ育った同世代のいわゆるベビーブーマー)にさえその意図が通じればいいと思っているので、大抵の日本人は訳詞を見ても何が何だかさっぱりわからない。そんなわけでこのコンテンツ、あの有名すぎるアルバムのワケわかんない歌詞が物語っているのは一体どんな事なのかを調べてみようという企画です。じゃあA面1曲目からいってみよう!


■I.G.Y.
タイトルは1957年7月1日から1958年いっぱいまで世界規模で制定されていた「国際地球観測年」のイニシャルから。もしかするとアメリカ人にとっては「70年大阪万博」くらいのインパクトがある言葉なのかも。だってアメリカが最も光り輝いていたのはこの時代。58年のアカデミー賞受賞映画がレスリー・キャロンの『恋の手ほどき』。そして『真夏の夜のジャズ』はこの年のニューポートジャズフェスティバルのドキュメンタリーだったと書けば、いかに粋な大人たちの時代だったかわかるってもんでしょ?

歌詞の語り手は新聞の論説主幹なのだろうか?固い口調でニューヨークからパリを90分で結ぶ海底特急や不老長寿の可能性を語り、「素晴らしい世界がやって来る/解き放たれるこの時代」と連呼する。でもこれは現代から見ればブラックジョークでしかない。実際のアメリカは63年にケネディが暗殺され、64年にビートルズがアメリカに上陸してジャズが最もヒップな音楽だった時代が終焉を迎え、そして65年にアメリカは北爆を開始し、ヴェトナムにドロ沼的に介入していくことになるのだから。それらの疲労困憊する時代を終え疲弊感が充満しまくっていた76年をよりによって持ち出し、「76年にはすべては言うことなし」と歌ってダメ押しするのだから、フェイゲンって奴は意地が悪い。

ちなみにリズムアレンジ的には70年代ロックミュージシャンがよくやりそうなインチキレゲエ風でしかないこの曲が、今なお新鮮に聴こえるなのはコーラスアレンジが50年代ジャズヴォーカルグループ風(もっと端的に言えばフォーフレッシュメン風)だからだろう。このコーラスアレンジは他の曲にも採用されており、アルバム全体にエバーグリーンな空気をもたらしている。


■Green Frower Street
平穏だったと言われていた50年代。だけどその裏では今日に至る異常犯罪の萌芽が既に!ハードボイルド小説の黄金期がまさにこの時代だったことは当時へのオマージュたっぷりの『LAコンフィデンシャル』を例に挙げるまでもないでしょう。

そもそもフェイゲンはスティーリーダン時代からこの手の歌詞が得意で、この曲にも謎の中国人娘ルー・チャンといったキャラが登場。でもその正体は全く明かされずミステリアスなムードを味わうだけに終始する点において、やはり50年代オタクのデヴィッド・リンチとの類似性が感じられる。てことは、山の手の住宅街で殺人が起きるこの曲はさしずめフェイゲン版『ブルーベルベット』か?


■Ruby Baby
この曲のみカバー曲で、オリジナルはドリフターズ56年のヒット曲。この上なくシンプルなラブソングの作者はリーバー&ストラー。彼らは史上初のブルーアイドソウル・ソングライターチームで、ドリフターズの他にもコースターズやエルヴィスに楽曲提供やプロデュースを行なった(フィル・スペクターは彼らの弟子)。

特にポール・サイモン、キャロル・キング、ローラ・ニーロ、そしてフェイゲンの兄貴分であるケニー・ヴァンスといったニューヨーク生まれのシンガーソングライターたちは彼らに影響を受けまくっていて、この曲を取上げたことで彼自身もその系譜に位置するアーティストであることをカミングアウトしたのだともいえる。そんなわけでこの曲の主人公は実はフェイゲンなのかも。


■Maxine
50年代は貞操観念が異常に強かった時代。主人公は高校生で、マキシンという名のステディがいる。2人は「若すぎる」とか「卒業まで我慢しろ」と周りから口々に言われているが故に最後の一線は越えられない。ヤリたくてしょうがない主人公は同じ欲求を持つガールフレンドにこう呼びかけるのだ「我慢しようね、マキシン」。爆笑必至のこんな歌詞を「助手席の彼女ウットリ系」な曲調で歌うのだからフェイゲンって奴は意地が悪い。(2度目)。しかしこの曲を聴くと頭には勝手に『カラー・オブ・ハート 』のカップル、トビー・マクガイアとメアリー・シェルトンが目に浮かぶのだけど。ちなみにアルバムの中でもフォー・フレッシュメン度が高いこの曲、何と本家にカバーされてます。

・・・・てなわけでB面もいってみよう!

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