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Delia Derbyshire interview

Delia Derbyshire のもっとも良く知られた活動は、ロンドンの Maida Vale の改造されたローラーリンクでオリジナル(かつ最高)のオシ レータの急襲とテープのつなぎあわせでできたDoctor Who テーマ(MP3) を集めて2週間を過ごしたこと。あまり知られていないのは彼女が Tony Newley perv-pop ソングのエレクトロニック・バックトラックをつくったこと、または彼女がオノ・ヨーコのライオンズフィルムの音楽の責任者を務 めたこと。Pansie Cola はいま、Sonic Boom の多大なる協力を得て、そのすべてを明らかにする・・・
 
Sonic Boom:あなたが音楽をはじめたきっかけはなんですか?学校で勉強したんですか?

Delia Derbyshire:いいえ。でも学校外で、ピアノは習ってたわ。パフォーマーレベルまで。わたしはケンブリッジ大学に数学の勉強をし に入ったの。コベントリー出身のワーキングクラスの女の子にとっては、それってちょっとしたことだったわ。だってケンブリッジってその頃は(たぶん今もそう だと思うんだけど)、数学に関しては世界でとは言わないにしろ、国内では最高の学校だったんだから。アメリカ人にそう言ってごらんなさいよ!当局の意志に背 いて音楽をやるってことを許してもらうよう説得するには苦労したわ。学位 を取った後、職を斡旋する事務所に行って、音響、音楽、アコースティックなんかに興味があるってことを伝えたら、補聴器か depth sound の仕事を勧められたのよ。だからわたしはDecca Recordsに仕事をしたいって志願したの。ボスはわたしとの約束の日にクリケットを観に行っていたんだ けれど、代理人がレコーディングスタジオでは女性は雇わないんだってわたしに言ったのよ。

彼がビートルズをはねつけたひとだってのも無理ない話しですね。
全くね。わたしはBBCにRadiophonic Workshop っていう研究部門があって、放送番組のためのステキな音をつくることじゃ功績があるって知 ってたの。一般 に、1度に3ヶ月以上、公式にワークショップで働くことは許されていなかったわ。そんなことをしたらおかしくなっちゃうと思われてたのよ。
僕もおかしくなるだろうと思いますよ。
ええ、狂うためのステキな方法だってことは言えるわね。
ホントにね。あなたが音楽に数学的な関係性を当てはめようとしている、またはそれらをオーバーラップさせているって解釈してもよいでしょう か?
ええ、もちろんそうだわ。古代ギリシア以来、音楽と数学っていうのは密接に関係しているのよ。
ピタゴラスの定理以来ですね。
ええ、ピタゴラスの神話以来ね。これはある種の訓練なのよ。人々は作曲家っていうのは、座って紙にペンを置いて、神がペン先にインスピレーショ ンを下すものだと思っているのよね。まあ、時にはそういうこともあるかもしれないけど;モーツアルトなんかはそうかもね。だけどそうでなければ、作曲家には 訓練が課されるのよ。そして数の訓練っていうのは素晴らしい訓練だわ。フィボナッチシーケンスは人々が何世紀にも渡って使ってきたものよ。
建築と音楽はその比率において関連があるということですか?
自然界に存在する数字よ;シダの葉の数、ひまわりの種の数、そしてそれらがどう配置されているか・・・これがフィボナッチシーケンスよ。芸術で も建築でも音楽でも使われてるわ。でも音楽のなかにそれを聴き取ったとしても、意識されることはないわね。ジョージ・ガーシュウィンでさえ、Porgy and Bess のなかでこれを使っているわ。誰がそれに気づくかしら?
僕、TVのローマ建築についての番組でそのことを観ましたよ。建物のつりあいはピタゴラスの比率に基づいていると言ってました。ある 特定の数字の関係性には、たぶん魔法がひそんでいると思いますよ。それか、特定の数字それ自体が魔力・・・とは言わないとしても少なくとも何か力を持ってい るんです。
そういうものは、自然につくられたものよ。だからもちろん、わたしたちのからだもそれらの数字に反応するわ。無意識のレベルであってもね。そし て皆フラクタルのなかで作用しているのよ。過去20年間はカオスの定理だったわ。ランダムなもの。あなたが得るものは、はじめから完璧に定義されているわけで はないのよ。驚きは音楽の素敵な要素だわ。
面白いですね。これらの法則のいいところは、壊したときに何かしら美しいものを生み出すということですね。The Doctor Who テーマはあなたの初期の活動のひとつですけども、あれはその後のもっとも重要なテーマのひとつになりましたよね:みんなほんの数秒で気づきますよ。そ の音は少なくとも10年は先を行っていますよ。もしクラフトワークが70年代のなかばにあれをリリースしていたら、10年も後だっていうのに最先端に聴こえたでし ょうね。僕にとっては、あなたがワークショップに参加した後にあんなことを達成できたってことがとても興味深いんです。スタジオ・マネージャからすごい飛躍 ですよね。
生まれながらに持っていたものだわ、本能なのよ。まったくのところ。そうとしか言いようがないわ。
あなたがスタジオ・マネージャだったころ、機材に触ったり自分自身の録音をしたりするチャンスってありましたか?
そうね、わたしは優秀なスタジオ・マネージャだったわ。わたしはクラシックのLPをかけるのがとっても上手かったのよ!なかにはわたしが 第2の視覚みたいなものを持ってるんじゃないかって思ってるひともいたわ。なぜかって言うとね、レコード・レビューっていう番組があったんだけど、そこでは レコードのほんの一部しかかけないのね。で、ある音楽評論家が「ねえ、LPのこの面 に、どこだかわからないんだけど、トロンボーンが入ってくるところがあるんだよ」って言ったの。わたしはレコードを光にかざしてみて、トロンボーンが 入ってくる正確な位 置に針を落としたのよ。彼らはマジックだと思ってたわ。だからわたしは優れた本能を持ってたに違いないってことね。わたしは、スタジオ・マネージャで あった短い時間に感謝してるわ。
Radiophonic Workshop 関連で僕が凄いと思ったのは、おれが多くのひとの印象に残ったということです。でもあなたが実際やってきたな かでも、マイナーなものが本当に素晴らしく、メジャーなものはTVのために大量 生産されたクズですよね。
ええ、それは必要とされているもののレベルであり、なぜわたしが結局辞めたかということでもあるわ。わたしは自分なりの誠実さを、妥協 して曲げたくなかったのよ。わたしはスタッフの堕落にうんざりしていたのよ。だって変に上品ぶってるのに、BBC外のひとに聴かせたらお世辞を言われるんです もの。BBCはとても保守的で、ますます委員会やら経理士やらによって運営されるようになっていったわ。そして彼らは、ちょっとでも変わったことをしようもの ならバカみたいに気にしたのよ。わたしには、オリジナルでアブストラクトなエレクトロニックサウンドをつくり、知的な人々にアピールするようなかたちにして いきたいという情熱があったの。だけど、それはドラマ部門に組み込まれちゃったのよ。音楽のことなんかなにもできないようなところにね。そんなわけなの よ。
あなたが Radiophonic Workshop で廊下にまではみだすほどの、長い(テープの)ループをつくったって聞いたことがあるんですけ ど?
そうよ!あれは2つのドアと次のペアにまではみ出したわ;女性用トイレと受付の向かい側にまでね。ロンドンで一番長い廊下、そしてもっ とも長いテープループよ!
そんな労力をかけてつくっているっていうのに、あなたの音楽はとても有機的に聴こえますね。
ええ、そうなの。有機的っていいわよね。その感覚は共にとってもゆっくり育ってゆくのよ。最初に聴いて、共にするのはすごいよろこびよ。そう、 とても手間がかかるわ。よく一晩中作業してたものよ。レコーディングにかける時間に制限を設けたことはなかったわ。
(夜中は)作業するにはいい時間ですよね。電話は鳴りっこないし、誰かがおしゃべりしようとやってきたりすることもない し。
エンジニアの恋愛の悩みを聞いたりしなくてもよかったしね。夜でもわたしはワークショップの機材をすべて使えたのよ。でもあいにくこのループ は、真っ昼間につくったのよ。
資源には限りがありますよね?
ホントにね。わたしは限られた資源をいかに使うかってことにとっても熱心なのよ。
それって考えをひろげますよね。
完全なる自由を与えるわ。つまり、マヤの Angelous に戻るっていうことよ。-「わたしはなぜかごの鳥がうたうのか知っている」あなたは 本当にクリエイティブであろうとするよりも、訓練をする必要があるわ。もしあなたがなにをしてもいい自由を与えられているなら・・・。音や形式を自在に使う には、訓練が要るのよ。
エイフェックス・ツインは、機材をながめていてもなにもわいてくるものがなかったので、たくさん売ってしまったと言っていました よ。
自分自身を鍛練することができなけりゃおしまいよ・・・。「いいな、これだよ、突然これが欲しくなった」 だなんて。
あなたのサウンドは、ムードや有機的な感じがカプセルにつまっているような感じがすごくします。それをエレクトロニック・ミュージ ックからなかなか連想できないひともいるでしょうけど。
(BBCの)ボスは、「エレクトロニック・ミュージックが美しいなんてことはありえなかった・・・Deliaが来るまでは」って言った わ。
限られた資源といえば、僕らふたりともにアピールするものとして、Peter Zonovieff の EMS VCS3 マシンがあると思うんです。あれはかなり限 られた機能しかないけれど、接続とパッチングで無限に可能性がひろがるんですよね
Peter Zonovieff はもっとも面白いことをやったひとだったわ。彼はミュージシャンであることにも、作曲家であることにも文句を言わなか った。だけど、ロンドンの美しい街の家を思い浮かべてごらんなさいよ・・・彼がランダム・シーケンサーで作業していた1階のドローイング・ルームは電話の中 継装置でぎっしりいっぱいなのよ。
わかるような気がしますよ。
わたしは思ったわ、あらまあ、これがものごとのあるべき姿なのね、って。そしてわたしは、わたしがPeterに寄せている信頼が、ヴィクト リア(Zinovieff)が彼を信頼するように後押ししていたのだと思うのよ。だって彼はロシアの貴族で、彼が付き合っていた仲間内じゃ、彼は物好きな道楽者と思 われていたのよ。あれは美しく、面 白い時間だったわ。全てが機械仕掛けで。電圧コントロール以前の話しよ。で、わたしたちは数年一緒に活動したの。
Unit Delta Plus として?
そうよ。
あなたたちはエレクトロニック・ミュージックがよりいっそう広告やTV・映画音楽に起用されるよう、組織を起こしましたね?
わたしたちは(エレクトロニック・ミュージックを)より一般 的なものにしたかったのよ。
あなたが深くかかわった"happenings"ってどんなでした?Rave とか Rave On とかっていう Chalk 農場の機関車庫での 1966年のイベントがあったのを知ってますが、ポールマッカートニーがチラシの先頭に出てたんですけど
そうなの、ふたつのビートルズがあってね、ポールとジョージのね。基本的には録音されるまえの電子音楽のコンサートだった。

光のカーニバル、って呼ばれてましたね。伝説的なものって感じですね(共に笑い)ちょっと怖ろしいような感じですよね。でも誰も聞いたことがな くって。ビートルズの活動としても、大きなものでしたよね。

そう、かれらはあちこちで演奏してたわ。
Newbury のそばの Watermill 劇場でのイベントにもかかわっていましたね。
Peter Zinovieff が企画した電子音楽とライト・エフェクトの夕べよ。音楽は屋内の、劇場のセッティングで演奏されてて、Hornsey 芸術大学からの講師達によるライト・ショーがスクリーンに映し出されてたわ。
かれらは湖の中ではライト・ボックスを持っていなかったんですか?
そう外だったわね、そうよ、製粉所の池の中だった。
‘66年の9月ですね。
そうよ、英国の電子音楽の最初のコンサートとして企画されたの。つまりね、ちょっとずうずうしかったわ。
あなたのやった部分はどうでした?‘66年は Anthony Newley と一緒に活動してらしたと思うんですが?
あぁ、あれはちょっと変わった短い詩ね!
まったくサイケデリックですね。
サイケデリックじゃないわよ!
‘60年代の喜劇的サイケデリックの類でしょう?
後期の Anthony Newley は彼のレーベルに何かエレクトロニックなことをしたいって言ったの。それで彼らはわたしのところにきて、それで わたしはヒューヒューいうトラックを作ったら、彼はそれがとても気に入って、彼の声とわたしのちいさな音を重ね合わせたってわけ。
あの時代のもっともシュールなレコードですね。それは彼がどんな風に我慢できないかっていうイヤらしい歌詞で、女の子たちとか彼女 らの輝くピンクに輝くモノとか。
雨の中でウィンクするひざとか、彼女たちのミニ・スカートとか。わたしそれを可愛らしくてちょっと無邪気なラブ・ソングにしたの、だっ て彼がわたしに言った唄って ”愛してる、愛してる” とか ”キミが行っちゃった”みたいなのばっかりなのよ。
これが”僕は我慢できない”ですね。 Moogi's Bloogis とかなんとか呼ばれてますね。
そうよ、Moogi's Bloogis よ!わたしがこの綺麗でちょっと無邪気な曲を書いたの。感傷的な愛とか無邪気さとか。そして彼は汚い古レイン コートの唄を作ってたわ。でも彼は本当に喜んだの!Joan と Jackie Collins が花屋の上のわたしのちっちゃな可愛いアパートにリムジンを止めて彼を呼び出したの。彼がいうには”もしこんな曲が書けるんなら、 キミをここから連れ出しちゃうよ”!あれはたったシングル・トラックのデモ・テープだったのよ。それで彼はレコード会社に電話して、”僕らはマルチ・トラッ クのスタジオに移りたいんだけど”って言ったわ。残念ながらレコード会社のボスは休日中で、その時はかれは戻っていった。Anthony Newley は Joan Collins と一緒にアメリカに行っちゃって、それであれはリリースされなかったの。
あなたの幻の小曲がありますよ。Ziwzeh Ziwzeh Oooh Oooh Oooh ...
まあ、夢中になっちゃいそう!
これは何に使われたんですか?
これはテレビのSFフィルムの為につくったの。わたしが番組の音楽を全部やったのよ。確か60年代の中頃だったっけ。ドラマの内容を少し紹 介すると、新しい宗教を始めた大きなボス・ロボットが出現した時代で、彼は高位聖職者みたいで、他のロボットが彼の為に賛美歌を歌うの。
どんな感じのロボットだったんですか?
うーん、わたし知らないのよ。番組をみなかったから。台本をもらったんだけど、それだけよ。俳優達には、わたしが詠唱させたの。歌詞は ね、”マスターを賞賛せよ、彼の知恵と彼の…” ええっと ”彼の知恵と彼の栄光。” わたしは最初にそれを逆回転にして、それから逆回転でもリズムにあったいい響きの部分を選び出して、そして声のス ピードを変えたの。それから一小節だけ繰り返して使ったわ、科学や健康の番組なんかで学校の子供達にはちょっと淫らすぎるってコトであらかじめ拒否されてる 様な感じにね。それ化学の番組みたいだったの…それセックスについてと考えられてた、でも違った名前の元にね。そしてプロデューサーはわたしの音楽を落とす 為に神経を使ったのね、ちょっと淫らすぎるよって言ってたわ。まさに欲情的な写真に対する鼻にひっかけたような態度なのよ、それでわたしは単音を使って、そ の上にグリッサンド音を重ねて、そして調節して直しておいたの。でも”Ooh-ooh-ooh”はわたしじゃないのよ。これ発信機なの、純粋な発信機。音波を奏でるた めのテスト用機材だったわ。
Peter Zinovieff は数年来あなたと親しくしてましたよね、それで彼がスタジオを作ってコンピューターに傾倒するようになっていった けど、それがあなたの初期のコンピューターでの登場でしたよね。その時に〈前衛作曲家の〉シュトックハウゼンを Peter Zinovieff に紹介したことなかったですか?
まあ、みんなに言い直さなきゃね。わたしはタクシーでPink Floyd をそこに連れていったのよ。
ワークショップには Brian Jones が日に一度とかよく訪ねて来りしてませんでしたか?
ええそうね、後期の Brian Jones ね
後期の Brian Jones …あなたはのその言い方が好きですよね。
そうよ、皆んなわたしのまわりの人は死んじゃって、わたしは未だここにいる、意地悪そうにね…
あなたは確かに後期 Delia Derbyshire じゃないですよ。
わたし彼が死んだって聞いた時、食器洗いの中で泣き叫んじゃった。
食器洗いの中で泣き叫ぶですって?
その日わたし食器を洗ってたの。わたしは完璧に最小限に生活するテクニックを身に付けてたから、そんなものは必要なかったんだけど。わ たしは泣き叫べたのよわたしの・・・
ニンニク
そう、細切れにしたニンニクの中に
それであなたは人々にその時期についての人々の事を紹介するのにまさに重要におもいますね。 Pink Floyd はメイン・ストリームの音楽界に最 初に電子音を持ち込んだバンドのひとつですね。例え Mick Jagger が Moog を使ってたとしても。それは殆ど文章化されていないでしょ。興味深い時期ですよね、交互に肥沃だった時期。あなたはそこにいて、 皆に電子音楽をひろめてましたね。
ええ、そうよ。わたしはいつも気前よくみんなにわたしの知ってることすべてを伝えてたわ。何人かは自分達だけで小さな島を作ってた。彼 らは自分の仕事やテクニックについて、とても秘密主義的だったけど、でもわたしはいつでも気前よかったわね。
あなたはしばらくの間オノヨーコと一緒に仕事してましたね。どんな感じでしたか?
ええ、わたしはオノヨーコの為にフィルムを撮ったわ。彼女がわたしの部屋の床で寝てるあいだに。
それって66年的だったでしょうね。
いいえ、それよりもっと後、'67年か'68年だった。彼女が John Lennon と出会ったのと同じ頃よ。だってわたし達がカーペットでオージー にふけってると、わたしたち、おやまあ女神さま、そう彼女は Bottoms フィルムを撮ったの。そしてわたし達は短いフィルムの為にサウンドトラックを作って、Trafalgar Square のライオンの包装紙にくるんで、ハプ ニングだったわね、わたし同様に Peter Hall の最初のフィルムの音楽もやったわよ、Work って四文字言葉よね。わたし音楽の電子音のパートをやったわ、彼らがマジック・マッシュルーム やってヒューヒュー言ってる場面のね。
サイケデリックなシナリオですね! Radiophonic Workshop の後は何してたんですか?
(笑って)色んな球体に自分の名前を残してたの…
色んな種類の職業をしたんですよね、どれも音楽とは関係しない…
そう、わたしは”かつてない情報経路の最高のラジオ・オペレーター”だったし、英国ガスが 1970年代中期に国の中を横切ってた時は、頼まれもし ない証明者だった。そのころわたしは中国の最初の抽象的芸術集団で後に Li Yuan Chia になる創始者グループのひとりと一緒に住んで仕事してたわ。
ところで僕があなたに会ったのはどれくらい前だっけ?
わたし達が最初に会ったのは 1998年の9月だったわ。
僕があなたに音楽について話し始めると、それはあなたの過去のことではないみたいだった。あなたは音響や音楽についてとても強烈な 考えをもっているようで、そしてもう一度音楽を創るのを待っているようだった。
興奮よ!
僕が聞いた今のあなたの制作してる音楽には35年前のあなたの作品の特徴がとても多くみられますよね
そうね
あなたは以前と同じ音楽的探求心にいると感じていますか?
わたしは抽象的音響を創るのに夢中ね。深くに根ざした肉体的な情熱よ。
僕らは同様に電子音楽フェスティバルも計画してるところなんです。僕らの頭文字はなんでしたっけ Delia ? MEMA でしたっけ?
いいえ MESMA 多重感覚(Multi-sensory)電子(Electronic)音響(Sound)音楽(Music)と芸術(Arts) よ。これはね多分人々は自分では…電子音響と電子音楽との間の違い、とかって境界線を引くのが好きに違いないって思うの。それでわたし達はそれを結び つけて上げたの、明かりとか色んなヴァイブレーション、触感のバイブレーションもよ、それらを使って。音と光の間の結合、動作や彫刻・・・
1日中か2回程の経験で人々は過去からの、そして現在、願わくば未来までもの電子音を調べることができます。僕らは Delia がテープをつなぎ合わせたりというような、いくつかのテクニックを見せてくれる場所を含む色々なワークショップを考えているところなんで す
そして長いジョイスティックのついた VCS3
それにテルミンみたいにとても単純ですね。.テルミンをやってみる事ができる人達のように...多くの子供達にとって大きな選択でしょ うね。最高級品はなんて値段なんだろう、電子的な部分はさておいて、これは対話的だ。僕らはみんなが演奏をためせるように、そしてその悦びを体験してくれる ことにとても熱中しているんです。
そしてゆらぐベッドに横たわるの!
可能な限り色んな方法により音を体験するということ、そして色々なめずらしいサウンド・コントローラーや色々の先進的な音の彫刻家 たちによる演奏を通 じてその悦びを体験する・・・
そして視神経の花の香りをかぎながらね・・・
 
インタビューの全文 は10,000語でした。この文は surface magazine に載せる為に3,000語に編集されています。現在WEB上に掲載する為に全文を準備中です。掲載時にお知らせを希望される方は email をください。
(C)2000 Delia Derbyshire, Sonic Boom and Pansie Cola.
 

*このインタビューは、Markie Cola氏のご好意により、翻訳&掲載をすることができました。Thanks!
例によって、意味不明なところもあるかと思いますが、大目にみてやってください。原文はこちらです。
後半部は、sevenさんが訳して下さいました。 sevenさんのページには、Sonic Boomその他のアーティストの詳細なディスコグラフィーなんかがあります。


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