<日記>

不定期更新のうえに,駄文です。
内容は読んだ本とか同人とか。
他には
時折
断言口調で当たり前な事に異を唱える時がありますが
持病です
内容は半分以上本気で思った事を言っていると思いますが
私の口調や態度は芸風と思ってください
また
私は自分の持病が何処まで通用するかと試したい意味で文章をアップしているので
御意見をいただいた場合には
可能な限り
言いかえれば見苦しいまでに反論します
御暇な方は是非相手してください

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=十一月十二日
二次創作小説更新=
=十一月十二日
同人更新=

別館(怒首領蜂大往生同人ページ)開設=


十二月一日の独り言

○フェレットのシオン様が朝から激調子悪くて瀕死の状態。どうなることやら。


十一月三十日の独り言

○ニューマシンが自分の部屋に来たので今までできなかったエロげーをやってしまおうという目論見第一弾。

「君が望む永遠」。

あっちこっちで鬱だ鬱だと連呼されているとおり、すげえ鬱。「えー、そこでこうくるのかよ、つーか駄目、ひどすぎ、つらすぎ」と何度もセーブしては休憩挟んでプレイしました。

で、遙エンディング到達。エンディングの最後で出てくる写真に号泣。これはこれでハッピーエンドなのか?、と。

つーか、このエンドに至る過程は自分なりに最良と思える選択をしてきたために、これ以外のルートを辿るのは精神的苦痛を伴いそう。なので、このゲームはここで封印の方向。やってみたいけど他にどんなエンディングが待っているのかと考えるとがくがくぶるぶるなのであります。

それにしても、いきなり遙たんが事故ったのには驚きました。つーかあそこまでが序章扱いだったのも素で驚き。ボリュームありすぎ。テキストの誤字脱字チェックだけでもものすごい手間だったろうなあ、と思います。

しかし、こんなの良く作るなあ、と。正直脱帽。

そんな一日。


十一月二十九日の独り言

○突然何の前触れもなく電源が落ちる、という症状が出始めたのが十日くらい前で、三日前くらいから頻繁に落ちるようになって、ついにおととい危篤状態に。

つーか朝起きて電源を入れたら壁紙が表示されるあたりまではいくのだけど、そのあたりでいきなりぷひゅーん。

「たて!たつんだ!がんばれ!」と電源入れたりかやいたりしながらパソコンに叫ぶわたし。

まあ、その前日に危機感を感じていて必要なテキスト文書だけは全部フロッピーに移動しておいたので、そんなにあせりはしませんでしたけど。

で、前々からPCを買い換えませんかと打診していたこともあり、さっさとニューマシン購入。

ただいまそれでこの文章を打っております。

ただ、ニューマシンを机の上において真っ先にしたのが今まで見れなかったDVDデータの鑑賞というからへたれ度が高い。ちなみに見たのは「フリクリ」と「GEOBLEEDERS」。「フリクリ」の方は漫画版と終わり方が違ってて少し残念。終わり方としては漫画版のほうが好き。ハル子との関係をものすごく良く表していたように思えます。ただ、当然演出としてはDVD版のほうがすごいわけで、最後のほうでたっ君がバットもってハル子に特攻した直後のシーンなど、胸キュンものでありました。あのタイミングと構図とキャラの表情と画面展開は神業。ただ、やっぱり終わり方がなあ。これでDVDの終わり方が漫画版と同じあの土手のシーンだったら、泣けたかも。個人的に、すごく残念。

で、「ジオブリ」のほうは漫画版より勢いがなくて、その辺どうなの?、という感じ。伊藤明弘氏の漫画による動きの表現力のほうがアニメーションを明らかに上回ってると思います。ちと残念。


十一月二十六日の独り言

○冬コミの原稿をやろうと思っていたらニャル氏から昨日の独り言に突っ込みをいただく。

原稿などやっている場合ではない。

さて、早速行きましょう。

まず、表現と事象はくっつきようがないでしょう。それなら存在範疇が違います。どうも砂雪氏の言い方だと、「ある事象が表現される」というように「くっつける」のではなく、あたかも粘土の固まり同士を混ぜ合わせるように「くっつけ」ているように感じられますので。ただの言葉のあやなら、うるさいこと言ってすみません。

まず、私が昨日の文章中で言った「くっつける」は、「背景」と「音楽」と言う文字が「背景音楽」とまとめられていることを言う物です。そして、「背景音楽」と文字表記的にくっつけられた場合、普通それを「背景的音楽」と言いかえられると私は信じておりました。つまり、私は問題となっている文章で、まさしく「ある事象が表現される」というように「くっつけ」られていたことを問題にしていたわけです。

ただ、私の書き方もまずかったかもしれません。

しかし、何故「背景」のほうを表現とし、「音楽」のほうを事象としたのかにつきましては、「背景音楽」が私の中では「背景的音楽」と同義であり、「背景的音楽」は「背景のような音楽」と同じとなっていたからで、「「背景」と言う視覚的表現を「音楽」と言う聴覚的な事象にくっつけるのはいかがな物か」と言う私の昨日の文中においては「背景音楽」から文字表記的に分離させられた「背景」に対しても常に表現的な「背景」が念頭にあったからです。しかし、これは今考えると私が勝手に前提していたことであり、どうもまずい書き方であったようです。すいません。

砂雪氏は「音楽と言う事象」と言われているので、事実問題として。氏には、サラウンド効果というものは一切無用なのでしょうか。あれは前から後ろから、音楽が聞き手を取り巻くように方向性を持って聞こえてくるものですが。それでなくとも、私は「音楽が前から聞こえてくる」とか「後ろから聞こえてくる」ということを認識し、そのように判断できますが、これは超常的な能力ではないはずです。前、後ろというのは位置関係を示す言葉であるし、少なくともこの意味においては、位置というものを適用できると思われる。

これはまったくなんと言って良いのか悩むところなのですが、私が言いたいのは音楽という言葉が指し示す事象それ自体には位置関係と言う概念が入り込む余地が無い、と言うことであり、音楽が鳴っているという事象を示したわけではありません。もちろん、音楽が鳴っていると言う事象を考えるのであれば、当然位置概念を適用させることは可能だと思います。

それとも、事象と言うからいけないのでしょうか。しかし、私はまさしく「背景のような音楽とは何であろうか」と言うことに悩んでいるのであり、決して、音楽、背景と言う二つの表現を話題にしているわけではありません。

音楽それ自体、と書けば良かったのかもしれません。しかし、音楽と言う事象、と音楽それ自体、が指し示す物はずれるのか・・・。なんかずれると言われればずれるような・・・。

 音楽という単語の辞書的意味に位置関係がないというなら、そりゃその通りですが、そうすると美少女ゲームと言ったとき、ゲームという語の意味には美少女はおろか、美少女的なものなど欠片も含まれないと言えます。でも表現として成立する。

で、私はまさしくこのとおりのことに疑問を感じているのです。だから、最後に「二重に不思議です」と言っているのです。

そうすると、合わせてbackgroundは「後方に、かつ下方に拡がっている場」というものとして考えられる。さて、それでは何の後方かつ下方かと考えてみると、それは「私」ではないでしょう。私にとっての後方かつ下方は、ただ単に背後、backで済むはずである。いろいろ考えてみるに、それは「今私が眼前的に捉えている対象」の背後だと思われます。*1そうすると、BGMは「私が眼前的に捉えている対象の背後の拡がり」の音楽と言えますが、これは「対象の背後から聞こえてくる”ような”音楽」とは考えられないでしょうか。ここでの対象とは、まず役者やキャラであり、さらには舞台、スクリーン、モニターでもあります。つまり、これらの場合については、私が目の前で見ているもの、となります。

あぁぁぁ、なんかわかったような気がします。

これは「対象の背後から聞こえてくる”ような”音楽」とは考えられないでしょうか

なるほど、こう言われると何の障害も無くすんなりと理解が出来ます。私自身、数瞬の間「では昨日の疑問は一体なんだったんだ?」となりましたが、それについてもわかりました。

昨日の疑問を持つ私は「背景音楽(BGM)」を、

・背景のような音楽、しかも音楽と言う言葉が指し示す事象それ自体としての音楽

を問題にしていたのに対し、疑問を持ちつつも「背景音楽(BGM)」が指し示す状況を理解できる私が捉えていたのは

・対象の背後から聞こえてくる”ような”、まさしく鳴っている事象としての音楽

である、と。

あ、すでにそれは上のほうで書いている・・・。

で、

まず、ググってみれば音楽的背景という言葉はこれでもかというくらいに出てきますし、私は別に珍妙だとは感じません。それが使われるような文脈・状況を容易に想像することができますし。グラム的メートルは奇妙ですが。どっちにしろ、入れ替えれば良いというものではないでしょう。

と、いうニャル氏の意見はつまり私が疑問としていたこととずれる「背景」を問題にしています。

私が問題にしていたのはまさしく

LSDを使えば色を聴いたり音を見たり出来る(らしい)ぜ!

の、色を聞いたり(背景的音楽)、音を見たり(音楽的背景)だったわけです。

ニャル氏自身、括弧付けで、らしい、と言っている辺り、もしも私が話題にしていたのがそのような「音楽的背景」、「背景的音楽」であるとすればそれが珍妙な日本語である、とわかっていただけるのではないでしょうか。

なので、

また、それならば「情熱的男性」とか、「音楽的素質」、「美少女ゲーム」といった言葉も問題が出るような気がしますが、それらについては問題ないのでしょうか。

これはまったくそのとおりです。他にもいくらでもあるでしょう。そして、私の疑問はそれぞれ関係性がなさそうな物であるのにどうして〜的と言った様に関係付けることが出来るのか、というものなのです。

滅・こぉる氏の文中の例に関しては、事件が対象としての近景、手紙を書かなくなったことが遠景、というか背後に隠れているものとしか、私には読みようがないのですが。そもそもこの場合、視覚的かつ事物的なものに限られたような空間性を、この文脈で使われた「背景」という語の意味は持っているんですかね?あるいは持っているはずだ、と前提して思考を進める価値があるのか、とか。一義的に確定せずに、他の文脈も手当たり次第に調べて、「背景」という語の曖昧模糊とした使われ方から、「背景」性とでも言うか、本質を探った方が有意義な気がするんですが。この例に関しては、今のところここで思考停止。

私はまさしく一義的に考えると明らかにおかしいのに、どうしてある文脈では、と言うか表現として成立するのだろうか、と不思議に思ったわけです。

私はてっきり滅・こぉる氏もそう思ったのでは、と思ったのでそう書いたのですが、もしかしたら滅・こぉる氏はそのように書いていなかったのかもしれません。

 

うーん。

 

○で、本日のエスプガルーダ。

どうやら朝の一回目は良いらしい。そう言えば尿検査も朝一番の奴を提出しますよね。何か関係があるのでしょうか。

で、結果。

ノーミスノーボムALL。4261万点。

あと240万です。

しかし、目標である4500万を出すにはどこをどうすれば良いか、と言うのが大体頭の中に出来あがったので、後は練習してそのパターンを完全に遂行するのみです。その上でさらに改良を付け加えれば、4600万くらいまで伸びるかもしれません。

で、2面に関しては700万が見えています。ボスを倒したときの弾幕金塊化に失敗した上で687万。道中も小さい取りこぼしがあるので700万が出そうです。まあ、一面のパターン改良ですぐにこの13万は埋まりそうなので、実質的に目標は730万くらいでしょうか。

3面のパターンが変えられなさそうでまだどうにかなりそうな感じ。4面、5面は確実にまだどうにかなります。

つーかスコアトライアルの商品、てなんでしたっけ。発表されてました?


十一月二十五日の独り言

たそがれSpringPointの11月24日にてちょうど日記に書こうと思っていたネタがあったので便乗。

ただ、私のは「BGMは邦訳すると背景音楽だが、「背景」と言う視覚的表現を「音楽」と言う聴覚的な事象にくっつけるのはいかがな物か。と、言うかどういう意味なのだろうか?」、というものです。

背景と言う言葉は視覚的な表現であり、主に位置関係を問題にする言葉だと思いますが、音楽と言う言葉に位置関係の入り込む余地はありません。音の高低、長短、強弱はありますが、逆に背景の高低、長短、強弱はあまり考えられません(長短、とかは文脈によっては用いることが可能そうですが、それはこの場合の背景とは異なる物でしょう)

私はBGMを背景音楽と訳し、それを背景的音楽、と言いなおしたところでどうしても思考が止まってしまいます。一つの提案としては、「確かに、背景と音楽と言う言葉がよって立つ人間の感覚器官は異なるが、それを受け取るのは「私」と言う唯一の主体であるからそれは完全に独立なのではなく、ある一点で交わっている(はずだ)から「背景音楽」と言う表現は可能なのである」、と言う物があります。例えば、音楽を実数、背景を虚数と捉えたときのように。

しかし、これは問題の解決になっていません。確かに虚数の場合、二乗すると1になりますが、では4iは実数であらわすといくつなのか?、と言う問いには沈黙せざるを得ません。事実、2+10iと3+7iはどちらが大きいか?、などの質問は意味を持ちません。評価が不可能だからです。

つまり、音楽と背景がそれぞれ別次元のものである以上、「音楽と背景」と言う表現は可能でも、「背景の音楽」や「背景ではない音楽」などの表現は不可能なはずなのです。

それに、もしも「背景的音楽」と言う表現が可能であれば、「音楽的背景」と言う表現があってもよさそうな物です。例えば、「情熱的な愛」は「愛的な情熱」と入れ替えても示す意味こそ元の物と異なる物の意味的には通りそうです。「物理的決定論」も「決定論的物理」と大丈夫そうです。しかし、「音楽的背景」はなんとも珍妙な日本語です。まったく想像もつきません。「グラム的メートル」とか、端的に単位が違う物であらわすとその奇妙さが浮き彫りになります。

だとすると、何故「背景音楽」に関してはなんとなくでもその意味が理解できるのでしょうか。よくわかりません。

二重に不思議です。

滅・こぉる氏の文中で書かれていることと結局重なってしまいましたが、だとすると「背景」と言う言葉が特別なのでしょうか。

しかし、では背景以外に何か適当な表現があるかと問われると、言葉に詰まるほかありません。

 

○本日のガルーダ。

朝一回目にていきなり過去最高のプレイ。

ワンミスでALL。4019万。

マジか。

つーか、こんなに早く出るとは思わなかったのでもう少し続けてみようかと思います。

で、実際のところライフボーナスとかであと150万は伸びるはずなので、4200万は確実に射程距離内。

後、パターンを変えないでも技術力の向上による落穂拾いで200万くらい伸びそうなので、4500万が個人的な理論値になりそうです。なので、4500万出たらやめます。

しかし、ジャコウポッド突入時に3000万は欲しいところ。現在2800万弱が限界。1〜5面全てにおいてパターンの向上が可能そうなので、行けそうと言えば行けそうなんですが。とりあえずの目標は2面クリアー時に700万。現在のパターンで少なくとも到達可能なはずの点数は680万。実際到達は663万。一面ももう少しどうにかならないかなあ。240万辺りでうろうろしています。

てか、タテハだと稼ぎがつらいとか言う話を聞きますが、本当なんですかね。4800万云々の話は全部アゲハ? 


十一月二十四日の独り言

○行って来ましたそうさく畑。Pioです。

イベントの感想は、もうなんというか硬派なイベントですね、と。エロ禁止パロディ禁止グッズオンリー禁止、とまるで『うしおととら』(藤田和日郎・小学館)のヒョウ(漢字が張りつけられない。何故だ。辞書の中にはあるのに。金に票の字)さんみたいです。

ただ、同じパロ禁止だというのに客の数がコミティアとは比べ物にならないくらい少ない。多分サークル参加の人間のほうが多い。エロ禁止だから?、とか一瞬思いましたが、コミティアもエロは少ないはず。買ったら思わず転売したくなる大手様がいなかったからですかなあ。でも、原画展やってるところは大きいところでした。

で、ふと気がついた。あれだ。文字の割合が高い。多分これが原因。他のイベントではちょっと見られないくらい文字サークルが集まってたのでは。なのでイベントの雰囲気的には初日とかコミケ二日目の西館。並んでる本の装丁とかディスプレイとかはちょっとお目にかかれないほどに凝った物ばかりなのに、お客がいない、と。漫画系は見出すと買いそうだったのでほとんど見てません。カタログで厳正サーチして三冊だけ購入。

で、今日はちと奮発して創作文芸系では大きいらしいサークル様の本を買って読んだら、端的に萎えた。大きいらしいから期待してたんですが。で、色々とその理由を書いたんですけど削除。私もあんまりでかいこといえた義理じゃないですし、それに、誉めるところが見当たらなかったので。つーか文字同人を買う気がさらにそがれる・・・。まあ、自分の本を買ってもらったときにこう思ってもらわないように、今後とも頑張って行きたい所存であります。

その変わり、漫画のほうは当たりでした。

『ネコミミ姫』(水玉すあま・すあまふれんず)

『眞・自衛隊四方山話』(篠村了・システム86)

『ネコミミ姫』のほうは押しかけロボットネコミミメイド(ただし中身は昔主人公が遊んだことのある猫。しかも一度死んだ後に記憶とかだけ移植)の話。つーかネコミミメイドの喋り方が妙な爺言葉で萌える。その癖「おとーちゃま」とか言うし。言語センスが核兵器級。絵も好きなタイプですし、冬コミに出るらしいので既刊全部買いに行こうと思います。hpが無いのが悔やまれる。

『眞・自衛隊四方山話』はすげえ重そうな甲冑を着た人が店番をしていたところで出ていた本。題名どおりの内容で、ホモ話多し。いや、それだけじゃないし他の話もおもしろいんですけどね。通信兵と戦車兵の仲は悪い、の話とか、PKOこぼれ話とか面白かった。絵も綺麗ですし。こちらも既刊を全部そろえたいところ、と言いたいところなのですがこちらは金銭的につらい物が。既刊の量が多いし。少しずつ買っていくか。

 

で、イベント総評としてはイベントの雰囲気は凄い良いと思うので今後も頑張っていただきたく、会場に設置されている募金箱に125円入れてきました。赤字経営らしいので皆様そうさく畑に行きましょう。カタログも600円じゃ絶対に安い(つーかあのカタログがきちんと入場料回収の役目を果たしているとは思えない。ページも装丁も内容も充実しすぎ)ですし、でてるサークル様はどこも気合入ってます。つーか普段はなんとも思わないのですが、今日は自分のところの展示方法があまりにもしょぼく肩身が狭かったです・・・。

とりあえず、参加した皆様は寒い中お疲れ様でした。

 

○外人の罵り文句はやっぱり上手い。←『WWE・RAW』にて。

「パンツのしみのように汚ない男です」なんて表現はなかなか出てこない。TVの前で爆笑しました。

あと、ストーン・コールドが中指を立てた時、手にモザイクが入ってて驚いた。普段はなんともない手でも、ある形になるとモザイクが入るんだ、と変に感動。でも、他にも形でモザイクのある無しが変わるらしいものを思い出しました。パ○パースとかオムツのCMで男児のぽこぴーは写すのに女児のナニを写さないのは成人のそれと比べて形が似ているかいないかの差だとか。でもその判断はおかしい。何故なら(以下私の名誉のために削除)

しかし、是非とも観客一万二千人がストーン・コールドに倣って一斉に中指を立てたときにもモザイクを入れて欲しかった。きっと画面がえらいことになっていたはず。

あと、「ピー」の音多すぎ。実況にすら修正が入ってて笑えます。訳語を見ると何が問題なの?、て感じなのですが、一体どんな言葉を叫んでいるのでしょうか。

それにしてもこの番組は面白い。WWEの存在と面白さを教えてくれた瑞澤私設視聴覚室(実は図書室もあるらしい)の茗荷丸氏には感謝です。

てか、ビッグ・パパ・パンプはいないんですか? ビンス氏同様に一目ボレしたのですがCMでしか見れない。今日はイベントから帰ってきたときにすでに番組が始まって30分ほど経っていたのでその間に出ていたのだろうか。

とりあえず今日の24時から再放送があるので見てみようと思います。

そんな一日。


十一月二十三日の独り言

○明日はそうさく畑です。Pioです。二丁目23番地にいます。でも、なんだか激しくやるきなかったり。スペースでまったりと口を半開きにしつつ宙を見つめているので暇な方はどうぞ。つーか冬コミ用の金を貯めなきゃいけないのであまり本が買えなさそうなのが痛い。

何部売れるかなあ、とかぼんやりと考えていてふと思ったのですが、『バガボンド』と『ブラックジャックに宜しく』はいろんな所に平積みにされていますが初版何万部なんだろうか。

ただ、初版部数で日本最大はいわずと知れた『ONE PIECE』で、250万部オーバーと言う化け物じみた数字なのですが、こっちより今回のバガボンドとかの方が良く目に付く。何故だろうか。

あと、『勝手に改蔵』のカバーをめくったらあったのですが、どうして尾田栄一郎氏は所得税番付けにのっていませんか。実は印税をもらっていないとかそう言う落ちなのだろうか。それともどこか税金の安い国で執筆活動を行い、そっちで申告しているのだろうか。つーかこの人がどへたれな発展途上国とかに住んでてそこで所得とか申告したら瞬く間に王様になれそうな気がしてならない。過疎の村とかに行っても凄そうです。氏のために作られた専用の道路とかありそうで怖い。いや、航路か。近所に煙草を買いに行くために船で冒険するのです。色紙を片手に果敢に戦いを挑んでくるくそがきどもには愛用のペンにてボン・クレーのメイクとかを顔に刻み込んでやったりするのです。格好良いなあ。もちろん、暗い玄関で靴を探すときにはお札に火をつけるのです。または、ベタを塗るために万札を燃やした灰を使ってたり。かっこいいなあ。

と、そんなことを妄想している私ですが腰が痛いのでタイガーバームを塗ってきます。

 

○本日のガルーダ。残機2ALLで3706万。後は弾が避けられればもう4000万は出そうです。

そろそろ飽きてきた。つーか、ガルーダの隣にある「このeたこ」とか言うゲームが面白い。ちと操作性に難があって今後の改善を望む次第なのですが、面白いです。


十一月二十二日の独り言

○『言語哲学大全U上』(飯田隆・剄草書房)を読んでて思ったのですが、著者の口調があの方に似ているような気がしました。Tの時はぜんぜん思わなかったのですが、これを読んでいるときは凄くそう思いました。賛同者求む。

つーか、笑える個所がいくつもあってそれ事態に笑えました。さりげなく痛烈な皮肉を織り交ぜていたり、妙にとぼけた書き方のところがあったり、と読んでて笑える哲学()書です。

ただ、最後のほうまできちんと読まないと前半の理解がしにくいと感じましたが、あれは仕様なのでしょうか。まあ、結局ある程度理解できたので良かったのですが、中盤は凄いつらかった・・・。その変わり、話が繋がった瞬間は凄い嬉しかったです。

現在は、下巻の真中あたりまで読んでて、可能世界意味論を巡る議論に翻弄されたりしてました。一体いくつ選択肢があるんだと絶叫したい。もう字面を追いかけてその場その場での理解をするだけで精一杯(まあ、理解できているかどうか怪しいですが)。ただ、可能世界とは何かについて論じているところはアクロバティックな論理の展開が多くてものすごく楽しい。内容を追いかけるのはつらいですが、小説を読んでいるような感じです。今までの内容は全てこの下巻を楽しむためにあったと言われても納得してしまいそうです。それくらい楽しい。

それにしても、クリプキは天才ですか。凄すぎる。

 

○本日のガルーダ。

残機2ALLで3690万。ボムゲージは一発分つかってます。ジャコウを倒した時点で3000万をちょっと越えてたくらい。道中のパターンが向上した模様。4000万が見えています。道中はまだまだ改善の余地があるので、ジャコウポッド突入で3000万から3200万くらいまで引っ張りたい所存。

とりあえず一面はようやく200万越え。金塊1000到達は二面中ボス破壊時。3面の列車とか4面の蜂みたいな鳥みたいな奴のパターンとかがどうにかならない物か。あそこだけでかなり点数が変動しそう。

あとは、ジャコウの稼ぎだなあ。水晶が足りない。ジャコウポッドで使わないほうが点数高いかなあ。明日、色々試してみようと思います。

てか、このゲーム回転が悪い。今日は夜の八時くらいから船橋フジに行ったんですけど、何人かプレイヤーがいてあんまり回数できなかった。ミスるたびに大騒ぎをしてイタイ人がいると辺りに思わせる作戦を取ってもあまり効果ないし。散れよ愚民どもが。あと、ALL後のスタッフロールを飛ばせないのは嫌がらせか。あの待っている時間はとても気まずい。それと、スコアーを残るようにしてもらいたい。式神みたいに。式神は良いよなあ。ステージごとの点数とか残ってて。凄い参考になる。てか、久しぶりにやったら光太郎の兄貴にぼこされて終了。42億。2ボスの稼ぎとか普通に忘れてるし。

で、頭の中には着々とガルーダ同人の構想が。ただ、話のほうは良いとして、オフセットで出そうとすると金の問題がラスボスの弾幕よりも迫ってくるのでにんともしがたい事態。ページ厚くなりそうだもんなあ。オフセで出したいよなあ。

で、冬の大往生のほうはもう少し。なんだかショーティアに気合はいりすぎ。これからレイニャンに向かいます。

そんな一日。


十一月二十一日の独り言

○夢は深層意識だかなんだかが浮上してくるものなのだそうですが、だとするならば私が見た夢は一体なにを意味するのでしょうか。「それはあなたの性的欲望がうんぬん」とか良く巷で聞くような的確且つ反論を許さないものをお願いします。さて、文献の用意は良いですか? 学説の準備は良いですか? 

ではいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬のように笑わないで!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い女の人に罵られました。

私はどうしたら良いのでしょうか。

そんなわけで、抜けるような青空と言う表現がぴったりの秋晴れの今日、私は目覚めとともに鬱でした。

つーか、馬のように笑う、てどう言う風にだよ!!

 

○本日のエスプガルーダ。

7回やって4回ALL。うち一回は神が光臨。残機4クリアーと言う今後もう二度と出来なさそうな勢いでクリアー。でもスコアーは3669万。上は4800万とか言ってんでしょ? 意味がわからない。

とりあえず一面と三面のパターンは少し向上。でも一面で200万がなかなか越えられない。どう言うことだ。

まあ、でも他の面もまだまだ改良の余地がたくさんあると思うので、とりあえず目標は4000万。

つーか、それとは別にエスプガルーダで同人やろうかどうしようか悩み中。でも、やるとしたら大往生みたいに好き勝手じゃなくて、オフィシャルの設定を全部駆使して、ですかね。しかも短編ではなく、ストーリーを全部通して。

ただし、それには問題が。

ステージ移行のときに出てくる英文が訳せない。消えるの早すぎ。誰かデジカメで撮ってアップしてください。お願いします。

でもまあ、個人的に同人に希望するのはセセリたん中心で。5面前半で殺されるとき、最後に小さく聞こえる「・・・苦し」の台詞に激萌え。御飯三杯はいける。

まあ、そんなことよりも大往生の原稿をさっさと上げろ、て話しなんですが。

つーか、シューティングゲーの同人なのに全然戦闘シーンが無いのはいかがなものか。そんな感じの話になりそうです。<冬の大往生 ちなみにキャラは全員。同人に興味をお持ちの方は期待をせず、且つ見捨てないでいてくれると嬉しいで在ります。


十一月二十日の独り言

エスプガルーダワンコインALL。三日間で達成。式神の城Uの一週間でクリアーを上回る自己最高記録です。

スコアーは3200万。が、が、が。

ラスボス最終形態までで残機5だったのに、「あーこれたけ残機あればALL確定」とか言う油断のせいで瞬殺され、瞬く間に残機2。なめんな。

で、ラストのメッセージが聞こえてボスのライフゲージはメーターが見えなくなってるようなところでミス。ざけんな。

結局、残ゼロでクリアー。つーか、5000万てどういうことですか? 絶対出ないんですけど。

で、色々と見て回ったらなんか私の知らない稼ぎ方があるらしい。と、言うかそうでないと明らかにこの点差はおかしい。地道に金塊に倍率かけていくパターンではこつこつやってもどかーんとためてやってもあまり結果が変わらない(他のプレイヤーの人が私と正反対のやり方でしたが、スコアーはあまり変わらなかった)

つーか、なんか金塊の二重取りみたいな現象が起こってるような気がしてならないのですが、気のせいですかね。その現象が起きるとスコアーがポコーンと伸びるような気がするのですが。

まあ、こちらのほうに公開されてるムービーで高度な稼ぎが実演されているらしいので、明日学校で見てみたいと思います。

そんな一日。


十一月十八日の独り言

○昨日スルー確定とか言っていたエスプガルーダをやってしまう。まあ、私の発言なんてそれくらいいい加減なものと言うことで。

で、タテハで5ボスに撃沈され1600万弱。ボムボタンに手が伸びていれば確実にクリアーできたと言う状況。まあ、ボムを使う気などこれっぽっちも無いのであれなんですが。

つーか稼ぎ方がいまいち良くわからない。覚醒しっぱなしで進んで行くと点数が高いような気がしないでもないんですが、3面の時点とかでかなりつらいというか無理なので、2面道中までに覚醒しっぱなしで金塊を1000まで育てた後に覚醒オフ→石回収→敵の弾をためて覚醒→金塊に倍率かけて回収→即覚醒オフ、以下繰り返し、でしょうか。それとも金塊を倍率かけて回収した後に覚醒しっぱなしで進むと良いことあるのでしょうか。その辺がなんとも。

ただ、1面で覚醒死界中に金塊へと変える弾の量を粘って増やすと結構点数が変動するので倍率かける金塊の量を増やせば増やすほどよいというのだけはわかる。

それでも現時点で確認している最高点数は3000万オーバーで、どうやったらそんなに伸びるのだと問い詰めたい所存。ステージ数はどれくらいなんだろうか。二週目もあるのかな。なさそうですが。

まあ、ALLするまではやってみたい所存。金が・・・時間が・・・体力が・・・。

そんな一日。


十一月十七日の独り言

○私には「する」ことができない。

「する」事が出来る人などいるのだろうか。私にはちょっと想像がつかない。

読書をする。ボクシングをする。哲学をする。

こう書くと、ただ、それをするだけなら出来そうである。

しかし、では「停止する」ことは出来るだろうか。私は今日、駅のホームに書いてあった「このエスカレーターは十一月二十二日をもって停止されます」と言う看板を見てはたと考え込んでしまったのである。「停止される」と言うのは「停止する」と言う言葉のどんな形の表現なのか私には断定が出来ないのだが、私はとりあえずそこから「停止する」と言う言葉が頭に浮かんだ。(と、いうのもこのエスカレーターが看板作成者よりもとても偉い場合などがまず考えられるだろうし、これは受身の形としてもどこか変だろう)

さて、まあその辺は置いておいて、私はとにかく頭の中で「停止する」と言う言葉が浮かんだ瞬間に、考え込んでしまったのだ。

「停止する」と言うことはどう言うことだろうか。

停止に至る状況にある場合、それは「停止しようとしている」であり、「停止する」とは異なる。また、すでに停止している場合は「停止している」と言う現在進行形的な表現があっている。または、「停止した」と言う過去形である。

「停止する」と言う状況がどうしても頭に思い浮かばないのである。そもそも、「停まる」ということを「する」と言うのがわからない。「する」と言う言葉が能動的、行動的なまさしく「動詞」である以上、動かない状態を表す「停止」と同時に使うことがすでに矛盾しているようでならない。無いものを数える、という言葉などと同じ種類の物なのではないだろうか。

そこで、これは「停止」と言う言葉があることによって生じる違和感、乃至矛盾ではないだろうかと思い、私は「哲学をする」と言う言葉を頭に浮かべてみたが、結果は同じだった。「哲学をする」、という現在形が指し示す状況を私は思い浮かべることが出来なかった。やはり、哲学を未だしていなければ「哲学をしようとしている」であるし、すでにしているのであれば「哲学をしている」、「哲学をしていた」である。「哲学をする」とはならない。

これは、良く言われる「現在は、それを現在として捉えることが不可能である」に起因することなのだろうか。私の頭ではそれくらいのことしか思いつかなかった。しかし、これは実に奇妙な結論をもたらすが、それでもこの解答がいくらかの正しさを有するのだろうか?

と、いうのも、厳密に捉えるならば「する」事など出来ないとした場合、なければ、したことも、しようとすることも出来ないはずであるから、「する」事だけが不可能と成る結論は明らかに間違っている。「する」事が出来なければ「した」と言うことなど出来ないし、「しようとする」事も厳密には出来ないだろう(と、言うのも不可能なことをしようとすることには何の意味も無い)。かくして、我々はなにも出来なくなる。

この結論も奇妙だが、これを書いている途中に気がついたもう一つ奇妙なことがある。それは「現在進行形」と言う言葉だ。

現在・進行形、と言う言葉が指し示す状況を頭に思い浮かべることが出来る人はいるのだろうか。現在、という言葉がどういうことかを明確に指し示すことは出来ないが、過去でなく、かつ未来で無い時間という消去法でならばあらわすことができる。そして、同時に現在進行形と言う言葉の奇妙さも浮き彫りにすることが出来る。

過去でも未来でもない時間内において、どうやって進行することが出来るのだろうか?

現在進行形とは、実は進行などしていない。これは経験帰納的に「極めて近い未来に私は引き続きあることをしているだろう」という予測に過ぎず、現在進行形で表される状況は、実際に現在進行している状況を指し示しているわけではない。何故なら、過去でも未来でもない、いわば厚みを持たない時間内に進行することなど出来ないからである。例えば、ある飛んでいる矢は、「今」、という一瞬には空中に止まっているはずである。

だとすると、先ほどの「哲学をする」と言うことは不可能である、と言う結論に付け加えて、「哲学をしている」ということも不可能となる。これで、直接的に否定されなかったのは「哲学をしていた」と言う過去形だけである。

しかし、これは直接に否定しようがないだろう。過去(過去とはなにか、等の議論を回避するため、とりあえず、すでに起きたこと、の意味とする)は否定しようがないからである。そして、直接的にではないものの一応それの否定が出来る以上、ここにまた一つ矛盾が生じてしまう。

これを回避するにはやはり、「する」事は出来る、という結論を下し、「しようと」することも「した」事も出来ると言うことを導くのが良いように思われる。日常的な感覚もそれを支持するだろう。

しかし、私はその手段を持たない。私の中にはやはり「する」事など出来ないという結論が居座ってしまっている。そもそも私の中では「今」など「無い」と思っているのでそれは当然の結論なのかもしれない。未来で無く且つ過去でもない現在、などというものは厚みを持たない時間の幅とならざるを得ず、時間というものがそもそも分割可能性を有した「これが時間の最小単位である」と指し示すことの出来ない類のものである以上、そのような幅を持たないという状況はありえないのだ。線はどれほど分割しても点にはならないだろう。それと同じである。

だが、紙を無限に分割して行くと万年筆を同じように分割したものと同じものに行き着くという物理学的事実がある以上、そのような主張は間違っているのかもしれない。やはり時間にも最小単位と言うものがあって、現在と言うものが存在しているのかもしれないが、今のところ時間の最小単位を発見した、という報告は聞いていない。

ただ、物理学でもこれが究極の物質だ、という報告が為されていない以上、まだ可能性は残されている。

まあ、どちらにせよ「停止する」事が出来るのか出来ないのか、その結論は下せない。

 

○と、長々と書いたらなんだか満足してしまった。本当は今日の出来事なんかを書こうと思ったのだけれどもどうでも良くなってしまった。本当はどうでも良くないと言うかもう感謝しきりな事態とかがあって色々絶叫を交えつつ書こうと思ったのですけど。

なので、一つだけ。

秋葉原のタワーでエスプガルーダを触ったのですが、稼ごうと思うと弾銃フィーバロン並に弾が速くなるのでスルー確定。

鈍足の弾幕を絶叫しながら避けるのがCAVEの醍醐味だと思うのですがいかがでしょうか。

あと、稼がないで進んで行くと道中がものすごく退屈。敵が柔らかめに設定されてますし、当たり判定が本当に存在しているのか疑わしいくらいに小さいので、ものすごく物足りない。ボスはそれなりに歯ごたえがありますが、道中のほうがボスよりきつい、というのが今までのCAVEのパターンではなかっただろうかとか思うのでその辺もなんとも。一見さんのこと考えてるのかなあ。私は道中が面白いほうが好きなのです。

首領蜂シリーズとか前作のエスプとかぐわんげみたいな弾避けが好きな人にはどうなのかなあ、という感じ。

ライデン系とか彩京のゲームが好きな人は楽しめるかも。トレジャー系はもともと系統が違うのでどうだろう。つーか事前にシステムとか見ていた感じでは鬼のパターンゲーか、とか思ってたのですがそういう訳でもなさそうなので。

個人的には、前作のエスプの延長を求めていただけに余計にがっくり。同人も多分やら無いでしょう。大往生のほうが良いや。

まあ、時間と金があるときにちょろちょろと、ていう感じでしょうか。でも、売れると思います。少なくともケツイよりかは。

つーか、ケツイの時も弾が速いとかそう言う不満は無かったんですかね。私だけ? 弾が速いのは弾銃フィーバロンで懲りたと思ったのに。 


十一月十六日の独り言

○金曜日学校サボるとさすがにたっぷりと連休気分を味わえる。と、言うか三連休になるので。

そんなわけでおそらく人生の中で一番楽な時間を過ごしているというのにあまり生産的なことが出来ずに鬱。電話越しに人とコミュニケーションをとったのが唯一の救いか。あとはもうPCの前でマインスイーパーやったりあまりにも埃が凄い机の上とかを雑巾で拭いたりしてたくらい。

時間はあるのに本がなかなか読めない。やっぱり本は電車の中か午前中の空いている食堂が集中できる。

明日はドイツ語の授業があるが予習をしていない。すっかり忘れていた。鬱だ。死のう。


十一月十五日の独り言

○夕方くらいに冬コミ用の原稿を皆出かけて静まり返った家でぽちぽちと打っていたら電話が。この御時世、家にかかってくる電話は間違い電話かうざったいセールスの電話と相場が決まっているのであまり出たくは無かったのですが、ふとこの前出した小説の原稿が編集部の目にとまりそのあまりのすばらしさに賞の発表前にかけずにいられなかった電話かもしれない、と激しく妄想が頭の中に虫とともに湧いたので電話をとったら、なんだか自殺をする前にかけると良いことがあるらしい電話相談窓口の人が日々聞いているようなぼそぼそとした声で、「○○生命保険の△ですが」とのたまわれました。

私は自分の父親が何の職業についているのか小学校高学年まで知らなかったのですが、大学生になった今は父親の勤める会社名まで把握しています。凄い進歩です。で、電話口から「今から死のうと思うんですが・・・」と言う台詞に置き換えても違和感が無いような声にのって聞こえてきた○○生命保険と言う名前はその父親が勤める会社名。セールスにしても一蹴できると思い安堵したのですが、自分の名前を名乗っているあたりセールスではないと気がつき、案の定父親を電話口に出せ、と激しくそして狡猾に要求するものでした。

しかし、その時聞きなれない役職名が。

「常務、いらっしゃいますか」

え?、と。

いや、普通にびっくりドッキリで意味も無くあたりを見まわしてから口調を改めてしまいました。常務とのたまわれましたかと。

奴は最近やたらにきつめの日帰り出張が多いのでリストラを遠まわしに勧められてるのかなあ、とか思ったりしてたのですが、まさかそんな階級の人間だとは思わず素で驚き。てっきり課長くらいだと思ってたのに・・・。軍隊で言うとどのくらいなんでしょうか。二佐くらい? どちらにしろかなり偉いんではとか思ったりするのですが家ではほとんど生活能力ゼロの人間。社会の不可思議さを痛感する。

つーか家で昇進祝いみたいなこととか一度もやったことないんですけどいつの間にそんな階級に?、というのが正直な感想。そりゃへたれな会社だったらしないのかもしれないですけど、私が把握する限りそこそこな会社だと思ってたので驚きもひとしお。この前、創業は明治とかいってたし。

不気味なくらい突き出た腹はいわゆる企業のお偉いさん、といった感じの貫禄を伴うものではなく純粋にキモイ(後ろから見るとどちらかと言えばスマートに見えて、太っているように見えないため)のですが、それは伊達ではなかった模様。うーん。

もう少し敬意を払おうと思った瞬間でした。

でも、多分電話対応は社会不適合者一歩手前の大学生に相応しいものだったと思います。ごめんよマイファザー。

そんな一日。


十一月十四日の独り言

○昨日あたりに国立国語研究所からわかりにくいカタカナ語を日本語に訳した奴が発表されましたけど・・・。

便利。これは便利。確かに日本語にしようとすると「うっ」と詰まるものばかり。これは助かりますなあ。

しかし、まあ、「アイデンティティー」とかに関しては結構人によって脳内訳語が異なったりするのでは、とか思うんですけどどうでしょう。私なんかは良く言われてる「自己同一性」を自らが自らであることの根拠・論拠と訳してますが。ただ、新しい訳語の独自性は違うと思った。読売新聞には「アイデンティティーには心理学用語として、変わらない自分を意味する「自己同一性」という訳語があった。しかし、実際の用例を見ると独自の個性といったくらいの軽い意味合いで使われている事が多く、その場合は「独自性」といったほうがぴったりくる」とありました。

それはそのような意味合いで書き手が勝手に使っているだけであって、「アイデンティティー」がそもそも示そうとすることを示していないだけでは、とか思った。つーか「アイデンティティー」て「変わらない自分」という意味だったんですか。なんかこの意味だと私が抱いていた印象とまったく異なるのですが。

そもそも、変わらない自分とはなんでしょうか。

例えば、私がアイデンティティーという言葉に関しての訳、「変わらない自分」を知ったとする。すると自分はその訳語を知ってしまった自分であるからそれを知る前の自分とは異なっている。そしてそれはその訳語を知ってしまった自分であるからそれはそれを知る前の自分とは異なっている自分であるということを知っている自分であるから、それはその直前の自分とは異なっている。

当然、この連鎖は無限に続く。人が自分という存在を意識した瞬間から、自分が変わらないということはありえない。

ああ、それとも「自分の中で変わらないなにか」という意味なのでしょうか。しかし、だとしたら「アイデンティティー」の訳語である「自己同一性」が示す意味の説明のさらに説明ということになってしまう。だとしたら初めから「アイデンティティー」は「自分の中で変わらないなにか」ですよと言えと言うことになってしまうのできっとそれは違うのでしょう。

まあ、心理学の用語なんて良く知らないので多分どこか根本的に私が間違ってるのでしょうけど。

で、この外来語言い換えですが、第3回の言い換え候補なんてもうまったく意味のわからない単語とかがあるのでぜひ言い換えていただきたい次第。だけれども専門用語なんかはその業界で使われている訳語をそのまま載せれば良いと思いますけどなあ。

ただ、その業界が翻訳を放棄している感を受けるような場合がままありますが。経済学とか。助詞があるだけであと全部英語、みたいな。経済のコンセプトをサマリーするとグローバライゼーションだから? つーか今の文はIMEで一発変換ですよ。ちとびっくり。

あと、哲学でもなんで訳を放棄してんの?、て言葉ありますよね。

ア・プリオリ。

なんでこれって訳さないんでしょうか。中には「意地でも日本語にしてやんぜごるあ」、という意気込みがひしひし感じられるほど意味が捉えずらい難解な日本語になっている物があるというのに、ア・プリオリだけぽつーんと取り残されてたりしますよね。「的」とか「性」とかがつく不可思議な漢字の嵐の中で。

あれはなんなんだろう。

まあ、言語の問題はとても難しいので、国立国語研究所には今後も難解なカタカナ語を訳していただきたい所存。


十一月十三日の独り言

○なんだか弛んでいます。午前中に少しばかし文字を書いただけ。本は一応読んでいるもののなんだかあまり面白くない。授業は一応行きましたがあまり面白くない。収穫は否定神学というものがどんなものなのかさわりだけわかったくらいか。

つーかマリみての新刊をまだ買っていないのですよね。これがいけないのだろうか。

それと、冬に向けて大往生本のコピー誌を少し増刷しようかどうしようか迷い中。「Be a doll」なんですが、あと6冊。うーん。


十一月十二日の独り言

○地元のゲーセン仲間がうちの大学の授業に出たいとか言うからつれて行ったらそう言う日に限ってビデオを見ただけで痛い議論を聞くことができずに萎え。その後池袋のGIGOに行ってバーチャロンフォースをやってからラーメン二郎へ。

もう、まじありえない。うわさには聞いていましたが、ここまでひどいとは。何が、て量が。

連れが大盛り野菜増しを頼んだら、出てきたのは洗面器のような器にマンガ日本昔話に出てくる御飯のように積まれた野菜。もうえらいことになっていて、というか私の右隣に座っていた人が連れと同じ物を頼んでいたらしく、死にそうな顔して麺を押し込んでいましたが、何度か戦いに疲れたジョーのようにうつむきながらついにあきらめたりしてました。

味は凄いうまい。私は背油とにんにくを足して、にんにくが失敗だったと思いましたが、スープはすごくおいしい。好みの味です。

が、とにかく量が非人間的。もはやあれは凶器。

まあ、たくさん食える人なら値段も安いしお得なんだろうなあ、と。私はあんまり食えるほうではないので普通盛りを残してしまいました。

サークルに尿から糖が出るほど飯を食える奴がいるので試しに大盛りに挑戦してもらおうかと思ってます。そしてありえない値をたたき出していただきたいと思いました。

あ、そうそう。

11月23日に大田区産業プラザPioで開催される「東京そうさく畑19」に参加決定しました。

スペースは二丁目の23番地です。持っていくものはメイドさん小説。三つのイベント連続で同じ物・・・うう、まずいよなあ。今までこれなかった方、どうぞ来てください。


十一月十一日の独り言

○サークルのほうのゼミが面白そうかなあ、と思い、そのゼミと時間がかぶっている授業をサボってそちらのほうに出てみる。授業のほうは出席とって無いし先生良い人そうなので、ゼミが面白ければそっちでよう、とか思ってたんですが、思い切りつまらないのでおとなしく来週から授業でます。

つーか、憲法を扱った問題で、ある事件の憲法上の問題を論ぜよ、というものだったのですが・・・。

もう、何もかもが曖昧いい加減で議論するに耐えない。定義を、もっと定義を!! もう本当に凄いいい加減で発狂しそうになる。なんであんな物を材料に皆議論できるんだと不思議でならない次第。一体どんな土俵の上で議論しているのだろう、と私ですら不安になる。いや、私だから不安なのか? もっと理解力のある人ならもしかしたら問題無いくらいにきちんと言葉の定義が為され、議論の土俵が設定されているのかもしれない。または彼らはすでにATフィールドを突破して補完されてしまったのかもしれない。嗚呼、私だけ仲間はずれかよ!!

しかし、私はもうあの魔窟に帰りたくは無い。自由は不安と隣り合わせなのだ。一般の社会通念に照らし合わせてうんぬん、などという言葉がでてくる時点で信用できはしない。萌えという言葉が意外に狭い範囲内でしか通用しないものであったり、たまにそれが通じるかと思いきや雲上私記様との短い意見のやり取りの中で即座に現れたように各人によって相当に理解が異なったりする、そんな世界に生きているというのに一般の社会通念とは何ぞや、となる。あまつさえそんな発言をするのはいきそびれた体つきの猫耳メイドさんが大好きと言う私と同等かそれ以上に世間と隔離された生活を送る裁判官なのである。そんな裁判官が発した判例を駆使して議論をする法律学の分野は、はっきり言ってキモい。ありもしないことをさも存在するかのように話すひげ面のユダヤ人の説のほうがまだ説得力があるというものだ。

そもそも、法律体系の内部にある条文にはすべてある一定の正当性を持たされているというのに、同じ法律体系内の、その体系内部の条文で、別の条文を軸にして立てられた理論の否定が可能なのだ。そして、だからといって議論に(裁判に)負けた際に使用された条文がその後無効となるわけではない。

私にはそれが理解できない。

日本国内においては法のもとに下される裁判所の命令を実力で拒むことはほぼ不可能だ。我々は国家という巨大な権力を相手にデイリー六法(またはポケット六法)を片手に裁判所に乗りこむしか手立ては無い。しかし、その六法の中には矛盾と混乱と曖昧な言葉が無数に転がっているだけなのだ。

メタルキングを前にしてパルプンテを唱えられるほど私は勇敢ではない。確実に1のダメージを与えられるドラゴラムか、聖水を選ぶ。

法律学とはまったく不可解な学問分野であるが、それは私が法律学を良く知らないせいだろうか。いや、私は錯誤のところで嫌というほどその曖昧さを味わった。そして、結局最後に出てくるのは判例なのだ。どれだけ言葉を解釈して綿密に目的へ向けて論理を組み立てても、判例の前には無力なのだ。

ならばそもそも議論など成り立たないではないか、と私は思うのだが、どうもそう言うわけでもないらしい。何なのだろうかこの学問は。

きっと、私には一生かかっても理解できないものだろうと思う。

そんなわけでもやもやとしたものを抱えながら解散。で、友人一人と虎の穴へ。

『餓狼伝14』(板垣恵介・夢枕獏・講談社)、『かっちぇる』(かわくぼ香織・講談社)、『恋風3』(吉田基已・講談社)、『ろしあんるーれっとはいぱー』(荒木京也・エンジェル出版)を購入。

『餓狼伝』は夢枕獏原作の格闘漫画。過去に別の作家が一度漫画化しているのですが、ボリュームの点でもさることながら個人的には画力や見せ方の点で勝負にならないといった感じなので、先にそちらを読んでいる人はこちらを読むこともお勧めします。つーかそんな事言いながら原作読んでないんですけどね。まあ、絵はうまいし展開もうまいし言うこと無し。ただ、コマがでかかったり一ページ一枚の絵が多いので少し物足りないといえば物足りない。何度でも読み返せるのは良いですけど。個人的にはゆっくり一人の戦いに一巻くらい費やしてもらいたい所存。『刃牙』の地下トーナメントのように。今後はそうなるのかなあ。つーか『バキ』の連載やめてこっちにかかりきりになって欲しい所存。

『かっちぇる』はバレー部を作ろう、でがんばろう、みたいな青春漫画。ただ、汗と涙と血と濃い眉毛の劇画漫画ではなく、どこと無くだるい空気の漂うぬるい漫画。でも見せるところはしっかりと見せるし、それが青臭くないので凄く面白い。キャプテンがへたれというのも良い。そして、そのへたれぶりがエロゲーきゃらのどじっ子みたくないのがまた良いです。

『恋風3』はまだ全部読んでません。序盤の話しだけでもうごろごろとしてしまって先に進めません。萌える。

で、『ろしあんるーれっとはいぱー』。エロ漫画。つーか、この漫画の特筆すべきはあばら。あばら骨。まだ体が丸くなっていない所を表現するのにあばら骨が用いられているのですが、強調しすぎ。なんかもう痛々しくって。まあ、それが良いと言えば良いんですが・・・。で、あばら好きな人はお勧め。幼女率高し。でも、あばらのほかにもちと体の書き方が特殊かも。話しの展開は、明るいの多め。

つーか、さいごにこの『ろしあんるーれっとはいぱー』を買ったのですが、それをかばんに詰めているときに気がついた、かばんの中に入っていた大学の図書館の本。

『解放の神学』(G・グティエレス・岩波叢書)

・・・。

ラテンアメリカのほうにいる明日食うものもないくらい貧乏なたくさんのキリスト教信者たちをキリスト教教会が救おうみたいな話し。けど、マルクス様の引用率高し。本当にキリスト教の本なのだろうかと少しいぶかしんでしまう。つーか教会とか裕福な他国の援助は根本的な解決になんねーんだよ! 社会を根本的に革命せよ! 私有財産制度を廃棄せよ! 立て、労働者諸君! モノによる富を廃棄し愛と友情という人としての真の富を得よ! という内容と受け取ってよさそうなくらい社会革命という言葉と愛という言葉を連呼している本もいまどき少ないだろうに。ああ、少し古い本なのかこれは。

で、そんな本と並んで詰め込まれたのが『ろしあんるーれっとはいぱー』。うーん。

まあ、所詮、世の中こんなものだと思う。

そんな一日。


十一月十日の独り言

○朝、二度寝をしたら夢を見る。頭を洗っているところで、ふと姿見を見ると自分の斜め後ろにもう一人の自分が。驚いて振り返ると誰もいない。しかし確かにそこにはもう一人の自分が立っていたはずで、再度姿見を見てみるとやはり自分がいた。で、絶叫。

リアルでも声が出てたらしく、親が慌てて部屋に駆け込んでくる。

・・・。

あの、私、今年で21なんですけど・・・。

夢ネタが多いなあ。なんなんだ。

つーか、大都社からでてる『百合天国』を立ち読みしたら、押田・J・Oがいて笑った。買おうと思ったけれど『うちら陽気なシンデレラ2』(真田ぽーりん・少年画報社)と『あの山越えて3』(夢路行・秋田書店)がすでに手の中にあったので断念。

で、前者は4コマ。安定した笑い。ただ、今回は全体にちと非現実的すぎるネタが多くて清掃会社社員という制約のきつさがうかがえます。テンポが良く面白いので頑張っていただきたいのですが次の巻を出したら終わりじゃないかなあ、と思います。あと二冊単行本は、無理だと思うなあ。

で、後者は都会育ちのお嬢さんが田舎の農家に嫁いでがんばる話。ただ、嫁さんと姑さんの仲は良いし、嫁さんのだんなはもともとサラリーマンで、ある日突然脱サラして実家の農業を継いだという一風変わった設定ですし、田舎の良さを前面に押し出した(たまにいやなところもありますが)ところもあって非常に面白い。嫁さんががんばり屋な所もナイス。『モノクロームガーデン』とか他の作品も面白い、一押し作家です。つーか、このレベルの話しをきっちり月刊で出して単行本、というのは凄いですな。長く続いていただきたいものです。


十一月九日の独り言

SweetMaidGardenでした。エマ・シャーリー中心メイドオンリーイベントです。

雨が降りそうな空模様の中、馬喰町何ていう学生は滅多に使わないような駅で下車して、しばらく問屋街をぶらついた後無事にHaneTamagoのサークル主様と合流。サークル入場まで時間があったので買い物をしてから会場の奉仕会館前で雑談してから、サークル入場。会場は微妙に古かったのですが、名前がこれ以上無いほど笑えるので全然問題無いと思いました。

で、感想。

もう、ほんっっっっっっと良いイベントでした。オンリーイベントならではの良さ、ていうのですか、もう言うこと無しのイベントでしたよ。

開始直後は会場から溢れんばかりにお客が入り、イベント終了間際までお客さんがうろうろしてたり、どこのサークルさんもすげえ気合の入った本を出してたり(ドールとかのグッズサークルも一見の価値ありのものばかりで、もうさいっこう。本もエロ禁止なので好みのものがずらりと並んでました)、イベントの最中に配られた菓子もうまかったりしましたし。

もうそれだけでこのイベントは大成功の部類で参加して良かった、て感じなのですがそれに加えてメイドのレイヤーさんが多い!! めっちゃ多い!! しかも皆ハイレベル! いや、ほんとに凄かったです。大袈裟ではなく全員のレイヤーさんが大型のイベントで見かけたら足を止めるレベルでしたよ。衣装も相当気合入ってるものばっかりで全員揃ってロングだし。ほとんどが黒ワンピースに白エプロン。なにか国家レベルの作戦が遂行されているようでした。

つーかアフターイベントもまじ良かったです。本の朗読とかスタッフのメイドさん撮影とか主催者挨拶(意外に盛り上がって笑いました)とかあって、もうメイド好きにはたまらんイベントでした。しかも、アフターイベントの最後にスタッフのメイドさんが並んで一斉にぺこりとお辞儀をしたのですが・・・。

萌え過ぎ。いや、まじ圧巻でした。

個人的には回っていただきたかったのですが。くるくると、くるくると。

で、今日はHaneTamago様に間借りさせてもらってたんですが、衣装サークル様なのでお客さんにレイヤーが多く、スペースに居ながらにしてかなりの目の保養をさせていただきました。ありがとうございます。

けど、突然話し振られたりしても反応ができず、サークル主様がお客さんと話しているときも隣でボケーっと宙を見つめたままヘロイン中毒患者のように微動だにしていなかったので、なんか暗いオタがスペースにいる、とかお客の人に思われなかったか不安。いやその可能性非常に高いのですが。申し訳無い所存。

で、そんな申し訳無さついでにとんでもないお願いをしてみる。ちと自分でもびっくりするくらいの。いや、だってねえ、こんなイベント来てるような人なら万人がそう思ってるはずですよ。思ってるはず。いや私は思ってます。

が、まじに良いのかなあ、とさすがに思ってみたりもしますが、どうでしょうか、初日のチケットで相殺というのは、とか思ってみたりする。

しかし、その後の問題もあるんだよなあ、ととりあえず頭をひねって部屋をいじくってみる。どうにかなるか・・・。

何の事かは当分秘密です。

つか大変楽しい一日でした。イベントに参加された皆様、お疲れ様でした。本を買ってくださった皆様、ありがとうございました。

さて、次は冬コミの原稿です。相当気合入れないと日程的にまずいです。

そんな一日。


十一月八日の独り言

○コミケ受かりましたー。12月28日の初日、東地区J−51aです。怒首領蜂大往生です。新刊だしますださせます。既刊も当然持って行きますのでよろしくお願いします。

なので、原稿がんばんないと。目標は今月中。

つーか、明日はSweetMaidGardenです。スペースNOはRoseGarden1・2で、HaneTamagoのサークル様に間借りしています。よろしくお願いします。


十一月七日の独り言

○今日は実は一限から授業があったのですが悠々と二限目の時間から登校して図書館に直行。昨日の日記の通り他言語の勉強をしてみる。英語ですが。ちなみにサボった授業は全出席課題全提出が単位取得条件。ふざけんなぼけが。

で、単語をだいぶ忘れてるけども受験期より読めるような気がしてならない。文が簡単なのだろうか。少しリハビリしたら受験問題に移行してみますかな。

しかし、問題はドイツ語だよなあ。こっちは単純に単位もかかってるし、どうにかしたいのですが。どうしたもんだろうか。

○フレイザーの『金枝編』は本がぼろすぎて読む気を無くしたので返却。書庫にもう一組あるらしいけどそっちは綺麗なのだろうか。それにしても本の内容は例、例、例、の嵐でフレイザーの意見などほとんどないような気がする。例とか引用をなくしたらきっちりと文庫本一冊に収まるのではないだろうか。もちろんそれじゃ駄目なんだろうけど。カッシーラーの時もそう思った。ただし、いろんな例を知りたければフレイザーのほうが面白い。模倣呪術の例にはなかなか思いつかないことなんかがたくさんあるので良いネタになります。

つーか、今年もあと二ヶ月切ったのですね。一応自分としてはこの一年で前進があったような気がするので焦ったりとかは無いのですが。

そんな一日。


十一月六日の独り言

○『カオスレギオン−聖戦魔軍編』(沖方丁・富士見ファンタジア文庫)を読む。と、いうか後20ページくらいで読み終わるのですが、どうも読む気がしない。各地で話題になっている人だったので期待して読んだのですが、うーん。なんででしょうか、いまいち盛り上がりに欠けるような気がします。他には『マルドゥック・スクランブル』でしたっけ? そっちはどうなんでしょう。まあ、しばらくは金がないので買えないですが。

で、今日は大学で学内者の転部用試験要項をもらいに入試課へ。タダだった。学外の人間用のは800円もしてたのに。でも試験には35000円も取る。受からないといろいろとピンチ。

あと、この前先生から借りたドイツ語の決定論を論じた博士論文を翻訳してみる。

結果。

一ページの半分を訳すのに二時間。しかもそれが合っている自身は甚だ無い。と、言うか意味の通らない個所が半分くらいある。

まあ、格変化てなんですか、くらいの人間がいきなりこんなものにチャレンジするのがおかしいわけで。つーかネットで独和辞典が使えるのは助かる。辞書を開く手間が省けるとかなり楽。今後ドイツ語の授業の予習に役立てよう。それだけが収穫。この本は来週授業で泣きながら返そうと思います。

で、家に帰って受験のときにやってた英文を読んでみて、その簡単さに感激する。英語、てドイツ語に比べると簡単なんだなあ。文法わかんないけど。いまだに不定詞の意味がわからないけど。五文型も良くわからないけど。浪人して勉強してみても結局わかりませんでした。センター試験の英語、文法のところの点数なんて4点だったし。この日記を見ている人の中にいるかわからないですけど、受験生諸君がんばってください。文法のところが4点でも受かる大学はあります。

そんなわけで日本語も良くできていないのに多言語をもう少しがんばってみようと思った一日。


十一月五日の独り言

○なんかものすごく無駄な時間を浪費しているような、そんな気がしてならないここ数日。

つーか、今日なんて朝の六時に起きてネット回ってから、すげえやる気満万で文章かいてたらいきなり漢字変換の最中に「不正な処理が」のお決り文句を聞かされて強制終了。ぽかーん。400字詰め原稿用紙にして6枚くらいの損害だったけども、ショックはでかい。ものすごいやる気なくしたものの、時間とやる気はまだあったため何とか復活してまた書き書き。そしたら再び不正な処理。鬼切れしてPCを蹴り飛ばそうと(比喩じゃなくて本当に。以前それをやってHDDがスリープモードに入ったまま戻らなくなったことがありました。不て寝しやがった。ドライバーを持ち出して身ぐるみ剥いでやったら目を覚ましましたが(実話))思ったらふと気がついた。

同じ文字の変換で強制終了している。

ちなみに変換しようとした文字列。

「ばいしゅんくつにうられた」を、売春窟に売られた、にしたかったのです。

朝のさわやかな空気の中、ものすごく人として終わっている文字を変換しようとしていたための天罰か、と一瞬思いましたが、別に18禁物を書いてるわけじゃありませんので冤罪だ、と叫ぶ。

で、売春窟に、と漢字を選んでから、売られた、を変換しようとするととまる。で、試しに、うられた、とだけ変換してみると問題ない。にうられた、でも問題ない。くつにうられた、とすると止まった。

難しい漢字が入るとだめなのか?、と思い今度は、かいじん、と入れて灰燼を選びリターンキー。止まった。やはり画数の多い文字を変換するとだめなのか、と思い、今度は、ひろい、といれて変換してみた。広い、おーけー。広井、アウト。

えー?

で、ここでわけがわからなくなり、絶望する。それからふと三日のイベントでのことを思い出す。三日のミミケット、実は思いもよらない人がわざわざスペースに来てくださってて、そこにてアイコンの表示がおかしくなったりフォントを認識しなくなる症状について質問したら解決法を授けてくださりました。で、それを治したらいっしょに治るかも、と希望を抱いてネットにつないで具体的な手順を調べる。

結果。

アイコンの表示とフォントの認識は正常化。

漢字の変換でエラーが出るのはIMEの辞書が死んでいるということも同時にわかる。

で、何とか復旧。現在無事に文字を打てております。

つーかね、もうあれですよ。このパソがちとやばいのは前前からですが、三日のミミケットでいろいろと不愉快だったのは私の日ごろの行いが悪いせいですかね。

いやね、左斜め前に見える大手様の売れ行きが面白いほどすごい、てのは別にいいんですが、私のスペースの左隣のところ。

レイヤー様の集合場所になっていて、うざい。いや、私はどちらかといえばレイヤー様万歳派ですよ。しかし、しかしね。

突然奇声をあげたり、売り手側の席で椅子を二つ並べて明らかに私の座る場所を圧迫しているにもかかわらずこちらに背中を向けて無視を決め込んで談笑していたり、数人が集まって人のスペースをふさぐように談笑してたりするのはいかがなものかと。

しかも、いや、実はここが一番重要なんですけどもね、新しいレイヤーがくるたびに傷のついたCDみたいに「かわいいかわいい」を繰り返すのでついついそちらを見てしまうんですがね、一人を除いては俺がその服着たほうがかわいいだろくらいの勢いなのですよ。

ほんとむかついた。不愉快な所業に対して何もいえない自分にもむかついた。だって下手に注意してナイフで刺されたり逆ギレされたりしたらいやだもの。

まあ、イベント自体は良いイベントだと思うのですが、こういうのが隣にくるとなんともしがたいいやな気分に。

で、イベント終了。帰り際に片付け途中だったサークル様の机の上にいい感じの本があったので一冊購入。表紙買いだったので絵は満足なのですが内容はあまり。深夜番組に出てくる芸人みたいな感じでした。今後に期待。

それから池袋に行って大学のサークルの連中と一人暮ししてるやつのところで鍋。一人がドタキャンして材料費が跳ね上がることに。ざけんな。九日のイベント行けないんですけど。

で、いろいろとあってから一人が帰り、三人残ってまったりムード。午前二時を過ぎたあたりであまりのたるさに私が映画を見たいと駄々をこねたのでビデオとか借りに。一時間以上議論を重ねた結果『攻殻機動隊−GohstInTheShell−』を見る。結論。銃撃戦のところは面白いけど、ストーリーとしてはなんとも。時間を倍くらいにして話を長くしたら面白いだろうと思いました。最後、あっさりしすぎ。

で、早朝に帰宅。

つーか、まだ暗い池袋の街をふらふらと歩いているとき、隣を歩いていたやつと話した内容も鬱でした。正確には覚えてないけど、流れ的には次のような感じ。

「なあ、T氏はなんであのメイド78%ナース22%の娘さんを手に入れたと思う?」と私。「なんでかなあ」、と隣の奴。

「しかも、向こうから誘ってきたんですよ? ありえない」

「甘いものを食べにいきませんか、だっけ」

「あれ、そんなことも言われてたの? バイト大変ですねー、じゃないの?」

「甘いものがどうのとも言われてた」

「あれだな。何故奴なんだと。つーか俺達とどこが違うのかと。問い詰めたいな。やっぱ気のつき方かなあ。よく気がつくからなあ」

「アー、ほんとなんだろ。まあ、それもあるだろうけど・・・」

「・・・」

「・・・」

「いや、でもさ、あれだな」

「なに」

「もしお前自分のところにそんな話来たらどうするよ。甘いもの食べにいきませんか、とか」

「あー・・・」

「俺は間違いなくいたずらだと思う」

「あぁ、思う思う。つーか返信する。メールアドレス間違えてますよ、と。私は二年のKですよ、と」

「どこかに呼び出されても時間どおりには絶対いかないな。十分くらい遠くから見てるな。周りに人がいて笑い者にしているんじゃないかと伺うな」

「絶対する。間違いない。メールなんかも返信した奴を見て笑ってるかもしれないと思う」

「やっぱり思うか。思うだろ?」

「当然。絶対思う」

「・・・」

「・・・」

「お互いにろくな人生歩んでないな」

「な」

「つーか、この辺が選ばれる奴と選ばれない奴の差なんだろうね」

「だと思う。つーか甘いもの食べにいきませんかとか誘われて万が一それがからかいではなかったとしても、甘いものなんてどこに食べにいきゃ良いのか途方にくれる。甘いもの、甘いもの・・・サ、サイゼリヤ?」

「二人でひとつのドリンクバーでな!」

「お金ないんですか? とか言われてな」

「お昼御飯一緒に食べませんか?とか言われても金ねえよごるあ!の一言だな。飯より本だよ本、と」

「休みの日もあれだしな」

「日曜日予定あいてますか、とか言われても イ ベ ン ト ですだな。来ますかと。貧乳オンリーイベント(実在。来年二月八日)とかに」

「ありえない」

「ありえないね」

で、似たような思考経路と人生を送ってきた二人でそんな虚しくオタク臭い会話を爽やかでまともな社会人はばしっと仕事に行き始めている朝の池袋でやって、帰宅。シャワー浴びてから爆睡。いったん電話で十二時ごろに起きたものの(茗荷さんすいません。かなり夢うつつに対応していたような気がします)再び爆睡。目を覚ましてから少し文字を書いて飯食ってからまた爆睡。目を覚ましたのは朝六時。で、この日記の先頭に戻る。

そんな数日。


十一月二日の独り言

○明日はイベントです。

耳ケットです。

都産貿5F、スペースはう−12です。オリジナル猫耳メイド小説です。この前のにゃんふぇすで出した奴ですが。

で、その六日後にはメイドオンリーイベント。さらにその二週間後には創作畑の予定。つーか創作畑、まだ連絡何も無いけど良いんだろうか。週明けに連絡来るのかなあ。

そんなわけで、明日は皆様宜しくお願いします。


十一月一日の独り言

○夢を見て号泣してしまう。(実話

意味わからん。

泣いたのなんて久しぶりですよ、目を覚ましてからすぐに我に返って泣きやみましたが。

これが猫耳メイドさんならば、よしよし私の腕の中でお泣き、とやるのだが。

凄い驚いたので日記にしたためておく。


十月三十一日の独り言

○世界が決定論的であるためには、全ての物事が無条件に必然的でなくてはならない。

何故なら、無条件に必然的でなければ、ある条件においては必然的では無くなるかもしれず、それは間違いの無いことだからである。少なくとも、世界が決定論的であるなどとはとても言えないだろう。

ただ、だとすると奇妙なことになる。

あらゆる結果に至るあらゆる過程は無条件に必然的でなければいけないのに、そのような「あらゆる結果に至るあらゆる過程は無条件に必然的」であるためにはまさしく「無条件な」という条件が必要だからである。

世界が決定論的であるためには無条件に全ての物事が必然的であると言う条件が必要である。

これは、世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的でなくてはならない、に反する。

だとすると世界は決定論的では無いのだろうか。少なくとも全ての物事が無条件に必然的であるとは言えなくなる。と、なればやはり世界は決定論的では無い様な気がする。

そして、その結論は誤っている。

なぜならば、「世界が決定論的であるためには」、「すべての物事が無条件に必然的でなくてはならない」、とした場合、後者の「全ての物事が〜…」の「全ての物事」に、「世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的でなくてはならない」という事が含まれているからであり、即ち「全ての物事が無条件に」と言っているその事がすでに「世界が決定論的であるためには」としてある事の条件になってしまっている。

即ちここにはそもそも矛盾が含まれているのであり、世界が決定論的であるか否かの結論を下す事が不可能になっている。

そして、その結論も誤っている。

何故ならば、世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的である、というその事その物が無条件に必然的であると言う事を我々は容易に主張する事が可能だからである。無条件に必然的であるのならば、「以下の理由によって」などの根拠・条件を必要としないからである。

だとすると、世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的である、という主張は「全ての物事」、の中に「世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的である、という事を主張すること」も含まれるのであるから、それが無条件に必然的であるという主張なのでそもそもその理由を説明する必要がない。また、その説明など不可能なのである。

何故なら、全ては無条件に必然的であるからである。しかも、これは逆の主張、即ち「世界が決定論的であるためには全ての物事が無条件に必然的である、という事を主張しないこと」すらをも必然的なことの中に含むことができる。挙句、その説明は必要無いのである。

そして、その結論も当然誤っている。

何故ならば、我々は我々自身を含まない世界を見ているわけではなく、我々自身が含まれている世界を考えているのであり、少なくとも「世界が決定論的であるためには、全ての物事が無条件に必然的でなくてはならない」という主張から世界は決定論的であるのか否かに関する議論を行っている時点で、世界は決定論的では無い。

もしもそれでも世界は決定論的であるというのならばそれはもはや形而上学的な決定論であり、それはそもそもの前提である「我々は我々自身を含まない世界を見ているわけではなく、我々自身が含まれている世界を考えている」ということを無視している。

我々が我々自身を含まないで考える世界は既に異世界でしかない。

ラプラスの悪魔が未来予測のための情報を収集しようとしても、それは未来予測を行う前の情報収集であるのだから自分自身の情報を未来予測のために必要なある瞬間における世界の全ての物質の位置と方向と運動量として収集しきれるわけが無く(ラプラスの悪魔が自分自身の情報を収集したというその時点ですでに、ラプラスの悪魔が自分自身に関して集めた情報は過去の遺物になってしまっている)、自分がこれから知ろうとする事を前もって知る事は出来ない、という極めて単純なる罠に落ち込むことを避ける事は出来ない。

これは我々がいかように物事を客観的に考えようとしても究極的には主観的にならざるをえない事実によっている。

よって、「世界が決定論的であるためには、全ての物事が無条件に必然的でなくてはならない」という主張は我々には主張が不可能な事である、という結論が最も相応しく、それが示す所の物は世界が決定論的であると言うことでも無く世界が非決定論的であると言うことでもなく、それが論理的に矛盾しているわけでも、全てが無条件に必然的であると言っているのであり尚且つそれを否定する根拠が無いのだからそもそもこの主張は主張した時点で成り立っている、というわけでも無い。

ただ単に、我々にはその主張が不可能なだけである、という事に他ならないのである。

しかし、現に私は冒頭でそのように主張している。

さて・・・。