●日本文学演習I 今回のテーマ

「ちびくろさんぼは
差別図書か?
(出版してよいか?)」 
 
 


『ちびくろさんぼ』(原題 THE STORY OF LITTLE BLACK SAMBO)は、インドに滞在していた英国人女性ヘレン・バナーマンが1898年、自分の子供に送った手作りの絵本です。日本でもこれまで、岩波書店の「ちびくろ・さんぼ」をはじめ、多くの「さんぼ」絵本が出版されてきましたが、「"さんぼ"は黒人に対する蔑称」「絵が黒人ステレオタイプ」などの批判があがり、1988年から翌年にかけて一斉に絶版となっています。現在、研究者向けの原著『ちびくろさんぼのおはなし』が出版されていますが、子供向けの絵本は絶版のままです。果たして、『ちびくろさんぼ』は差別図書なのでしょうか、そして出版してはいけない絵本なのでしょうか? 今回のディベートでは3位決定戦としてこのテーマを選んでみました。 
 
肯定側: 比嘉・島袋・長田  / 否定側: 新里・佐渡山・後上里 / 司会: 桃原
審判: 下田・仲宗根・国吉・幸喜・島袋・上原・屋嘉部・喜納・諸見里・安里・島袋・宮城・太・諸見里・具志堅・村山・漢那・伊元・仲村・中村・国場 / 撮影: 島袋愛
MDおこし(書記): 比嘉・島袋・長田

 

 


 


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 2001年8月1日 更新

 

 

   
肯 定 側 の 立 論
 
   
立論の内容
写真など
司会者:これから「ちびくろさんぼは差別図書か?」という問題についてのディベートを行ないます。
まず賛成の立場、つまり「ちびくろさんぼは差別図書である、よって出版してはいけない」という立場からの立論を行ないます。肯定側の皆さんお願いします。


 
『ちび黒サンボ』は現在絶版となっています。なぜかというとその作品には黒人差別の要素を多く含まれているからです。世の中には差別の要素の含まれているものが数多くありますが、中でも黒人差別の問題は特に深刻で、今でも差別が続いています。このような差別が残っている作品を出版すべきではありません。それをふまえてこの作品の差別的部分を3つ紹介します。

1) 名前にみる差別表現
 
一つ目は差別語を使用しているということです。サンボという言葉は黒人への別称でだらしがない、ニタニタ笑う、白人に従う、などという意味があります。また、母親の名前がマンボ、父親の名前がジャンボ、並べてよむとちんぷんかんぷんとなり、訳がわからない、という意味になります。黒人の社会でもサンボという言葉はあまりよく思っていません。

2) 絵にみる差別表現
  
二つ目は絵が差別的ということです。日本で出版されているサンボの絵は、肌が黒い、目がぎょろっとしていて、唇は厚く、髪は縮れていて、悪いステレオタイプとして書かれています。また、原作では日本版みたいなステレオタイプではありませんが、原色の服ばかりをきて、服のセンスがなく、醜く描かれていることです。
 
3) ストーリーにみる差別表現
 
三つ目は、物語が差別的ということです。裸でジャングルを駆け回り、サンボは虎に襲われても抵抗することができない弱い少年、しかも、パンケーキを169枚も食べるという異常な食欲をもっていると思われています。これを黒人はどう思うのか。白人に従ってきた社会を象徴し、今でも形を変えて続けている姿なのです。暗くて辛い過去と、その過去の傷が未だ残っている現在を届けるような作品は黒人にとって、嫌悪し受け入れられない作品です。
 
よって私たちはちび黒サンボは出版すべきではないと考えます。

×
  

 

 

   
否 定 側 の 立 論
 
  
立論内容
写真など 
司会者:次に否定の立場「ちびくろさんぼは差別図書ではない、よって出版してもよい」という立場からの立論を行ないます。では否定側の皆さんお願いします。



 
ではこれより否定側の立論を三つの論点から行います。

1) 優れた児童文学作品である
 
まず一つ目にあげられる点は、『ちび黒サンボ』が物語として非常に優れた作品であるということです。虎になんども食べられそうになりながらも、とっさの機転で切り抜け、さらにそこからの逆転劇と予想もつかないコミカルなストーリー展開。ぐるぐると回り続けた虎がバターになるシーン。そしてサンボが169枚も食べたというパンケーキはいったいどれだけ美味しかったのだろうと、幼心にわくわくしながら絵本に読み入り、その日のおやつはパンケーキがいいと、母親に頼んだ方も多数いらっしゃることでしょう。児童文学は読むことで感動を与え、情操面でよい影響を与える目的があり、この絵本はそれらすべてを満たしています。子供がわくわくしながらよみ、感動し、情緒豊かにする効果が『ちび黒サンボ』にはあるのです。『ちび黒サンボ』が日本でベストセーラーになっただけでなく、現在でも世界各国で出版、販売されていることがその証明であるといえるでしょう。そのようなすばらしい物語を、なにも考えずに差別的である、と声高にわめきたて、絶版においこむということは、非文化的行為であり、あってはならないことです。

2) 文学史上、大きな価値を持つ
 
二つ目の論点としては、サンボが児童文学的にみて、重要な作品である。という点があげられます。バナーマンがちび黒サンボをあらわし、イギリスで初めて販売されるまで、ヨーロッパで読まれていた絵本は、童話・グリムなど、民話や伝承を元に書かれたものでした。『ちび黒サンボ』は作者であるバナーマンの完全なオリジナル作品であり、現代においては、欧米で初の古典となったオリジナルの児童文学作品であるといわれ、後生の児童文学界に多大な影響を与えた作品です。有名なところでは、あの『ピーターラビット』の作者は『ちび黒サンボ』の絵本としての表現方法に影響を受けたといわれています。先ほどの立論?において、私たちは『ちび黒サンボ』が物語として、優れた作品であると述べました。しかし、それだけではなく、児童文学史的観点からみても重要な文化的価値を持っています。よって、この作品が失われることの文化的損失は大きく、それをおしてまで、絶版にするほどの重大な理由は存在しないと考えます。

3) 差別性は確定したわけではなく、表現の自由の侵害
 
最後の論点として、文学作品を満足な議論も行わずに差別書として決めつけ、絶版へと追いやることは表現の自由に対する侵害である、ということです。『ちび黒サンボ』はたった一人の日本人の少年の発言と、他の黒人差別反対キャンペーンのとばっちり、そして、思考力と判断力を欠いた、事なかれ主義の出版社によって、問題・抗議発生から非常に短い期間で、日本の書店から姿を消して、そのような現状のまま現在にいたっているのです。つまり『ちび黒サンボ』は、本当に差別書なのかどうか未だに満足な議論が行われていないのです。このように明確な結論を出さないまま、感情論によって、一方的に絶版となっていることは表現の自由の侵害であると考えます。それ以外にも、『ちび黒サンボ』が差別書であるという根拠自体にも、邪推やこじつけが多数含まれ、不適当なものであるという考えもありますが、こちらについては反論・反駁において話していきたいと考えています。
 
以上三点の論点から、『ちび黒サンボ』が差別書ではなく、絶版は不当な処置であるということについて、立論をいたしました。これで否定側の立論を終了します。

×
 

 

 

  

   

   
否 定 側 の 尋 問
 
  
尋問の内容
写真など
■尋問1 
否定側 「一番の立論の差別語を使用している、というもので、差別語というものはあの四つでよろしいでしょうか?その中に、ちび黒の黒という言葉が差別語として規定されているが、黒というのは特に害のない色をしている日本語であって、それを差別語と、使用しているとしている論拠をお聞かせ願いたいと思います。」
肯定側 「ちび黒の黒っていうのは、その言葉がサンボの名前の前に必ずついていますよね?この黒っていうのは確かに色を表す言葉かもしれませんが、サンボっていう言葉がもともと有色人種を指す言葉なんですよ。その言葉の上にまた、黒っていう言葉を重ねることによって、体の肌の色の黒さを強調していることにつながるんですね。そのためにそれを差別語として私たちはあげました。
否定側「三番の物語が差別的というところに強いものに無抵抗ってあるんですけれども、サンボは幼い少年ですよね?その幼い少年が虎にであってはたして何か抵抗ができるのか疑問があるんですが?

司会 「その回答は反論でお願いします」



■尋問2 
否定側 「ストーリー性の差別の中でそっちは二つあげてますよね?強いものに無抵抗と、異常な食欲だけでよろしいでしょうか?他にも落ちているバターを食べるのが不潔だとか、いつも裸でいるのは未開の土地に住んでいるイメージを植え付けるっていうのは触れなくてもよい?」
肯定側 「すみません、書き忘れです。」
否定側 「2の絵がステレオタイプの下のほう、例がだされているのですが、説明していただけますか?」
肯定側 「黒人のステレオタイプの例を挙げたのですが、私たち自体が黒人ではないので、私たちの近い、アジアの中国人を例にあげてみました。中国人をステレオタイプでかくと、目が細く、髪が弁髪でかかれたり、このようなアジアの食品の宣伝などではアジア人は出っ歯で表されたりする。私たちがこのように書かれるのと黒人がかかれてるものが同じである。」
否定側 「不快に感じているというのを聞くことができたが、上に書かれているような黒人の絵が悪いということでしょうか?こうゆう特徴がひどく誇示されている絵がまずいと?」
肯定側 「原作も含めてステレオタイプがまずいということです」
否定側 「原作を含めてとはどういう意味ですか?」
肯定側 「上げたものではなく、これは例なので。同じような書かれ方がちび黒サンボの絵も描かれているので、原作も含めて、ということです。ステレオタイプっていうのは、目が大きく、あまりにも唇が誇張されている。次に黒を強調している。同じ有色人種なんだけれど黒を強調している、だから黒を強調した肌、それで原色を好む。赤いシャツ、青いズボン、紫の靴にみどりの傘、これらのことを強調して書かれていることがステレオタイプである。」
×

  
 

   

   
肯 定 側 の 尋 問
 
  
尋問の内容
写真など
■尋問1
肯定側 「立論2のほうで非常に短い期間で絶版になったといっていたんですが、どのくらいの期間を非常に短いといっているのでしょうか。」
否定側 「配布資料の下の方に、『ちび黒サンボ』絶版までの推移として乗っています。7月に報じられ、抗議を受けてから三ヶ月で絶版を決定しています。わずか三ヶ月という短い期間です。」
肯定側 「最終的に書店からなくなったのはどのくらいの期間で?」
否定側 「書店を一軒一軒まわった訳ではないのでわかりません。」
 

■尋問2
肯定側 「先ほどの立論で、サンボは物語として非常に優れた作品であるとおっしゃいましたけど、その証拠、どんな風にすぐれていたのか?」
否定側 「読み物である以上、面白くなければ人気がなくなり、売れなくなります。それが出版されてから今まで、十年とか二十年とかいう単位ではありません。その期間、売れ続けて、世界に広まっている。アマゾンの(インターネット)書店なんですけども、フランス語・ドイツ語・英語もありますし、日本語もありました。他の国ではまだ売られています。これだけの命脈を保ってきた本が果たして面白くないという、まぁ結果論になるんですが、面白くない本は長続きしないというのがまず一つ私たちの意見としてあります。それで、世界名作童話集などに収録されたりしません。(面白くなければ)また、発売されてから絶版になるまでに130万部、岩波書店からだけで33万部でています。」

■尋問3
肯定側 「立論2で、『ピーターラビット』の作者が影響を受けたっていうもので、どのような影響をうけたのか、また他に影響を受けたものがあるのか?」
否定側 「資料にあるように、本の大きさが同じで、構図もほぼ同じである。片側に文章があり、もう片側に絵が乗っている。作者本人も書き方をこうした、といっていた。他には日本だと、『ぐりとぐら』読んだことあると思いますが、ケーキを焼いているところで、『ちび黒サンボ』を子供たちに読み聞かせているときに、すごく楽しそうにしていて、園長先生がパンケーキを焼こうといって、みんなで食べているところから、この話のあらすじを思いついた。他には日本では有名ではないけれど、モーリスセンダックという人がサンボの影響を受けているといわれている。」

×

 
 

    

   
反 駁
 
  
尋問の内容
写真など
司会者: では次に反駁に移ります。挙手をして司会者の許可を得た上で自由に発言して下さい。相手の立論への反論、反論に対する反論がない場合は相手の意見を認めたことになりますので注意して下さい。

肯定側: 結論の一つ目にサンボは物語として非常に優れた作品である、とでましたが、そんなことはありません。この作品の原作者は、差別主義でありましたので、この作品はやっぱり差別が含まれているといえます。なぜ差別主義だったのか、というと、『ちび黒サンボよすこやかに蘇れ』、という本の127ページに書かれているのですが、バナーマンの生活は当時のインド駐在の役人にしては質素であったとされているが、召使いの頭、食卓用ランプや刃物を手入れする下働き、乳母、料理人、廊下やベランダの掃除をする下人、糞尿を処理する掃除人などの、家事労働者を使っていたこと、があげられます。これは事実ですね。これでは農園こそもたないものの、南部奴隷制のもとにおける奴隷主人と変わらないような、植民地生活を過ごしていたことになります。このような生活を過ごしていた原作者が、差別の意図なく書いたとしても、やはり根底では差別主義者となんら代わりはないものだったと考えます。
 
否定側: 何人も召使いを使っているといっていましたよね。確かにイギリス人の上の階級の人は確かに召使いを使うのはあるのですが、バナーマンのような中流階級人たちは一人か二人なんですよ。その一人か二人の人がすべての仕事をするんですよ。でもなぜインドにおいてこんなに多くの人を使っていたのかというと、インドにはインドの制度があって、カースト制度というのがあって、位によってできる仕事が細かく決まっている。そのため、バナーマンたちはインドに住むからには使いたくなくてもインドに住むからには、インドの風習に従って使っていた。もし差別主義なら、インドの風習はいらない、私たちは私たちでこの人数しか使わないと言い切る方が、差別主義であって、インドの風習としてあるならば、しかたないのでインドの制度に則って使うっていうのが、差別主義と言うよりは相手の文化を認めて受け入れたといっていいと思うのですが、どうでしょう?
 
肯定側: もともとこの作品が書かれる時代、やっぱりバナーマンはイギリス教圏内の人ですから、人類みな平等と教えられたかもしれません。黒人を白人より絶対的に劣等視する習慣はキリスト教圏内においてなかったと言えるでしょう。しかし、17世紀頃、西インド諸島において、イギリスがプランテーション経営を大規模に展開します。その際に、アフリカ大陸から、黒人奴隷を購入して、そこで労働者として酷使するようになりました。そのとき、黒人奴隷の売買を正当化する根拠が必要となりますよね、そのために黒人が怠け者で野蛮であり、常に保護観察をする必要がある、という議論がイギリスで展開されます。その結果、肌の色が一生変わらないことを理由に、黒人は教育しても進歩がないとされ、一生奴隷として白人の主人に仕えるべきだ、という風にイギリスで決定されています。また、黒人が普通の人間と、つまり白人と異なる怪物であると印象づけるため、人並みはずれた腕力、食欲、性欲を有する、という風にされていました。当時のイギリスでこういう風な社会の流れがあったので、やっぱりバナーマンは差別として書いてないにしろ、こういう社会の流れを受けて育ってきたのですから、意識してないにしろ、根底では差別主義者であったと言えると思います。

否定側: イギリスで一般的に思われていたことですよね?バナーマンはその当時確実にイギリスでその教育を受けていたのですか?

否定側: バナーマンはイギリス人ではなく、スコットランド人なんですよ。確かに同じ圏内かもしれないですけれど、確実に触れたという保証はありませんよね。たぶんこの教育を受けてたからこの人は差別主義者だ、と決めるのはちょっと辛いと思うんですけどどうでしょう。
 
肯定側: それでしたら、先ほどいったバナーマンはカースト制に則って、奴隷をとったといったのですけど、バナーマン自身の気持ちがわからないから、バナーマンが本当に嫌がってとったのか、もしかしたらバナーマンは、この教育を受けていて、奴隷をとるのは当たり前と思っていたのかはわからないと思う。
 
否定側: いいですか?今の発言を聞くと、お互いに決定打が無いので今の会話はまったくの無意味であったとしてよろしいでしょうか。

否定側: もし差別主義者の書いた本が差別的な本だとするなら、犯罪者の書いた本なんて出版できませんよね。この本を読むとみんな犯罪者になってしまう、みたいな。有名な福沢諭吉は朝鮮人に対してかなりの差別的意識を持っていたといわれているんですよ。でも、学問のすすめをみても差別図書だと言わないですよね?つまり、作者の人格と文学としての作品は別にみるべきであると考えるんですけど。
 
司会: でも肯定側は差別がストーリーにも反映されているっていってるわけね、じゃぁストーリーについてなにかありますか?
 
否定側: じゃぁ、落ちているバターが不潔だというのなら、『ヘンゼルとグレーテル』あれどう考えても、地面に落ちてるお菓子の家を食べてますよね。だって大きなお菓子の家が落ちてたんですよね。んで、風雨にさらされたり、獣がマーキングしたかもしれない家を食べるわけですよ。すっごい不潔だと思いません?それだったらこれは白人差別の本になり、絶版にしないといけなくなりますよね。次は異常食を。いっぱい食べた、という童話ですよ。そんな、美味しかったと読みとれる表現なわけですよ。無理矢理黒人差別に繋げなくても、あっ、美味しくていっぱい食べたんだな、ちび黒サンボはどんどんたべたんだな、っと、んでパンケーキの大きさがどのくらいかわからないじゃないですか、こんぐらいかもしれないわけですよ(約半径3cm)。そういうふうに、普通に読んでて、僕らは、あぁ美味しかったんだ、以上の感覚を得ないわけですよ。んで、あっ、黒人ってこんなに食うんだ、野蛮!とかは感じないと思われるんですよ。感じました?
 
肯定側: うん
 
否定側: あと、ストーリーでいつも裸で歩いているから野蛮人、っていうのありましたよね。いつも裸で歩いていて野蛮人っていうのなら、まだ裸で未開の地にすんで暮らしている人たちもいるわけですよ。このように、ラニ族っていう裸で暮らしている人たちもいるわけですよ。んで、こうやって裸になってるのが自分たちにとって差別だっていうのなら、この裸で暮らしている人たちにたいして、こんなやつらと一緒にすんなよ、っていうことなんですよね。だから彼らに対する差別だ、逆に彼らに対する差別だ、と思いません?それに彼らが未開で野蛮というのは、単にこちらの主観であって、彼らは彼らで文化があって、それを守ってまだ生きているわけですから、そんな、他人の水にそれは野蛮だ、というのはおかしいと思う。(裸=野蛮ではない)
肯定側>では、いろいろ言っていましたが、しかし、やっぱり黒人のことについては、私たちは当事者では無いので、やっぱり当事者になってみないと、あまり考えがまとまらないと思うので、当事者になってみましょうってことで作ってきましたので、みてください。

<ここから肯定側の作った紙芝居を上演>
もし、日本人が同じようにアメリカでこういう本を書かれたらどうなるか、というのを感じてもらおうかと思ってかいてきました。
 

 
ちびきいろじゃっぷ
『ちびきいろじゃっぷ』、むかしあるところに、黄色い男の子がいました。名前をちびきいろじゃっぷといいます。
お母さんのにっぷは、ちびきいろじゃっぷに、綺麗で可愛い赤い着物と、綺麗で可愛い青いズボンを作ってくれました。
お父さんの黄色ちょこりは、市場に行って、綺麗な緑の傘と、紐が真っ赤で可愛い下駄を買ってきてくれました。
 
ちびきいろじゃっぷは素敵な着物を着て綺麗な下駄を履き、傘をかぶって田んぼのあぜ道を散歩しにいきました。しばらくいくと、シロクマがでてきました。そしてシロクマは言いました。
「ちびきいろじゃっぷ、お前を食べてやる」
そこでちびきいろじゃっぷはいいました。
「お願いです、シロクマさん。僕を食べないでください。僕の綺麗で可愛い赤い着物をあげますから」
 
すると、シロクマはちびきいろじゃっぷから着物を着て、「ようし、これで俺様はこの森で一番立派なシロクマになったぞ」と言いながら、どこかへいってしまいました。
その後も、ちびきいろじゃっぷが歩いていくたびに、シロクマに出会い、二匹目のシロクマは、青いズボンを、三匹目のシロクマは、紐の赤い紫の下駄を、四匹目のシロクマには、緑の傘を取り上げられてしまいました。
 
可哀想なちびきいろじゃっぷは、悪いシロクマたちに素敵な服を全部とられて、泣きながら歩いていきました。しばらくすると、恐ろしいうなり声が聞こえ、ちびきいろじゃっぷは食べられないように、と茂みに隠れ、そっとあたりをみまわしました。
すると、シロクマたちが、誰が一番りっぱなクマなのか、争っていました。そのうちシロクマたちは互いの尻尾に食いついて、井戸の周りを囲んでしまいました。そこでちびきいろじゃっぷは綺麗な服をみんな着て、歩いていってしまいました。それをみたシロクマたちは怒って、お互いに相手のクマを食べてしまおうと、井戸の周りをものすごい速さで回り続けました。走って走って走り続け、とうとうすっかり溶けてしまいました。
 
井戸の周りに残ったのは、餅の池だけでした。そこへきいろいちょこりが大きな壺をかかえ、仕事から帰ってきました。そして、溶けたシロクマたちをみて、「やぁ、なんて素敵な餅だ」。家に持ち帰って、きいろにっぷに料理してもらおう。そして溶けた餅を全部壺に入れて、きいろにっぷにもって帰りました。きいろにっぷは大喜び。すぐにおはぎを作って、「みんなで食べましょう」と言って、おはぎを作りました。
 
それからみんなで座って食べました。きいろにっぷはおはぎを27個食べました。きいろちょこりは55個も食べました。けれども、ちびきいろじゃっぷは169個も食べました。とてもおなかがすいていたのですね。おしまい。

 
肯定側: 今の紙芝居をみて、最後の、こんなにおはぎいっぱい169個も食べるシーンどうでしたか?気持ち悪くなりませんでしたか?私たちは書いててすごく気分悪かったです。今、書かれた紙芝居のような、日本人が本当にいるでしょうか。この紙芝居でみたように、『ちび黒サンボ』の絵本にも、やっぱり非現実的な黒人像が描かれていると、見えます。
 
否定側: もう感動しました。僕も、日本人差別はいけないと思いました。というわけで、『ものぐさ太郎』、という話を出版禁止にしましょう。ものぐさ太郎は、村人の百人分のおにぎりを一人で食べてしまうお話です。日本人は異常食欲を持っているという差別を植え付けます。発禁にしましょう。
 
否定側: さっきありましたよね。サンボっていう名前が、サンボ、ジャンボ、マンボ、っていうのが差別的だっていうのと、黒いから差別的だっていうのと比べて、ジャップとニップとチョコリという名前をつけてましたよね。まず、黒っていう言葉に関してですけれど、黒人はブラックイズビューティフルという運動を起こして、黒いことは美しいっていう運動を起こして、すでに、黒だ、っていわれることに、劣等感っていうか、差別だ、って感じたりしないんですよ。自分たちの黒は美しいっていい張って、別に黒って言われることに、悪いって印象を受けたりしないんですよ。でも、それだと日本人がイエローって呼ばれることに対しては、まぁ抵抗があるかどうかわかりませんけど、あとジャップっていう名前つけられてましたよね。ジャップって言うのは白人とかが日本人を、差別的な言葉なんですよ。ジャップっていう言葉は他になにか意味があります?差別以外に。ないですよね?でもサンボは差別語しかないと言い切ったじゃないですか。でもサンボには様々な説があるんですよ。サンボには優秀、ジャンボには大世界、マンボにはたくさんのっていう意味があるんですよ。また、インド北方のヒマラヤには今現在、サンボっていう名前の人がたくさんいるらしいです。探せばすぐに見つかるらしいです。ここで、一概にサンボは差別語だと決めつけるのは、この人たちにたいする差別だと思うんですよ。サンボは差別語だから使わないでおこうっていうと、その人たちに名前を変えろって言うんですか?
 
肯定側: サンボっていうつかわれる名前が多いって言いましたが、しかしそのサンボっていう名前が多いのはその地域だけじゃないですか。一部の限られた地域だけで、しかしサンボって聞いて、大多数の人は差別語だと感じる人が多いと思います。だから、この地域では確かによい意味で使われているのは知っているのですが、しかし私たちは黒人自身がサンボを読んで、不快だと感じている意見がいくつもあるので、それも無視できないと思います。
 
否定側: 無視できないっていうことは、やはりその人たちに名前を変えろと?
 
肯定側: いや、それは
 
否定側: じゃぁ、無視できない、小さな意見だけど無視できないっていっているんですけど、じゃぁ、差別語だって決めつけたんですか?つまり、サンボって言葉は完全な差別語じゃなくて、差別語だと勘違いする、または受け取る人がいる可能性のあるってことなんですよね?
 
肯定側: サンボって言葉の意味を知りたいんですか?
 
否定側: 意味ではなくて、差別語って書いてありますよね。差別語で決定?世界中どこででも?

肯定側: じゃぁ、サンボって言葉は世界中どこで使われても優秀って言葉なんですか?

否定側: 世界のどこかでいい意味で使われている言葉がどっかで悪い意味で使われている可能性もあると。で地方では使い方が異なっていてもそれはそれでいいと。日本でサンボっていう言葉を使っても、僕は20年間知りませんでした。日本ではサンボっていう言葉は差別語として使われているのではなく、名詞として使っているんです。ちび黒サンボの少年のサンボっていう名前としか認知されていません。大多数の人が、日本の。言葉に対する価値観の相違が存在するのであれば日本では日本なりのサンボの使い方がいいと思うんですけど、それについてはどうですか?インドではいいんですよね?
 
肯定側: インドでは?
 
否定側: だからいい意味で使われているサンボはインドでは肯定するんですよね。アメリカでは悪い意味で使われていて、それはそれで悪いと。日本で大意がなく、サンボって言葉が使われていて、もう名詞として定着してしまっているんですよ。
 
肯定側: 本当に大意がないのでしょうか?
 
否定側: 自分はないです。
 
肯定側: 日本に『ちび黒サンボ』がはいってきたのは、アメリカを経由してですよね?このアメリカを経由しているということは、少なからずとも、アメリカでこの差別という言葉を使われて、この差別意識も含んで経由しているのではないでしょうか?なぜかと言うと、原作は日本では出回っていませんよね?日本では販売されていませんでした。原作は。一番主流なのは岩波書店の『ちび黒サンボ』です。この『ちび黒サンボ』の挿絵を描いたのはアメリカ人です。アメリカ人が差別というか、アメリカ人は悪い意味で捉えていたと認めましたよね?もしこの悪い意味でとっているアメリカ人が描いた挿絵を普通に私たちはサンボとしてうけとめているじゃないですか。てことは、そのアメリカ人を経由して、少なからずとも私たちも、このサンボ=差別ということ、をこういう絵で覚えてしまっているんじゃないでしょうか。サンボっていう名詞が出てきた時に、原作の絵と岩波の絵のどちらがでてくるかって、岩波がでてきますよね。
 
否定側: ???????????????(音声判読不可)
 
肯定側: 本当に思いません?黒人はこんな色が黒いんだ。とか思いません?
 
否定側: いや、直接的に別にアメリカの話じゃないし。
 
肯定側: みなさんはどうですか?
 
否定側: じゃぁ、サンボっていう言葉が差別語として使われていたんだとしたら、改めて別の名前を使えば出版してもよろしいですか?
 
肯定側: はい
 
否定側: 名前を変えれば出版してもいいんですね?
 
肯定側: どういう名前ですか?
 
否定側: 『おしゃれなサムとバターになった虎』ですよ。
 
肯定側: でもストーリーが・・・
 
否定側: ストーリーのどこが差別?
 
否定側: 服のセンスが悪い、って色的に差別だって言いましたよね。別にこれはやっぱり、作者はわかりやすい色を選んだだけだと思うんですよ。子供に、絵本として。単に子供にわかりやす色で、覚えやすく、あとまた作者自身が絵の具を溶かして、描きやすい色を選んだと思うんですよ。たとえばですね、ショウジョウヒのシャツ、花田色のズボン、鶸色の傘にウジナンドの靴を履いた、と言われて、皆さんすぐにその色を想像できますか?色です、これ全部。でもそんな風に絵本で描いたら子供はわからないし、覚えられませんよね。だから代わりにその色にしたと思うんですよ。

チーン
×
 

 

 

 

ちびきいろじゃっぷ


 

 

 

 

 

 

 
 

   

   
結 論 
 
 
司会者: 時間になりました。まず否定側から結論を述べて下さい。今までの議論の中で出ていない新しい論点を持ち出すことは禁止されていますのでご注意下さい。制限時間は3分です。では否定側の皆さんお願いします。
 
肯定側の結論
写真など
私たち肯定側は、サンボは差別語を使用している、絵がステレオタイプである、また物語が差別的である、という観点からサンボを出版禁止にするべきだと考えました。確かに否定側の意見などで、名前を変えればいいじゃないかというような意見が皆さんのなかにもあるでしょう。
 
しかし名前などを変えても、物語自体を変えなければ、絵本『ちび黒サンボ』は差別では無いといいきれないとおもいます。このような差別問題は、常に差別される側の立場で考えなないといけない思います。私たちからみたら、楽しい、面白いと思う作品ですが、作品を読んで傷ついたり、嫌な思いをする人たちがいる限り、この作品は出版してはいけないと思います。
 
よって、私たちは『ちび黒サンボ』は出版するべきではないと考えています。
×
 
否定側の結論
写真など
私たちは『ちび黒サンボ』は差別書ではなく絶版にすることは不当であるという観点から三つの立論をたて、肯定側と意見を戦わせてきました。再度確認してみましょう。
 
まず一つ目、サンボは物語として非常に優れた作品であるということ、二つ目、サンボは児童文学的にみても重要な作品であるということ、三つ目、文学作品を差別書だと決めつけて絶版にするのは表現の自由に対する侵害であるのではないか、というこの三つです。
 
今回のディベートにおいて、三つとも明確につぶされたとは考えられません。また、私たちは肯定側の立論、一番、二番、三番とあって、物語の差別的、どういうものが差別なのかにたいして、明確な結論、えー、聞けませんでした。そして、差別語を使用しているということに関しては、地域によって違うんではないかというこちらの話に関して、平行線をたどった印象をつけます。絵がステレオタイプであるということに関しては、絵をこういう風に変えるんであれば、よいのではないかで、まぁ内容が差別的であるということは、あぁ名前か、申し訳ない。名前を変えればいいんではないかで、物語が差別的であるということに関しては、不透明なままなので保留とさせて頂きます。
 
こうやって議論をした結果、肯定側からの明確な回答は得られませんでした。これは『ちび黒サンボ』が絶版される理由が、非常に不透明で不当であり理不尽なものであり、私たちが『ちび黒サンボ』を絶版にする理由がわからないままであるということの証明であると言えます。
 
よって私たちはこのディベートを通しても、やはり『ちび黒サンボ』は差別書として認められず、これを絶版にすることは不当なものであり、表現の自由の侵害であると結論し、むしろ『ちび黒サンボ』はストーリー的にすばらしいものがあり、子供たちに積極的に読ませるべき本であるとあらためて主張して結論の結びとします。
×
 
  
 
   
観 客 の 評 価
 
  
さて、いよいよ3位決定戦です。今回は前回の反省点をふまえて、実に良くできたディベートになっていたと思います。夏休み、一所懸命準備した成果が両チームともでてましたね。すばらしい。議論もかみあっていたし、見ていてとてもおもしろかったです。特に後上里くんと恭子さんのがんばりがすごかったです。一歩も引かない、という感じが迫力が迫力がありました。大満足です。

ということで、今回の判定は、733対742で今回は否定側の勝ちでした。うーん。最後に観客の評価を載せておきましょう。

■3年生からのコメント
「肯定側は声の大きさ、トーン、メリハリや表情が弱い。資料の使い方はまあまあ。紙芝居はよかった。否定側はもっとおちついて。口数も多かったが沈黙も多かった。両者とも反駁がしっかり行われていて、引き込まれました」(国場)
「肯定側は表情、トーンを考えないと、観客には伝わらない」(仲村)
「資料を目に見る形にした方が良かったものがたくさんあるとよかった」(中村 ←原文ママ)
「途中、肯定側が否定側に押され気味でやる気をなくしたように見えました。が、紙芝居でちょっと勢いをつけたようで、おもしろかった」(漢那)
「立論や結論はとても良かったが、反駁でお互いに熱くなっていて、途中から分からなくなる部分があった。紙芝居などの工夫はよかった」(伊元)
「良いディベートだった。くわしくはのちほど」(宮城)
 
■4年生からのコメント
「後上里くんの発表はすばらしい。声と話す姿勢」(太)
「否定側の立論は声が大きく、観客をよく惹き付けていた。肯定側の紙芝居はとても工夫できていたが、そんなに差別という意識は感じなかったかな」(仲宗根)
「やはり男性対女性ということで、男性側の圧力に屈した感がある。肯定側の紙芝居はよかったが、切り札の割にはパンチがなかった。良いことをいってるわけだから畳みかけたらもう少し点数が上がったのに。結論が弱かった。肯定側はふつうにうまい。」(下田)
「紙芝居、おもしろかった。ただこれは笑い話であって、差別的なイメージは届かなかった。肯定側に否定側の元気があったらもっと応援したくなったと思う」(きな)
「肯定側の新里君が良くも悪くも目を引いた。感情的になりすぎるところもあったけど、すばらしかった」(具志堅)
「両方とも反駁が良くできていて驚いた。いいバトルだったと思う。肯定側さんは資料がとてもよかった。否定側さんはもう少し感情を抑えて、冷静にできればもっと評価はあがったはず」(島袋)
「両方とも意見をはっきりもっていてすばらしかった。肯定側は結論がうまくまとまっていた」(国吉)
「否定側は声が大きくはっきりはなしていて聞き易かった。否定側のホワイトボードにはった資料は低すぎて見えにくかった。反駁が細かいところまで議論していておもしろかった。紙芝居はすごく上手」(こうき)
「否定側は意見が実に理論的ですばらしいな、と思いました。しゃべりも明瞭で良かった。聞き取りやすい。ただ、1つ難点をあげるとしたら、資料に黄色いマジックはやめた方が良かった。配付資料もあって非常にわかりやすかった。肯定側はパネル資料が良くできていたと思う。ただ、配付資料を配ったら、もっとわかりやすかったと思う」(やかぶ)

 
 
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(c)沖縄国際大学 山口真也 yamaguchi@okiu.ac.jp