Scene2:座れそこに!
 
 
 
その「10本ぐらい」が、「ナディア」の中で樋口さんが監督した第23話から第33話、いわゆる「南の島編」だったわけですね。しかし、それはそうと『帝都物語』のほうに、ビッグウェーブは来たのでしょうか?

それがですね。『帝都物語』には絵コンテ屋として入って、実際に膨大な量のコンテも描いたんですけど、ほとんど使われることがありませんでした。結局、半年くらいはやることがなくて「俺は無駄だろ」と思いながら、しようがないから現場に行ってフォグメーカーで煙を撒いたりとか、だらだらと手伝いをやっていました。

再び実写に行っても、「ここに居場所がある」とは感じられなかったということでしょうか。

ただ、確かに居場所はなかったんですけど、『帝都物語』のときには徐々に仲間が現れたんですよ。同じようなことを考えている仲間が一人二人と現れて、朝までマニアックな話題で「昔の映画はこういうところが良かったのに、今はなんで無いんだろう」と語りあってですね、「日本の映画の未来を憂いて」と言いながらも、まあ、その実体はいわゆるマニアトークですわ(笑)。そういう話を交わしながら、お互いに影響を受けつつ、親交と友情を深めていた。昔は「あそこに俺の居場所はない」という感覚でしたが、あの頃は「俺はひとりじゃなかったんだ」と感じていました。しかし居場所ということで言うと、やっぱりガイナックスに帰ると本当に安心できたんですよ。「ここにいる人たちはどこかでわかってくれる」「だから俺は外でやってられるんだ」という安心感を、自分でも感じていましたから。しかしまさか「ナディア」であんな大変なことになるとは……(笑)。

「南の島編」を観ると、当時の樋口さんの猛烈な奮闘ぶりが心から伝わってきますね。

いったい……、なにをやってたのでしょうね。
 

 
ふしぎの海のナディア
 
 
『ふしぎの海のナディア』
1990年にNHKにて放映されたテレビシリーズ。総監督は庵野秀明氏。悠久の時を越えた宿命を持つ少女・ナディアと、彼女とともに旅をする少年・ジャンを主人公とする壮大なスケールの海洋冒険作品。NHK放映アニメ作品としてトップクラスの人気を誇る。キャラクターデザインの貞本義行氏をはじめ、摩砂雪氏、鈴木俊二氏、前田真宏氏らが参加し、高度な作画水準を実現した。だが、厳しいテレビシリーズの環境の中、それを維持することはできず、いわば「あらかじめ投入された敗戦処理」として、他の回のしわ寄せを一気に背負う展開が、物語の途中に出現した。それが第23話「小さな漂流者」から第34話「いとしのナディア♥」のストーリー、世に言う「南の島編」である。この間、主力スタッフはクライマックスに向けてスケジュールの調整に入り、海外発注を主体に作画は行われることになる。放映当時、それまでの作画水準との落差にファンは目を剥いたものである。時間も人手もないという、この過酷な「南の島編」の監督を引き受けたのが樋口真嗣氏であった。「南の島編」はそれまでのシリアスな展開からは一転し、本筋からは離れたテンションの高いギャグタッチのストーリーとなり、こちらはこちらで愛好するファンも多い。この樋口氏の奮闘があったからこそ、第35話から最終話をきちんとつくることができた、と庵野氏は語っている。
 


「あれこそがアニメの楽しさだ」という意見もありますね。

本当に、制作中に気絶したことがありますからね。スタジオでラッシュを観ていたとき、その仕上がりの酷さに、目の前に流れるものを体が受けつけなくなった。寝ていたんじゃなくて気絶でした。「これをなんとかしなきゃならない」と原画を全部引き上げてきて、俺が一人で夜中に途方にくれて「わあっ」となってたら、鈴木俊二さんたちが「ちょっとくらいなら直せるよ」と言って、カット袋をいくつかスーっと持っていってくれるんですよ。こっちは「ああっ、ありがとう」と、もう本当にマジ泣きです。みんな自分の仕事を抱えているのに、一人二人とやってきて、原画を持って行ってくれて、「トメちゃったけどいい? トメ口パクだけどいいよね」とか言いながら直して戻してきてくれる。それにはもう「ありがとう、ありがとう」と言うだけでした。

「南の島編」の各話には、「全体的な質を追求することはできないから、とにかくなにか1点の面白さで突破しよう」という決意が感じられるように思います。登場人物の会話がすごく面白い回があったりと。

樋口真嗣氏インタビューあのころ、「宮崎さんの『未来少年コナン』('78)がなぜ全26話だったのか?」と、よく言っていました。ちょうど「ナディア」から「島編」の11話を抜くと、22話に最後の4回足して……ほら、やっぱり26話だ! トカゲの尻尾のなかでも、さらに切らなきゃならない尻尾があるというか、23話から10本のなかでもこの話数だけは守ろうというのがあるんですよ。厳しい中でもやっぱり波があるので、ここは穴があくというのが見えますから。

とにかく出来るかどうかわからなかったですけど、脚本も全部こちらで書き直しました。上がってきた脚本が、そのままじゃ、ただの子供向け、「NHKの児童向け番組みたいじゃないか!」というもので……、ってよく考えたらまさにNHKの児童向け番組だったんだけど(笑)。いやあそうだったなあ。しかし22話までの展開からすると、児童向けのイメージでやっているとつながらなくて。本当はその22話までの展開こそがおかしいんですけどね(笑)。

とにかくもう当てこすりのように脚本を直して。「この話からここに決着する」という、展開の頭と尻だけを合わせて、ストーリーの中身は正反対の曲線で話をつくったりとか。今から考えると本当にデタラメなことを……、ひどいなあ……。仕事じゃないですよね。テロみたいなものです。放送テロですよね(笑)。

あれは……、あれはひどかった。やりたい放題にもほどがあります。洒落にならないもんな。もし今タイムマシンがあったら、あのときの俺に「座れそこに!」といって説教しますよ(笑)。

ただひとつだけすごく良かったのは、庵野さんの計らいだと思うんですけど、「ナディア」では音の演出を全部任せてもらえたことですね。本来、音の演出は音響監督に任せるものなんですが、庵野さんの場合、セリフのほうのディレクションのみを任せて、SEの発注とか選曲とか、普通であれば音響監督がやることを全部自分でやっていた。そのスタイルで俺にもやらせてくれたんです。毎週曲出しをしたりとか、作曲の鷲巣さんに対する音楽の発注とか、そういう仕事は楽しかった。だからやっぱり「ナディア」は、自分でもただの敗戦処理ではなくて、つくっていて楽しい場所ではありましたよ。絵に関してはとても苦しかったですけど、音をつくる上ではすごく楽しかったですね。