2003年12月5日(金) 東奥日報 特集

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■ スペインのハポンさん集う/ルーツ求め日本へ熱い思い

 スペイン南部アンダルシア地方の中心地セビリア近郊のコリア・デル・リオ市で今月初め、「日本週間」の行事が催され、十七世紀にこの地に住み着いた日本人の子孫で、日本を意味する「ハポン」の名前を持つ市民が集い、ルーツを求め日本への熱い思いを語り合った。

 人口二万四千人のコリア・デル・リオ市には、ハポン姓の住民が約六百五十人もいる。

 十七世紀に仙台藩の伊達政宗の正使として、支倉常長の慶長遣欧使節団がスペインを訪問、大西洋からグアダルキビル川をさかのぼり同市に上陸。マドリード経由でローマで教皇パウロ五世に謁見後、帰国した際、同市に残った日本人の子孫といわれる。

 川べりには一九九二年に宮城県から贈られた支倉常長の銅像が建つ。

 小柄で太ったひげ顔の「支倉日本スペイン協会」会長のマヌエル・カルバハル・ハポンさん(66)は十四代目。「日本は私の祖国だ。日本人の子孫だという証拠はないが、祖母からこれをもらった」と、手帳大のキリスト教の聖人と十字架が浮き彫りされた銅板の”踏み絵“を見せてくれた。「日本に三度行ったが、仙台の博物館で同じものを見た」

 九一年に初めて宮城県の村を訪れた時、自分の村にいるような錯覚を覚えたという。「村民の顔が叔母やいとこに似ていると思った」

 なぜ「ハポン」姓なのか? ハポン姓は一六四六年の村の公文書に「バルトロメ・ハポン」が登場したのが最初。「昔は子供が生まれると洗礼時に父親の名前を入れて、ハセクラ・デ・ハポンと名乗った。日本人の名前は難しいので、自然と最後のハポンだけが残ったのだろう。大変誇りに思う」と会長は胸を張る。

 大学教授、技術者、医者と職業はさまざま。ミス・スペインに選ばれたハポンさんもいる。

 二十七年間サッカーの審判を務めた長身のホセ・ハポン・セビリアさん(44)は四年前、城選手が所属していたバリャドリードとレアルマドリードの試合の主審を務めた。「地元紙はレアル対日本の試合と書いた」と笑う。セビリアさんの三人の大学生の息子もハポン姓。第二外国語で日本語を勉強している。日本が好きで、自分たちのルーツと認めているという。

 小児科医のハポンさんによると、多くのハポン姓の幼児のおしりに青い斑紋があるという。モンゴロイドの日本人子孫の印だ。アントニオ・ハポン・ハポンさん(64)は奥さんもハポン姓。「孫の二人ともおしりに青いあざがあった」(コリア・デル・リオ共同=粟村良一)



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