─そもそも、東京事変はいつ頃から目論んでたの?

「雙六エクスタシー・ツアーのメンバーを決める時だから一昨年ですね。早めにオファーしておかないと、スケジュールが取れない人たちだなと思ったので」

──ということは、『加爾基 精液 栗ノ花』のレコーディング中とか?

「そうです。『加爾基 精液 栗ノ花』の音を録ってた時、ある種類のことは爆発させていたんですけど、バンド的な、その場しのぎ的な方法論は全部抑制させていたじゃないですか。だから、ライヴとそのライヴの後の表現のことも考えて、メンバーのことを思い浮かべてました」

──じゃあ、相当前から考えられていたわけだ?

「そうです。具体的なところまではいってなかったんですけど、“もし、この人たちとやったら、こうなるだろうな”っていうことは漠然とありましたね」

──かたや、『加爾基 精液 栗ノ花』はバンドと作ったアルバムと違って、林檎ちゃんの純粋な世界だったでしょ。それが今度はまたバンド・サウンドになり、さらに、名義も東京事変になると、ソロで作品化していた林檎ちゃんのエゴはどうなってしまうのか? 自分の中でその辺のことはどう整理して考えているのかな。

「メジャーの地にいながら、今回、正式にバンドを組ませて頂いたことは、私にとってデビュー前からの目的だったんです。というのも、デビューする前に、私、バンドのメンバーを切られて、一人にされちゃったっていう(笑)。よくある話なんですけど、何度も、誰を連れていっても駄目で(笑)」

──(爆笑)身も蓋もないなぁ。

「その頃は十代で、まだ若かったから、ただバンドをやってるっていうことが私の楽しみで、それを世に問うとか、自分の仕事をどうするかっていうことは二の次だったんです。でも、デビューすることになって、“取りあえず、いいメンバーが見つかるまで一人でやっていこう”と思って、1stアルバムと2nd アルバムではバンドのいいメンバーを集めてもらうことが先決だったんです。だから、今にして言えることは、1stアルバムから3rdアルバムまでは、私にとってバンドでやるためのプレゼンテーションだったっていうことです」

──そうなんだ! いや、デビュー前にバンドをやっていたのは知っていたけど、最終的にバンドをやりたい人だったとは知らなかったな……。ということは、1stアルバムと2ndアルバムは3rdアルバムのためにあって、その3枚は更に今回の東京事変のためにあった、と。しかも、そういう流れはデビュー時から漠然と考えられていたわけだね?

「そうです。3枚目のアルバムでは、私のエゴが一番開花した作品なんですけど、あの狭い世界を突き詰めて提示するために、発育ステータスなんかも、あくまで一時的なバンドとしてやってたし……ホントはそっちに行っちゃいたい気持ちもあったんですけど、『加爾基 精液 栗ノ花』を作るまでは終われないと思っていたので」

──じゃあ、『加爾基 精液 栗ノ花』も一段落した今、いよいよっていう感じなわけだ。

「やっと楽になれたというか、一人で提示すべきものは3枚目までだったので、それはもうとっくに終わって、そこには居ないっていう状態で。『加爾基 精液 栗ノ花』を録ってた最後の方もそんな感じだったんですけど、今の段階では、ひとりきりで作る音楽はやり終えてると思っています。だから、そう、いよいよっていう感じです」

──で、まぁ、バンドをやるとなったら、メンバーが当然いるわけだけど、その人選に関しては?

「これまで私は一人でやってきたものだから、人のライヴを拝見する時、“この人は私の曲だとどうなるんだろう?”って、結構、評論的な目で見ちゃうんですよね。でも、それは昔からそうで、だからこそソロの時も色んな方々とやらせて頂いていたんですけど、今回はたまたま“一生離さない!”って思える人と立て続けに出会ったんです。そのなかにはもともと知っていた人もいて、ギターの晝海幹音さんなんかは、ずっと一緒にやりたかったんですけど、ソロでは一緒にやりたくなかったんですね。そういう出会いやタイミングが重なって、“あ、これはいまだ!”ということになったという」

──今の時点で、椎名林檎の活動を振り返ってみて、どんなことを思うのかな。

「自分ですごく苦しくなっちゃったのが『勝訴ストリップ』の時で、あの頃、変な女扱いされたじゃないですか。それで思わず“うるさい! そんな女、いるわけないじゃん!”って今にも言いそうになったんだけど、種を蒔いたのはこっちですから、ホント苦しかったですね。しかも、あの頃は精神年齢的にまだ耐えられなかったし、忙しくて体を悪くしたっていうこともあったし……。ただ、スタッフも素晴らしかったので、自害せずにすみましたけど(笑)」

──あの頃の林檎ちゃんを知ってる身としては、感慨深いものはあるけど、今は、じゃあ、純粋に音楽をただただやっていこうっていう心境だ?

「そうです。あと、パンチラをしても通用しない年齢になったから気付いたっていうか(笑)、もうお歯黒をしなきゃいけない立場ですから、そうなると削ぎ落とされて、パンチラをする気にもならないっていう。逆に他の子がやってるのを、一緒になって“おっ!”とか言ったりして(笑)」

──(笑)ま、冗談はほどほどにしつつ、ここで訊きたいのは、東京事変の音楽の在り方だよね。

「音楽チャンネルとかを観てると、日本人アーティストで聴きたくなる、ちょうどいい案配の音楽、エンターテインメント性だったり、音楽的であるかないか、あと、アート性だったり……そういう部分で私にとってのちょうどいい音楽が欲しいな、と思うんです。その点に関して言えば、メンバー5人の嗜好性が近くて、スムーズに出来そうだから、バンドでそれをやろう、と。ただし、当初、そのことはみんなに伝えてなくて、雙六エクスタシー・ツアーを重ねるうちに“これで止めたくない”って言い出してくれたから、“実はこれで終わりにしたくないのは私もやまやまで……”とはっきり伝えたんです。で、そこから “どうしようか?”っていうことになったんですけど、方法論じゃなく、自分たちが生きてきて培ってきた芸をただ提供する、手作りの音楽が少ないねっていう話になって。だから、そういう体温が分かる音楽、録ったまんまというか、いじりすぎていない音楽ですよね」

──椎名林檎と東京事変で音楽観が変わったところはあったりするのかな?

「特に『勝訴ストリップ』くらいまでは、何か新しいジャンルに聞こえてはいけない、みたいなことを、気を付けていたかもしれない。かといって、自分の中に自分だけの圧倒的な世界があるとは思っていないんだけど、かみ砕く際に皆さんが知ってる何かに近づけなければ、誰もいいとは言ってくれないというか、みんな “〜みたい”って言いたいんだなとは思ってましたね」

──みんな、そういう部分で安心するというか。

「そうですね。でも、今、そういうことは意識しないですね。みんなでスタジオに入っちゃえば早いので、一人でかみ砕く作業がまずないし」

──じゃあ、今は他のメンバーのアイディアも自然に反映されている?

「みんな、まずはソロの時からやってもらっちゃってるぶん、そこは図りつつっていう感じではありますけど、それぞれが仕切れる人たちなので、私がアイディアを出す時もそれが絶対ではないっていう意味でいい加減に言えるんですよね。だから、ソロとは全然違いますよね」

──最終的に曲作りとかレコーディングはどうなっていくのが理想なのかな?

「作品ごとにイニシアチブを取る人が変わって、ローテーションで回していければっていう感じですかねぇ」

──(笑)でも、それが出来る人たちだからね。

「で、そろそろ、歌に専念してみるとか、そういうことをやってみたいんですよね」

──雙六エクスタシーの武道館ライヴで配った雙六のゴールが歌い手になっていたけど、つまりはそういうことだったの?

「あ、そうです。まさにそういうことで、この人たちだったら大丈夫っていうメンバーとバンドを組んでいたら心おきなく歌に専念出来るし、実際、今は既にそういう状態になってますよね。だから、ものすごいプリミティヴなところに戻れたというか……こうやって喋ってることも以前とは違ってきちゃうくらいにただやってるっていう感じなんですよ。で、みんなと“楽しいね”って言ってるだけなので、こうやって喋るのも、なんか難しいんですよね」

──本来、喋りたくないから、もしくは喋っただけでは伝わらないから音楽をやっているのであって、そもそもインタビューっていうものは、敢えて意味づけをすると“これこれこうですよ”っていう話じゃない?

「そうですね。昔は意味付けの提供もしてた気がするんですけど、もうそういうのはないんですよ。ないっていうことが意味というか。今までは“やりたいことは何なの?”って訊かれることがものすごく苦痛だったというか、“別にやりたいことがあって、やってるわけじゃなく、これは仕事なんだよね”っていう思いがすごく強かったんですけど、今は“ああ、そうですよ。私は世捨て人ですよ”って言えちゃうんですよね」

──というところで、東京事変の音楽はどうなりそうか、またはなっていきそうか。

「何でもいいんじゃないかな。メンバーの名プレイ、珍プレイを見たいっていうことで集まってるっていうことがベーシックにあるくらいで、あとはどうにでもなっちゃうんじゃないかな、と。もうね、“ここにこだわったんですよ”っていうところが一切ない音楽しか作りたくないんですよ」

──それはインタビュアー泣かせだね(笑)。

「もう、そうなりつつあるような……先が思いやられますよね(笑)」