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『新雑誌21』(19913月号編集人・丸山実)が人民戦線運動を特集!

マスコミを賑わせた「暴力団新法」反対の新左翼・新右翼・ヤクザ三者共闘の真意

 

世界中が注目した「暴力団」のデモ参加

 一月早々、アメリカのブッシュ大統領が来日し、公式の席上で倒れるといったハプニングがあり、なんとなく、今年は波乱含みな一年になりそうな雰囲気が漂っていた。

 そんな雰囲気のなか、今年の三月一日から施行される「暴力団新法」に反対するデモが一月十九日、銀座と神田の二カ所でくり広げられた。

 デモだけなら、なにもめずらしいことではないのだが、二つのデモは、新法の対象にされている「暴力団」関係者が参加した、ということもあって、テレビをはじめ日刊紙や週刊誌などがこぞって話題にしたのである。

 たしかに、この二つの集会は、ユニークな方式でおこなわれた。銀座の集会は、「極道の妻たち」だけの集りで、前代未聞ということもあってか、約五十名に及ぶマスコミ人たちが走り回った。

 この集会は、旧名和組組長の名和忠雄氏が呼びかけて、全国から「極道の妻たち」がはせ参じた。その数約百五十名であった。

 同じ日、神田で催された集会は、極道と呼ばれるグループだけでなく、水と油といってもよい新左翼と新右翼が共闘するという、これこそは、ヤクザの歴史はじまっていらいの快挙(?)であった。

 しかも、共闘するグループは、これも左右の対立する政治思想の持主ということもあって、デモ行進する参加者(約百五十名)の数にも匹敵するマスコミ人が取材に走り回っていた。

 このような前代未聞というべきか、歴史はじまっていらいの快挙というべきか、庶民が自らの危機意識を訴えるという行動に対し、翌日のマスコミは、当然のように報道している。

 問題は、マスコミはどのような姿勢で報道したか、ということだ。やはりというべきか大半は判断を留保した。なかには、マスコミの悪しき原則である「人間が犬を噛んだ」といわんばかりのものも目に付いた。

 それはともかく、思想が異なる政治グループを巻きこんだ今回の集会は、それほどまでに「暴力団新法」が反体制組織に対しても危機感を持たせるものであったからであろう。

 本誌では、早くからこの法律は、「暴力団にことよせて、権力に敵対する市民運動や反体制運動をターゲットにしている」、という論陣を張っていた。とくに、昨年の九月号において、「暴力団新法か! 警察ファシズムか!」という大特集を編んでいる。

 論陣は、野村秋介、猪野健治、丸山実、中島誠、遠藤誠諸氏によって張られた。このメンバーを見ればわかるように、左右の共闘である。思想の異なるメンバーが「暴力団新法」に対してこれだけの共闘が組めるというのは、一に、この法律が施行されればまず「結社の自由」が奪われる。二に、「人権」が奪われる。三に、「職業選択の自由」が奪われる。という認識が一致したことである。

 一般市民は、社会から「暴力団」がいなくなるから、いいではないか、と思いがちである。しかし、法律ができたからといって「暴力団」がいなくなることはまずあり得ない。 

 この点、野村秋介氏が指摘しているように地下に潜行し、それこそ、アメリカのマフィアばりに、より兇悪化する。昔から、権力は都合が悪くなると法律で縛ってしまえ、という方法をとっている。

 しかし、そのような法律は一度として成功したためしはない。一番よい例は、アメリカの禁酒法だ。

 このような法律をつくるまえに、「暴力団」の存在はどこに由来するのか、根本的なメスを入れない限り、いたずらに法律が独り歩きし、それこそ、ヒットラーが演じたナチス・ファシズムの世界が再来してしまう。これもナチスの歴史を見ればわかることだ。

  ▲史上初! 新左翼・新右翼・ヤクザの共闘デモはテレビ・新聞等でも話題となった。

  三者が共闘するまでのながーい道のり

 さて、一月十九日の三者共闘ができあがるまでの過程は決してスムーズには行かなかった。

 もともと一月十九日は、共闘の場となった新左翼系政治グループ・日本人民戦線の「赤旗びらき」が予定されていた。

 日本人民戦線の母体は、日本共産党行動派(大武礼一郎議長)であり、数年前から、日本人民戦線は、左翼運動の共闘の場をつくろうということで形成された。

 したがって、ここのところ、反戦自衛官グループや伊勢崎社研などが日本人民戦線と何度か共闘してきている。

 日本人民戦線の代表は、平岡恵子という女性であり、彼女は、低迷している日本の左翼運動に新しい芽を植えつけようとして各団体に働きかけ、共闘の場では民主主義の三原則をかかげている。なかでも「批判の自由」はユニークな運動理論であった。

 その新風に誘われてか、彼女のよびかけに応えて、良心的知識人が多く参加している。足利工業大学教授の中込道夫氏、現代教育研究所の五十嵐良雄所長、評論家の川田泰代女史、評論家の中島誠、佐伯陽介の諸氏、救援連絡センターの山中幸男氏、それに本誌編集長の丸山実、弁護士の遠藤誠氏らである。

 今回のユニークな集会は、このような良心的知識人から声が上がった。とくに遠藤誠弁護士は、かねてから「暴力団新法」の危険性を唱え、遠藤弁護士いわく「ヤクザ組織」に対し、闘いをすすめていた。

 「暴力団新法」に対しては、新左翼系の組織も反対しており、各自の機関紙誌は論陣を張っていた。遠藤誠弁護士は、そのような機関紙誌にも顔を出していた。

 そんなことから遠藤誠弁護士は、この際、共闘を組むしかないのではないか、と考えるに至ったのである。

 まず、野村秋介氏と接触した。そして、新左翼系グループの幹部との対話を自事務所でおこなった。この時、新左翼系グループの幹部は、「組織としては協力できないが個人としてなら協力を惜しまない」旨を野村秋介氏に伝えている。

 遠藤誠弁護士は、この時、日本人民戦線の「赤旗びらき」への誘いをうけた。これが共闘実現への端緒となった。

 一方、新右翼民族派の一水会であるが、一水会の月例勉強会で(昨年の十一月)「左右激突対論」が催された。この時の左翼側のメンバーがいいだもも氏と日本共産党行動派の森久書記長であった。司会は本誌丸山実編集長であった。

 一水会は、野村秋介氏とは思想を同じくしており、野村秋介氏の思想運動を最も体現している団体である。

 各自がそれぞれの政治思想を異にはしているが、「結社の自由」が奪われては公然活動ができなくなる−思いは一つになったわけだ。

 遠藤誠弁護士と野村秋介氏の腹は決まった。あとは、日本人民戦線が「赤旗びらき」の場を「共闘の場」にするかどうかである。

 日本人民戦線内部では賛否をめぐって一カ月近く激論が闘わされた、という。最後には、日本人民戦線の原則である「批判の自由」と、たとえ一つでも共通する闘いの目標があれば、「共闘する」が採決された。

 集会の前日、記者会見が開かれた。記者たちの質問は、どこの組が参加するかであった。だが組織としての参加ではなく、個人としての参加である旨を聞くと、いささか期待外れ、といった雰囲気がかもし出されたが、参加者数は約六十名だ、という話を聞くや、「まさか」といった驚きの表情にかわった。

 当日、「左右・ヤクザ」の三者による集会は異常な熱気にあふれた。そしてデモである。「仁侠市民連合は闘うぞ!」というシュプレヒコールが発声された時、約六十名の参加者の胸には熱いものがこみあげたという。

 ついで、「一水会は闘うぞ!」に対し、デモを取り巻く警察官からどよめきがあがったという。

 世界ではじめてといってよい、疎外されたものたちのデモは、神田周辺の市民にも温かく迎えられたようである。

 問題はこれからであろう。現実には三月一日から法律は実行される。このような共闘の場は、そのような状況にあって、一回だけのものに終わってしまうのかどうか。

  ▲共闘デモ後の日本人民戦線・赤旗びらきには様々なギョーカイの人が参加し熱心にメモを取っていた。

  ▲学士会館で行なわれた記者会見には多数のマスコミ関係者が取材につめかけた。