ケーキショップご紹介 


ケーキショップ&パティシエご紹介 大阪エリア

パティシエのじゅずつなぎ 1         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

パティシエ シェフナカギリ

【お店】パティシエ シェフナカギリ
【パティシエ】中桐 基

【住所】〒619-0224
    京都府相楽郡木津町兜台7丁目13-1

【TEL】0774-72-7835
【営業時間】10:00〜20:00
【定休日】毎週月曜日
【駐車場】7台

*住宅街の為、路上駐車は周辺の方にご迷惑がかかりますのでご遠慮下さい。

近鉄京都線高の原駅から徒歩10分。閑静な住宅街、南陽高校の直ぐ近くにあるお店。

【パティシエ・プロフィール】
1951年生まれ
1975 『ボンボン』へ洋菓子の修行に入る
1976 『フォンテーヌ』にて修行5年

1981

『ルイ』にてマネージメント担当

1982

潟Gーデルワイスにて修行10年
東京アンテノール所属

1992

『クイーン洋菓子店』へ

1997 『ムッシュマキノ』へ
1998.11

『パティシエシェフナカギリ』独立開業

【パティシエ】 中桐 基

パティシエ 中桐基さんが修行されていた企業
潟Gーデルワイス(アンテノール/ヴィタメール/ルビアン 3ブランド展開)
ムッシュマキノ


【鉄鋼関係のサラリーマンから洋菓子の世界へ】
最初に就職したのは鉄鋼関係の会社だったんです。大きな会社だったので当時でも週休2日、給料もものすごくいい、景気のいい会社でしたね。そこに3年いたんですが、僕には時間にはまった仕事というのが合わなかったんです。規則に束縛されるっていうのがね。正直言ってノイローゼみたいにもなって。

僕は本当は水商売の仕事をやってみたかった。会社の仕事が5時くらいに終わると、その後ウェイターとかクラブのアルバイトをしてたんです。1日3〜4時間の睡眠で。その方がすごく楽しかった。たまたまウェイターをしていた店が喫茶とケーキの販売をしていたんだ。そこでバイトをしていたある日、職人さんがデコレーションのうえに鳩を絞っていて・・・、バタークリームで。それを見て感動して。「あっ、この仕事に就きたいなぁ。」と思って入ったんです。

でもこれは建前で、ある日、夏に会社の門の前まで行ったんだけど、嫌でね。朝から会社休んでバイトに行くと、朝8時頃ケーキ職人さんが出勤してきて、バタバタする様子もなくお昼まで仕事して、それから昼休みを取って4時には帰っていくんだ。それを見て、こんな短い時間でお金もらえるんだったらいいわ、「この仕事だ」と思って(笑)。ちょうど鳩のデコレーション見たのもその時期だったので思い切れたんだけどね。でも、入った時、間の悪い事に同時に2人辞められて、チーフと何も知らない僕の2人だけになってしまって・・・さすがにすごい忙しさになって・・・。「あてがはずれたなぁ」って正直思いましたね。でも辞めようとは思わなかったですね。決められた事をするのではなく、自分で1日を作り上げていく。自分の手の中から生まれてくるものが目の当たりに見える。それはいいなぁって思いました。


【コンテストの写真、これを見てなかったら僕は菓子屋になってんかっただろうね】

そこで半年ほどして、プロの行く製菓専門学校に行くようになったんです。そこで『ボンヌール』(ジョフランの中村さんが修行されていたお店)の子と友達になってね。コンテストというものを知ったんです。それでコンテストに1回出てみたんです。自分のいた店のチーフはそういう事は全然されない方だったので、ちんぷんかんぷんのまま出ちゃってね。それで悲惨な目にあったんです。「これではあかん!」と思って、製菓学校の友達を頼って、牧野さん(ムッシュマキノ)の修行されていた『フォンテーヌ』に修行に入ったんです。そのお店は正雀にあってね、すごく・・・田舎の雰囲気のところにあったんです。もともと水商売がしたいと思ってミナミの繁華街のお店にいたでしょ、1ヶ月ぐらいしたらもう辞めたくなっちゃって・・。それで、牧野さんの家に、辞めたいってお話に行ったんです。すると、その時ちょうど牧野さんがいらっしゃらなくて、奥さんが「直ぐに戻ってくるからこれでも見て待ってたら。」と言って見せて下さったのがコンテストのアルバムだったんです。僕は、このお店がコンテストでこんなに有名で賞を取ってるというのを知らなかったんです。それを見て、「あっ!もうちょっとここでやってみよう!!」と思って続ける事にしたんです。僕はあのアルバムを見てなかったら菓子屋はやってなかったでしょうね。自分の好きな水商売の方へ行ってたと思いますね。

・・・コンテスト・・・好きでしたね。当然、牧野さんもすごく好きでしたからね。もうほとんどコンテストに懸けてましたね。ここにいた5年間はコンテストに出しまくってましたね。秋にコンテストがあるので夏中はコンテストの事ばかりやってました。
ある程度してから、僕は菓子職人はケーキだけを作っていたのではダメだ!マネージメントの方も勉強しなくては!と思うようになってきてね。マネージメントの仕事を出来るようなお店を探して、コーヒー専門店の『ルイ』という所に移ったんです。そのお店は製菓部門のトップを欲しがっていたんですが、マネージメントがしたい!と言ってマネージャーとして仕事させてもらいました。だから給料だってすごく下がりましたよ。それでも構わなかったんです。


「東京へ行かないか?」・・・東京アンテノール立ち上げ
1年くらいマネージャーとして仕事をしていたある日、牧野さん(ムッシュマキノ)、津曲さん(ケーキハウスツマガリ)から電話を頂いたんです。「東京に行かないか?」という誘いの電話でした。東京アンテノールの立ち上げですよ。東京というのはすごく憧れがありましたからね。同じやるんだったら東京だろうというのがありましたから。それで一緒に東京に行ったんです。行った時はすごかったですね。みんなの気が集結してました。メンバーもすごかったですよ。10年クラスのベテランばかりの集団で行きましたからね。仕事もとにかくハードでしたよ。毎日夜中の2時、3時までですからね。それも、仕事が終わるからではなくて止めてしまうんです、何時まで経っても終わらないんですから。毎日2〜3時間の睡眠ですよ。だから一日中立っていてもボーッとしてましたよ。それが延々続きましたね。でも、何か楽しかったんですね、とにかく仕事が・・・。みんなの気持ちが一つになっている、それがね。比屋根社長(現会長)を尊敬している、自分達がアンテノールのパティシエである、アルチザンであるという誇りが、そうさせたんですよね。その気持ちがなければここまでの事は出来なかったでしょうね。今から考えてもよく体がもったなぁと思いますもん。

当時、津曲さんは東京アンテノールの支社長、牧野さんは工場長でしたね。東京アンテノールには10年いました。そこで、潟Gーデルワイス(アンテノール)の会社の姿勢であるとか、比屋根社長のものすごさとか、いろんな事を教えて頂きましたね。とにかくこの会社だけはすごい会社でしたね。企業でありながらあれだけのお菓子を作る・・・。こんな事は出来ないだろうという事を平気でやっちゃうんです。アンテノールのお菓子は企業菓子ではないんです。個人店でもあれだけの事は出来ないだろうという事を企業がやってしまう。僕はそこに感動したんですよね。大阪の阪神(デパート)から始まってすごい店だなあと思ってましたけどね。僕が一番感じることは、企業としてこれだけの事が出来、津曲さん、牧野さんを筆頭にあれだけのパティシエを育て手元に置ける、比屋根社長(現会長)のカリスマ性ですよね。そのすごさです。この方以外には出来ないんじゃないですか?こんなこと。

僕は人生が変わりましたね。アンテノールに入って。・・・東京で仕事させてもらえる、自分達のようなものをそうやって育て、のし上げ、土壌を作って下さった。・・・そういう気持ちがあったから自分達もあれだけの事が出来たんでしょうね。僕は、アンテノールで仕事をさせて頂いた事は自分の財産だと思ってますよ。何処に行っても「アンテノールで修行してました。」って言ったら一目置かれましたからね。


【クイーン洋菓子店時代】
アンテノールで10年やった時にある人に出会ったんです。栃木にクイーン洋菓子店というのがあって。1店舗ですごく売ってる店があったんです。そこのオーナーの大浜社長に出会って。・・・僕自身をものすごく買ってくださって、「是非うちに」と誘って下さったんです。10年という区切りもあったし、これ以上アンテノールにいても、自分自身会社に出来る事が無くなってきたんじゃないかなあ・・・と感じて。気持ちの面ではなくて、会社が僕に求めるだけの事を自分は返せてないのではないだろうか、今の自分の能力では無理があるんじゃないだろうか、と思い始めてね。もう一度、考え直してもいいのかなぁと思って10年を区切りに辞めたんです。

この大浜社長というのがほんとにいい人でね。ここでは、自分が経営者になったら従業員にこういう事してあげよう、ああいう事してあげよう、という事を教わりました。60歳近い方だったんですがバイタリティーもすごいしね。人として尊敬、と言うか、ものすごく好きな人なんです。ここで5年程経った時に社長が、「独立して商売やったらどうですか?全て私に任せてくれたらいいから・・・」と言って下さってね。でも僕自身がこういう性格ですから、このままでは多分あぐらをかいてしまって、ずっとこの方におんぶにだっこで行くだろうなぁ・・・って思ったんです。僕自身、出来たら仕事したくない人ですから。それで、このままじゃいかん!と思って丁重にお断りして・・・、じゃあ大阪に帰ろう!と思ったんです。


【ムッシュマキノ時代・シュークリームを食べて、考えが180℃変わった!!】
大阪に帰ろう!と思った時、ちょうど牧野さんが独立されて2〜3年目で、火のつくような忙しさでね。もう一度初心に戻って一からやってみようかなあって思って。牧野さんにお話したら「期限を切って、マネージャーという形で入るか?」と言って下さってね。1年半程お世話になりました。まー忙しかったですけどね。ここでは、ほんとあるとあらゆる事を勉強させてもらいました。

お店に入って一ヶ月程経った時にね、たまたま奥さんが「シュークリーム家に持って帰って食べて。」と言って、二つ下さったんです。よく考えてみると僕はまだ一回もお店のケーキを食べてなかったんですよ。家に帰ってそのシュークリームを食べた時にね、・・・ショックでしたね。「あー!自分の考えてる事は全然違う!!・・・うまい・・・」ってね。今までいろんな所で作ってきたんですけど、何て言うか、形とかそういうのにこだわらないで、本当においしいものだけを追求しようとしている姿っていうのを、僕は一ヶ月そこにいて分からなかったんですよ、正直言って。それを食べた時から僕自身180℃考えを変えましたね。今までの技術なんて、という気持ちになって、持っていたレシピ全部捨てましたよ。全部邪魔するなあと思って。自分が今まで持っていたものをあまりにも後生大事に持ち過ぎた!これじゃ何も入ってこない!と思ってね。ほんと全部捨てたんです。そして、牧野さんのところで色々食べながらものを作ろうと思ったんです。

だから、うちの店の子達にも言うんですが、技術とかそんなもんは後回しでいい!食べてうまい!!という感覚を覚えない限りだめだ!!ってね。技術磨く前に感性磨け!ってよく言いますけどね。技術はやっている限りほっといてもついてくるんです。だけど、感性は自分で磨いていかないといけないんですよね。
すごい技術者、牧野さんと自分達の違いは、感性のレベルも全く違うけど、何より感じたものをかたちに作り変える事が出来るんですよね。みんなそれなりに感じてはいるんですけど、それを表現する力が足りないんですね。

牧野さんのお店ではほんとにいろんな事を貯めさせて頂きましたよ。自分で商品作ってね。ほんと忙しいお店なんですよ。そんなお店で、ああでもない、こうでもないと考える貴重な時間を頂きましたよ。そんな事をさせてもらえるような状況じゃなかったんですけどね。色んな所にも連れて行って頂きましたし、色んなものを見せて下さいましたね。ほんと時間を費やして頂きましたよ。牧野さんが「自分が比屋根社長(現潟Gーデルワイス会長)にしてもらった事をしてるんだ。」と、ちらっと言われた事がありましたね。


【独立開業!オープン時に100人余のパティシエ集まる!!】
牧野さんのお店で1年半程勉強させて頂いてから、自分の店を探し始めたんです。関東から帰って来て1年半ですから、土地勘も何も全くありません。何も知らない状態ですよ。いろんな所を見て歩いたんですけどね。
・・・この場所にこの建物があって、それを見た時に「ここだ!」って決めたんです。だから、周りにどんなお店があってとか全然調べなかった。調べて「あ・・やっぱり・・・」と思うのが嫌だったのでね。

8月頃にお店が決まって準備して、11月に開店でした。オープン時には、津曲さん、牧野さんを筆頭に、総勢100人余りパティシエ達が駆けつけてくれましたよ。忘れもしませんよ。ここがケーキ屋さんだという事を知らなかった通りすがりの方達も、白衣を着たパティシエ達がいっぱいいる所だ!というので知って頂きました。それで噂になったんですよ。
オープンして3年くらいまでは、自分のお店と思えなかったですね。オープンの時にあれだけの方達が駆けつけて下さった訳じゃないですか、「何が何でも売れるお店にならなくては!!」と思いました。始めの頃は眠くならなかったですよ、不思議でしたね。「寝る時間があったらお菓子作りたい。」そう思いましたね。



(シェフナカギリを支える若きパティシエ達)

自分のやれる事を一生懸命やるしかないですね。未だにお客さんの顔をまともに見られないですよ。怖くって。コンテスト以上の緊張感があります。うちのお店がなぜオープンキッチンになっているか分かりますか?僕は、お客さんが100%満足できる商品を毎日毎日全てのお客さんに提供できるんだったら、お客さんに「いらっしゃいませ」を言わなくてもいいと思っているんです。だってそうでしょ、正当な売買が成立しているんだから。厨房だって見せませんよ、隠して、商品だけ置いて、黙って売りますよ。それが出来ないから厨房を開けてるんです。
僕の店に買いに来て下さったお客様が100%満足されているかどうか・・・、スタッフもチーフ、中堅、見習いなど色々いますし。じゃあどうするか。お客さんがわざわざ来て下さった事に対して感謝の気持ちで「いらっしゃいませ」、菓子を買って下さった事に対して感謝して「有難うございました」と言わなくてはいけない。お店のスタッフだけでなく厨房でケーキを作っているものも全員ね。だから、キッチンをオープンにしてガラスも抜いてあるんですよ。


【夢・・・全てを捨てられる時が来ること】
夢。よく聞かれるんですけどね。多店舗展開しようとかそんなの全然ないんですよ。すごく飽き性なんですよね。もし、このまま順風満帆にいけるんであれば・・・それを捨てる事が出来る時。・・・わかるかなあ・・・人ってすごくいい時に決断した事って今まで以上の世界が待っている時だと思うんですよ。今やってる事は凄く楽しい、だけどもっともっと楽しい事を見つけてしまったから辞めるんだ!そういう辞め方をしたいですね。全部捨ててでも行きたいなぁと思える世界を見つけて飛び込んで行ける。そういうものに出会える時が来て欲しいですね。僕は経営者になってはいけないタイプかも知れません。


取材を終えて・・・つぶやき・・・
お話をお聞きし、経験の豊富さにびっくりしました。これだけ沢山のお店での経験を持たれている方も珍しいかも知れません。
いろんなお店で経験を重ね、新しい環境で新しい刺激を受け、それを全て自分の力にしてしまう・・・。自分自身の力をものすごく信じ、新しい世界へどんどん飛び込んでいって、どんどん飛躍されていった方なんだなあという印象を受けました。一匹狼・・・。そんな強さを感じました。

取材の最後にお聞きした夢というのがとても印象に残っています。
これだけのお店のオーナーをされていたら、このお店を守っていく、更に大きく発展させていく・・・と考えるのが普通。ところが、これを捨てられる時・・・。この発想が・・・。今まで経験した人生での新しい世界は、絶対に更なるステップアップでしかなかった中桐さんならではの夢だなぁと感心しました。転職される度に飛躍し、少しづつ高いステージに立ち、その度に更なる美しい景色を見てきた方ならではのコメントではないかなぁと。
この方の次のステージは?次は一体どんな景色を見られるのだろう?そんな事に思いを寄せてしまいました。

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