日 日 平 安
その42
2005/1/1
皆さま改めまして、明けましておめでとうございます。 本年も良き年でありますよう、お祈りいたしております。 ちょっと古い資料となるが、正月らしい話題を。 世界中にたくさんの国があるなか、自分たちが世界でいちばん幸せな人である、と感じている国民のベスト・テンが発表になっていた。 そもそも幸せなど手垢のついた言葉なので、大上段に振りかざされると たじろいてしまうのが日本人の大部分ではないかと思われる。

ニューズウィーク誌のアンケート調査によると、ベスト3に名前を連ねた国は、一位がナイジェリア、二位がメキシコ、三位にベネズエラが並んでいる。 日本人の感覚ではいずれも開発途上国で国民の所得も低いというイメージがある。 先進国では価値観の多様化や貧富の差が増大しているという背景があるので、上位に並ばないのは予想できるが、それにしても意外な結果である。

では幸福に感じているキーワードを挙げてもらうと、トップが「家族や友人との満足のゆく関係」とある。 やはり身近な人たちと親密な絆を結んでいられるのが、生活の充実感につながっている。 二番目にくるのが「地域社会における信頼関係」とちょっと思いもよらない項目が続いている。 隣り近所や地域と良好な関係を築いているのが感情の安定におおきな影響を与えているのだろうか。

一番目はともかく、二番目の項目が日本で一番よわい処かもしれない。 向こう三軒・隣り組の言葉に象徴されるように、戦前までは濃密な関わり合いが続いてきた。 ある意味ではうっとしいと思えるほど、近隣の人たちの動向はお互いによく知っていたもの。 一般庶民の暮らしはどこも慎ましく、均一な生活水準が保たれ、互いに助けあって生きらざるを得ない面もあった。

生活水準が上がるにつれ、お互いが干渉しあう関係が薄れ、人のことは人のこと我関せずの風潮がひろがってきた。 他人の子であっても目に余る行為にたいして厳しく注意したもの。 親たちも感謝することはあっても、そこへ怒鳴りこむなど考えられなかった。 今では無関心の極まりで見て見ぬふりをする大人が多い。

昔のような濃い関係は望まなくとも、もっと地域社会に入ってゆかねばと考える人が多くなってきたように感じる。 地域のことは地域の人たちが助け合わねば解決できない問題も数おおくある。 その点でこのアンケート調査が示唆するところは大きい。

2005/1/2
ちょっと気のそそる書評を読む。 本の題名は「グッドラック」 出版元は児童書では老舗のポプラ社。 児童書ではハリーポッターを手がけて、ヒヨコの静山堂がいちやく大手になったのが記憶に新しい。 手がけるのが児童書とあって地味な風合いなので話題にものぼらないが、この本の出版でいちやく脚光をあびてしまった。 昨年の六月に書店にならぶようになったが、十一月の時点で、すでに売り上げは128万部という大ヒット。

前にふれたが「ダ・ヴィンチ・コード」がミステリーでは100万部を超えるヒットで話題をよんだ。 本離れの傾向がいわれるようになって久しいが、こういう風に一発でブレイクする本があるから目利きが厳しい。 著者はスペインの経済学者二名の共著である。 すでに世界の80ケ国で発売になっているが、日本の売り上げがダントツだそうな、どこが日本人の琴線にふれたのであろうか。

物語は定年をすぎた初老の男マックスが旧友のジムと公園でばったり出会うシーンから始まる。 54年ぶりの再会であったが二人の境遇はすっかり変わっていた。 裕福な家庭でそだったジムは父の織物工場を継いだが、競争にやぶれて遭えなく破産に追いこまれていた。 一方のマックスは貧しい家庭で成長していったが、カバン作りに興味をもって、次々とヒット商品をうみだして財をなしていた。

「君みたいに運さえあればなあ」と嘆くジムに対して、マックスは諭す。 「運と幸運は、まったく別物。 幸運は誰でも自分の手でつかむことが出来る」と語る。 そして祖父から聞いた物語を話しはじめる。 それはアーサー王の”円卓の騎士”にまつわるエピソードであった。 白い騎士と黒い騎士に魔術師マリーンは課題をあたえる。 今日から七日目に魅惑の森とよばれる場所で四つ葉のクローバーが生まれる。 それを手にしたものに幸運がもたされる、と。

映画「黒騎士」はロバート・テイラーが甘いマスクで颯爽とヒーローを演じていたが、この物語では白騎士が主役である。 黒騎士は森の王たちにありかを尋ねてまわるが「ここの土では絶対に生えない」と繰りかえされる言葉に諦めてしまう。 白騎士も同様のことばを聞かされつづけるが、あるとき「幸運のクローバーを見つけるには、自らが土を下ごしらえをする必要がある」に気付いて、自分の手で土を耕しはじめる。 同時に歩き出した二人の騎士であったが、気がつくと別の道を歩んでいた。

もちろん経済学者が書いた本なので、単純なストーリーを綴っているわけではない。 原書では目次に「幸運のための7カ条」と並んでいて、ビジネス書的な色合いだった。 若い女性なら物語として読みたいはずと、編集部は工夫をこらす。 原書をいかして本のなかに七つの仕掛けを施す。 メッセージ入りの栞をはさむなど読者に楽しんでもらえる要素をつぎこんだ。 それらが相俟って日本でのブレイクとなったようだ。

一昨年の統計では国内で出版された本の総数は七万三千部弱。 単純に計算すると一日200冊以上のペースで新刊が生み出されてゆく。 本屋のスペースを考えると三日で棚から消えてゆく本もあるそう。 いい本なのに読者の目にとまらないうちに消えてゆくのが大部分。 

しかし題名からして手にとりたい本である。

2005/1/3
昨日ふれた本などは若い女性もターゲットに企画を練りに練ったよう。 単なる経済書では女性なんぞは手に取ってくれない。 それで日本だけが突出してベストセラーを記録したようだ。 巷では”ゲット本”と命名された書籍が若い女性に人気をよんでいる。 前向きな生き方を指南してくれて、読んだ人が幸せをつかむことが出来るようになる本と、一応は定義づけられている。

少し前までは「癒し」系の本が好評だったが、今では単純にいやされるだけでは満足できなくなってしまった。 読者が夢をもつよう勧めて、その夢を実現するために背中をおしてくれる指南まで懇切に教えてくれるのが人気の秘密のようだ。 自分の生き方に自信がもてずに不安をいだく人たちが、ハウツー本として求めるのがヒットの原因と分析されている。

どんなに美人で仕事ができても”三十歳をこえ・未婚・子ナシ”は女の負け犬だと、グザっと心に突き刺さる本が話題をよんでいた。 二十台の女性は負け犬にならぬよう、三十代に女性にとってはセッセと自分磨きのために、この手の本を捜し求めているようだ。 いい男、いい仕事、お金が若い女性たちの幸せの条件らしい。 いささか即物的なのが気になるが、もともと女性は現実志向。 

ロマンチストは中高年の男性がもつ時代の遺物と化してしまったのか。 韓流ブームのきっかけになった「冬のソナタ」は一度も見たことがないが、聞くところによると一世を風靡した「君の名は」のような大甘ストーリーとか。 中年の小母チャマまで巻き込んで、ヨン様におしかけ一目みて辺りもはばからず涙をながす光景を見ると、二極に分断されているのかと思わさる。 

コロコロ変わるから”心”だと一刀両断してくれた人がいたが.........

2005/1/4
楽屋裏はあまり曝さないようにしているのだが、面白いサイトを見つけたので、たどり着いた過程を述べてみたい。 年末から続いている孫たちのお泊り会、やっと今夜でお開きとなる。 いつも10時には床についているのだが、なにやかにやで11時にベッドに潜りこむ。 居間ではまだハリーポッターのDVDを見ているようだ。

何か寝付かれないので出窓においてあるテレビのスィッチを入れる。 チャンネルは既定でNHKに入っている。 ニュースではなく”ものしり一夜づけ”が映しだされる。 はじめて見る番組だが、マジックがテーマだったので、そのまま最後まで見入ってしまった。 世界最少年のプロのマジシャンと認定されている小学生の兄弟、プロボクシングのモハメッド・アリ、チャーチル首相、文豪ゲーテのエピソードなど紹介されていた。

いずれも大の奇術好き、それぞれの話題だけで一日分の分量を紡ぎとれるほど。 アリは敬虔なイスラム教徒なので、コーランで禁止しているマジックと、どう折り合いをつけたか。 奇術の番組に夢中になって、国会の審議におくれたチャーチル。 子供たちの情操教育にはマジックが最適と、各国からさまざまな手品の小道具を買いもとめたゲーテなど、興味深い裏話が紹介されていた。

そして昭和天皇が宮中に手品師のアダチ龍光をよんで楽しまれた映像が映し出された。 長島のさようならホームランで有名な天覧試合、天皇杯をあたまにした競技は相撲やサッカー・競馬が有名。 さすがにこれらは競技場へ足を運ばなければならないが、皇居には観劇などができる立派な劇場があるとは知らなかった。 劇場の名前もテロップで紹介されていたが、記憶に残らなかった。 

ゲストで出演していたプロのマジシャンが、見事な腕さばきというのか指遣いを披露していた。 それで魔術師をヒントに2005年度のベスト・ミステリーの二位に輝いたジェフリー・ディーヴァーの「魔術師」をテーマに書こうか、天覧にひっかけて話しをふくらまそうかと悩みながらパソコンを開いた。 皇居にある劇場をテーマにするのも面白いかなと思いは乱れる。

まあ競技なら天覧試合と銘うたれるのだが、手品など観劇はなんと呼ばれるのかと思い悩む。 Google で天覧の二文字で検索をかけたが天覧山など関係ないところばかりが並んでいる。 それでも長島の天覧試合はさすがに上位に出てくる。 これでは範囲が漠然として絞りこめない。 宮内庁のサイトに入れば施設の一覧表など見つかるかもしれないなあと思いながら、アダチ龍光とうちこんで検索をかける。

するとアダチ龍光を紹介しているサイトが見つかる。 その中に天覧奇術との項目がある。 思い悩むほどの事ではなく、そのものズバリのネーニングでした。 龍光が最大の名誉として誇っていた天覧奇術の項がおもしろい。 17万円かけてタキシードを新調し晴れ舞台にのぞんだが、宮内庁がくれたギャラは二万円だったなど笑わせる。

その中でNHKがこの番組を制作する舞台裏が紹介されて興味をひく。 龍光は一世一代の晴れ舞台を録音すべくカセット・テープを持参していたようだ。 すりきれるほど何度も聞きなおしていたようだが、そのテープを番組で使いたいので探しはじめたようだ。 そしてこのサイトを見つけてテープの所在がどこにあるか打診があった。 そこから幻のテープをもとめて悪戦苦闘が始まる。

しかしNHKではこの天覧奇術の映像を独占して撮影していた。 しかし音声だけがすっぽり抜けていたというお粗末ぶり。 じつはこの手品のクライマックスで十八番のパン時計を披露していた。 客から借りた時計を小箱にしまってカギをかけテーブルに置く。 おもむろに一斤の食パンをとりだす。 どこにも穴など細工していない食パンの塊だと観客に確認させる。 ナイフをとりだして二つに切り分ける。 そして右か左かと観客にえらんでもらう。 声がかかった方のパンにナイフをグザっと突き刺して何も入っていないことを示す。 おもむろに反対のパンを持ち上げ指をつっこむ。 あら不思議!パンの中から箱に入っていたはずの時計を取り出すというもの。

当日も舞台ちかくにいた侍従から時計をあづかって箱に封印する。 そして食パンを二つに切断するところまで来た。 観客へ声をかける。 右か左かどちらかを指名してくださいと呼びかける。 しかしこの日はふだんとまるっきり反応はちがう。 陛下が出席している事もあって、ご遠慮して誰も声をかけない。 客席はシーンと静まりかえったまま。 白けかかった座になろうとしたが、そこは百戦錬磨のプロのマジシャン。

龍光は腹をきめて声をだす。 ”陛下、右か左か決めてくれません”かと直接、二階の正面席に座っておられた陛下へ声をかける。 当時としては破天荒な行動だった。 満座がかたずを飲んで見守っていると、陛下はおもむろに立ち上がって”右”とお声がかかった。 これで次の手順に移れる。 右のパンにナイフを突き刺して何もはいっていないのを見せる。 そして左のパンをもちあげて無事に時計をとりだした。 陛下は相好をくずして喜ばれ一段とおおきな拍手をされたという。

撮影したフィルムは無声なので、このやりとりは記録に残っていない。 それでテープをNHKは手に入れたいと必死に探す羽目になったよう。 その顛末を「天覧奇術のカセットを探せ」の項目で克明に追っている。 番組つくりで裏方の苦労がよく偲ばれる。 天覧奇術が終わったあと陛下のご下問があると龍光はよばれる。 じつは龍光には気がかりが一つあった。 マジシャンにとって種明かしはご法度の行為。 しかし陛下から問われたら何と返答したら良いかと悩んでいた。 いよいよ来たかと、おそるおそる参上すると、お褒めと今後の精進を祈るるお言葉にホッとしたそうだ。 

番組ではこのシーンも映しだされる。 当然リアルでなく陛下のお姿は声をかけるときの口元と後姿。 陛下役をした人の素性も、ここで明らかにされている。 楽屋落ちではじまった今日の文章もオチも楽屋落ちでした。

なおこのサイトは http://www.tonreco.com/ryukou/

2005/1/5
「その時歴史は動いた」は二代目の市川団十郎を取りあげていた。 どうも能や歌舞伎など古典劇をはじめとして現代劇に至るまで劇場で見る機会は未だに一度もない。 考えてみるとテレビで放映されたものを含めても記憶に浮かんでこない。 地方に住んでいたことを差し引いても、好きなら手段や機会はいくらでもあったのだろうから、自分の好みに合わないのだろうか。

本と映画でフィクションの世界はじゅうぶん堪能していたので、ことさら触手がわかなかったこともある。 この分野の素養がまるっきり抜け落ちていて、自分にとって一番弱いところと弁えている。 せいぜい数少ない歌舞伎の名台詞をおぼえているくらい。 そんなことで十二代目である現役の団十郎が出演していて面白かったが、コメントを述べるほどの感慨はない。 

芝居っ気がまるでないので寸劇をやらざるを得ないときは、登場人物より台本作りの方を選んでしまう。 やる人がいなくて止むをえず扮装して演じたことがあったが、科白が棒読みだと分っていても、どうすることもアイキャンノット。 それでも落語だけは好きな方、落語全集をよく読んでいた。 生真面目で堅物と見られていたのか、事務所の机の上に図書館から借りた全集を置いていたら、あら!こんな本を読んでいるのと驚かれた記憶が浮かんでくる。 

フーテンの寅さんが落語をベースにしていたのは初期の作品が多い。 一作目はリアルタイムで見ていないが、ほとんどの作品は映画館で見た。 何かの機会で知人の奥さんが経営するママと見に入ったことがある。 冒頭にあの主題歌が流れるとお笑いモードに切り替わっている。 終始ケラケラ笑ってばかりいて、意外な面をみせられたと驚かれたことがある。 こんな映画に連れ出すくらいだから、色恋沙汰と無縁だったことを念のため付け加えさせていただく。 

資格をとるため四十代のころ、東京で一週間の講習をうけた時がある。 朝9時から夕方までびっちり缶詰のハード・スケジュールであったが、復習するまでもなく夜は自由時間。 新橋駅前のホテルに泊まっていたが、落語を上演している劇場に通いつめたもの。 これは前にどこかで書いたことがある。 同じ話題をくりかえしたり、思い出話しに終始するようになったら老いたる証拠とか。 気をつけねば..........

2005/1/6
朝食がパン食なので生野菜のサラダがよくテーブルに並ぶ。 台風による被害の拡大でレタスが高騰して店頭に並ばなくなった時期もあったが、手軽に調理できることもあってレタスの葉をちぎって上にツナ缶を盛り付けるメニューが多い。 そのさい問題になるのが、缶詰を開ける作業。 プルトップの栓が缶の表面にぴったり付いていて起き上がらない。 家内の指の力ではつまみを持ち上げられない。

まあドライバーを出して、こじ開ければ出来なくもないのだろうが、面倒なので声がかかる。 この位しか男手の出番はないが、もったいぶって調理台へ立つ。 たしかにプルトップが缶の表面に貼り付いているので,丸い輪を指先でおこすまでが大変のよう。 ちょっとでも起き上がると、輪の中へ指をつっこめるので手がかりになる。 

これから高齢化社会をむかえて力が衰えた老人のために、ユニバーサル・デザインと称して様々な工夫をされてきているが、すべてに行き渡るまでにはまだまだ時間がかかりそう。 補助器具が販売されているようだが、具体的な商品は見たことがない。 そしてプルトップを持ち上げてゆくと缶の上部がめくれてゆくが、切り口が鋭利な断面となっているので、下手にさわると怪我をしないか心配になる。

ドジを弁えているので気をつけてと家内から声がかかる。 毎回のわが家の光景である。 そんな中、ダブルセーフティー・プルトップ缶があることを知った。 東京の下町にある小さな町工場で製作されているもの。 40年いじょうも金型職人として現場の第一線にたってきた親方が開発した。 特許をとったのは1992年というから一昔まえのこと。

海外の業界がこの成功に早くから注目してきたので、多くの国の特許を取得してきた。 今では世界の缶詰業界で三十分の一のシェアを占めるまでになった。 しかしお膝元の日本では正当に評価されず、やっと2003年に文部科学大臣賞を受賞したくらい。 

開けた缶の縁が、S字状の輪に巻きこまれてゆくので手を切る心配が全くない。 長い間かかって試行錯誤をつづけながら創意工夫の結果、やっと完成した。 とうじ大学や企業の研究所が、この謎を解くべく最新技術の機械で調査したが、この技術の解明ができなかったという曰くつきのもの。 コンピュータに出来ないことに挑んだ職人であり、技能が技術をリードした好例であると絶賛している人が多い。

あのツナ缶に取り入れられるのは何時の日か?

2005/1/7
「世界の中心で愛を叫びたい」いわゆるセカチューが若者たちの間でヒットしているよう。 それにあやかったのか時計メーカーのセイコーが新成人をむかえる男女にアンケート調査をした結果が発表されていた。 設問は「世界の中心で叫びたい一秒の言葉」としてインターネットを通じて行われたよう。 500人程度であるが、男女間で意識の違いがうきでる結果となった。

男性の一位が「お金が欲しい」と即物的なもの、ちょっと夢も希望もない感じがするが本音がでたと言おうか率直な思いがほとばしっている。 さすがに女性の一位は「愛してる」と、夢見る十代なのか映画や小説の影響なのか、そのものズバリ。 それでも「愛してる」は男性陣の二位につけているのは順当なところか。 ちなみは「お金は欲しい」は女性陣では六位に下がっている。

しかし「世界の平和」が、男性が「恋人が欲しい」と同順位で三位・四位を占めているのは少しホッとするところ。 しかし「バカヤロウ」が五位にきて、社会の閉塞感なのか鬱積した感情をかいま見る。 女性はさすがに九位ちかくまで下がってしまう。 わかい男性の感情が両極端にゆれ動いて不安定さが現れたたに対して、女性は対照的といって良いほど。

二位と三位に「頑張るぞ」「ありがとう」が並んでいて、前向きの姿勢を見せている。 さすがに若いときからしっかり大地に足をつけている感がする。 男性はまだ甘ったれだった少年の影をひきずっているのでしょうか。 

他の設問を読むと、”今のあなたの時価総額はいくらか”、”未来の自分について一番しりたいことは”、”いま一番輝いている人は”、”2004年で一番感動したスポーツは”とならび、最後に”思わず時計を見てしまう時とは”と さりげなく企業のリサーチも入れている。 ちなみにそれぞれのトップは、一千万円・結婚あいて・ヨン様・イチロー・授業時間となっている。

セイコーでは2003年、2004年と同様な趣旨で、新成人の意識調査をつづけているようだ。 身につまされるような設問もあり若者たちと比べてみるのも面白い。 異星人ともいわれる若者たちの考えが何となく浮かんでくる。 以下のアドレスで入って枠の中の右上に”時の意識アンケート調査TOPで過去のアンケートが読める。

    http://www.seiko.co.jp/nihongo/shinseijin2005/top.html

2005/1/8
マイクロソフト社で発売になった無線式のマウス、受信装置をUSBポートに差し込んでおくだけ。 煩わしいマウスのコードがないので、マウスが自由自在で快適に操れる。 USBポートが常時ふさがれるので、一つしか無い機種はプリンターなど使う時など大変ではあるが........

マウスの底が受信装置の形状にあわせて窪んでいる、持ち運びのときはUSBポートから抜き取って嵌めこむとピシっと一体化となるのも工夫がこらされている。 やはりノートパソコンは簡単に移動できるのがウリなので有難い。 うちのUSBポートは二年前の機種なのでバージョンは1.0 であるが、操作をしていて違和感はない。

光学的に読み取るのでマウスパットは不必要とうたっているが、長年つかってきたパットに慣れてしまったせいか、そのまま使っている。 これはチャート・テーブル脇にパソコンを組み込んださいに買ったゲートウエィの製品についてきたパット。 しっかりトレードマークの乳牛のマダラ模様がプリントされている。 

ただ受信装置の方はパソコンに接続されているので電源はそちらから供給されるので問題はない。 しかしマウスは独立しているので単三の乾電池で動くことになる。 乾電池なので、いつかは電池はあがる。 そのさい交換の乾電池が手元にあればなあと心配していた。 電池が切れそうになった時に、サインが出る仕組みになっていない。

遂にその日がやってきた。 画面のマウスの矢印が動かなくなってしまった。 突然この症状があらわれるので困ったもの。 幸い自宅だったのですぐ取り出せたが、出先なら買いに走らなければならないところ。 尤もノートパソコンは本体にタッチパッドがついているので、当座の使用には支障がない。 しかし操作感は比較するまでもなく格段の差がある。

いつマウスを買ったのか日日平安を巻き戻してゆくと昨年の11月15日でした。 かれこれ一月半くらいが電池の消耗期間となる。 もっとも使用時間によって上下するだろうから一律とは行かないでしょう。 それでも一応の目安が分って一安心。

2005/1/9
朝めざめる時間はたいてい4時から5時までのあいだ。 当然ながら外はまだ真っ暗、街灯の灯りが空に映えているくらい。 いつものように目がさめてしまったが、いつもの時間だろうと着替えをして起きだした。 トイレで膀胱を空にしてから書斎においてある体脂肪計で計測するのが毎日のパターン。

記録をつけてから居間へむかい、照明をつけ食卓テーブルに座ってパソコンへ向かうのが日課となっている。 ちらっと時計を見上げると、時計の針はまだ二時前をさしている。 特別はやく寝たわけではなく、いつも通り十時ごろベッドに入ったはず。 すでに着替えてしまったので、今さらベッドに戻るのも面倒なので、そのままパソコンの電源をスィッチオン。

つうじょう家内は7時半から八時ごろ起きだしてくる。 この年になっても睡眠時間はたっぷり取っている。 横になっていれば眠くなるでしよう、と言われるがベッドであれこれ考えながら反転しているのも辛いもの。 それなら起きてしまった方が、ずっと楽である。 お袋が暮れから正月にかけて遊びにきていたが、弟も早起きになったという。 いろいろ思い煩うことが多いのでしょう。

それはそれで済んだのだが、次女が昼ころ顔を出してきた。 そして言うことには、今朝二時ごろ起きていたのでしょう、と宣う。 ウンウン何故わかったかと尋ねると、亭主が残業で帰ってきたさい、居間の灯りが見えたとのこと。 おいおい正月そうそう、そんな時間までこき使われているのかと冷やかす。

三連休の初日の土曜日も出勤を命ぜられているそうで、あさ駅まで車で送ってきたそう。 眠い目をこすり欠伸をしながらの出勤となったよう。 まあ会社に行ってもする仕事がなく手持ち無沙汰でいるより、ずっと増しだといつもの慰め言葉をかける。 

こちらも現役時代は時間貧乏だった。 北海道の土地柄があって仕事は夏に集中する。 六月をこえると本格的な発注が始まる。 工期が何本もかさなって残業漬けとなる。 そして暮れまで、この状態がつづく。 これを毎年繰りかえしてきた。

そんなことを思い出す出来事だった。

2005/1/10
1/7付けで新成人をむかえた男女青年の意識調査をしたアンケート結果について触れた。 それを実施したセイコーのサイトのアドレスを表記したが、飛んでみてご覧になった人もいたかもしれない。 本年の質問は六つあるが、その一問目に”未来の自分について一つだけ、何が知りたいか”との設問がある。 そこで男性の返答のうち際立って考えさせられる答えがある。

いつどんな相手と結婚できるか、が男女ともトップにきているのは、ある意味では順当なところかなと思ってしまう。 どんな職業についているか、が双方とも三位につけている。 やはり生涯の伴侶や就いている職業を知りたいと思うのは、人生をおおきく左右する要因なので頷ける。

しかし二位の返答が男女でおおきく割れた。 男性は寿命・死因とあって、女性は幸せな人生を送れるか?となっている。 女性のばあいは社会人となって日が浅いのか、学生が多いせいなのか、未だ人生にたいし受身の姿勢がまだ根強いのだろうか。 自分が人生を切り開いてゆくとの主体性がまだ芽生えていない結果なのでしょうか。

驚いたのが男性の回答、これから自分の人生にたいして夢や希望を一番いだいている年頃とおもうのだが、いつ死ぬとか死因を知りたいが寄せられるとは予想外の答えである。 ちなみに女性も数はガタっと少ないが四番目につけている。 もう既に人生の行路がみえているのだろうか。 社会の閉塞感が若者たちの心の奥底に広がっているのだろうか。

設問自体がありえないことなので、意外と本音をひきだすもの。 お遊びと考えて面白がっていれば良いのかもしれないが、すでに人生の終末を考えているとは何か寂しい気持ちに襲われる。 バラ色の人生とはゆかぬまでも、もっと明るい展望をもってほしいと願わざるを得ない。

昼から買い物につきあったが、成人式がおこなわれる区民センターにむかう車で大渋滞。 対向車線は着物にきがえた娘をのせた車が延々と連なっている。 大量の人数なので駐車スペースは勿論ないだろうし、袖をまくって運転もできないだろう。 両親そろって送り迎えのハンドルを取っているのでしょうか、娘や息子の晴れ姿に誇らしげに見えてくる。

今年の成人式も荒れずにすむと良いのだが.....

2005/1/11
定期購読している総合雑誌にクロスワード・パズルのコーナーがある。 ほとんど毎月のように解答を附属のハガキに書きこんで投稿していた。 家内によると、この性向はお袋譲りといわれるが、母もよく新聞や雑誌の問題に興じているらしい。 まあ頭の体操になるかと、ついペンを手にする。

解答は対角線にならんだ空欄をすべて埋めて、さらに並べ替えて意味ある言葉をみつける仕組み。 そんなことで全部を埋める必要はなく、該当する列と行だけ考えるというズボラと言おうか省エネでやっている。 当然のことながら記憶だけでは浮かんでこず、国語辞典やことわざ辞典などを脇におきながら考えることになる。

時には、はじめて目にする語句も出現して勉強になる。 二字の成句で片方が分らないない時は、アイウエオと順番に当てはめて捻くりまわすことも多い。 やはり古語や古文に関する語句が難しく、自分の素養のほどが知れる。 まあそれでも何とか完成して、ついてくる解答のハガキに書きこんで切手を貼ってポストに投函してきた。

これで思い出したが、郵便ポストを置いてある所が少ないこと。 近くにある郵便局は駐車スペースが一台分しかなく、路上駐車となる。 対向車線側にあることもあって、ついおっくうになる。 コンビニにポストが置いている店がふえてきているが、まだ数はすくない。 よく買い物にゆく大きな集合マーケットには郵便ポストが設置されていない。 銀行といっしょに郵便局のキャッシュコーナーが置いてあるくらいだから、ポストも併設されていれば良いのにと何度か思ったもの。

そんなことでハガキを完成しながら、つい締切日を過ぎてしまったことも何度かある。 たしか12月もハガキに書き込んだが、出しそびれて締切日を過ぎ捨ててしまった。 雑誌の巻末に前回の答えと当選者が掲載されている。 問題など忘れているが、解答をみると思い出す。 間違ったとの記憶はない。 正解者の中から抽選で30名ほど名前が発表になる。 ざっと目をとおすが、自分の名をみつけることはなかった。

昔からこの手のクジ運は弱いほう。 当たって嬉しかった記憶は思い出せないほど、子どものころから縁がない。 それでいつしか家内名義で出すようになった。  それが昨日、郵便受けに封書が入っていた。 何の気なしに開けてみると、図書券が入っている。 折り畳んでいた便箋には、当選しましたので図書券を送ります。 二月号に名前が掲載されますとある。

あわてて上書きをみると家内の名前になっている。 信書の自由を侵害してしまったが、名義を借りたのだから良しとしましょう。 わずかな額の図書券だが、当たったことには間違いない。 こいつは春から縁起がいいー。