西日本新聞
スポーツ西スポ50周年企画 九州アマ列伝
西スポ50周年企画 九州アマ列伝 日本のスポーツ界を支えるアスリートたちを輩出してきた九州・山口。そこには彼、彼女たちをはぐくんできた高校、大学や企業がある。全国的な活躍を果たした“礎”をピックアップし、そこから巣立っていった名選手たちの当時の思いや近況を伝える。

 
[8] 筑紫女学園高 鯉川 なつえ
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現在は順天堂大陸上部女子監督を務める(写真上)、力走を見せる筑紫女学園高時代の鯉川(写真下)

 勝つために負けも必要

 鯉川なつえ(32)の一日は充実している。午前6時半からの朝練習で始まり、帰宅は午後10時すぎ。順天堂大のスポーツ健康科学部講師と、陸上部女子監督を務める。飲食が選手に与える影響を研究して学会で発表し、主婦業もこなす。

 活力の源は高校時代にある。筑紫女学園2年の第1回全国高校駅伝女子で5区区間賞。3年の第2回大会はエースが集まる1区を区間新で制した。だが、優勝候補のチームは2、3位と2年続けて頂点に立てなかった。個人でも3年の高校総体三千メートルで高校新ながらも2位。地元福岡のとびうめ国体も優勝を逃した。

 悲劇のヒロイン。周囲からはそう呼ばれた。だが、鯉川は「悔しい思いをしたから大学、社会人と走り続けられたんです。総体や国体で優勝していたら高校で辞めていた」と首を横に振る。「練習? 走るの? どちらも嫌い。勝つのが好き」。負けず嫌いの性格が日本学生選手権三千メートル連覇につながった。

 環境に恵まれた。恩師は母校の河村邦彦監督。「感謝しています。細かいことは言わず、自主性を尊重して力を伸ばしてくれた」。中学ではバレーボールで全国大会に出場したが、陸上は未経験。「とびうめ国体に出たかった。中学の校内マラソンで優勝した特技を生かそうと思った」。飛び込んできた初心者の素質を、その指導で開花させてくれた。

 管理されないことで自覚も芽生えた。「生活すべてを陸上につなげた」。太りやすい体質を考え、肉は朝食で取り、間食はしなかった。午前5時半に起きて家の周りを30分走った。

 「河村監督はレースでも『好きなように走れ』と言われた。駆け引きを知らず、まっすぐなレースしかできずに勝負に弱かった。でも、負けてたくさんのことを得て力をつけ、ユニバーシアードの代表になれた。勝つためには負けも必要と、身をもって学んだ」

 指導者となった今、18人の部員に情熱を注ぐ。「勝つという気持ちを持つ」。「口に入れるものにどれだけ気を使うか」。そう教え子たちに説いている。高校時代の経験と研究を生かした“鯉川流”。その成果が楽しみだ。 =敬称略

 (甫守真樹)


 筑紫女学園  福岡市中央区警固2丁目。角敏秀・中学高校校長。高校の生徒数1879人。1907(明治40)年に私立筑紫高等女学校として開校。45(昭和23)年に新制高校新設で筑紫女子高校開校。51年に筑紫女学園高校に名称変更。ハンドボール部も強豪。陸上部は戦前から活動し、全国高校駅伝女子では91、99、02年と3度優勝し、埼玉栄(埼玉)と並び最多優勝を誇る。水泳部OGの田中(現・竹宇治)聡子は高校3年時に60年ローマ五輪女子百メートル背泳ぎで銅メダル、東京五輪は同種目で4位入賞。

2004.11.02掲載
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