環境リスク学―不安の海の羅針盤 中西準子著 常識論にそった視点の有効性を示す
本紙掲載2004年11月14日
中西準子は、日本では常に時代の半歩先を歩いていた環境工学者だ。この本は彼女の退官講義と、環境問題をめぐる雑文を集めたもので、彼女のリスク論の優れた解説書にもなっている。
彼女のリスク論は、実は結構単純な話だ。環境問題でもコストやリスクをきちんと考えよう。あらゆる危険や害をゼロにするのは無理だから、処理にかかるお金と発生するリスクとを比べて妥協点を考えましょう。それだけ。
当たり前の常識に思える。でも環境問題の世界では、この常識がなかなか通用しない。一方では、お役所や業界の思惑で効率の悪い下水道整備が推奨され、一方では一切のリスクを排除せよと目をつり上げる(善意とはいえ)環境保護屋さんが跋扈(ばっこ)する。
中西はそういう双方の議論と一貫して戦い続けてきた。本書はその現在進行形の記録だ。前半は、上下水道をめぐる議論。最初は汚染物質規制や特定の処理方式の是非を考えていた中西が、だんだんリスクとコストや便益とのバランス重視に変わるプロセスは実に腑(ふ)に落ちる。
そしてその発想に基づく後半のダイオキシン研究(実はダイオキシンの主発生源は焼却炉じゃない!)に始まる論考は、環境問題の現状についての厳しい批判となっている。環境ホルモン「問題」の虚構性。牛海綿状脳症(BSE)がらみの全頭検査の無意味さ。いずれも微少なリスクが大仰に取りあげられ、マスコミが不安を煽(あお)り、それが政治的に利用され、大量の無駄遣いにつながっている。きちんとしたデータと冷静な分析に基づき批判がわかりやすく展開されるこの部分は、コミュニケーションの道具としてのリスク論の有効性を示すものでもある。
最近になってようやく彼女の発想がじわじわとあちこちに浸透しはじめてきた。でもまだまだ足りない。もっともっと多くの人に本書を読んでほしい。不毛な極論はやめよう。煽りに踊らされず心穏やかに生きよう。バランスのとれた常識論に戻ろう。この単純なメッセージを、本書は楽しく穏やかに、でも力強く伝えてくれるのだ。
評者・山形浩生(評論家)
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日本評論社・251ページ/なかにし・じゅんこ 38年生まれ。産業技術総研・化学物質リスク管理研究センター長。
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