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八ツ尾半

レイ・ナカザワ
Translated by Yoshiya Shindo

 まだ空気に血が重く混じっているようだった。それは狐の敏感な感覚を鈍らせ、実際に彼の喉の中で固まっていた。彼は咳するのを耐えていた。

 記憶にある限り、八ツ尾半(やつおはん)薄村(すすきむら)を出たことはなかったし、まして一人でこうも遠くまで来たことはなかった。最初は、まるで陽に長く晒された絵がかすれていくように、神に対する恐怖が彼の心から薄れていた。しかし、その色を再び溢れさせるのは、一滴の鮮血で十分だった。

 狐の古老が杖を地につくたびに端にくくりつけられた輪が鳴る明るい音は、彼の周りの殺戮に似つかわしくなかった。道に散らばった木の荷車の残骸は、それが隊商であったこと、そして浪人の護衛が、明らかにほとんど仕事ができなかったことを示していた。積荷の布が草の上を蛇のように広がり、鮮やかな緑の上には醜い赤の斑点が散らばっている。八ツ尾半は、一人の商人の衣服が裂かれているのを目に留めた。これは神によるものではない。明らかに人間か何かの物漁りが、すでにここを通り過ぎているということだ。

 彼の前の波打つ草の野原は、彼に静かに囁きかけている。しかし、彼の前の道のあちらこちらにはいささかの印があった。踏み荒らされ焼け焦げた草むら一帯、上のほうの枝が折られた奇妙な樹、固い土の中に踏みつけられた岩。この道は神の破壊の通り路でもあった。この道のさらに先に他に何がいるか、誰が知るだろうか?  八ツ尾半は薄青の目を閉じ、静かに心が収まるのを待った。霜剣山(そうけんざん)へはここからさらに二日かかる――この神が蹂躙した道を行くなら三日だろう。彼は今回の旅を思い、背中に下がっている草で編んだ簡素な籠の中身を思った。彼は薄村に残した人々を思った。おそらく今になって自分がいなくなったことに気がつくだろう。



 彼は萩村を、そしてそこの住人すべての身体にできた黒い痘痕(あばた)の斑点のことを考えていた。その病は夏の夕立のように、汚れの臭いを振りまきながら広がっていった。君主今田は村を隔離するよう命じたが、犠牲者を扱うべく行くことを許した癒し手はせいぜい五人ほどで、彼らは道端に嘆きを積み上げるばかりか、自らの病の傷を癒すことすらできなかった。

 彼がそこに向かったとき、自分に病がうつる事など考えもしていなかった。それから五日間、彼は一睡もしなかった。彼の記憶にあるのは苦痛と高熱にゆがんだ顔や、びっしりとただれた腕や、子供の泣き声、湿布、薬草、薬、霊薬、そして祈りの言葉だった。

村人の四半分は失われたが、それでもその三倍は助かった。彼が疲れ果てて落ちた眠りから覚めたのは二日後のことで、その時、彼には六本目の尾が生えていた。

 そこはかつて農場だった――それだけは確かだ。しかし、彼が後にしてきた隊商のように、ここも蹂躙されていた。小屋は、まるで何者かが内側から吸い込んだかのように崩れていた。かつては小さな馬屋だったと思われる掘っ立て小屋がそのそばでくすぶり、荷車が壊れて風に音を立てている。小さな水田だけが触れられないままなのが悲しげだったが、立派に伸びた稲が刈り取られることは二度とないだろう。

 八ツ尾半は、彼が育った農場はこれほど大きくはなかったことを思い出していた。彼の父は貴族でも屈強の戦士でもなく、単なる狐人に過ぎなかったが、彼が知る限り最高の生活をしていた。それは慎ましやかなものであったが、子供の目からみれば知識の泉で、彼は息子に伝説の神の生き方や、名誉や力、狐人という種族そのもの、そして狐が重要な何かを学んだり成し遂げたりしたときに尾が増えていくことなどを教えていった――そして、九尾(きゅうび)の狐の最も賢いことなどを。彼は覚えていた。幼い頃、どうしてこんな素晴らしい父に九本の尾がなかったかを不思議がり、やがて自分がその役割を目指していくことを決心した。

 しかし、今この場においては、笑い声やおしゃべりは彼の思い出の中にしかなかった。そこにかつて誰かが住んでいた様子は無かった。彼は声をかけたが、答えるのは稲のさざめきだけだった。彼がそこを去ろうとしたとき、彼の尖った鋭い耳に鼻をすする小さな音が聞こえた。杖の輪を握って音を立てないようにすると、彼はゆっくりと荷車を回り込んだ。そこには埃に汚れた顔の人間の少女が、ほつれた着物をしっかりと握り締めて、名状しがたい恐怖に震えている姿があった。彼女は非常に幼かった……。



 ……彼女と同じ年のころ、彼は名高い僧侶の息子である彼の友人が、身代金を狙った人間の浪人の侍どもにさらわれたという話を聞いた。若い狐は父には内緒で、一人で人さらいの居場所を着きとめたが、戦って彼らを倒すのは無理な話だった。かと言って村に戻るのは時間がかかりすぎる。身代金の受け渡しは目の前だった。逃げ出すのもありえないことだ。ただ……。

 彼はこっそりと小屋を回りこみ、眠っている侍の間を抜け、靴ひもを互いに結び合わせ、下剤の薬草を彼らの酒の壷に忍ばせ、それからある侍の持ち金を別な侍に“再配分”した。次の朝、混乱と罵りあいと喧嘩が収まった後、人さらいの一味はみんな死ぬか動けない状態になってしまっていた。二人の狐は家へと向かっていったが、その一人には生えたばかりの二本目の尾が揺れていた。



 慎重に彼は、荷馬車の反対側から彼がまだそこにいるかを覗き込んでいた少女の脇にかがみこんだ。「こんにちは。」と彼は耳元で囁いた。

 しかし、その小さな声にもその子は飛び上がった。彼女は慌てて逃げ出そうとしたが、彼女のか弱い脚では全然先には進めなかった。「待ってくれ。」と狐は優しく先を続けた。「私はお前を助けに来たのだ。」 彼は注意深く、炎症を起こしている子供の額のみみず腫れに爪をあてた。彼は甲高い狐の言葉で古い呪文をつぶやくと、杖をじゃらじゃら鳴らし、創生の力に助けを求める祈りを捧げた。傷が消えてしまうと、少女の目は驚きに大きく見開かれた。「気分は良くなったかな?」 少女はしっかりとうなずいた。「よかろう。お前は一人か?」

 彼女は懸命に涙をこらえていた。「お母さんもお父さんも死んじゃった。」と彼女はからからに乾いた声で答えた。彼女の言葉が何を意味するかは考えるまでもなかった。

 「他には誰かおるか?」 彼女は頭をふった。八ツ尾半はうなずき、背中の籠のひもをほどいた。「こっちにおいで。一緒に他の人を捜しに行こう。」 彼女は一瞬躊躇したが、その小さな身体を背中に飛びつかせ、首をしっかりと抱きしめた。狐は注意深く立ち上がり、二人はうち捨てられた農場を後に立ち去っていった。



 次に人が生活しているのを見つけたのは、そこそこの大きさの商人の町で、八ツ尾半の記憶によればそこは耕富(こうふ)という名だった。少女は、荷馬車に一杯の磨き上げられた木材や、屋台が大声で焼きたての鳥串を売る様子や、ふんわりとした長衣に身を包んだ女たちが奇妙な光景にほとんど気を払わずに笑いながらおしゃべりをしている様子を不思議そうに眺めていた。

 予想通り、大通りの端の近くには、永岩城(えいがんじょう)によって関所が設けられていた。これらの番所は今田(こんだ)の領地を維持する建前で建てられていて、神の攻撃に対する防御と警告の役割も担っていた。しかしそこの侍は、前者の役割よりも後者の方が遥かに役に立ちそうだ。見張りについている退屈した表情の若い侍は、二人の訪れに眉を上げて驚きの表情を見せた。

 「ずいぶんと遠くまで出てきたな、狐。」と彼はぶっきらぼうに言った。彼の指は明らかに刀の柄にかかっていた。「何か面倒な事態にでもなるのか?」

 「何も無い。おそらくな。」と八ツ尾半は答え、彼の周りのせわしげな動きを見やった。「ここから二()ほど道を行ったところに、神の襲った跡があったわ。おそらくお前とここの町は幸運だったんだろうな。」

 侍の顔はそれとわかるほどに青ざめた。「そうかもな。」と彼は言った。なかなか素早く落ち着きを取り戻したものだ。「で、それは誰だ?」 彼は背中から降りて八ツ尾半の脇で着物を掴んでいる少女を顎で示した。

「彼女は神に家を襲われて、どうにか生き延びることのできた子だよ。家族は誰もいないのだ。」

侍は少女のぽかんとした、涙の乾いた顔を眺めていた。狐はその表情にすっかり引き込まれていた。「孤児院はいっぱいだ。最近、神がこの辺の領域を襲ったんだ。他に……。」

「お前は正しい行いをするだろうさ。」と狐は答え、少女を侍のほうに押し出した。「信用しとるよ。」



 ……それは彼が最も見込みがあると思っていた弟子の鉄之爪(てつのつめ)を信用すると決めたときのようだった。その若い狐は精霊世界のことをどの弟子よりも早く学んだし、彼の癒しの術を越えるものは八ツ尾半(当時は「知恵鼻(ちえばな)」と呼ばれていた)自身のみだった。鉄之爪は思慮深く、賢く、哲学や歴史や精霊のことを教え議論する意欲に満ちていた。八ツ尾半は、彼の明るい未来を信じていた――おそらく彼は古老の養子となり、自分の指導者としての地位を継ぐのだろう……。

 しかし、それも鉄之爪が八ツ尾半の部屋を訪れるときまでの話だった。彼は頭を下げた。「御師様……。」 感情に込み上げてきた言葉は、たった一言で古老をただちに振り向かせた。「私は侍になりとうございます。」

 八ツ尾半の心は凍りついた。確かにその少年は、魔法と同じぐらい刀の腕にも長けていた。確かに鉄之爪は狐の戦士の長い血筋の末裔で、しばしば平和のための戦争というものを論じていた。しかし、このような……。

 「この世界は、私が直接動かざるままにはいられぬほどの闇に満ちているとの結論に達しました。私はその道においてうまくやり遂げる自信があります。それに、噂に聞いたのですが……」 彼は一瞬言いよどんだが、頭を振った。「それはどうでもよいこと。我が両親も姉も、すでに戦地にて戦っております。うち二人はすでにその義務の中で命を落としました。私も僧職を棒に振りたいとは思っておりませぬが、しかし最近、我が瞑想の中で、私は戦場にいるべきであるという思いに至ったのです。」 彼は師範の四角い目を見つめていた。真っ直ぐさは八ツ尾半がずっと前から評価していたことだ。「ここへは御師様の許しを乞いに来たわけではありません。我が心はすでに決まっております。しかし、一言申し上げるべきと思ったのです。」

 いくつもの反論が古老の頭を巡った。危険なこと、学問のこと、判断力のこと。少なくとも数日はゆっくり考えるべきだし、家族の死を前に考えも曇っているであろうに! しかし、八ツ尾半は一言だけ語った。「稽古で怪我をするなよ。いつでもここがお前の家だ。」

 若い狐は驚いて目を瞬いた。そして、彼は満面の笑みを浮かべた。「ありがとうございます、御師様。私が神河(かみがわ)に対する義務を果たしましたら、ここに戻ってくると約束します。」

 「その日のために祈るとしよう。」 鉄之爪が永岩城に出発してからずっと、八ツ尾半は何を言うべきであったか、何を言うことができたのか、彼は若い狐の心にあった決心や確信が見えていなかったのではないかと悩んでいた。それからほんの一週間後、ここ数年で初めての鉄之爪抜きの訓練の場において、彼は自分に八本目の尾が生えていることに気がついた。



長い沈黙があった。しかし最後に、若い男はうなずいた。「私は孤児院をやっている者たちを知っている。彼らに話すが、それまでは私が彼女を預かろう。」 「ありがとう。」

侍は少女の前に片膝をつく、微笑んだ。「こっちにおいで、嬢ちゃん。」 彼女は身動きせず、不審そうな顔で八ツ尾半を見上げた。

「お行き。」 その言葉に、彼女は前に進んだ。侍は彼女を抱きかかえて立ち上がった。

「尋ねても構わぬか?」と侍は言った。

「もちろん。」

「この領域ではお主のような者は、ここを通り過ぎる君主今田の軍勢以外ではあまり見たことが無い。これからどこに向かうのだ?」

「霜剣山の中央部近くまで。」

侍は眉をひそめた。「そこに何があるのだ?」

「苦行だよ。おそらくな。」 狐の古老はそれだけ言うと、その場を離れた。後に彼は、その少女がまだ孤児院にいるのを見かけている。彼女はゆっくりと他の子供たちに心を開いていたが、管理人は彼女や他の子供の引き取り手が神の乱が終わるまでに見つかることに対しては、あまり期待を持っていなかった。

数刻前に陽が暮れていたが、八ツ尾半は恐れること無しに歩き続けていた。彼の杖の頭には優しく暖かい光が灯り、彼の前の道を照らしていた。夜の野営までにはまだ先に進むことができたし、時間が稼げればそれに越したことは無い。

地平の先には、鋭い山々までもう少しの場所に来ているのが見えていた。その道は平坦で固く、地面のそこかしこに岩が飛び出している。草木はまばらになり、一歩ごとに埃が舞った。神の怒りの前の日々には、この道を岩斬峡(がんざんきょう)へと旅する商人や旅人が行きかっていた。もちろん、それはすなわちここが最も……

八ツ尾半は立ち止まり、耳を立てた。彼は乾いた空気の臭いを嗅ぎ、目は鋭く前後に動いた。彼は杖を固く握り締めた。

「山賊め。」

岩を這い登り、隠れ場所の溝から飛び出し、あるいは岩礁から飛び降り、彼らはあっという間にそこここに姿を見せ始めた。それは七、八人ほどの鼠人(ねずみびと)で、毛皮は垢に汚れ、つぎはぎの皮鎧を着込み、槍や短剣を振るいながら現れてきた。どうやら鼠の傭兵や盗賊は神河の全地域にはびこっているようだ。

「お付きも無しの狐が一人だ。」と一人が甲高い声で嘲り笑った。

「お前の骨が鳴るのが何哩も先から聞こえたぜ!」と、別な鼠もあざ笑った。

三人目は長物を空中に振り回し、低く鋭い音を立てていた。「侍ですらねぇぜ! 坊主だとよ!」 さらに別な鼠が、他と共に輪を詰めながら笑っていった。八ツ尾半は、月の光に長い影を落としている岩の方にゆっくりと下がった。 彼は油断無く目線を鼠に向け、それから影に目をやった。彼は杖をしっかりと握り締めた。

「俺たちに何をくれるんだ、狐?」

「その杖は高そうだな。お前の尻尾もそこそこで売れるだろうよ。」

八ツ尾半は喉の奥底にうなりを感じていた。「我が道を邪魔するな。」

鼠の笑い声がこだました。「もちろん、邪魔してるのさ! 他にどうやってお前を殺して荷物を分捕れるってんだ?」

「今すぐ引いたほうが良いぞ。」 狐は杖を振り上げ、気が立っている鼠の歯に向けた。「お前らの身のためだ。」

「空元気か、じじい狐? 耄碌したか、やけくそか。俺らみんな相手に何ができるつもりなんだ?」

「気をつける相手は私ではない。」 そう言うと、杖の先から光が閃き、彼はそれを大きな影に荒々しく振り下ろした。鼠がその光に瞬く間も無く、彼らの耳には恐ろしい叫び声が響き渡った。不恰好な塊をした夜の闇が、影の中から飛び出してきたのだ。それは濁った粘液の塊で、その闇は月光を吸い取り、同じ物質でできた小さな球が、腐肉にたかる蝿のように本体の周りを巡って飛んでいた。それは伸び上がると、喉を鳴らす音と蟋蟀の声と金属をこすり合わせる音が混じったような奇妙な叫び声を上げた。八ツ尾半は早口で呪文を唱えながら荒々しく杖を振り、うるさく鳴る輪は魔法の光を増していた。それに反応するように、その塊は身体から槍のような物を打ち出した。それは泥のような材質だったが、剃刀のような鋭さだった。

杖が目にもとまらぬ速さで振られると、その弾が弾かれた。岩に飛び移り、そこを蹴りだして空中向けて飛び、さらに二発をかわす。優雅に空を舞うと、狐はしっかりと着地し、ちょうどそこに飛んできた新たな矢を振り上げた杖で叩き落した。彼は鼠の耳をつんざくような大声で古代の言葉を三語叫ぶと、暖かな光が塊を洗い流していった。



彼はこの狐すべてに伝わる業を、僧としての最初の訓練で身につけていた。もちろん、僧は侍のように戦闘の技術を積極的に訓練されるわけではないが、彼の師がたびたび言ってきたように、敵が自分を傷つける気が無いのであれば、攻撃を加える必要も無いということだ。変化学での数か月の学習の後に生み出された彼の業は、ある手の神秘的な形態に対してのみ有効な防御体制を作り、さらに相手にその形態を取らせることで、いかなる敵に対しても最小限の力で完璧な防御を成すというものだった。彼の師は驚いたが、それが実際に働いたことに驚いていたのはむしろ彼自身だった。彼の五本目の尾はそれから間もなく生えてきた。



 それは塊から新たな矢を打ち出してきて、今回は狐の皮膚を剥ぎ取っていった。八ツ尾半は逆襲に転じ、敵に向かって直接飛びかかっていった。空中でさらに二発の攻撃を叩き落すと、彼は長く荒々しい雄叫びをあげ、杖の頭を真っ黒なものの中に叩き込んでいった。静かに、まさに驚くほど静かに、その塊は縮み消えていった。

 鼠は衝撃に撃たれたまま見つめていた。

 「ありゃあ……」

 「影の神だ。」

 「俺らみんな一瞬で殺されてたかもな。」

 「狐がやっつけたんだ……」

 「しかも楽勝だ。」

 鼠の一団は互いに見つめあい、その中で落ち着き払って着物の埃を払っている八ツ尾半に目をやった。

 「ついてるな、狐!」と山賊の一人が叫んだ。その声は少々必要以上に大きかった。「お前を生かしておいてやるぜ!」

 「金目の物も無さそうだし、俺たちの手を煩わせるまでもねえや。」

 「おぼえてろよ!」

 「ああ、次に会ったら容赦しねえからな!」

 その直後、鼠は全員慌てて闇の中に走り去り、後には一人八ツ尾半だけが道の上に残されていた。彼はこの戦いで息を荒げてもいなかった。彼は頭を下げ、短く穏やかな祈りを捧げると、神を怒らせたこと、そしてそれを倒さざるを得なかったことを詫びた。彼は神が立っていた地に、悲しげに立ちすくんでいた……。



 最初に直接話した神のことを今でもおぼえている。彼は自分の聖域での深い精神的な安らぎの中で、祈りと共に隠り世(かくりよ)に手を伸ばしていた。その時、光が現れた――しかし、それは現実の光ではなかった。それは心の目の中にのみ灯る明かりで、彼が知っているどの光よりも柔らかく、暖かく、安らぎを与えてくれた 神は彼に語りかけたが、それは言葉ではなく、印象や感情や浮かび上がる映像であった。それゆえに、その言葉はぼんやりとして複雑で、彼の心は思考と感情の断片にかき乱され、彼はそもそもどこから自分の言葉にすればいいのか見当もつかなかった。しかしその隔たりがあってさえも、狐は理解できないその神の言葉で希望と安心に満たされた。

 彼は神の乱が始まるよりも前にさらに何度も神に話しかけ、夢の中で彼らが語った言葉の断片を理解し始めていた。彼の運命的な最初の出会いから間もなく、彼は七本目の尾を得ることとなる。



 「こんなことはしてこなかったろうにな。」 彼は神のいた場所を見つめ続けながら囁いた。「お主はお主のすべきことをしたまで。そして私は私のすべきことをする。」 彼の頭の中に押し寄せる思考の反乱を押しやりながら、彼は振り返り、山道を再び登り続けた。



 八ツ尾半は毛皮の外套の下に籠を固く背負い、かじかむような寒さの中を進んでいった。彼はぐらつく岩やまばらな茂みの中をよじ登っていた。そこには彼の荒い息と、時折起こるこだまのみが響いていた。こだまは時には咆哮となり、時には甲高い笑い声になった。神や悪忌は霜剣山全体に散らばっている。八ツ尾半にとっては、のけ者の大峨(おおが)達の住処である真火砦(しんかとりで)が遠くにあるのはありがたいことであった。彼は自ら感じる強力な神を避けるべく、彼はほとんど厳しい崖になっている際の長く不安定な道のりを昇ってきていた。そんな状態でも、彼は脚払いの罠に気を払わなければいけなかった。それは悪忌(あっき)がこの領域に散らばした危険な悪戯の類だった。



彼がその手の悪戯の話を最初に聞いたのは子供のときだった。まだ若い狐だった八ツ尾半(当時はその名ではなかったが)は、他の子供から人間が町に連れられてきたことを聞いた。彼はこれまでに人間を見たことがなかったから、好奇心から彼は寺に忍び込み、あたりをうかがった。話によれば、侍はぼろぼろで大怪我をした姿で、近くの林で倒れていたのだという。その人間がどれだけ長くそこに倒れていたかはわからなかったが、農夫が彼を見つけ、この寺に助けを求めたのだ。侍の鎧は焼け焦げ、彼の顔も手もひどいやけどを負っていて、若い八ツ尾半は胃が気持ち悪くなってきた。さらに悪いことに、その男は意識を取り戻していて、その目には苦痛が浮かんでいた。

「何が起こったのだ?」と僧の一人が優しく尋ねた。

「見回り……霜剣山……」 彼は弱りきっていて、その声もようやく聞けるほどだった。「見つけたのだ……溶岩の罠……笑い声が……悪忌……」

もう一人の僧がうなずいた。「悪忌はたちの悪い悪戯をするものなのだ。」

「おそらくこの人間は傷ついて丸一日はたっているだろう。急いで手当てせねば。」

八ツ尾半は僧が呪文を唱え、祈りを捧げ、いい匂いの薬草を与えるのをうっとりと見つめていた。人間の苦痛は、これまでに感じたことがないほど彼の心をかきむしった。彼が思わず隠れ場所から飛び出して僧を手伝い始めたが、誰も彼の登場にまったく驚きはしなかった。その日は一日中、彼の手も声もその人間のために動いていた。それはまるで、彼の魂が何をすべきかわかっているかのようだった。しかし、それもむなしく、侍はこの世を去った。若い狐は死体を見つめていた。彼の心に悲しみが満ちた。僧の一人が彼の肩を叩いた。

「お主のおかげで最後は苦痛が和らいだのだ。よくやってくれた。」

その日、彼は僧となることを決心した。その日、彼は三本目の尾を得たのだった。



午後の太陽が照り付けているにもかかわらず、彼は自分の息が白くなっているのを見ることができた。彼は近くまで来ていることを願った。そうでなくては困る――彼はここより高くに登るための装備を持っていないのだ。動物と人間の声が混ざったようなしわがれた叫び声が、彼方の頂から聞こえてきた。八ツ尾半は外套を身体に引き寄せ、岩の上から上へと飛び移った。地図と記憶が正しければ……。

その台地の広さは五十(しゃく)ほどもあった。尖った霜剣山の山肌からすれば珍しいぐらいの平らな場所だ。その地にはいまだ、鎧の欠片と歯形の残る様々な犠牲者の白い骨が散らばっていた。八ツ尾半は身の毛のよだつような地を、冷たい死体をよけるように飛びながら進んでいった。彼の鋭い狐目は警戒を怠らなかった。骨はただの死体などではなく、かつては君主今田の最強の侍軍団だったのだ。彼らが死と復讐の神の音に合わせて踊りだす傀儡でないとは限らない。彼は手を握り締め、腕の骨がちょっとでも動いたり、頭蓋骨が虚ろな低く囁いたりでもしようものなら、すぐに杖を振るえるよう身構えていた。

 山風が吠えている。凍るような寒さと圧倒的な静寂と孤独は、この殺戮された軍団がこんなわびしい地で倒れた時に何を思ったかを彼に教えてくれた。八ツ尾半は死者のために小さな祈りを捧げ、辛い探索を続けた。風のうなりは咆哮となり、耳障りで、ぞっとするようで、しかも近くなってきていた。山の獣か? 飢えたる神か? 遊んでいる悪忌の見回りか? 知ったことではないわ。彼は探索の手を早めた。

 そしてついに、彼は探していたものを見つけた――刀は普通の物だったが、その隣の鞘は見間違えようがない。八ツ尾半はその持ち主の死体を捜したが、近くにはそれらしいものはなかった。彼は頭を振り、丁寧に刀を取り上げるとそれを鞘に収め、彼の腰帯にくくりつけた。彼の目的は達成され、彼はゆっくりと山を降り始めた。



 その時彼の前に現れた光景は、彼を鼠よりも、神よりも、霜剣山よりも驚かせた。その簡素な藁葺き小屋はつぶれても不思議ではなかったが、そこにはまだ……。彼は扉を叩いた。若い狐がそれに答えたが、彼女の目は驚きに見開かれていた。「御師様?」



 彼はここで「御師様」などと呼ばれるとは思っていなかった。何がそのような資格にふさわしいというのか? しかし、彼の師も新しい世代にほとんど望みを抱いていなかったではないか。「彼らには目的が無い。彼らは自分が何をしたいのかもわかっておらぬし、神河をどうしたいのかすら知らぬであろう。」

 「でも、彼らには彼らの道があることを教えはせぬのですか?」と彼は尋ねた。

 「無論。しかしそれだとても、彼らは導きを必要とはしていないし、私が恐れるのはそもそも良い導き手はなかなか現れぬということなのだ。」

 彼はそれについて、長い間、真剣に考えていた。今や、彼は神河で最も有名な狐の僧となっていた。彼はいくつかの寺の面倒を見ていたし、君主今田の個人的な医者としての招待も受けていた。しかし……。こんなことを言うのは不遜なのかもしれないが、おそらく彼は師が見つけられなかった導き手となれるだろう。おそらく彼は、神河を真に望むべき場所へと導く光となるべく、自分の地位を利用できるだろう。

 彼の仲間の僧は、彼に村に残って普通に教えを与える側になるように彼を説得していた。しかし、彼が四本目の尾を得るほどに熱心に教えを与えていたことには誰も気付いてはいなかったが、彼は自分が正しい選択をしたことをわかっていた。



 翡翠爪(ひすいづめ)は茶をすすりながら、刀を見下ろしていた。「こんな遠くまで旅してくるなんて信じられませんわ。」

 「お前の弟のために、このぐらいはしてやらんとな。彼の遺体は見つからなかったが、これも同じぐらい重要だろう。」

 「彼の刀だわ……。」 彼女はそれを取り上げると、手の中で持ち直した。「私は彼がこれを誇りにしていたのをおぼえています。ご存知でしょうけど、これはかつて母の物でした。彼はこれが彼に技と幸運をもたらしてくれると思っていたのです……。」

 「神は厳しい敵だ。」と八ツ尾半は静かに語った。

 「彼は最後の最後までお前を褒めていたよ。彼は何から何まで世話になりっぱなしだと思っていたようだ。」

 「彼に借りがあるのはこちらですわ。」

 翡翠爪はうなだれた。「私にはわかりません。」

 「まあ、よいわ。」 彼は立ち上がった。「そろそろ行かねばならん。少々寺を長く空けすぎた。」

 「待ってください。」 彼女は刀を彼に押し付けた。「彼もあなたにこれを持っていて欲しいはずです。」

 「私はそれほどの者では……。」

 「鉄之爪の魂と記憶を持っていただくのに、他にふさわしい人はいませんわ。お願いいたします。」 彼女の目はしつこく求めていた。長い間の後、彼は折れた。

 「いつかはこれを運ぶ価値のある者となれるとよいがな。」 彼は振り返って出ようとしたが、その刹那、彼女が息を飲んだのが聞こえた。彼は顔をしかめた。誰かが気付くだろうとは思っていたのだが。

 「九尾の御師様! いったい……何が……?」

 彼は何も答えずにそこを去った。



 なぜ私は拒まなかったのか? その疑問は彼が郷に戻るまで彼の心を痛めつけ、今でもそこに残っている。彼は刀を受け取ることを拒むべきだった。そうする理由があったのだから。それではなぜそれを受け取ったのか?

 それは記憶に留めるため。彼の失敗を記憶に留め、懺悔するため。



 彼は眉をしかめた。「こいつはずいぶん奇妙なことだな。」

 「でもそれが君主今田の願いですわ。」と真珠耳が答えた。彼はあなたとあなたの僧を最も信頼しています。事実、彼は神河の中でもこの任務を果たせるのはあなただけだと言っていました。」

 「信頼してくれたことはありがたいが、その後がどうだかよくわからないな。彼は神が自然や精霊から得る力について、非常に複雑な瞑想を求めてきた。それがどうなるかは私にもわからない。」

 「君主今田はそれを今は秘密にして欲しいとのこと。それには敬意を払われることを望んでいます。」

 「もちろんだとも。」 そして彼はそれを行った。それから三週間の間、その仕事の目的がどうかということは、彼の考えには無かった。そして、彼の結果を今田に伝える三日前、彼は気にかかることに思い当たった。この儀式や結界や呪文や詠唱は彼が見つけたり生み出したりしたもので、すべてが現し世(うつしよ)と隠り世を隔てる壁を操り、霊界に穴を開けてその反対側から力に干渉するためのものだ。彼の心には疑念の影が持ち上がったが、彼は素早く無理やりその影を消し去った。何の関係があるというのだ? この魔法を悪用しようとするのは狂人だけだろうし、君主今田は間違いなく狂人ではない。それはそれとして、この情報には他にも使い道があるだろう。それが今は思いつかないとしても……。

いや、この任務を早く終えて、むこうに託してしまったほうが良いだろう。今田はその情報や意図を誰とも分かとうとしないだろうし、狐の信頼や忠誠をも得られないのだろうが……?



「すまなかった。」 八ツ尾半は手の中の刀に囁いた。「お前を殺したのは私だ。今田があのような者だとわかっていれば……。」 彼は頭を振り、彼の部屋の壁の中に作られた社を開いた。

その中にあったのは、両端を紐で結わえたちいさな白い毛皮の房だった。



狐の古老である九尾は、儀式用の小刀を固く握り締めていた。ほんの数年前。彼はすべての狐の精神的指導者となったことで、九本目の尾を得ていた。それはかつて名誉だった。いまやそれは恥の印だ。

「私にはふさわしくない。」と彼はつぶやいた。「私の行いで、無垢の者たちが死んでいくというのに。」 彼は神の乱が外で鳴り響き、頭の中で響く音を聞いていた。彼の行いが乱を起こす一端となった事実に、彼はよろめいていた。自分の仕事がどのような役割を担ったのかは定かではなかったが、彼が真実をすっかり理解していて、彼の心の奥深くはしつこくかき回し続けられていた。

小刀が尾に食い込む瞬間、彼は目をつぶった。



なぜ尾の半分を切り取ったのか、彼は誰にも教えないだろう――神の乱の間も、それから先も。それは背信なのかもしれないし、数百の、いや数千の死に対する責任を認めることなのかもしれない。しかし、彼の盲目さに比べれば小さな代償だ。これは彼の苦行のごく一部なのだ。

奇妙なことに、切り取られた毛皮は、かつて父が言っていた事を思い出させた。八ツ尾半が生まれたとき、ほとんどの生まれたての狐がそうであるように彼の尾も白かったが、そこに一本黒い筋が入っていたのだ。彼の父が言うには、それは彼の息子が偉大なる運命を背負っている印で、彼は成長して世界を変えるだろうということだった。

八ツ尾半は鼻を鳴らした。彼は確かに世界を変えた。

彼は刀を社の尾の隣に納めた。おそらくいつかは、この刀の持ち主の名誉のほんの欠片ほどは受け取れる日が来るかもしれない。おそらくいつかは、彼が残りの尾にふさわしいものとなる日が来るかもしれない。おそらくいつかは、彼の休むこと無い償いの旅が、彼がずっと求めている神河と自分の心の平和へと導いてくれる日が来るかもしれない。

しかし、それは今日ではない。



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