知多半島の南部、伊勢湾に面した美浜町に在り通称、野間大坊と呼ばれる古刹
 
平治元年京都六波羅で起きた平治の乱で、平清盛に敗れた源義朝は美濃からの追手を避け野間の長田忠致を頼ろうとして内海から上陸した。長田忠致は源義朝の家臣鎌倉正家の伯父。源義朝は大いに歓迎されたものの謀られ永暦元年1月湯殿を襲い殺害された。この時武器も何も身に付けて無い義朝は『我木太刀一つあらば討たれはせん』と悔やんだと伝えられる。この伝えから源義朝公の墓には、霊を弔い多くの木太刀が奉納されている。

   
<大御堂寺>表通り大門の並びに『新四国第伍拾番霊場 大御堂寺』と記す石碑が建つ
<大御堂寺大門>
源の頼朝公建立とされ、
建久元年元年十月二十五日で
おおよそ800年前建てられ
たいう。
<大御堂寺鐘楼堂>
鎌倉五代将軍源頼嗣公寄進の梵楼がある鐘楼堂。梵鐘は建長二年の銘が有り国の重要文化財に指定さているという。
<大御堂寺本堂>
本尊 阿弥陀如来 県指定重要文化財客殿安置 開運延命地蔵 源頼朝公守本尊
本堂(根本堂、宝暦4年再建)
源の義朝公の<御廟入門>
 朝長公に「父義朝はこれよりも、野間の内海に落ち行き、長田を頼み給えども。頼む木のもとに雨漏りて、やすやすと討たれ給いぬ」
<源義朝公の御廟>
『我に木太刀一つでもあらば討たれはせん』と悔やんだ悲壮な最期を遂げることば。
<池ノ禅尼之塚>源頼朝13歳の時平治の乱に敗れて捕らえられたが、平清盛の母池の禅尼の命乞いによって助けられ、天下を治めることができ報いる為、此処へ塚を建てた。
 <血の池>
源義朝公のお首級を洗われた旧跡地で首洗いの池とも呼ばれている。(平治元年のこと)
 <大御堂寺弁財天>
 縁結び(良縁)と金の幸運(財宝)を齎す神様として境内の一角に鎮座される
<福力運 仏足石>宝塔中心の梵字マニを「オンマニソワカ」と称えて回すとあらゆる病脳を除くといわれている。
健康・長寿・家内安全
 <稲荷神社>
境内に奉られている悩みや不眠除けなど目を守る神、お稲荷さま
<悠紀殿> 昭和天皇の即位の礼の時に京都御所内に建てられた建物の一部を当山に御下賜され、昭和四年十月移築されたとする(今上天皇即位悠紀の間)
<鶴林山大御堂寺・本殿>
後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年に開運延命地蔵尊と不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営する。
  <本四国巡拝路>
本殿の前庭には「お砂踏み」
四国八十八箇所巡りのお砂踏みが造られ、四国八十八寺の名称木札が立っている。
[天邪気(鬼)あまのじく]
 座像『仏教では悪業煩悩のことを天邪鬼といい、護法神の多聞天が足の下に踏みつけ、人の心が天邪鬼にならないようにしていると...