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石垣カフェ!
フューチャー・ポーヴェラ!

笠木丈+井上昌哉
(『京都大学新聞』2005年10月16日号<前編>、11月1日号<後編>より転載)


石垣カフェ、はじまる
――非暴力直接行動!(笑)
――来客三五〇〇人!(笑)
――大学は全面譲歩!(笑)
――石垣は残った!(爆笑)
――というわけで、百万遍交差点に七ヶ月間もあり続けた“あれ”は一体何だったんだろう。
――いまだによく分からない(笑)。当初は、単なる工事阻止のための「団結小屋」にすぎなかったんだよね。
――住んでしまえば工事はできないだろう、という実にシンプルな発想だね(笑)。あの頃は真冬の寒さで、夜は氷点下だった。そこでコタツを持ちこみ、酒を飲んで暖をとっていたんだ。
――コタツに酒、ドテラは学生の王道だ(笑)。
――それで深夜に宴会をしていたら、近所のカフェのウェイトレスさんが面白がって石垣をのぼってきた。そのとき彼女が「カフェにしたら?」と口走って……。で、次の日から「石垣カフェ」(笑)。後日会ったとき、「まさか本当にカフェにするとは……」と言ってた(笑)。
――最初の一週間ぐらいの高揚感はものすごかった。夜になると、飲めや歌えやの大騒ぎ。毎朝、ゴミをかたづけるのに一時間かかった(笑)。すぐに毎日放送の密着取材が始まって、その放映をきっかけにしてマスコミの取材が殺到した。
――ブログで採りあげてくれる人も多かったね。「行ってみたら意外と居心地が良かった」とか。京都は口コミ文化だから、それでお客が急に増えた。
――メニューは珈琲五十円。京都で最もチープなカフェ。いろんな意味で(笑)。しかもインスタントでなく、ちゃんとドリップで出した。いくら長居してもOKだし、マンガやテレビ、本棚もあって、まさにお茶の間感覚のカフェだった。
――マンガって、「ドラえもん」と「オバQ」の二冊だけやん(笑)。みんなこの二冊をすり切れるまで読んでた。
――しかも実はインターネットカフェでもあったという……(笑)。無線LANでネットに常時接続していたし、DVD装置も街頭テレビもあった。
――街頭テレビ! あれこそまさに“新世代メディア”だった。とにかく注目度抜群。フランス映画を流しておくと、通りすがりのフランス人が必ず見ていった(笑)。
――あとヤクザ映画とかね。別にヤクザは通らなかったけど(笑)。
――店内は五畳のスペース。でも意外と広く感じたよね。特に夜は人が多くて、最大二十人も乗ったことがある。京大新聞に載せたカフェの広告で、「百人乗っても大丈夫!」とコピーをつけたけど(笑)、構造的にはしっかりしていた。
――郵便ポストを設置して、新聞もとった。住所は「左京区百万遍石垣上ル」(笑)。
――メニューも紅茶、ココア、ウーロン茶、レモネードと次第に充実していったね。夏はカキ氷。もちろん全品五十円だった。でも、当初から酔っ払い絡みのトラブルが続発して、それで酒は禁止になった。
――百万遍は飲み屋が多いから、深夜になるときまって酔っ払いに襲撃されるんだよね。疲れて寝ていると叩き起こされて、「気合いが足りない!」とグーで殴られたりした。顔面血だらけ(笑)。
――おやおや。
――それで「暴力はやめてくれ」と言うと、「お前は民青か!」とまた殴られる(笑)。
――壮絶だね。
――あと、延々と自分のことばかり話し続けるおじさん。
――これは多かった。とにかく人の話を聞かないんだよね。で、繰り返しが多い。ほぼ無限ループ(笑)。いくらでも相手してくれる人がいるから、エンドレスで話し続けるんだよね。
――お客さんで、いい思い出といえば?
――たくさんあるよ。当初は異様な寒さだったから、近所の人たちが暖かい食べ物をどっさり差し入れてくれた。
――串カツ、おでん、コロッケ、肉まん、餃子、牛丼、焼いも、缶コーヒー、焼酎、かぜ薬、カイロ……。
――石垣人情(笑)。
――忘れられないのは、七十過ぎのお坊さん。近所の病院に入院中で、散歩の途中にいつも立ち寄る。
――朝昼晩と、毎日三回必ず来てたよね。別に石垣運動とかどうでもよくて、単純に「安いから」(笑)。
――病院では話し相手がいなくて、といつもこぼしてたね。
――そうそう、ここに来るといろんな若者に会えて楽しいし、他の喫茶店は高いから、と。朝、カフェに来る途中、必ずパン屋でパンの耳をもらってきて差し入れてくれた。でも、やがて五十円の珈琲代が払えなくなると、パンの耳で支払うようになった(笑)。
――物々交換カフェ(笑)。
――まあ、五十円は「カンパ」だから。そもそも保健所が「営業するなら許可を取れ」とうるさく言ってくるから、「カンパは営業に非ず」と言い張ってたんだよね。そうしたら、そのうちあきらめて来なくなった(笑)

ありとあらゆるお客がきた!
――こうしてカフェの“営業”が始まったわけだけど、当初のメンバーはたったの四人(笑)。二十四時間常駐するのはもう本当に大変で、大変で。七ヶ月もの間、一日も休まずに店を開け続けられたのは、やはりお客さんとのおしゃべりが楽しかったからだろうね。
――カフェが定着して、いわゆる「普通の人」がどんどん石垣にのぼってくるのが面白かった。
――学生以外のお客が七割ぐらいかな。
――観光客と家族連れ、それに小学生に人気で。
――多かったのは、「子供にせがまれて」という親御さん。情操教育にも一役買っていた(笑)。あと、タクシーの運ちゃんが、よく修学旅行生を連れて来たね。
――「秘密基地みたいだ」という感想がいちばん多かった。あと、「木の上の家」。それに外国人観光客がとにかく反応が良くて、カフェを一目見るなり、すぐさまハシゴをあがってきた。何のためらいもない(笑)。実際、いろんな国の人が来たよね。
――ゲストブックへの書きこみでも、外国人のものがやはり面白かった。「これぞ伝統的な京都」(笑)とか。
――中でも強く印象に残ったのがあって、それはシンポジウムのチラシにも使わせてもらった。
――「It's places like this that "is" Kyoto for me. Here we can find and keep our soul, at Starbucks we sell our soul. Let's keep our souls alive.」というやつだね。石垣カフェの精神をよく言い当てている。
――そう。石垣カフェとスターバックスはなぜかよく対比されたんだけど、珈琲五十円にダンピングすることで、グローバル資本主義に真っ向から対抗していた(笑)。実際、より安くて楽しい場所を作り出してしまえば、お客はみんなこっちにやってくる。
――なにしろ人件費ゼロだから(笑)。
――石垣カフェはずばり“反資本主義行動”だね。だいたい、今の世の中すべて金、金、金だから。金銭に換算できない価値、つまり出会いとか、無償の歓待とか、悦びとか、そういうものが石垣カフェにはいっぱいあった。
――他方で、いかにもこういう場所が好きそうな“変人”もしっかり来ていたね。旅人とか、芸術家とか。そういう「アングラ系」と、「親子連れ」なんかは、あまりあり得ない組み合わせだけど、不思議と共存していたよね。
――たしかに、年季の入ったヒッピーのおじさんと、上品な中流家庭の主婦とが、一緒にお茶を飲んでいた(笑)。
――あと、京大職員もちょくちょく来ていたよ。よく考えたら、お客さん第一号は農学部の職員だった。初日の深夜に酔っ払ってやって来たんだっけ。
――教官はほとんど来なかったけどね(笑)。職員は立場を気にせず、いろんな学部の人がやって来た。図書館や植物園の職員さんも常連だった。京大のリベラリズムは職員によって支えられている、と言っても過言ではない(笑)。
――立場上、カフェに行くのはまずいけど、陰ながら応援してくれる教官はたくさんいたよ。カンパをくれたり。カフェ裏手の生命科学研究科の柳田充弘教授も、「工事で木を切るのは許せん!」といってブログで支持してくれた。
――守衛のおじさんも、非番のときに来てくれたね。
――ほかにも、右翼の人が「最近は街宣車で話しても誰も聞いてくれない」とひたすらグチったり(笑)、新興宗教の勧誘を受けたり、挙げだしたらとてもキリがない。
――お客さんは一日二、三十人といったところかな。最高は五月の葵祭のときで、この日は六十人を超えた。
――まさに老若男女、右も左もごった煮のフリースペース。都市にぽっかりと空いた不思議な空間だった。

カフェという営み
――思えば、コタツには不思議な力があって、あがって来たお客さんを、無理やり家族団らんモードに引きこんでしまうというか、話の輪の中へ自然と入りこみやすくするようなところがあったね。
――コタツを囲んで知らない者どうしが話をする。よく考えたら、石垣カフェで行われていたことといえば、これに尽きてしまう。
――一体、何を話していたんだろうね。内容はいちいち思い出せないんだけど、話していた場の雰囲気というか、身ぶりとか、口ぶりとか、なぜかそういう些細なディテールだけは鮮明に思い出すことが出来るんだよね。
――世の中には、面白い人も、不快な人もいる。そのすべてと話をすることは、当然ながら、愉快でもあり、不快でもあった。
――そのギャップはものすごかった(笑)。
――膨大な数の、見ず知らずの他人と話をし続けたわけで、ある意味、すごい特殊な経験だけど、そのことによって確実に変わった何かがある。それはうまく言えないけど、石垣カフェで得た大切なものだったと思う。
――ところで、これはよく指摘されたことだけど、「カフェの敷居の高さ」が、独特の面白さを生んでいた。
――なにしろ五メートルもあるわけだから(笑)。
――カフェにあがるためには、まず二メートルある梯子をよじ登らなくてはいけない。でも、そうするにはやはり普通の人には勇気がいる。初期の石垣カフェには、そんな障壁をものともしない面白い連中が次々とあがってきた。
――クオリティの高い“変人”を濾過するフィルターになっていた(笑)。
――カフェのインテリアも独特だったね。天井にはびっしりとチラシが貼られ、壁にはギターと草鞋。入り口が狭くて、茶室を模した「にじり口」になっていた。
――空間への期待をいやがおうにも高める、心にくい演出だったね(笑)。
――あと、石垣グッズ。これが大好評だった。石垣缶バッジ、石垣Tシャツ、それに石垣絵はがき。飛ぶように売れた。
――石垣カフェは、交差点という、人々があわただしく行き交うパブリックな場所に、突如としてインティメイト(親密)な日常が出現するという、そのギャップが受けたんだろうね。「お茶の間そのもの」としか言いようのない濃密な空間が、街のど真ん中にいきなり出現するという驚き。まさに圧倒的な存在感(プレザンス)だった。
――そう。だから石垣カフェは、ひとつの鮮烈な「イメージ」なんだ。特に、夜の闇の中に幻のように浮かび上がるカフェの姿は、本当に劇的で、ドラマティックだった。人々が石垣カフェにあれほど魅きつけられた理由は、この「イメージの力」を抜きにしては語れないと思う。
――いや、本当に名建築だったよ(笑)。
――そもそも「壁がない」というのがすごい。とてつもない違和感だ(笑)。
――「ドリフのセットみたい」と、よく言われたね。
――カフェの日常ばかりでなく非日常にも触れておきたいんだけど、石垣カフェでは、よく突発的にイベントを行ったよね。
――開店当初はよくライブやパフォーマンスをやった。ドラムセット一式を載せてロックコンサート。
――あれはインパクトがあった。
――節分の日は豆まき。東山副学長が通りがかったので豆をぶつけた(笑)。
――京大の二次試験の日には「解答速報絶叫ライブ」、入学式の日には「宙乗りパフォーマンス」を挙行した。ぶら下がりながら「これが京大だ!」と絶叫する姿に、新入生が唖然としていた(笑)。本当なら、交差点向かいのレブン書房までやるはずだったけど、ロープが足りなかった。
――そういえば、レブン書房のおじさんはよく双眼鏡で石垣カフェを観察していたね(笑)。
――閉店のとき、感謝の印にみんなで押しかけ、あすこの岩波文庫を買い占めたんだよね。
――五月は、石垣カフェ来客二千人突破記念シンポジウム「いま、キャンパスアナーキーを考える」を開催した。酒井隆史さんと小田マサノリさんの対談。
――七月は「いしがき寮祭」。路上の植込みにステージを作ってライブをやった。カフェから地上まで全長十メートルの流しそうめんは好評だったね。
――そして「百万遍カルチェラタン祭」。閉店が決まった最後の三日三晩、ひたすら祭り続けた(笑)。路上ライブ、路上講演会、路上盆踊り、まさに「カフェが路上に降りてきた」という感じだった。八月十六日、大文字の送り火が消えると同時に閉店。「蛍の光」が流れる中、最後のセレモニーは実に哀切だった。
――京都新聞の記者さんもなぜか店員に混じって挨拶していたね(笑)。
――解体はあっという間だった。
――うん。本当にあっけなかった。
――閉店が決まってからは、百万遍近辺の店に、粗品の手ぬぐいを配って回ったね。
――レブン書房、かぶき寿司、のら酒房、銀花園、串八、くれしま、東山湯、どれもお世話になったしね。
――それにしても、「とさか家」の突然の閉店は痛手だった(笑)。
――店員はみんな、あすこのダッカルビ丼を毎日食べていたからね(笑)。
――まさか石垣カフェより先につぶれてしまうとは。本当にショックだよ。

「いしがき寮」での生活
――一般にはあまり知られてないけど、石垣カフェの裏には、「いしがき寮」という、とんでもない建築物があった。
――日刊スポーツに、「京大で長屋分譲」の特大見出しでスッパ抜かれたやつね(笑)。
――いや、これはすばらしいですよ。「大学側も仰天!」とか「不動産侵奪罪か?」とか、胸躍る記事ですね。
――特に、最後につけられた弁護士のコメントがいい。「大学の構内に建造物を立てる行為自体が、建築関連法規に違反していることは明白。そのような建造物に許可を与える役所など、まず存在しない。他人の土地に建てたものを自分のものであるかのようにして販売すると、詐欺罪が成立する可能性もある」(笑)。
――誰も間違えないって(笑)。
――この記事、学生部でも大あわてで職員に回覧されていたらしいね。
――そりゃ、びっくりするよねえ。学生が勝手に「寮」を建設するのが前代未聞なら、一室二万円で“分譲”と言うのも寝耳に水。
――いやいや、今どき分譲で二万は安いですよ。リーズナブルですよ。
――六月には四千円に値下げしたしね。デフレの影響かな(笑)。
――おかげで、最終的には延べ十人以上の入居者があった。美大生が多くて、一時期アーティスト長屋みたいになってたね。全国を放浪している「じゅん子さん」もいた。
――そもそも、カフェ裏に「寮」を建設するというのは……。
――とりあえず空き地があったから。何でも建ててしまえ、と。
――石垣取り壊し工事がもう始まっていて、カフェの裏は更地になっていたんだよね。
――ひたすら長い長屋を作りたい、と。あと、アジアの水上ハウス、という案もあった。カフェとは違って、とにかくどんどん増殖してゆくものを建設したかった。ひとつひとつのセルが増えてゆく、みたいなイメージで。これはまさに「メタボリズム建築」の発想だけども。
――「新世代ロングハウス」の誕生だね(笑)。最初のプランでは、変に池にこだわっていたけど。
――そう、どうしても大きな池が作りたくて。その池の中心に、静かに長屋が佇んでいる、極楽浄土。ほら、平等院鳳凰堂とか、浄瑠璃寺の阿弥陀堂とか。日本庭園風でもあり、アジアン・スタイルでもある。そもそも京大には自然の池がないんだよね。東大には三四郎池があって、学生や市民の憩いの場になってるけど、京大はゴミゴミしすぎて、落ち着ける場所がない。ないなら自分たちで作ってしまおう、という……。
――完成の暁には、総長の名前を採って「尾池」と名付けるはずだった(笑)。でも結局、資金難で実現しなかったね。
――まあ、またいつかきっと作るよ。
――留学生センターの青谷先生も大の池好きだから、氏の協力を得て(笑)。
――そういえば、法学部中庭の池も知らないうちに撤去されてしまったね。花見の名所だったのに。まさに暴挙だ(怒)。
――最終的に完成した「いしがき寮」は、長さ十五メートルの文字通りの「長屋」で、各室は二畳一間。鉄パイプの骨組みで、屋根と壁は選挙ポスター用の看板で作った。
――選挙管理委員会からタダでもらえるやつね。
――部屋(セル)は次々と増築されていって、最終的には八部屋、十号室まであった。四号室と九号室は不吉だから欠番(笑)。
――住む人が自分で増築する、初のハンドメイド寮だったわけだけど、まだまだ増殖するぞ、という不穏な雰囲気をつねに漂わせた異形の建物だったね。
――うん。やっぱり京大にはバラック長屋がよく似合う。今後も流行らせたいね(笑)。
――実際、四月から半年近く住んだけど、住み心地は実に快適だった。二畳の部屋というのは、かえって落ち着くんだよ。それに電気や水道はもちろん、シャワー室だってあった(笑)。
――ああ、掘っ立て小屋の。捨てられていた立て看板で作ったんだよね。新しく材料を買ってくるんじゃなくて、身近にある素材で何でもやるのが我々の常套手段。
――「貧乏人のブリコラージュ」というやつだね。そういえば、石垣カフェの壁も、うち捨てられていた去年のミスコンの看板で出来ている(笑)。
――貧乏人といえば、五月のシンポジウムで、小田マサノリさんが石垣カフェを「フューチャー・ポーヴェラ」という言葉で再定義してくれた。当時開かれていた「アルテ・ポーヴェラ展」に触発されたらしいんだけど、ポーヴェラ(貧しい)であることが来たるべき「貧乏の叡智」を生む、という刺激的な内容だった。
――小田さんは、デ・シーカ監督の「ミラノの奇蹟」のいくつかのシーンを紹介してくれたけど、あすこに出てくる貧乏人たちのバラック長屋は、まさにいしがき寮そのものだったね(笑)。
――いやあ、あれはすばらしい映画だった! ネグリ=ハートの『帝国』に「貧者」を論じたくだりがあって、そこでこの映画が引用されてるんだけど、ネグリは「ミラノの奇蹟」が大好きだった、という話で。デ・シーカはネオリアリズモの暗い映画の代表みたいに思われているけど、同時にこんな愉快な映画を撮っていたのがすばらしい。イタリアの監督にはこの種の懐深さがあって、あのロッセリーニ監督でさえ、「殺人カメラ」という実にバカバカしい映画を撮っているんだよ。カメラを向けて写真を撮ると、相手が次々に死んでしまうという(笑)。

トンデモ改革をとめろ!
――むかし、「法政の貧乏くささを守る会」(現、貧乏人大反乱集団)というのがあったけど、京大の貧乏くささも近年どんどん失われてきたね。カンフォーラ、ラ・トゥール、ナチュラルローソン、もう痛々しくて……。
――中途半端なおしゃれさが、かえって仇となっている(笑)。
――そもそも京大をおしゃれにしてどうするんだ(笑)。まさに「ご乱心」だね。
――逆立ちしたって、よその私大にかなうわけがないのにね。いわゆる経営戦略としても断然、間違っている。諸悪の震源地は、理事の
本間政雄だね。
――ホンマ、ホンマ。
――京大といえばやっぱり折田先生像。それに吉田寮と西部講堂。アングラ文化の匂いが失われてしまったら、もう京大じゃないよ。ここ数年で、キャンパスからこの匂いを一掃しようとする動きが顕著だけど、まったく憂慮すべき事態だね。
――今や、総人キャンパスには「歌舞音曲禁止」という立て札がバンバンたってる(笑)。
――こないだ見たら、「ラブ音曲」に書き換えられていたよ(笑)。
――折田像は長い間、総人図書館の地下書庫に幽閉されていたけど、あれを奪還する志ある新入生はおらぬものかな。
――当局は、学生から不穏な活力をどんどん奪おうとしているね。最近は五月の連休が明けてもキャンパスから人が減らなくなったし、授業の出席率が異様に上がっているらしい。思えば、今回の石垣工事自体、「キャンパスの混雑解消のため」と称していたけど、そもそもみんな授業に出なければ工事する必要がない(笑)。
――まあそれは極論としても、やはり出席を取る授業が増えているのかな。教室に縛りつけておいて、悪さができないようにする謀略か。
――「小人閑居して不善をなす」というからね(笑)。
――むかしは教養のキャンパスには、ヤグラがバンバン建ってたよね。風物詩というか。折田先生像もそうだけど、訳の分からないものがすんなりと受け入れられていた。今もA号館の地下に学生運営のバーがあったり。実際、いしがき寮に住む前は、総人キャンパスで勝手に小屋を建てて住んでたんだけど、三年間、何も言われなかったなあ(笑)。
――D号館のすぐ横にあったやつね。あれもよく考えるとおかしい(笑)。
――伝説的な「きんじハウス」というのもあった。これは十年前、理学部の今西錦司研究室にある空き部屋を勝手にスクウォット(占拠)した運動なんだけど、まさに共同性の過激な実験、といった感じで、いろんな人が訪れてユニークな共同生活が営まれていたらしい。今では小川恭平さんの文章でその様子を知ることができる(『現代思想』一九九七年五月号「ストリート・カルチャー」参照)。
――最近では六月、新A号館の真下に、ヤグラ派が新たなヤグラを建てた。即座に撤去されたけど(笑)。総人キャンパスの管理強化は、建物が建て替えられてから一層ひどくなったようだね。
――A号館はビラ貼り全面禁止。E号館は掲示板を撤去。放課後の教室使用も一部公認サークルのみ。建物が新しくなったとたんに、極端な潔癖症になってしまった。少し汚しただけですぐカッとなる。まさにヒステリーおやじ(笑)。
――管理強化の先鋒は、何といってもヤツだね。
――そう、共通教育推進部の
岡田和男
――あれはかなりキてるね。ヒステリックにがなりたてるだけで、それが京大では逆効果だってことが分かってない。あんなやり方では、学生の反発を買うだけだよ。
――あれほど学生や職員たちから憎まれている官僚もめずらしい。
――もっと度量の大きいところを見せてほしいね。東山副学長を見習って(笑)。
――そういえば、教育学部の竹内洋教授が、京大新聞のインタビューで石垣カフェにエールを送ってくれた。京大は実は保守的な大学であって、この保守性こそが逆説的に革新を生んできたのだ、という指摘だった。改革によって「京大らしさ」が失われつつあるのは危機的状況なのに、そのことにみんな無自覚だ、と。
――その意味で、今いちばん必要なのは、「改革をとめるな!」じゃなくて、「改革をとめろ!」だね(笑)。

京大リベラリズムのゆくえ
――あと、ここで話し合われてきた事態が、すべて法人化以後に起こってきたことに注意しないと。法人化されてからというもの、学内の風景は様変わりした。キャンパスはピカピカ。でも、どこもかしこも禁止、禁止。結局、石垣問題というのも、この大きな流れの中で考えないと問題のありかを見失ってしまう。
――要するに、キャンパス再編と、そこで進行しつつあるネオリベラル・アーバニズムの問題だね。都市の浄化と異物の排除。
――そう。管理社会と効率至上主義は表裏一体だから。
――今回の工事の目的は「交通安全」がメインだったけど、彼らは本当はそこまで深くは考えていなかったし、当初は反対運動が起きることも予想していなかったんじゃないかな。
――交通量調査すらしていなかったことが暴露されたし(笑)。
――そもそも施設・環境部としては、「こんなにいい計画なのに、何で反対するのか分からない」という態度がありありで、石垣を壊すことに何の疑問も感じていなかったよね。
――ただ、何となくきれいにしたかったんじゃない?(笑) 明らかに考えてないでしょ。京大を今後どうしたいとか、理念も何もないし。「キャンパスアメニティ計画」は<安心・安全・快適>がキャッチコピーだったけど、これはまさにネオリベ行政が必ず持ち出す常套句で、とりあえず「安全」とか「バリアフリー」とか言っておけば絶対、反論できない。何となくイメージだけを流通させていく手法だね。内実は何もない。
――これに対抗して、我々は「キャンパスアナーキー計画」というのを打ち出した(笑)。キャンアナこそ、これからの京大に絶対に必要なものだよ。石垣カフェはまさに「いたずらの空間」だったわけだけど、キャンパスから子供っぽさや遊びや余裕をしめ出してしまったら、大学はどんどん変な方向にむかってしまう。その意味で、「石垣カフェ的なるもの」の種子が今後どんどん拡散して、あちこちに花開いたらいいと思う。
――やっぱり、「とりあえずヤグラ」は大切だね。
――何か事を起こすときにはまずヤグラを建てて人目を引く。これも奇妙な習慣だよね。もはや伝統芸能だ(笑)。「石垣カフェ」という発想が、この連綿として続いてきた京大ヤグラ闘争の影響を受けていることは間違いない。
――あと、ここが肝心だけど、今回の石垣問題でも、対立の構図は、よその大学のように「大学当局VS学生」ではなく、むしろ「リベラル派VS管理強化派」という、教職員どうしの争いだった。
――教官や職員の中に、あれだけの数の石垣カフェ支持派がいた、というのは大きな発見だったし、結果として石垣が残ることになったのも、石垣カフェの勝利というより、尾池総長を含むリベラル派の勝利、と言ったほうが正しいような気がする。
――我々はいわば広告塔にすぎないわけで……。
――一種の“代理戦争”だ(笑)。
――今や石垣カフェは、京都大学の公式ホームページにも、写真入りで堂々と紹介されているからね。ついに大学公認となった!(笑)
――八月の閉店間際には、とうとう東山副学長までカフェに来店した。まさに歴史的瞬間だった。
――関係ないけど、今年の京大職員の採用面接では、「石垣カフェについてどう思うか」と聞かれたそうだよ(笑)。
――一体どう答えたらいいんだろうね(笑)。
――「京大らしくていいですねえ」じゃない? それとも、「自由をはきちがえた連中ですよ」とか?
――そう、まさに「石垣カフェ的なるもの」が京大の核心にある!
――だとすると、百万遍にあった“あれ”は一体何だったんだろう。
――やっぱり「京大なあなあ主義」が生み出した、つかの間の幻覚だったんじゃないの。ほら、ワライダケを食べたときによく見るじゃない。
――いつの間にか生えてきた極彩色のキノコというか。
――京大には不穏な胞子がいつでも蔓延していて、この胞子こそが、大学のポテンシャルなんだと思う。
――森毅は、すべてエエカゲンな関係の中で秩序を空洞化していくこと、それが京大の<自由>だ、と書いているよ。
――けだし名言だね(笑)。
――いやホンマ、森先生ええこと言うてはる(笑)。
(了)

笠木丈(文学研究科修士課程)
井上昌哉(文学部図書館非常勤職員)