UZEN 巻頭インタビュー】

冨樫 義博さん


漫画の世界に「ストーリーの新風」を巻き起こし、無数に存在する中でもとりわけその存在が光り輝く漫画家、冨樫義博さん。現在、週刊少年ジャンプ(集英社)誌上で連載する『HUNTER×HUNTER』は、テレビアニメとしても 毎週放映されるほどの人気。同じ週刊少年ジャンプに長期にわたって連載され、惜しまれながら終了した『幽遊白書』も記憶に新しいところ。今回は、そんな冨樫さんに故郷である山形、作品、少年時代など思い思いに語っていただきました。

冨樫 義博 PROFILE
冨樫義博 1966年4月27日山形県新庄市生まれ。
山形県立新庄北高校在学中は美術部に在籍。山形大学教育学部在学中に『とんだバースディプレゼント』でデビュー(1986年)。後に東京へと拠点を移し、『レベルE』(全3巻)、『てんで性悪キューピッド』(全4巻)、『幽遊白書』(全19巻)、『短編集 狼なんて怖くない!!』など精力的に作品を発表。1999年1月には『セーラームーン』などで知られる漫画家の武内直子氏と結婚。「わかりやすく楽しい話を追求していく漫画家」を目指している。






『新庄まつり』の囃子の音を聞くと、
僕は血湧き肉踊ります。













泉田川








































こう見えても小学生時代はアウトドア派だったんです。

ご出身は新庄市ですね。
「高校までは新庄で、大学時代は山形市内に住んでいました。ただ、山形市内はそれほど覚えていないんですよ。出不精だったので、特にどこを散策するわけでもありませんでしたから。一番思い出に残っているといえばテトリス。ちょうど大学の向かいがゲームセンターだったので、そこだけはほぼ毎日行ってましたね」

自然に対する思い出はあまりない?
「いえ、こう見えても小学生時代はアウトドア派だったんですよ。ほとんど外でばかり遊んでいました。例えば冬に雪が降ると、側溝に雪をためてダムを作るんです。ある程度たまった後で一気に水が流れていくのが快感でね。これ、ダム決壊遊びというんです(笑)。ほかにも、川べりの道が通学路なんですけど、そこで雪玉投げをしたり、もうそんなことばかり。家に戻っても、別に楽しいことはあまりなかったですし」

川で泳いだりもしました?
「近くの泉田川にはしょっちゅう友達と一緒に遊びに行ってたんですが、僕は泳がなかったですね。実はカナヅチなんです。みんなが気持ちよさそうに泳いでるのを見ながら「いいなぁ」って(笑)。自分はもっぱら、水切りとか、川の岩沿いの洞窟を探索したりしてました。そういえば泉田川で思い出したんですけど、中学校のマラソン大会のコースは、ちょうど泉田川にさしかかるところが一番きついんです。野球部で痩せてた頃は楽勝だったのに、辞めてからはそこで勝負を投げ出してましたね(笑)」

妙なスポーツマンですね。
「確かに(笑)。でも野球部のときは、それなりに打ち込んでいたんですよ。毎日が野球一色! みたいな感じで。で、今もそうなんですがなぜか当時から阪神ファン。ラインバック選手がいた頃のユニフォームのデザインが好きでね。巨人ではなかったなぁ。協調性がないって叱られていたことと関係してるんでしょうか(笑)」
 

お金がないから夜行列車で東京に向かいました。


高校では美術部に入られていますね。
「やっぱりスポーツは向いてないのかな、と。それに、小学生時代からいろいろな絵のコンクールに入選したりしていたので、『ひょっとしたら上手いんじゃないか』と自分でも思い始めていたし」

当時から漫画を描いてらしたんですか。
「漫画ではありませんでしたが、絵を描くのは好きでしたね。父がよく描いていたので、僕もそれを真似して。ただ、漫画家になろうと思ったのはずっと後で、大学に入ってからです」

きっかけは何だったんですか。
「大学は教育学部で、最初は教師をめざしていたんです。でも、教育実習のときに初めて教壇にあがったら、生徒の視線にものすごく緊張してしまいまして。もう自分が何をしゃべっているのかもわからないくらい。これじゃ駄目だとあきらめてから、好きな絵の道で勝負しようと真剣に考え始めました。それでまず、自分で描いた漫画を『ヤングジャンプ』(集英社)に送ったんですが、これがまったく返事がこない。次に週刊(少年ジャンプ)の方に送ったら、幸いにも当時の担当の方に声をかけていただきまして。それが大学四年のときで、お金がないから夜行列車で東京に向かいました」

苦労も多かったのではないですか?
「どうだろう…。最初の連載が決まるまでは、四畳半のアパートで、一週間五〇〇円くらいの生活だったんです。貯金が底をつく直前に連載が決まったときは、嬉しさよりホッとしましたね。でも本当に苦しかったのは、お金がなかったことより仕事ができなかったこと。夜中に必死で描いてると、隣の人が『うるさい』って怒鳴り込んでくるわけです。それで昼間に描いてると、今度は昼間に家で寝てる職種の人が怒鳴り込んでくる。あれはマジで辛かった。でも今、あの頃の漫画を見るのは恥ずかしいですね。テクニックもストーリーも素人っぽくて」


『何を描きたいか』から発想していく。

 

冨樫さんの作品は、いずれもオリジナリティ豊かなものばかりですが、ずばり着想を生み出す秘訣は?
「単純に『自分が何を描きたいか』から発想していくんです。例えば『幽遊白書』なら、まず闘いものでいこうとあらすじを決める。そこからどんどんキャラクターを作って、登場人物たちが言いそうなことを考えていくわけです。とは言え、結果論としてはいきあたりばったりですね。描いている過程でどうも話がおもしろくないなと思えば、どんどん変えていきます。本能的におもしろさを求めてしまうんですね。そのために煮詰まることもしょっちゅうなんですよ」

台詞から考えるんですか。
「僕の場合はそうですね。作家本位ではなく、登場人物たちのキャラクターに合わせて台詞を考えていくから、なかなか当初のプロット通りにはいかないんですよ。極端な話、ただある建物に入るだけなのに、建物のことを言い出す人物がいないおかげで全然前に進まないとか(笑)」

冨樫さんの作風は、いつ頃にできあがったものなんですか。
「おそらく中学生の頃だと思うんですが、表面に見えている美しいものより、裏側の汚い部分を見ることに魅力を感じるようになったんです。家の裏の汚いドブのそばに咲いているあじさいを描いたこともありました。理由はわかりませんが、確実に現在の僕の基礎を成している考え方だと思います」

ご結婚されて変化はありましたか。
「変わった部分もあるし、変わらない部分もあるという感じですね。ただ、今連載中の『HUNTER×HUNTER』は、妻と出会ったことがきっかけで始めることになったんですよ。この作品のようなRPG(ロールプレイングゲーム)的要素って、今までの僕にはなかったものでしたから。お互い漫画家ですし、いい意味でいろいろな面で刺激しあっているとは思います」


故郷の思い出の中心は自然なんです。


山形の道路や川が、今後どうなればいいと思われますか。

「道路については…実は僕、クルマの免許を持っていないんですよ。ですからいまだに、子どもの頃に見ていた舗装されていない道路のイメージがあるんです。交通の便がよくなって、観光客がたくさん来るようになればという見方もあるのでしょうが、僕個人としては、いつも同じ風景がそこにあってほしい。発展はとても嬉しいけれど、慣れ親しんだ場所まで風景が変わっていってしまうのはちょっとさびしいですね。もちろん、川についても同じ気持ちです。川は子どもの頃の苦い思い出があるので…。でも去年やっと泳げるようになったので、リベンジしたいんです(笑)。だからずっと泳げるくらいのきれいな川であってほしいと思います」

新庄市についてはいかがですか。
「故郷の新庄は、昼間と夜間の人口がかなり違うらしいんです。これは将来的にまずいですよね。そのためには、『新庄まつり』をもっと多くの人に見てほしいと思います。これは日本でも最大級の山車まつりですから、見る価値は絶対にあると断言できます。僕はあの囃子の音を聞くと、血湧き肉踊ります。そういう遺伝子が組み込まれてるんじゃないかと思うほどです。新幹線も開通したことですし、戦略的にもっと人が来るようなことをやってほしいですね」

川づくりや道づくりを進める建設省に対するご意見をお聞かせください。
「『HUNTER×HUNTER』でも言っているんですが、故郷の思い出の中心は自然なんです。だからなるべく、自然環境や昔ながらの佇まいを残しつつ、整備していってほしいと思います」

最後に、これからの目標をお聞かせください。
「休まず描き続けること。でもそれだと新庄に帰れないから、ほどほどに休んで描き続ける(笑)。やっぱり、のんびりしたいと思うときのイメージが、新庄の風景なんですよ。そんなときは無性に帰りたくなる。でもどうでしょう…何かね、今は昔のままではないんですよ。ホッとする部分がある反面、構えてしまうみたいな。先日も駅に降りて実家に帰るまで、三回位発見されてたらしくて、家に着いたら、どこに寄ったとか、どこを歩いていたとか、全部情報が流れてるんです(笑)。下手にブラブラもできない。新庄に帰るのは、しばらく先になりそうですね」