日経ビジネス2月20日号に掲載のテレビ・ウォーズ「角川春樹、奇才の『破壊と創造』」に連動したインタビューです。誌面とウェブを合わせてご覧ください。

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――昨年末のテレビドラマ「1リットルの涙」に続いて、1月公開の映画「あおげば尊し」にも出演されています。薬師丸さんは映画とテレビの違いをどう考えていますか。

薬師丸 映画なら、皆さんを暗い場所に2時間近く隔離した状況で見ていただけますよね。でも、テレビを見る時って、電話もかかってくるし、コマーシャルも入る。そういう中で視聴者を60分間画面に引きつけるというのは、すごく技のいることだと思います。

 それは演じる側の技というよりも、作り手のプロデューサーの技が重要です。どこでCMを入れるかとか、物語の流れですね。

 いろいろな誘惑がある中で、それでも見入ってもらえる作品の力はすごいなと思うし、見ようと思って見てくださる方のパワーもすごいですね。

▼テレビの視聴率の厳しさ

 それに、映画だと公開後、お客さんの入りを毎日チェックされることはあまりないですよね。その点、テレビは視聴率という形で評価が毎回出てくる厳しさがあります。それによって、作り手も意気消沈したり、励まされたりします。うまくいった時には、それほどうれしいことはないですね。

――「あおげば尊し」では、介護や死といった重いテーマに取り組まれています。

薬師丸 まず台本を読んで自分の琴線に触れた部分があったので、演じてみたいと思いました。実際に撮影現場で主演のテリー伊藤さんの演技を見ていると、本当に切なくて、芝居を忘れて結構ぽろぽろ泣きました。

 テリーさんは非常に頭のいい方だし、芝居に向かう姿勢が純粋でした。テレビのレギュラーの仕事もお休みされて、この映画に満を持して臨まれていました。「お金を払って見に来てもらうのに、それぐらいしないと失礼だ」と会見でおっしゃっていましたけれど、そういう意気込みが役者、スタッフみんなに浸透していたと思います。

――映画の場合、お金を払って見てもらうということに重みを感じる。

薬師丸 そうですね。自分の町に映画館がない人でも、1日かけてわざわざ見に行くという方がたくさんいらっしゃいます。そんな気持ちに報いられるような作品にしなければなりませんし、失望はさせたくないという思いがあります。

――薬師丸さんのデビューは、角川映画の「野生の証明」でした。

薬師丸 実は、たまたま私の写真を撮った人がいて、その方が私の知らない間にオーディションに応募していたんです。私は何の演技もしたことがないし、オーディションには落ちるつもりで行きました。

▼「みんなは反対したけれど、自分が推したから…」

――映画に出たいと強くアピールしたわけではなかった。

薬師丸 アピールというか、ただやれと言われたことをやっただけです。演技をして、歌を歌って。

 私を最終的に推したのは角川(春樹)さんだけだったという話を聞きましたが、「みんなは反対したけど自分が賛成したんだ」とおっしゃる方が、ほかにもすごく多くて、誰の話が本当なのか、いまだによく分からないんです(笑)。

 当時、中学1年生でしたが、今と同じぐらい背があったんです。その時の役は8歳の女の子の設定でしたから、私は身長も年齢も合わないけれど、何かやりませんかということで声をかけていただいたんです。そういう意味では、やっぱり角川さんが何かを感じてくれた部分が、とても大きかったんだと思います。

――角川さんは、薬師丸さんの目が非常に印象的だったとおっしゃっていたようですが。

薬師丸 そういうことをおっしゃっていましたね。別に(オーディションに)応募した写真だって笑ってもいないし、証明写真みたいな写真だったと思いますけど。

――映画に出演することが決まって、どういうお気持ちでしたか。

薬師丸 受かっても「誰が芝居するの」「誰が責任を取ってくれるの」という感じでしたね。

――そして、実際に現場に行くと、高倉健さんをはじめ、錚々たる役者が待ち構えていた。

薬師丸 私は子供だったし、何もやったことがないということで、みなさんとても優しくしてくださいました。何より高倉健さんに本当にかわいがっていただきましたね。この映画の思い出はそれに尽きると思います。

▼この1作で映画からは離れるつもりだった

――撮り終わった後、映画に対する興味というのは変わったのでしょうか。

薬師丸 これでやめようと思いました。これから先も女優を続けていけばもっと大変だろうと思ったし、学校もすごく休んでしまった。みんなに学校に行けと言われたし、私も学校に行くのが当たり前だと思っていましたから。

――しかし、「戦国自衛隊」の子役でまた出演しましたね。

薬師丸 撮影は体育の日、1日だけだというので行きました。休みの日でしたから。

――学校に影響しなければ、と。

薬師丸 その後は全部そうです。だから、大学を出るまで、私は仕事で学校を休んだことは一度もありません。

――「セーラー服と機関銃」は高校時代になりますね。この時も学校は休まなかった。

薬師丸 仕事を続けていくということで、角川春樹事務所に所属していましたが、学校は休まないということを条件にしていました。

――その条件はご両親ではなくご本人が決められたのですか。

薬師丸 そうです。これ以上、学校に行かなかったらどんなことになるんだろうと、怖かったんです。

――角川さんはそれでも女優を続けてくれと言った。

薬師丸 そうですね、でもその代わり、寝ないで学校に行きましたけど。

――「セーラー服と機関銃」は主役でしたから大変だったでしょう。

薬師丸 撮影は基本的に春、夏の休みの時期と、放課後ですね。学校が終わってから午後4時に現場に行って、翌日の1時間目の授業が始まるまでに学校に戻るという生活でした。自分が言い出した条件ですから、とりあえず朝の6時ぐらいまでだったら、撮影を続けてもらいました。みなさん、よく協力してくれたと思います。

▼自分の身は、自分で守らなくては

――映画自体もヒットしましたが、主題歌も歌われて、その後、これが角川映画のスタイルになりました。

薬師丸 その時点では、誰もレコードにするなんて考えてなかったと思うんですね。もちろん、デビューしてすぐの頃は、歌手になる路線も一応あったんですけど、できないと思ってやりませんでした。寝る時間もなく学校に行っているのに、これ以上は何もできないって思っていましたから。

 それと、自分が考える以上に露出が増えて、正直、生活を守るのに本当に必死でした。これ以上派手なことをしたら、どうなっちゃうのかと勝手に想像したんですね。

――怖いという気持ちがあった。

薬師丸 学校に行くのも仕事に行くのも全部電車でしたから。誰も送り迎えしてくれるわけじゃないし、自分の身は自分で守らなければ、と思っていました。

――でも、どうしても歌えと言われて断り切れなくなった。

薬師丸 「おまえの映画なんだから、おまえが歌えや」みたいな感じで監督に言われました。監督が言うことは絶対でした。

 別に歌番組に出ろと言われたわけでも、ミニスカートを履いてどこかで歌えと言われたわけでもない。映画作りの一環として、主人公の気持ちを台詞で言うのか、歌で伝えるのかというぐらいのものでした。だから、レコーディングに立ち会った助監督さんたちは、みんなで酒盛りしていたくらい、和気あいあいとした雰囲気でした(笑)。

――緊張するということはなかったのですか。

薬師丸 全然なかったです。みんなはお酒を飲んでいましたし、誰一人、私の歌なんて聴いたことないし、歌えるのかすらも、たぶん知らなかったと思います。

▼大ヒットの影響で、大阪は数年間出入り禁止

――結果として、映画はすごい人気になりました。大阪ではファンが騒いで上映中止になるケースもあったそうですね。

薬師丸 機動隊の放水車が出て、三面記事では、まるで私が犯罪者のような扱いでした(笑)。その後、何年か大阪に出入り禁止になって、訪ねるには警察の許可が必要でした。

――映画にせよ、歌にせよ、やるつもりのなかった仕事を続けるようになったのはなぜですか。

薬師丸 いろいろなきっかけがありました。

 「野生の証明」の後、もう十分だからやめようと思ったら、「翔んだカップル」という映画で相米慎二監督と出会いがありました。彼は学校の先生より厳しくて、私もやる気が出てきた。映画は甘い世界じゃない、地に足を着けた肉体労働なんだということに気づかされました。

 歌にしても、(作詞家の)松本(隆)さん、(作曲家の)大瀧(詠一)さんといった超一流のアーティストと出会って、考え方が変わりました。そういう方々とかかわって、「作品に参加させてもらっている」という意識が出てきた。やはり、サポートというか、応援してくれた人の存在が大きいですね。

▼「もったいないぞ」と言ってくれた角川さん

――1985年に角川事務所から独立しました。この時は角川さんと何か話をしましたか。

薬師丸 事務所をやめたいという話は、折に触れて言っていたんです。けれど「もったいないぞ」と言われていました。

 85年に独立したのは、20歳の時に「Wの悲劇」という映画に出て、自分も大人になったから、決断してもいいのかなと思ったことが1つのきっかけです。Wの悲劇が私の角川事務所での最後の作品になりました。

 それから、演技に関して、自分が泣きたい時に泣いて、泣き方も他人に指示なんかされたくないって、正直思ったんですね。

 そんなふうに追い詰められたこともあって、事務所をやめようと思って、親にも言わずに角川さんに会いに行きました。そうしたら、また「もったいないぞ」とおっしゃってくださったんです。しかも、それは引き留める意味じゃなくて、「自分が続けたいと思ったら、またいつでもやればいい」と言うんです。そういう形で送り出してもらえるなんて意外で、私自身すごくびっくりしました。角川さんの懐の大きさに感謝しています。

――その後も角川さんとはいい関係が続いている。

薬師丸 そうですね、その後もお食事に誘っていただいたりしました。角川さんは本当に人間が大きかったんだと思います。

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「笑い」の裏に隠された、総帥の黙考と苦悩の日々。次回(本誌2月27日号)はフジテレビ飛躍の立役者、鹿内春雄に迫る。ウェブ連動インタビューには横澤彪・元フジテレビジョン・エグゼクティブプロデューサーが登場します。

(聞き手:日経ビジネス編集部、写真:村田 和聡)


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