2.ご生誕について
ご開祖がいつ、どこでお生まれになったかという点については古来より諸説が伝わっています。
まず年時の問題ですが、主なものを列記しますと、日本霊異記=舒明帝。元亨釈書=舒明天皇六年。修験指南抄=継体天皇三年己丑降誕。修験修要秘決・修験三正流義教=舒明天皇聖徳三年辛卯十月。修験心鑑抄=舒明天皇三年辛卯。王代記・役行者本記・役行者霊験記・深仙灌頂系譜=舒明天皇六年甲午正月一日。役行者講式=舒明天皇甲午十月。役行者顛末秘蔵記=天智天皇四年。秘蔵記註=天智帝三年十二月二十八日。などがあります。
これらの説の中には一考を顧みるべきものもありますが、いずれにせよ、今日、其の一々を学究的に正すには確たる史料が乏しい中、困難な事であります。そこで、元亨釈書や役行者本記などに示され、現在一般的な通説とされている「舒明天皇六年(西暦六三四年)一月一日」の説に沿って考えていく事と致します。
次にご生誕地ですが、これについては、日本霊異記=大和国葛城上郡茅原村之人。元亨釈書=大和葛木上郡茅原村。役行者本記=大和国葛城上郡茅原郷矢箱村。修験修要秘決=和州葛城郡茅原村。などを始め、多くの書が「大和国葛城郡茅原村」を以て其の生地と定めています。もちろん、秘蔵記の如き紀州の出とするような突飛もない異説を載せるものも無くはありませんが、通説に依りたいと考えます。
但し、ではその茅原村の何処なのか、そしてそれは現在のどこを言うのかというといささか問題があります。大峰縁起によりますと、役行者の誕生所は「東は小山を限り、西は葛木の峯を限り、南は新井郷を限り、北は興田を限る」四至であったと伝えており、大変な広範囲であることが知られます。また私聚百因縁集には「所生ハ葛木上郡矢箱村、産時造ル所ノ堂ハ茅原寺ナリ」と記されており、開祖の邸宅と産所とを、区別した伝もあります。
そのうえ、なにしろ一千三百年以上昔のことでありますので、現在我々が見聞する地形や境界とは随分違っていたことでしょうから、此所、彼所と確定するのが難しいのもやむを得ないことでしょう。
それ故、ここでは役行者生誕の地とされる吉祥草寺(御所市大字茅原)や金峯山寺の蓮華会で蓮の華を採集する大和高田市奥田の善教寺・福田寺行者堂(蓮華は開祖が産湯を使ったと伝える弁天池で採集する)周辺などを中心に、それら現在も開祖有縁の地として伝える葛城山麓一帯を生誕の地と考えることに止めて置きたいと思います。
次に開祖の家系について考えます。続日本紀には「役君小角」と出るだけですが、日本霊異記では「役優婆塞者、賀茂役公氏、今高賀茂朝臣者也」と明かされ、また元亨釈書でも「役小角者賀茂役公氏ニテ今ノ高賀茂朝臣ノ者也」と記されるなど、その他ほとんどの開祖の伝記が賀茂氏の役公と伝えています。当時、葛城山麓に住していた有力な豪族には賀茂氏がありますが、開祖の家はこの賀茂氏の系統を引いていたものと推察されます。賀茂氏は葛木の山の神である高鴨神を祭祀する一族であり、開祖の家は役の語から考えて、この賀茂氏宗家ではなく、例えば役行者本記に「其ノ父ヲ大角卜名付ケ、世々聲韻ノ曲二長ゼリ、故二大角卜字ス、此ニハ腹笛ヲ曰フ、小角、此ニハ、管笛卜云フ、常二只呼ンデ小角卜曰フ、此処家雅楽ノ君ナリ」と記すように、高鴨神の祭祀を司る宗家の賀茂氏に、雅楽か何かで以て仕えた一族であったと見られます。ちなみにここに記される如く、大角・小角という名はもともと楽器の名から由来している事も知られます。
この役行者の役については、開祖が鬼神を使役したという伝説に関連させて説明をしたもの(本記=小角、役と名づく。鬼神を役使する故に役君と称す。徴業録=役公氏、先哲謂う、公道徳を以て鬼神を役使す、故に世人之を称して役公民と曰う。など)や、木の葉衣のように「役も又賜氏なるべし」といった説明もありますが、これらは開祖に対する篤い崇敬の念のあらわれの一つと見て取ることができるでしょう。
次に両親についてですが、今紹介した本記には、「幼名ハ大角、長ジテ高賀茂真影麿ト名ヅク、子卜為シ、白専女卜婚合ス、真影ヲ十十寸麿ノ君卜為ス、是小角之父母ナリ、小角出生之後、大角ハ離別シテ、出雲二帰ル」と記されています。しかしこの記述については文献によって食い違いがみられます。私聚百因縁集には「父高賀茂間賀気麻呂、同氏白専渡都岐麻呂を母と為す」とあり、役君形生記には「父は高賀茂間賀介麻呂と云い、母を高賀茂白専渡都岐麻呂と云う」、徴業録には「父は賀茂の間賀介麻呂、母は渡都岐氏、或いは白専渡都岐と作す」など細かい所で一定はしていません。また金峯山寺の蓮華会の時、蓮華を採取する大和高田市奥田地方の伝承では、母の名を刀良売(とらめ)としています。
この他、父母の名前がまちまちなだけでなく、中には修験修要秘決や修験心鑑紗などのように「母には夫なく霊夢を感じて誕生す」というものまであります。しかしながら本稿では父を高賀茂間賀介麻呂とし、母を白専女とする現在の通説を採用させていただきます。
ところでお釈迦さまのお誕生に際して、生母マーヤ夫人は身体の中に白象が入る夢を見て懐任されたとか、出産は右腕の脇からお生みになったとか、様々な奇端が語り継がれているように、昔の高徳偉人には多くの逸話が伝わっています。
開祖の誕生についても同様に、沢山の不思議な説話が残されていますが、その代表的なものは母が金剛杵(独鈷杵)を呑む夢を見て懐妊したという話であります。これは本記、形生記、徴業録、役行者伝記など多くの文献に伝えるところであり、すでにその生誕の時から、開祖が非凡であり、偉大な人であったことを教えています。先に紹介した修験修要秘決や修験心鑑抄などのように「母には夫なく霊夢を感じて誕生す」というのも、開祖の常人でないことを語りたいが故の伝承であったことが推察されます。
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