立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」:第78回 靖国参拝論議に終止符 天皇の意思と小泉の決断
まずそれは、自民党総務会における中曽根首相の会談報告という形であらわれた。以下、私の「ロッキード裁判傍聴記」から引用する。
自民党総務会では、中曽根は次のように説明した。「進退は自ら決することだ。政治家として自分で考えてくれ、返事はいらないと言った。政治は惻隠の情だ。だれかが一緒に泣いてやる、苦しんでやる、そういう腹構えで、田中さんと話した。同年兵として苦衷を訴えあった。田中さんの家族の苦衷を考えると、本当によく分かる(絶句してポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえる)。私もロッキード事件で灰色とうわさされた時、家族は大変に気にした(声を出して泣く)。よく分かる。しかし、その中から、総理総裁をやったものとして、どうあらねばならないか、ということを私なりに切々と訴えた。(泣く。田中派の野中総務などももらい泣き)」(『毎日新聞』11月1日夕刊)
この中曽根首相が「泣く」と注記されている部分だが、涙ぐむというようなものではなく、涙をポロポロこぼし、声をつまらせ、しゃくりあげ、何分間も嗚咽をつづけたのだという。そして、田中派の野中総務がもらい泣きをはじめると、4、5人の総務がいっせいにしゃくりあげた。大の男たちが何人も声をあげて泣くという何とも異様な風景が展開されたらしい。涙ながらの中曽根の説明は約20分間にわたってつづいた。
ずっと後になって明らかになることだが、実は田中・中曽根会談において、田中は中曽根を前において涙を流して泣き、中曽根もそれに貰い泣きし、二人でしばらく手を取り合って泣いたのだという。総務会で中曽根は、「田中さんが可哀想だ。田中さんには誰かいっしょに泣いてやる人が必要だ」といったというが、それは、2人が手を取りあって泣いたという事実をふまえての発言だったのである。
この話を聞いて私には思い当たったことがある。田中・中曽根会談を終えて、田中が部屋から出てきたとき、田中の顔は妙にゆがんでおり、淋し気な表情を浮かべていた。それを見たとき、あ、この顔は前にもどこかで見たことがあるなと思ったのだが、そのときは思い出せなかった。あの会談で田中が涙を流して泣いたのだと聞いて、それが思い出せた。初公判の被告人陳述で、田中が声をあげて泣いたあと、自席に戻ったときに見せた顔が、まさにあの顔だったのである。
この長々とした引用で私が何をいいたいのかといえば、記者会見での、小泉首相の表情の異様さに、あのときの田中の表情の異様さと似たものを、小泉首相の表情に感じたということである。
もとより、あのときの田中と、今回の小泉首相では、置かれているシチュエーションもちがえば、2人の性格もちがう。安易に両者をひきくらべることは意味がないが、あの表情から私は、小泉首相は、あの天皇の言葉に大きすぎるほど大きな衝撃を受けたのだと瞬間的に思ったのである。
そして、それによる心の動揺をおさえようとしておさえられなかったのだろうと思った。要するに、私が2人の表情のどこに共通点を見出していたのかというと、内心では敗北感の極致を味わっていながら、政治家という立場上、そのようなことはオクビにも出せないという苦しみだと思う。