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【基礎からわかる靖国神社問題】Q 戦前、戦後 どんな役割?

◆首相参拝巡り国内外で議論

 小泉首相の靖国神社参拝が国内外で論議を呼んでいる。中国、韓国は、いわゆる「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社への首相参拝に強く反発している。国内には首相の靖国参拝に反対する宗教団体が少なくない。改めて、A級戦犯の分祀や、無宗教の国立追悼施設の建立を求める声が強まっている。靖国神社の歴史と現状、首相の靖国参拝をめぐる論点などをまとめた。(肩書は当時、文中敬称略)

 靖国神社の起源は、明治維新にある。戊辰戦争が終わった翌月の1869年6月、明治天皇が官軍側の戦没者の御霊(みたま)を祭るため、東京・九段北に「東京招魂社(しょうこんしゃ)」を建立したのが始まりだ。10年後に靖国神社と改称し、今に続く。「靖国」の典拠は「春秋左氏伝」にある「靖国(国を靖んずる)」にあり、明治天皇が命名した。

 戦前、一般の神社は内務省に管理されたが、靖国神社は国家への功労者を祭る「別格官幣社」として、陸軍、海軍両省に共同管理された。「祭神」は、神話や過去の歴史上の人物ではなく、国家のために命を捧(ささ)げた戦没者だ。墓ではないので、戦没者の骨や位牌(いはい)はない。合祀は陸・海軍の審査で内定し、天皇の許可を経て正式決定した。軍人・軍属だけでなく、それに準ずる文官や民間人、学徒なども合祀された。

 日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争などを通じ、戦没者の合祀のために、盛大な臨時大祭が開かれた。地方の遺族らも招かれた。靖国神社は、国家が命を捧げた「英霊」をたたえる場になっていった。

 特攻隊員は、鉢巻きの中に靖国神社の守り札を入れ、「死んだら靖国で会おう」と誓い合った。幼い娘にあてた手紙に「大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい」と書き送った隊員もいた。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は1945年に神道指令を出し、国家神道を廃止した。GHQ内では靖国神社を焼き払う案さえ一時、浮上した。靖国神社は46年、宗教法人令に基づき、一般の宗教法人となった。

 日本が独立を回復した52年、未合祀の戦没者は約200万人もおり、遺族を中心に合祀促進運動が起こった。厚生省引揚援護局は56年、各都道府県に「靖国神社合祀事務協力について」という通知を出し、恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法で「公務死」と認められた者が合祀予定者に選ばれた。その名簿が「祭神名票」として厚生省から靖国神社に送付、合祀された。

 一方、靖国神社を再び国家管理に戻すことを目指す国家護持運動も活発になった。自民党は69年、国家管理化を目指す靖国神社法案を国会に提出したが、保革対立の中で廃案となった。以後、73年までに計5回、法案を提出し、審議未了による廃案を繰り返した。

 三木首相が75年の靖国神社参拝にあたり、「私人として」の参拝を明言したこともあり、日本遺族会などは首相の「公式参拝」の実現に力点を移した。以後、靖国神社と連携する民間団体「英霊にこたえる会」や、遺族関係者は、8月15日の首相の公式参拝などを訴えている。


2005年6月9日  読売新聞)
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