INDEXへ戻る


1980年代の資料

「1970年代の資料」に引き続き、1980年代の漫画、アニメ業界の資料を集めてみました。


↓ 以降の資料はほぼ年代順にならんでいます ↓


「ふぁんろ〜ど」創刊

 (1980年8月:ラポート:ふぁんろ〜ど創刊号:表紙)

 

アニメックの姉妹紙として、読者の投稿を中心としたアニメ情報誌が創刊しました。

OUTの元編集者Kさんが立ち上げた雑誌です。

表紙の「キッカ」に激似の女の子は、初期のマスコットキャラクター「ふぁろちゃん」です。

この創刊号の特集は、「トミノコ族」の紹介です。

コミケという閉鎖された空間で、一部のマニアにしか知られていなかったコスプレイヤーが、

タケノコ族でにぎわう原宿・公園道りの歩行者天国に登場します。

 (1980年8月:ラポート:ふぁんろ〜ど創刊号:P05,P07一部)

 

 

この頃にはまだ、彼らを識別するための言葉が無く、この記事ではタケノコ族に掛けて

「トミノコ族」と呼んでいます。

ちなみに同誌の第4号には「今宵もカモノハしる」という記事がありました。

 (1981年3月:ラポート:ふぁんろ〜ど新春第4号:P68)

 

このページは白川祥明氏によるものです。

「これは全国の正しい少年少女のためのゲゲボなゼミナールだ!」とあります。

これ以後「カモノハシ」がマスコット的存在になり、「ゲゲボ」という鳴き声?も

多用されるようになりました。

しかし、なぜ「カモノハシ」なのか?「ゲゲボ」なのか?今となってはナゾです。


「シャン・キャット」アニメ化断念

 (1980年8月:虎馬書房:はあどしゅ〜る新聞Vol.3:P04一部)

 

吾妻先生のマンガ「シャン・キャット」(週刊少年チャンピオン1979年10号〜14号掲載)を

TVアニメにする企画があったそうです。

パイロットフィルムも作られ、各地で上映されたそうですが事情によりボツになったそうです。

その後、自主制作アニメとして「マッドマウス」というサークルがアニメ化に挑戦しましたが、

こちらも資金不足により制作を断念しています。

 (1981年9月:秋田書店:マイアニメ:P50)

 

 (1981年?月:マッドマウス:マッドマウス通信臨時ぞーかん号:表紙)

 

 (同誌:P08)

 

(情報提供:名無しか・・・何もかも皆懐かしい様)


吾妻vsいしかわ抗争

1980年冬、吾妻先生の漫画「どろろん忍者」の「いしかわじゅんほど売れていないが・・・」という

発言を受けて、いしかわじゅん先生は漫画「パワフル探検隊」の中で「いいよなー、あじましでおは

女子高校生のいるファンクラブもあるし、アシスタントですらビデオデッキ持ってる」と反論した。

これをきっかけに、お互いの漫画の中で批判し合うようになりました。

「ななこSOS」の中に出てくる「Dr.石川」というフランケンに似たキャラも

この抗争の頃に考えられたものです。

下図はSF大会DAICON III内で握手をする吾妻先生といしかわ先生です。

 (1981年10月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:口絵:一部)

 

また、故手塚治虫先生の漫画「七色いんこ」の「三文オペラ」という作品も、

この抗争をネタにしていると思われます。

 (1981年11月:秋田書店:週刊少年チャンピオン:11月13日号:一部)

 

「吾島しでお」と「石河ジュン」という名前の登場人物がキスをする

シーンがあります。

それから、1982年のSF大会TOKON VIIIのレポート漫画をいしかわ先生が描いています。

 (1983年4月:虎馬書房:SF大会本:P42:一部)

 

実際には、吾妻先生といしかわ先生は家族ぐるみの付き合いがあり、

抗争の真相はマイナーな劇画を描いていたいしかわ先生を、メジャーにするための

作戦だったらしいです。


「OUT80年12月号」(病気の人のためのマンガ考現学)

 (1980年12月:みのり書房:OUT12月号:表紙)

 

アニメ雑誌の中で、初めて「ロリコン」についてのコラムが掲載されました。

このコラムでは、ロリコン向けマンガについて紹介しています。

また、商業誌の中で初めて「シベール」という同人誌名が登場しました。

 (同誌:P96)

 

−本文−

病気の人のためのマンガ考現学

第一回 ロリータコンプレックス by米沢嘉博

さて、連載第一回目なので、このページの目論見を記しておくことにしよう。

同病相憐れむとか言って、病気の人にはなんとなく仲間を見つけだして安心したい

という気持ちがある。ましてや、ちょっと変ったそれならなおさらのことだ。

だが、そういった人達は孤立していることが多く、そのことがますます病気を進行させていく。

そこで、この連載が人民を救うテキストとして役立つわけである。

つまり、世の中の同じ病気を持つ人達に安心と勇気を与え、人生の指針を示し、

さらには連帯を呼びかけるというありがたいものなのである。

また、自らの内に巣食う病気を自己診断する為にも役立つだろう。

まあ、世の中には進んで病気になりたい人もいるだろうから、そういった人には

ガイドブックとして見てもらいたい。

なにはともあれ、ロリコン、メカフェチ、SM、ホモ、ピグマリオニズム、コレクター、

ディデール症候群・・・とその筆を進めていくことにする。では、まいる。

★病気としてのロリコン

精神病理学の分野では、ペドフィリア(幼女嗜好病)と称され、三〜十歳ぐらいの少女にしか

性的興味を覚えない人を一種の精神病として把える。

昨今流行語のロリコンもこの一変種だが、その語源はウラジミール・ナブコフの

「ロリータ」というベストセラー小説からきている。

ハンバード・ハンバートという中年インテリ男が、十三歳の少女ロリータに熱愛を寄せ、

狂っていくという内容だが、あのスタンリー・キューブリックが映画化したことで一般的になった。

精神病理学的には、正常な女性と正常な交際が出来ない場合に、性的でない「少女」に

目を向けるという道をたどるという。

普通には、ロリコンは少女愛好者に投げかけられる悪口であり、賛辞である。

が、少女を愛した数学者ルイス・キャロルの様に、もっと下の年令にいくと「アリス趣味」と言われ、

少々危そうな徴候を見せ始める。

ハイジコンプレックス−ハイコンの他、ペピコン、ラナコン、マユコン、ヒルダコン・・・もちろん

マイコンとかトウコンとかいうのは少し違うのだけれども、なにやら様々なロリコンの

バリエーションが不気味にマンエンしつつあるのだ。

★ロリコンマンエンマンガ界

さて、この恐しい病気であるロリコンなるものを媒体するものとして、新しい宿主、

マンガが今注目されている。

少女マンガ、ことにA子たんなぞのオトメチックラブコメを男共が見ると言われ始めた頃に

気がつけばよかったのだ。

あるいは、江口寿史の「すすめ!パイレーツ!!」や、鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」の

女の子がかわいいと評判になった頃に注意しておけばよかったのだ。

いやいや、金井たつおの「いずみちゃんグラフィティ」のパンチラや、柳沢きみおの

「翔んだカップル」など、少女がやたら出始めた頃に大事をとっておけばよかったのだ。

だが、もう遅い。

吾妻ひでおがもてはやされ、高橋留美子の「うる星やつら」が大人気で、細野不二彦の

「さすがの猿飛」が面白く、鳥山明の「Dr.スランプ」のあられちゃんが大評判という

「今」となっては、もはや手遅れかもしれない。

高橋葉介の「宵暗通りのブン」や、藤子不二雄の「エスパー魔美」等も、それに力を貸している。

中島史雄や村祖俊一、内山亜紀(野口正之)等所謂三流劇画のテクニシャン達の単行本が売れ、

「リトルプリテンダー」「小さな妖精」等々の少女写真集はレジの横に積み上げられる。

今や世界はロリコンで一杯だ!!

★ロリコンの為のマンガ入門

で、ロリコンで何が悪いか!と言われれば別に何処が悪いわけでもなく、マンガの中の

カワユイ少女を喜ぶのは、男共にとって当り前なのだ。

少女そのものになって少女マンガを楽しむよりはずっとマットウなんである。

が、しかし、病魔が少しづつあなたを犯しつつあるのだよ。

○第一期病状−マンガの中のカワユイ少女がやたら気になり始め、そういったマンガばかりを

追いかけるようになる。

おとめちっくラブコメや弓月光、高橋葉介、吾妻ひでお、高橋留美子等が好みとなる。

○第二期病状−はっきりと自分の趣味をロリコンであると自覚を始め、前記のマンガを好む

以上に現実の少女達を気にするようになる。

自動販売機で『少女アリス』(毎月6日発売)を捜し求め、『リトルプリテンダー』や『十二歳の神話』等の

写真集を集め、さらにひろこグレース等のポスターを盗み始める。

○第三期病状−さらに病気は進み、同好の士を集めてロリータ趣味の同人誌を出したり、

少女について語りあったりするようになる。

ビデオにその手のCFを集め、少女を求めて色々なものに手を出す。

例えばリカちゃん人形やジュニア小説だ。

少女以外目に入らずに全て少女に結びつけて考え、行動するようになる。

それでも構わないという人達の為にロリコン(?)マンガ、あるいはロリコンを刺激するマンガ作品を

あげておくことにしよう。

弓月光−「エリート狂走曲」「ボクの初体験」etc・・・強い少女とマゾ的少年のドタバタ。

男共にファンが多いのもうなずける。美少女度B。

高橋留美子−「うる星やつら」「ダストスパート」・・・美少女乱舞の SFコメディ。

人気上昇中で美少女度C。

中島史雄−「幼女と少女がもんちっち」・・・所謂エロ劇画系の作家だがこの作品と

「もんしろちょうちょうのパンツ屋さん」は秀作だ。美少女度B。

内山亜紀(野口正之)−「気ままな妖精」・・・全編これロリコンの為のロリコンエロ劇画。

その妄想大系は第三期症状をこえている。美少女度A。

吾妻ひでお−「みだれモコ」「オリンポスのポロン」「純文学シリーズ」 etc・・・ロリコンマニアのアイドル。

何も言うことなく、美少女度A。

この他に、ヒルダファンでアリスマニアの和田慎二、少女マンガのちばてつや、川崎苑子の

「りんご日記」等々沢山あるが、じゃりん子チエは趣味の問題となるだろう。

マンガ同人誌『シベール』はコミケットなぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である。

こういった宿主を経てロリコン菌は広がっていく。その感染経路は未だ明らかではないが、

撲滅は遠いと思われる。それから逃れるには南極にでも逃げるしかなさそうだ。

まあ、そういうわけで、病気の人も、病気になりたい人も、それなりに頑張ってほしい。

ただ趣味のロリコンと病気のロリコンは基本的に違うものであることは理解しておいた方がいいだろう。

今や病気もファッションの時代だからだ。

だが、少年が少女を愛することはまったく正しいというところで今回は終わり。

次回はディテールにこだわりながらメカフェティズムを扱かってメカに淫してみることになる。

では、病気にかからず元気ですごしてもらいたい。ごめん。  

−END−


人形姫

「ふぁんろ〜ど」に載っていたコミケ16のレポート記事に、サークル「サーカス・マッドカプセル」の

ブースが写っているのを発見しました。

1980年12月創刊の「人形姫」は破李拳竜氏や千之ナイフ(山本おかず)氏らによって作られた、

ピグマリオン・コンプレックス(人形愛)専門の同人誌でした。

 (1981年3月:ラポート:ふぁんろ〜ど新春第4号:P43)

 

ブースにはバービーらしき人形が飾られている。


アニパロブーム

それまでも、パロディという分野がありましたが、ガンダムブーム以降に、アニメ雑誌や

同人誌界でアニパロが爆発的に流行りだしました。

アニメファンの「自分のお気に入りのアニメキャラを、好きに動かしたい」という欲求が、

アニパロとなって具象化されていったのです。

 (1981年3月:みのり書房:OUT3月号:P21:一部)

 

特にOUTは乱立するアニメ雑誌から、差別化を図るためアニパロに力を入れます。


「アニメックVol.17」(特集:“ろ”はロリータの“ろ”)

 (1981年4月:ラポート:アニメックVol.17:表紙)

 

ロリコンブームの中心的存在だったクラリスですが、1979年に「ルパン三世カリオストロの城」が

劇場公開された時は、あまり興行成績はよくありませんでした。

本格的なカリ城ブームになったのは、80年か81年に TVで放映されてからです。

アニメックのこの特集も、カリ城ブームの再来を受けてのことだと思います。

ルパンのセリフ「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵!」によって、全国のお茶の間に「ロリコン」という

言葉が知れ渡りました。

 (同誌:P21)

 

この特集の大半は、クラリスを中心にした各アニメの美少女キャラの紹介です。

そのため「アニメの少女キャラが好きな人」=「ロリコン」という誤った(?)認識が広まってしまいました。

さらに同人誌の「クラリスマガジン」と「シベール」の詳細が紹介され、全国のアニメファンにその名前が

広く知れ渡る事になりました。

 (同誌:P27)

 

下図はP27の一部アップです。

 

 (同誌:P44)

 

アニメ雑誌の読者層は、中・高校生がメインで、同人誌の事を知らない若者が大半でした。

そのため、編集部には「クラリスマガジン」や「シベール」の購入方法の問合せが殺到しました。


ミャアちゃん官能写真集

1981年8月に横浜産貿会館で行われたコミケ18で、吾妻先生の同人誌「ミャアちゃん官能写真集」が

発売されました。作者自ら、商業誌に連載中のキャラクターを使ってエロ同人誌を出版する事は、

当時としては珍しかったと思います。

 (1981年10月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:P13)

 

ブースには売り子として沖由佳雄氏、計奈恵氏がいました。


第20回SF大会「DAICON III」

1981年8月に大阪で行われたSF大会(SFファンの集い)が「DAICON III」です。

岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが主催となって行われました。

 

上の写真はDAICON III内の「SFまんがを語る部屋」の風景です。

左より手塚治虫、村上知彦、高信太郎、吾妻ひでお、いしかわじゅん(敬称略)です。

また、企画のひとつとして、SF大会で上映するオープニングアニメを制作する事になり、

大阪芸術大学の庵野秀明氏、山賀博之氏、赤井孝美氏らに要請して出来た作品が、

「DAICON IIIオープニングアニメ」です。

 (1981年8月:DAICON III オープニングアニメ)

 

パワードスーツを持ち上げてぶん投げる!

 

吾妻キャラも登場します。

 (同:おまけビデオより)

 

登場するのは「DAICON IIIの女の子」です。

この女の子がSFキャラ・アニメキャラを相手に大暴れします。

この作品は各アニメ雑誌で紹介されたため、全国のアニメファンに知れ渡りました。

自分の好きなキャラで、好きなシーンを、しかもセルアニメで再現したこの作品は、

多くのアニメファンに衝撃を与えました。

 (1982年4月:ラポート:アニメックVol.23:ボツ表紙)

 

アニメックの編集者もかなり衝撃を受けたようで、こんな表紙まで作っていました。

また、この作品の影響を受けて、多くのアニメサークルが「×××オープニングアニメ」を

作るようになりました。これは1980年代前半の大きな特徴です。


24時間テレビ 愛は地球を救う

24時間テレビは最初の頃、午前中にアニメスペシャルの枠がありました。

ここで故手塚治虫先生が監督したオリジナルアニメーションが放映されていました。

1981年8月の24時間テレビでは「ブレーメン4」という作品が放映されましたが、

この中に、吾妻先生の漫画のキャラクター「ナハハ」が一瞬登場するシーンがあります。

 


「ふゅーじょんぷろだくと1981年10月号」

 (1981年10月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:表紙)

 

 (同誌:もくじの一部)

 

この号は、当時の漫画、アニメ、写真集の美少女の特集をしています。

よく、これだけロリコン・ネタがあったなあと感心します。

ブルボン・ホワイトロリータのコラムまであるのが笑える。

この本には原丸太氏が書いた、ロリコン同人誌の解説が収録されています。

そこで、その文章の一部を転載します。

ただし、大部分は同人誌の分類についてなので、その部分は割愛しました。

 (同誌:P092)

 

−本文−

ロリコンファンジンとは何か−その過去・現在・未来 by 原丸太

(前略)

「シベール革命」の意味

既にお気付きの方もいることだろうが、『シベ』は最初のロリコン誌ではない。

それ以前に『愛栗鼠』があり、またほぼ並行して『ロリータ』があった。

しかもそれは、読物ありマンガありキャラ・ヌードありの、正に現在のほぼすべてのロリコン誌の

先駆とも言うべきものであり『シベ』への影響それ自体も無視し得ないものであった。

なのに何故「ロリータ革命」ではなかったのだろうか。

ここに「シベール革命」とは何だったのか、ということを解く鍵がひそんでいるように思われる。

『シベ』と他の2誌との違い。それは『シベ』がマンガ誌であった、ということにつきるのではなかろうか。

「シベール革命」までは、セックスというのはマンガではなく劇画の世界のものだという先入観があった。

いわばマンガにとって、セックスは「他人ごと」であったのだ。

その先入観を『シベ』は、実にアッサリと破ってしまった。

「あ、マンガでこんなものも描けるのか!」という驚き−−−それこそがシベール革命だったのに違いない。

もちろんそれ以前にも、吾妻ひでお作品の中において、ひいては手塚治虫作品の中においてさえ、

そういうことはなされていたのだが、それはいずれも作者の並み外れた才能にのみ帰されていた。

作者の才能に目がくらむあまり、それがマンガというメディアそのものの中に含まれた一つの可能性で

あることに気が付かれずにいたのである。

「シベール革命」はまた、ファンジンの革命でもあった。

(中略)

 「シベの発現」はゆがんだ法律を主な原因とした俗世間のロリコン写真集ブームなどからも力を得て、

本来それとは一線を画した存在であったはずの『クラリスマガジン』などをも巻きこみ、

一大ロリコン誌ブームの渦をひき起こした。

『シベ』の終刊後も『シベ』を求める声は続き、ついに補遺編とも言うべき

『プチ・シベール』(東京「無気力プロ」81年4月)さえも生み出すに至った。

需要があれば、供給が生まれる。

それにどんな理由にしろ、自分の作ったファンジンが売れるというのは気持ちのよいものだ。

中には描きたくないのに「会のため」とロリコンものを描かされたファン・ライターもいると聞く。

また表紙だけロリコン誌風で、中身はただの下手クソな創作ファンジンという例もいくつか見られた。

つまらないイラスト集を、さもそれらしくビニール袋に入れて売っているものもあった

(ロリコン誌のビニ本は初期の『シベ』が最初である)。

ブームなるものには、常にこんな一面がつきまとうものらしい。

今後、ロリコン誌はどうなっていくのだろう。

81年8月の創刊誌が多いことにも現れているように、ロリコン誌界はまだまだ混沌とした状態にある。

(中略)

 ただ、地方においては、たまたま筆者が入手したものがそうだったのかも知れないが、

東京等のロリコン誌がファンジン同士でお互いに影響を与え合っているのに比べて、

プロ(特に吾妻氏)の影響がとりわけ強いように思われる。

『人形姫』のように、「通販はしません。コミケットで買って下さい」というグループの気持ちもわからないではないが、

これは一つの残された課題であろうと思う。

もっとも、地方ではまだ、吾妻作品等の「その手のシーン」を切りばりして見せるだけでも、

充分インパクトがあるということなのかも知れないが。

ファンダムの動きは確実に数年後のプロダムの動きとなって現れてくる。

少年マンガの少女マンガ化、ないしは少年マンガと少女マンガの歩みよりなどはその一例であろう。

このロリコン誌ブームはどのような形でプロダムに現れてくるのだろうか。

もちろん少年マンガや少女マンガはヌード止まりで、セックスそのものを描くわけにはいかないだろう。

そこで恐らくは、成人向劇画誌へのマンガの進出という形になってくるのではないだろうか。

青年コミック誌や女性コミック誌の登場はその一つの現れであろうし、谷口敬氏の活躍なども、

その先ぶれのような気がしてならない。

ほど遠からぬ内に「かつてロリコン誌ブームというのがあったなァ」と言われる日が来るに違いない。

しかし、「ロリコン誌ブーム」は確実にわれわれの中に何かを残して行きつつある。

われわれは「ロリコン誌ブーム」というファンダムの変革を通りすぎることによって、今まさに何かを得ようとし、

また失おうとしているのである。

ファンダムにおけるロリコン誌ブームは、ある種の「成長の儀式」なのではなかろうか。

『シベ』は、正にマンガ界のモノリスだったのかも知れない。

 (後略)

−END−


「美少女・ロリコン・フェア」

 (1981年10月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと10月号:目次裏)

 

「ふゅーじょんぷろだくと10月号」の特集に連動して、マンガ専門店「ふりーすぺーす」にて

「美少女・ロリコン・フェア」が開催されました。

この記事をきっかけに、閑古鳥の鳴いていた同店に、たくさんの客が訪れるようになったそうです。


「美少女・ロリコン・フェアII」

 (1981年11月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと11・12月号:目次裏)

 

「美少女・ロリコン・フェア」が好評だったので、期間が延長されました。

今度は背景に薄く谷口敬先生の「うわごと」の1カットが流用されています。


アニコムZ

「早稲田アニメーション同好会」の会誌「アニコム」は、文章中心の真面目な同人誌でしたが・・・。

 (1980年11月:早稲田アニメーション同好会:アニコムVol.5:表紙)

 

しかし、OUTの1982年2月号に架空アニメの企画を掲載しています。

このアニメは「自衛戦隊ジャパニーズ」というタイトルで、愛国心に燃えた美少女達が

外国の魔の手から日本を護るという設定でした。

 (1982年2月号:みのり書房:OUT2月号:P61)

 

 (同誌:P62:一部)

 

 (同誌:P64:一部)

 

全43話分のサブタイトルや主題歌も掲載されていました。

同じような作品としてDAICON FILMの「愛国戦隊大日本」がありますが、そちらは

同年8月のSF大会TOKON VIIIで公開されているので、もしかしたらこの企画に影響を受けたのかも?


「コミック・レモンピープル」創刊

1982年2月、あまとりあ社からコミック・レモンピープルが創刊されました。

同人誌「シベール」や「人形姫」のメンバーを中心とした、初の美少女コミックです。

たしか創刊号から半年ぐらいは中綴じで、表紙は女の子の写真が使われていたと思います。

人気が出たのは平綴じになって、表紙が阿乱レイ氏のイラストになってからだと思います。

以後、このスタイルをまねた亜流誌が沢山登場します。

残念ながら、初期の同誌は手放してしまったので、下図は「ふゅーじょんぷろだくと」の

紹介記事から流用しました。

 (1982年4月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:P75:一部)

 


「アップル・パイ」(編集:大塚英志)

 (1982年3月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:P032:広告)

 

上の画像は「ふゅーじょんぷろだくと」に掲載されていた「アップル・パイ」の広告です。

「全国の美少女ファンよ・・・夜明けは近いぞ!!」というキャッチコピーが (・∀・)イイ!!

 (1982年3月:徳間書店:アニメージュ増刊アップル・パイ:表紙)

 

大塚英志氏が徳間書店で初めて企画した本です。

この本に掲載されている漫画のいくつかは、後の「プチ・アップルパイ」にも再録されています。

また、志水一夫氏の「ロリコン同人誌レビュー」には、当時のコミケの動向が詳しく解説されています。

 (同誌:P116)

 

−本文−

ロリコン同人誌レビュー 原丸太with志水一夫

(前略)

●かつてロリコンはマイナーであったのだ

言うまでもないことだが、かつてロリコンはマイナーであった。

日本最初の(外国のことは知らない)ロリコン誌は、ロリコン文芸誌とも言うべき内容の

『愛栗鼠』(東京「アリスマニア集団・キャロルハウス出版部」78年12月創刊号のみ)だと

思われるが、同誌は「コミケ10」の会場の片隅で、紙袋に入れられ、人目を忍ぶようにして

細々と売られていたという。

それがどうして、現在のようなブームにまでなったのであろうか。

しばらくその経緯を追ってみることにしよう。

後に多くのロリコン誌に影響を与え、一般にロリコン誌の元祖だと思われている

ロリコン・マンガ誌『シベール』(東京「シベール編集部」)が創設されたのは、 79年4月のことである。

以後、80年春の「コミケ14」までは、『シベール』と、前記『愛栗鼠』の増刊

『ロリータ』(79年4月創刊、同7月2号)、または『機動戦士ガンダム』のポルノ・パロディー

『AMA』(「東京アニメニア・アーミー」79年12月創刊、81年7月4号で終刊)の二誌だけという

時代が続くことになる。

この時点で現在のようなロリコン誌ブームを予言した人がいたとしたら、ちょっとした超能力だと言えよう。

80年夏の「コミケ15」には、いわゆるロリコン誌のもう一つの方向、即ち必ずしも性的な描写を含まず、

ただひたすらアニメの美少女キャラにこだわるという形を持った、クラリス狂専誌

『クラリス・マガジン』(別名『クラマガ』、東京「クラリスマガジン編集室」80年8月創刊、

同12月2号で休刊)が登場。

また早坂未紀の個人画集『FRITHA(フリス)』(東京「トラブル・メーカー」80年9月)の発刊もこの時だった。

この頃、『シベール』の影響を直接受けた『ロータリー』(東京「(チヨダ)ロータリー・クラブ」80年7月創刊、

現在8号)も創刊しているが、当時は限定わずか13部のコピー誌で、オフ化してコミケに参加し、

多くの人々に知られるようになるのは、まだ先のことであった。

この時点では、それぞれの傾向を持ったファンジンが個別的に出てきてこそいるものの

まだブームとしてのまとまり、ないしは方向性といったようなものはほとんどなく、

ただ一冊一冊のファンジンにそれぞれ人気が集まっているという状態であった。

ところが・・・。

アニメ雑誌ではじめて、「ロリコン」なる言葉がクローズ・アップされたのである。

『OUT』80年12月号の米沢嘉博、

「病気の人のためのマンガ考現学・第一回、ロリータ・コンプレックス」がそれだ。

米沢氏がそこで対象にしたのは、もちろんプロ作品だが、後にロリコン・マンガの二大宗家の

如くにいわれるようになる吾妻ひでおと野口正之(内山亜紀)との扱いがとりわけ大きいことは注目される。

また「ロリータ・コンプレックス」という言葉が元来学術用語だということを充分明らかに

していないことにも、注意を要する。

意味があいまいなまま、「ロリコン」という言葉だけを世に広めてしまったのである。

このことは、後に本来のロリータ・コンプレックスとは異なるものまでが「ロリコン」と呼ばれるような

状況を生み出してしまうきっかけになったと思われる。

『シベール』の名がはじめて商業誌に現れたのも、この時が最初だと言われる。

80年冬の「コミケ16」では、『人形姫』(東京「サーカス・マッド・カプセル」80年12月創刊、現在4号)が新登場。

またこの頃名古屋では、セーラー服研究誌『すずらん』(愛知「名古屋学院セーラー服研究会」

80年12月創刊、現在2号)が出ている。

これとほぼ同時期の『OUT』は、80年1月号の付録の特大ポスター

「吾妻ひでお版(青少年向)“眠られぬ夜のために”」によって、ロリコン路線に追い打ちをかけた。

このポスターによって吾妻は、プティ・アンジェにドロレス(即ちロリータ)を演じさせるなどの

アニメ少女キャラ服装パロディー(と呼んでおこう)を行い、そのロリコン・マンガ家としての

地位を不動のものにしたのであった。

なお、このポスターの中の「クラリスGOGOチアガール」のイラストのキャプション (説明文)に

「クラリス・マガジン(コミケで売っていた)見てからかぶれてしまったの/カリオストロ見てないのに・・・」

として、『クラマガ』の名が出てくるのに、注目しておきたい。

しかし、ここまでは、まだほんの前哨戦にすぎなかったのである。

●ロリコンブームは予言されていた・・・?

ここにあの『アニメック』17号(81年4月発行)のロリコン特集「“ろ”はロリータの“ろ”」が登場する。

この特集は、その後のいわゆる「ロリコン・ファンジン・ブーム」の方向を決定づけた、

あるいは予言した、一つのエポックであった。

この特集の登場以前を、私はロリコン誌ブームの「覚醒期」と呼びたい。

この『アニメック』の特集は全25ページ。

今から見ると、恐ろしいほどまでにその後のロリコン誌ブームの傾向がエッセンスされている。

まず、ロリコン特集とはなっているものの、実はその半分ほどはアニメの美少女キャラ特集に

近いものであったということ。

このことは、後にいわゆる二次元コンプレックスもしくは単なるアニメ美少女キャラ・ファンまでもが、

ロリコンと呼ばれ、あるいはロリコンを自称するようになる、一つのきっかけであると思われる。

この点『アニメック』が二次元コンプレックス(この言葉が最初に商業誌に現れたのは

『アニメージュ』80年10月号の吾妻ひでおを囲んだ座談会であろう)をロリコンに引き込んだと

言っても過言ではない。

しかしまた、このことがなければ、現在のようなロリコン誌ブームはなかったというのも、

正しい見方であろう。

同特集の5分の1に当たる5ページ分を『ルパン三世・カリオストロの城』のヒロイン、

クラリスに関する記事で埋めていることも、注目に値する。

主人公ルパンが悪役カリオストロ伯爵を「ロリコン伯爵」呼ばわりする場面があるとは言え、

16歳という本来ロリコンの対象となる年齢(14歳以下)とはかけ離れた設定の彼女が、

その後ロリコン誌の三種神器の一つのように扱われるようになるのも、

やはりこの『アニメック』の特集の影響が大きいのではなかろうか。

同特集では『シベール』と『クラマガ』の内容の一部を、アニメ誌としてはじめて紹介しているが、

この二誌がその後のロリコン誌の手本とされたことを考えると、興味深い。

(中略)

『アニメック』のロリコン特集が、吾妻ひでお、村祖俊一、中島史雄のインタビューを掲載して

いたことも、特筆しておきたい。

これはロリコン誌への成人向劇画(いわゆる三流劇画、エロ劇画)の影響を促す、

少なくとも原因の一つなったと思われる。

ロリコン誌ブーム以前は、同人誌界はもっぱら少年、少女マンガ志向であって、

 (隠れたファンは結構いたにしても)成人向劇画とはほとんど無縁の世界であったことを考えると、

その意義は大きい。

(中略)

さて、『アニメック』17号の発刊とほぼ同じ頃に開かれた「コミケ17」にも、異変が起きていた。

前出『ロータリー』のコミケ進出、FC的色彩を持った

『シベールFC・ハンバート』 (神奈川、会報「プレザンス」81年4月準備号、同6月創刊、現在4号)の登場、

更にアニメ・キャラ・ヌード専門誌

『ヴィーナス』(東京「ムーン・ライン製作室」81年4月準備号、同5月創刊、同11月3号で終刊)の出現、

そして『シベール』の終刊である。

81年春というこの時点こそ、後のロリコン誌“ブーム”の「胎動期」だったと言えるだろう。

81年8月号の『OUT』(この号ではカラーを含めた13ページの特集「ルナティック・コレクション美少女」を

やっている)他各アニメ誌上で『クラリス・マガジン』再版の予約者募集が行われた。

これには一万通以上の応募があったという・・・。

●ファンジンの世界はロリコンがいっぱい

そして、あの“ロリコンの夏”がやってきた。まさしく「発動期」の到来である。

皮肉なことに『シベール』の終刊は、むしろロリコン誌ブームを本格化・活発化させることになった。

これまでは、ブームといってもしょせんは「シベール・ブーム」であり、あるいは「クラマガ・ブーム」であった。

その『クラマガ』がなくなり、『シベール』がなくなったのである。

残ったのは「もっとクラマガを」「もっとシベールを」という声だけであった。

ポスト・シベールをねらい、あるいはポスト・クラマガをねらう人々が出てきたところで、何の不思議があろう。

ましてこれまで『シベール』を買う人の列を横目で見ていた人々にとってみれば、

正に“チャンス到来”の感があったに違いない。

81年夏の「コミケ16」では、それまでせいぜい10誌にも満たなかったロリコン誌が、

突如数10誌にまでふくれあがったのであった。

(中略)

他にその後の新しい動きとしては、このロリコン誌ブームを契機として、成人向劇画のファン・クラブが

登場してきたことがあげられるだろう。

「内山亜紀参加野口正之FC連合」(神奈川、会誌『妖精人形』81年12月創刊) の他、

野口正之(内山亜紀)のFCがいくつかできているようだし、谷口敬のFC「ふくらすずめ」、

また中島史雄のFCも結成の動きがあると聞いている。

なお、成人向劇画系の出版社から出た『コミック・レモン・ピープル』(82年2月創刊)は、

ハッキリと「ロリコン・コミック」を謳っており、『人形姫』に書いていた人々が何人かデビューをはたしている。

●ロリコン誌ブームをどうみるか・・・?

ロリコン誌ブームはファン主導によって生じたものだ、としばしばいわれるところである。

しかし、実際は、かなりプロジン(商業誌)の影響があるということも、また事実である。

ロリコン誌ブームが起きるに際して最も大きな役割を果たしたと見られるふたつのファンジン、

『シベール』と『クラマガ』にしてからが、前者には最初から某有名ロリコン・マンガ家が参加していたし、

後者にもさる少女マンガ家が中心スタッフに加わっていたことは、今や公然の秘密である。

その他のアニメ・パロディー系ロリコン誌にしたところで、原作のアニメそのもにシャワー・シーンが多く

登場するようになったことと無縁とはいえず、これではとても「ファン主導」などとは言い難いのでは

なかろうか。

ただそれが、他ならぬ『ガンダム』によって最初になされたということに関しては、後の小説版によって

より明らかにされることになる。

ストーリーの底に隠されたセクシャルな香りをかぎとった、ファンの臭覚は認めねばなるまいが。

更にロリコン誌を見てみると、その関係者の中に成人向劇画のファンが結構いることに気付く。

成人向劇画の美少女路線横行も、間接的にこのロリコン誌ブームに影響を与えているのであろうことも、

想像に難くない。

(中略)

かつて三流劇画よエロ劇画よとバカにされ軽蔑された成人向劇画をきっかけとして、あるいは踏み台として、

多くのユニークな才能が出現してきたように、同人誌界のロリコン・ブームも、新しい才能を生み出す

可能性をもっていると、私は確信している。

そして、かつてロリコンものを中心としていたファンジンやライターが、実力をつけるに従って、

ロリコンばなれをしはじめているという現実が、そのことを裏付けているように思われるのである。

よしんば破廉恥な奴よと笑われてもよい。

私はこのブームの行く末を、この目で見極めたいと思っている。 (文中敬称略)  

−END−

そして忘れてはならないのが、早坂さんの「ニミィ・二ミィ・ノット」が掲載されていた事です。

キレイなカラーで描かれる、ゆるい百合漫画のようなストーリーには衝撃を覚えました。

 (同誌:P16)

 


故手塚先生もブームに敏感!?

「週刊少年チャンピオン」に連載されていた故手塚治虫先生の漫画「七色いんこ」に

「作者を探す六人の登場人物」という作品があり、下図のようなシーンが出てきました。

 (1982年3月:秋田書店:週刊少年チャンピオン:3月19日号:一部)

 

こ、これは「あんどろトリオ」の「つかさちゃん」!!しかもネコミミ!!

やはり内山亜紀先生の事が気になっていたのでしょうか?


愛のロリータ

 (1982年4月:光文社:ジャストコミック広告)

 

ジャストコミックに吾妻ひでお先生の漫画「ななこSOS」が連載されていた頃、この漫画のイメージソングが

シングルレコードで発売されました。

当時は著名な漫画のイメージレコード、ドラマレコードなどが多数販売されていました。

1983年に「ななこSOS」がTVアニメ化されますが、そのレコードとは別物なので注意してください。

A面、B面共に山本正之氏の作曲ですが、注目するのはB面に収録されている「愛のロリータ」という曲です。

この曲は「ななこSOS」の内容とは関係なく、当時のロリコンブームを曲にしています。

ジャケット絵や歌詞は他のサイトで見つけることができるので、興味のある方はググッてみて下さい。


ロリコントランプ

 (1982年4月:徳間書店:アニメージュ付録:パッケージ表・裏)

  

アニメージュ1982年4月号の付録です。パッケージのイラストを吾妻先生が担当しています。

 (同付録:パッケージ表)

 

 (同付録:一部)

 

前述の「ロリコン同人誌レビュー」でもわかるように、当時は現実の少女に(;´Д`)ハァハァ していた人も、

2次元アニメキャラに萌えていた人も、全部まとめて「ロリコン」と呼んでいました。

よって、このアニメの美少女キャラを集めたトランプも「ロリコントランプ」と命名されています。

ここには写っていませんが、「うる星やつら」のラムちゃんや、「未来少年コナン」のモンスリーまで

いるので、当時はマスメディアも「ロリコン」の意味を正しく理解していなかったと考えられます。

しかし、宮崎キャラの割合が多いwwwwwwww。


’81発表作品ジャンル別総評

 (1982年4月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:P124)

 

−本文−

81年、ロリコン旋風はエロ劇画、写真、アニメ、少年まんがをも巻き込んだ。

★'81年は誰がなんつっても美少女、ロリコンの年だった。

御大吾妻ひでお、内山亜紀、そして谷口敬らの活躍が目立った。

最初、エロ劇画界から芽ばえ、少女ヌード写真、アニメキャラクターを巻き込んで 81年、

ロリコンブームがおこった。

ロリコン旋風で最も著名なマンガ家はエロ劇画誌から、『少年チャンピオン』の連載、「あんどろトリオ」で

人気を博した内山亜紀(野口正之)であろう。

78年から、81年まで、ロリコンというよりも、アリス的であった吾妻ひでおの少女は、

『陽射し』(奇想天外社)にまとめられた。

この吾妻ブームを追って、ロリコンの星、内山亜紀旋風が巻き起こったである。

「あんどろトリオ」の登場は、少年マンガ誌においては、永井豪「ハレンチ学園」 (『少年ジャンプ』)以来の

エロスの爆弾であった。

「ハレンチ学園」は、スカートまくりを全国の小中学校に流行させたが、「あんどろトリオ」は、

さらにエスカレートし、少女のパンティを脱がせ、おむつをはかせるところまでいったのである。

これは、<お医者さんごっこ>のおむつ版といったところである。

また内山亜紀は、なかなか、ギャグとユーモアの人でもあるらしく諸星菜理・名で『大快楽』に発表した

「おむつをはいたシンデレラ」では、陸奥A子の絵をまねて、パロディチックな作品としている。

まんが界のロリコンブームは少女マンガと、エロ劇画の接近といった面を持っていたのである。

また、旧『ぱふ』『エロジェニカ』に作品を描いていた谷口敬は、81年に『大快楽』『F・P』に、

少女キャラをメインとした作品を発表し話題を呼んだ。

なかでも、「うわごと」(「F・P」)は、野原で、服飾用語をわけもなく会話して戯れる二人の少女が描かれている。

彼女たちの戯れは、土手を行く、自転車に乗った少年のまなざしによって、破られる。

内山亜紀と違って、谷口敬は、少女の観念を絵画化しようとしている。

少女には服飾用語、少年には自転車という配置こそが、彼の心憎い演出なのである。

82年、谷口敬の活躍に期待したい。

<高取英>

−END−


創作同人誌ベスト集成’81

 (1982年4月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:P282:広告)

 

 

上の画像は同誌の広告ですが、この本の総評を大塚英志氏が担当しています。

なぜかこの広告には、同誌に収録されていない、「DAICON IIIの女の子」が

使われています。なぜ???

ふゅーじょんぷろだくとの編集者も、この作品に思い入れがあったのでしょうか?

 (1982年5月:ふゅーじょんぷろだくと:創作同人誌ベスト集成'81:P237)

 


「オリンポスのポロン」アニメ化

「プリンセス」に連載されていた吾妻先生の漫画「オリンポスのポロン」が

「おちゃ女神物語コロコロポロン」というタイトルでTVアニメになりました。

 (1982年6月:みのり書房:OUT6月号:表視)

 


SFショップ「ゼネプロ」開店

1982年に岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが日本初のSFショップ「ゼネラル・プロダクツ」(略してゼネプロ)を

大阪市生野区桃谷に開きました。

各アニメ誌で「DAICON III オープニングアニメ」が紹介されると、見たいという読者の要望がよせられたため、

アニメック誌上で「DAICON III オープニングアニメ」のビデオ販売が行われました。

これでマニア向けの市場が存在する事に気が付いた2人は、SFグッズショップを始めます。

 (ゼネプロ:1983年度第2期カタログ:P05)

 

(画像提供:名無しか・・・何もかも皆懐かしいさん)

吾妻ひでお先生の特約グッズや、庵野秀明氏、赤井孝美氏のイラスト入りグッズが販売されました。

下図は「DAICON IIIの女の子」のメタルフィギアです。

ゼネプロではこの他に「新井素子」のメタルフィギアなんかも販売していました。

 

金属製のため細部の加工や塗装が難しく、未だに組み立てる事ができません orz


「ロリコン大全集」(編集:蛭児神建)

 (1982年7月:徳間書店:リュウVol.18:広告)

 

上の画像は「リュウ」に掲載されていた「ロリコン大全集」の広告です。

ロリコンという言葉がいくつあるのか・・・。

 (1982年5月:都市と生活社:ロリコン大全集)

 

この本には、吾妻先生の「仁義なき黒い太陽 ロリコン編」というカラーの漫画が

掲載されていて、当時のロリコン同人誌の情勢をパロディー化しています。

残念ながら、同誌は所有していませんが、この作品は秋田書店のプレイコミックシリーズの

「ミニティー夜夢」(著者:吾妻ひでお)に再録されているので、そのスキャンを掲載します。

 

事前に原丸太氏のロリコン誌レポートを読んでいれば笑えます。


超時空要塞マクロス

1982年10月、「超時空要塞マクロス」のTV放送が始まりました。

 

主人公の輝は、ミンメイと初めて出会った時、彼女のことを「おたくは〜」と呼びます。

これは初対面で、名前や年齢がわからない女性に対しての、気を使った呼び方だと思います。

しかし、「おたく」を連発する輝に奇妙なおかしさを感じたファンは、おもしろがって

「おたく」というセリフをまねるようになります。

これがコミケで目撃され、差別用語としての「おたく」になったという説もあります。

 

マクロス艦内のおもちゃ屋「ゼネラル・プロダクツ」からミンメイ人形を奪った、

スパイのワレラ、ロリー、コンダの3人はオペーレーターギャルに見つかってしまう。

「やだ〜ロリコン?とぼけちゃって!ツンツンしちゃうから!」

 

それから庵野秀明氏が一部の作画を担当したというのも有名な話です。

このシーンでは、デストロイドの胸に「DAICON IIIの女の子」がペイントされています。

また、マクロスの壁面(画面中央上部)に「H.ANNO」という文字が見てとれます。


「女王陛下のプティアンジェ」が一瞬ブームに?

1977年〜1978年にかけてTV放映されたアニメ「女王陛下のプティアンジェ」が、放送終了してまもなく

ブームになりました。火付け役は吾妻ひでお先生だったようです。

正確な時期は不明ですが、「マイアニメ」で「アンジェ」キャラを模した吾妻ひでお先生の漫画、

「ハイパ〜ド〜ル」(秋田書店:プレイコミック収録)が掲載されていた1982年頃だと思われます。

 (日本アニメーション:女王陛下のプティアンジェ:オープニング)

 

 

アニメの出来は良くなく、放送当時は全く話題にならなかったそうです。

下の絵は吾妻ひでお先生によるイラストですが、どこかのアニメ雑誌用の絵と思われます。

初出をご存知の方がおられましたら連絡をください。

今回は「マジカルランドの王女たち」に再録されている絵を流用しました。

 (1982年12月:サンリオ:マジカルランドの王女たち:P36)

 

さらにマイナーネタとして、東海大学漫画研究会の自主制作アニメの中に「アンジェ」を使った

パロディアニメが2本あります。残念ながら、こちらも正確な制作日付けは不明です。

 (198?年:東海大学漫画研究会:超ロリコン要塞ランジェ)

 

 

 

「超時空要塞マクロス」と「アンジェ」を掛け合わせた作品です。

水玉模様のバルキリーが変形すると、ランジェになります。

 

巨人(ラッシャー木村)にダイダラボッチアタックをかけるシーン。

 (198?年:東海大学漫画研究会:天皇陛下のプティランジェ)

 

なぜかランジェが天皇陛下にマージャンを指南するという怪作。

 

ところでアンジェのシンボルは水玉模様のスカートですが、早坂さんの作品にも、水玉模様を多用する傾向があります。

まあ、関係ないとは思いますが・・・。


アニメック&ふぁんろ〜ど合同コンテスト

1983年3月に「アニメック」と「ふぁんろ〜ど」が合同でコンテストを行いました。

読者が制作したアニメ、セル画、イラストなどが審査の対象でした。

 (1983年6月:ラポート:アニメックVol.30:綴じ込みポスター)

●佳作「ガラス割り少年」

 

このアニメは筑紫高校の漫映研によるペーパーアニメです。

アニメックではこの作品の画像しか掲載されていませんが、この作品以外にも

「惑星ラスク」という特撮作品も佳作を受賞しています。

 

「惑星ラスク」は当時、NHKの「YOU」という糸井重里が司会の若者向けトーク番組でも

放映された事があります。

なお、この時期の漫映研には森田宏幸さんが在籍していました。

彼は後にジブリに入社し、「猫の恩返し」の監督を担当するまでになりました。

●努力賞「ラミちゃんききいっぱつ」

 

自主制作アニメのサークル「スタジオRAMI」によるセルアニメです。

ネコミミ全盛期の当時において、ウサミミ萌えな貴重な作品です。

 (1983年6月:スタジオRAMI:にんじんランド:P82)

 

これは宇宙帝王氏によるポスターです。

●努力賞「夕顔」

大阪のマイコンサークル「NEWON」(ニューオン)によるセルアニメ(一部CG)です。

吾妻先生のマンガ「夕顔」(少女アリス掲載)をアニメ化したものです。

 

(画像提供:匿名希望様)

 

(画像提供:匿名希望様)

なお、この作品が初公開されたのは、前年のSF大会「TOKON VIII」の時でした。

ちなみに下図は「NEWON」の会報「HILDA」の表紙です。

 (1984年3月:NEWON:HILDA Vol.3 No.11:表紙)

 


アズマジロ

1983年3月公開の劇場アニメ「クラッシャージョウ」に吾妻先生のデザインした「アズマジロ」が登場します。

このアニメは原作が高千穂遥氏、監督が安彦良和氏のSFアニメです。

制作時に敵ボスのペットのデザインが決まらなかったので、高千穂氏が吾妻先生に依頼して

できたのが「アズマジロ」です。この時はノーギャラだったそうです。

 

海賊のボス「マーフィ」はペットのアズマジロに「クルップ」という名前をつける。

 

こんなモブシーンが一瞬出てくる。


「ComicBoxJr創刊準備号」の広告

 (1983年4月:ふゅーじょんぷろだくと:ComicBox:広告)

 

ComicBoxJrは、読者の投稿が主な内容の漫画と同人誌の情報誌です。

この雑誌の創刊準備号からVol.3まで、大塚英志氏が編集長をしていました。

なお、ここで使われている早坂さんのカットは「トーキョー遊撃隊」の1コマです。


大塚英志氏の描いたカット

 (1983年4月:ふゅーじょんぷろだくと:ComicBoxJr創刊準備号:カット)

 

「猫好きまんが家訪問記第1回」の記事は飯田耕一郎先生の自宅訪問でした。

この記事中のカットを大塚英志氏が描いています。


「漫画ブリッコ」の広告

 (1983年4月:ふゅーじょんぷろだくと:ComicBox:広告)

 

「手描き広告なんてガロみたいだな〜っ」と書いてあるので、同誌に掲載された

ガロの広告も載せておきます。


「ななこSOS」アニメ化

1983年4月に吾妻先生の漫画「ななこSOS」がTVアニメになりました。

 (1983年11月:ななこまつり実行委員会:ななこミニコレクション:P8:一部)

 

急いで企画されたらしく、アニメ雑誌には充分な情報が載っていませんでした。

下図はボツになったキャラクターデザインの第1次案です。

 (1983年11月:ななこまつり実行委員会:ななこミニコレクション:P8:一部)

 


「漫画ブリッコ」刷新

1983年5月、セルフ出版の「漫画ブリッコ」が美少女コミックとして刷新されました。

大塚英志氏が編集長になりましたが、後述の「おたくの精神史」を読むと、大塚氏は

美少女コミックではなく、ニューウェーブ誌が作りたかったようです。

中森明夫氏の「おたく」に関するコラムが掲載された時、中森氏は読者から抗議や非難を受けますが、

よく考えると、大塚氏も中森氏のコラムに疑問を持たなかったからこそ掲載したのではないでしょうか?

つまり、美少女コミックを求めている読者層ついて、大塚氏も理解が足らなかったと思われます。

なお「漫画ブリッコ」に関する情報は「漫画ブリッコの世界」のホームページをご覧ください。


「ザ・モーションコミック」のカット

 (1983年5月:徳間書店:ザ・モーションコミックVol.2:P201)

 

このカットはI.N.U.(豊島U作)氏が描いたものです。

中心でモーションコミックの編集をしているのが大塚英志氏で、

「昔の血が騒ぎ燃えに燃える編集のオーツカ某」と注釈があります。

大塚氏の左側で後ろを向いているのが美樹本晴彦氏、右側にいるのが、

白倉由美さん、生田マキさん、I.N.U.氏です。


爆走フラッシュ・ギャル

 (1983年5月:ラポート:ふぁんろ〜ど:表紙)

 

自主制作アニメのサークル「スタジオいちばん」、「スタジオ・オクトパス」による

オリジナルアニメです。

この5月号では表紙に採用され、同年12月号には内容の紹介が掲載されています。

しかし、その12月号はファンロード・オープニングアニメやDAICON IVの紹介も

されていたため、あまり目立ちませんでした。

 

このアニメは九州大学の漫研も協力していたようで、配布されたビデオには漫研の

入部勧誘アニメも収録されていました。

 

この当時、すでに「妹」に対する需要は発生していた!?

なお、この作品のスタッフには安永航一郎氏もいたそうです。


ビデオ版写真時代

 (1983年8月:セルフ出版:漫画ブリッコ8月号:P147)

 

白夜書房の雑誌「写真時代」が本の内容と連動したビデオを出しました。

このビデオの中に吾妻先生が登場します。

 

編集長の「ビデオを出すことになったが、みんないい意見出せ!」という問いに対し、

漫画を読んでいたある編集員が「吾妻ひでおにやらせたらどうか?」と意見する。

 

仕事部屋で、マスクをつけて妄想にふける吾妻先生。


第2回裏日本SF大会「URACON II」

1983年8月に金沢で行われたローカルなSF大会が「URACON II」です。

金沢=裏日本というとこで、ウラコンという名前になっています。

残念ながらこのイベントに関する詳しい事はわかりませんが、ゼネプロで販売されていた

「オープニングアニメ・コレクション」というビデオテープにオープニングアニメが

収録されていました。

 

 


第22回SF大会「DAICON IV」

1983年8月に大阪で行われたSF大会(SFファンの集い)が「DAICON IV」です。

この回も岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが主催となって行われました。

 (1983年8月:DAICON IV オープニングアニメ:DAICON FILM)

 

「DAICON IIIの女の子」が成長して帰ってきました。しかもバニーガール!

バニーガールは男のロマン!(笑)

 

モビルスーツをなぐるける!

 

右手がアルカディア号、左手が宇宙戦艦ヤマトという最強マクロスが登場。

 

この作品は、当時のアニメックに制作過程が連載されていました。

動き、作画レベル共にアマチュア8mm作品の最高峰です。

この「DAICON IV」も、各アニメ誌で紹介されたため有名になりました。

また吾妻ひでお先生のファンクラブが制作したオープニングアニメ「AZICON1」も上映されました。

 (1983年8月:AZICON1オープニングアニメ:しっぽがない&スタジオ・ラミ)

 

当時は「ななこSOS」がTV放映されていましたが、原作のキャラに似ていなかったので、

ファンの間では不評でした。

そのためこのアニメでは、できるだけ原作に似せてキャラデザインをおこなっています。

 

大阪名物くいだおれ人形が変形してガオークに!ハセガワからプラモが出ないかな?

 

「打倒!DAICON!」をスローガンに掲げて制作されましたが、ほとんど話題になりませんでした。

下図はAZICON1のパンフレットの表紙です。

 

下図は分科会のパンフレットの表紙です。イラストを吾妻先生が担当しています。

 

(画像提供:名無し様)

入場待ちで並んでいる参加者に、AZICONパンフレットを販売するAZICON宣伝ゲリラ。

 

(画像提供:名無し様)

「底抜けDAICONゲーム」の様子。お互いをゴムヒモで結び、巨大な「福笑い」を完成させる。

 

(画像提供:名無し様)

「福笑い」の絵はもちろん「DAICON IVの女の子」だ。

 

(画像提供:名無し様)

「宮内洋ショー」の様子。

 

(画像提供:名無し様)

合宿が行われた旅館の風景。

 

(画像提供:名無し様)

前述のマイコンサークル「NEWON」は電子楽器の自動演奏で参加しています。

 (1983年11月:ラポート:アニメック:P113:一部)

 

「MIDI規格」が普及する以前に、PCと電子楽器を繋ぐ方法を考案して、

アニメやSF映画のBGMを演奏させていたそうです。


第1回ファンロード大会「ゲボコン1」

1983年10月にファンロードのファンが集って行われたイベントが「ゲボコン1」です。

 (1983年10月:ファンロードオープニングアニメ:ファンロード読者)

 

 

このオープニングアニメはファンロード読者の有志が集まって作りました。

またアニメの制作過程がファンロード誌上で連載されていました。

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:表紙)

 

主役の「タッコちゃん」は、ファンロードの表紙にも登場しました。

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:P124:一部)

 

1983年10月10日に東京労音会館で行われました。

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:P124:一部)

 

「ロード戦隊ゲゲボ5」によるアトラクションショー。

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:P124:一部)

 

桂正和先生本人の「ウィングマン」と、岡田斗司夫氏の「のうてんき2号」が登場。

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:P124:一部)

 

ファンとデュエットをする一本木蛮嬢の演歌ショー。


「ドリーム戦隊バービーV」

1983年?月にサークル「舞映」よって作られた自主制作の特撮です。

タカラのバービー人形(後にジェニーに改名)を使った、戦隊モノのパロディ作品です。

 

 

 

初めてこの作品を見た時は、大爆笑でした。

この頃はまだ人形愛とかドールマニアという概念が一般的では無かったので、

そのセンスには感心しました。


ロリータ・シンドローム

初期のパソコン向けエロゲーです。FM-7やPC-8801など、多くの機種に移植されました。

 (1983年10月:エニックス:FM-7版パッケージ:表)

 

注目するのは、なんといっても子供向けの学習マンガを描いていた望月かつみ先生が、

このゲームを制作したという事でしょう。

ゲーム内容は、「メゾン・ロリータ」に捕らわれている少女を、ミニゲームをクリアする事によって

助け出すというものです。

しかし、ゲームでミスをすると少女が死んでしまうので、ちょっとショックが強いかも。

なお、エニックスの「ロリータ・シンドローム」以外にも、光栄から出ていた「マイ・ロリータ」も

望月かつみ先生によって制作されていました。

 (1982年9月:小学館:小学二年生:台風のひみつ:一部)

 

 (1983年2月:小学館:小学二年生:パンダのひみつ:一部)

 

群集の中に、どこかで見たようなキャラが・・・。

 (1983年4月:小学館:小学二年生:あなほり名人もぐらのひみつ:一部)

 

望月かつみ先生は小学館の小学○年生シリーズで、長い間学習マンガを担当していました。

小学二年生に掲載の「バニーちゃん」シリーズは、毎回必ずパンチラシーンがありました。

望月かつみ先生の作品については、ここのファンクラブのサイトが詳しいです。


DAICON FILM上映会

 (1983年10月:ラポート:アニメック:P113-114)

 

SF大会に行けなかったアニメファンのために、DAICON FILMの上映会が行われました。

自主制作アニメが、全国各地で上映されるのは異例の事だと思います。

当時からDAICON FILMが熱狂的な支持を得ていた事がうかがえます。

 (1983年10月:DAICON FILM:パンフレット:表紙)

 

これは上映会で配布されたパンフレットの表紙です。


クラマガ事件

「クラリスマガジン事件」略して「クラマガ事件」。

 (1983年12月:ラポート:アニメック:P129)

 

「アニメックVol.17」で「クラリスマガジン」が紹介されたため、編集部へ購入問合せが殺到しました。

同誌は既に完売していましたが、購入希望のファンに応えるために再販をする事になりました。

そして「アニメックVol.19」や「OUT」に購入方法の案内が掲載されました。

サークルへの申し込みは、実に5000件もあったそうです。

しかし、申し込み者から「アニメック」の編集部へ「代金を送ったけど、いつまでたっても本が送ってこない。」

という苦情が殺到しました。

編集部がサークルに問い合わせたところ、責任者が失踪して、印刷所にも代金が未払いになっている

ことが判明しました。この事件が警察沙汰になったかどうか不明ですが、後に「アニメック83年12月号」に

被害者同盟の記事が載りました。

そして被害者同盟に手によって「クラリスマガジン」が配布されたそうです。

今、情報を集めるためにググッてみたら、「いまだに届いていません。」という人がいた。う〜む。


ロリケットin岡山2

1984年3月に岡山県の農業会館で行われた同人誌即売会です。

通販をしてくれない大手ロリコンサークルを、岡山に呼び込むためのイベントだったと思います。

主催はマンガ喫茶のはしりのような存在だった「地球防衛軍」という喫茶店でした。

なお、イベント内容はいかがわしいものでは無く、普通の即売会だったようです。

 

下図はイベントの宣伝用?に作られたシールです。

 

スタッフの中には「奥矢星」や「るもいじゅん」がいました。


ザ・ゼロ

 (1984年6月:徳間書店:THE ZERO:表紙)

 

大塚英志氏が編集を担当した雑誌です。

新しい少年マンガ誌(後の少年キャプテン)を出すにあたって、市場の反応をうかがうための

テスト版として出版されました。

(情報提供:nyao様)


アニメトピア

1980年代にラジオ大阪で、毎週日曜日の夜10時からオンエアされていた、アニメの声優さんが

出演するラジオ番組です。近年の「アニラジ」の元祖ともいえる番組です。

 (1984年?月:アイドル:アニメトピアinビデオより)

 

アニメトピアは二代目パーソナリティの田中真弓さん、島津冴子さんの頃が全盛期で、

過激な発言が多くて一番おもしろかったと思います。

 (1983年6月27日:ラジオ大阪:アニメトピア:一部)

 二代目パーソナリティを聞く(約3分14秒)

短くてわかりにくいのですが、ゲストに小山茉美さんが来るつもりでいたら、

鶴ひろみさんが現れたというシーンです。

また、ここのHPの趣旨としては三代目パーソナリティの坂本千夏さん、高橋美紀さんの頃の方が

合っていると思うのでそちらも取り上げました。

 (1984年4月22日:ラジオ大阪:アニメトピア:一部)

 三代目パーソナリティを聞く(約2分40秒)

高橋美紀さんはこの当時、アニメ「GU-GUガンモ」の「あゆみちゃん」の声を担当していました。


ふりーすぺーす大図鑑

 (1984年8月:ふゅーじょんぷろだくと:Comic Box Jr.:P06)

 

新宿にあったマンガ専門店「ふりーすぺーす」の紹介記事です。

80年代前半において、同人誌は同人誌即売会か通販で買うのが常識でしたが、

「ふりーすぺーす」はいち早く同人誌を取り扱っていました。

 

上の画像は一部をアップにしたものです。本棚上段には「漫画ブリッコ」のバックナンバーが、

下段には、谷口敬先生の「水の戯れ」、早坂さんの「レディス・アン」が見てとれます。

なお、この「ふりーすぺーす」の一角に「ふゅーじょんぷろだくと」の編集部がありました。


かがみあきら氏急逝

1984年8月8日、かがみあきら氏が病気のため亡くなりました。

 (1983年8月:スタジオBAKI:マジカルトリップ:P36)

 

彼が生きていれば、今のマンガ界は、もっと違うものになっていたかも知れません。


第3回特撮大会「ウル祭 III」

特撮ファンの集い「ウル祭 III」で上映されたオープニングアニメがAWAKEです。

 (1984年8月:AWAKE:スタジオ・アオーク)

 

 

あさりよしとお氏、森野うさぎ氏らが中心となって制作されたアニメ作品です。

このアニメの制作中にかがみ氏の訃報が届いたそうです。

詳細は「漫画ブリッコの世界」のホームページをご覧ください。


第3回裏日本SF大会「URACON III」

1984年8月に前回同様、金沢で行われたローカルSF大会が「URACON III」です。

このイベントも詳しい事はわかりませんが、金沢にあった「プロトタイプ」という

SFショップでオープニングアニメのビデオテープが販売されていました。

たしか「コミック・ロリポップ」に「プロトタイプ」の広告が載っていたと思います。

なお、このアニメのスタッフには米村孝一郎氏がいました。

 

 

メカのデザインやアクションが凝っていて、なかなかの力作です。

ちなみに前述のゼネプロで販売されていた「オープニングアニメ・コレクション」には

「URACON IIIオープニングアニメ」のラインテストが収録されていました。

 

 

この作品は動画用紙を直接撮影して、動きをチェックするためのものですが、

「宮下にゃん」の歌うオリジナル曲「バイオレットゾーン」とマッチしていて、

軽快な作品になっています。

「DAICON IV」や板野サーカスのように、動きが速すぎてわけがわからないアニメに

快感をおぼえる人にオススメです。


ロリコンプラモ?

 (1984年9月:ラポート:ファンロード:P88:一部)

 

超時空シリーズ第3弾の「超時空騎団サザンクロス」に登場する「憲兵スーツ」が

プラモになったのですが、そのパッケージには「ロリコンを採り入れたボティ」という

キャッチコピーが書いてありました。

採り入れた・・・????(;´Д`)????


バービーはキャッツアイ

1984年?月に千葉大学工学部の生徒により作られた自主制作の特撮です。

アニメ「キャッツ・アイ」のオープニング曲に合わせたプロモ風の作品です。

 

ハーレーに乗ったバービーが町中を走り抜ける。

 

合成によりバービーと一緒にジャズダンスを踊る若者達。

大好きな人形と一緒に2次元の住人になれて、幸せであろう。


メイド

メイドといえば1985年1月からTV放映されていた「小公女セーラ」に登場する

「ベッキー」ですよね?

 

メイドでツインテールでドジッ子ですよ?


「アニメージュコミックス」の広告

 (1985年2月:徳間書店:ザ・モーションコミックVol.11:広告)

 

これはモーションコミック最終号に掲載された広告です。

モーションコミックが終わるのと、かがみあきら氏の最後の単行本発売ということで「LONG GOOD-BYE!」と

付けたのだと思います。

今までアニメージュコミックスの広告は、半ページを使うものが多かったのですが、この広告は

2ページを使った見開きになっています。それほど、かがみ氏に思い入れがあったのでしょう。


「少年キャプテン」の広告

 (1985年2月:徳間書店:ザ・モーションコミックVol.11:広告)

 

かがみ氏をメインに据えて出版する予定だったそうです・・・。


日航123便墜落

1985年8月に日航ジャンボ123便が墜落しました。

この事故で、「ファンロード」で常連だった投稿者の「緋本こりん」さんが亡くなられました。

彼女は独特の点描イラストで人気が有り、1982年頃から投稿の常連となっていました。

 (1983年9月:ラポート:ファンロード:P135:一部)

 

1985年8月12日の「アニメック&ファンロード合同コンテスト」に参加するため、

大阪から上京していて、その帰りの飛行機で事故に遭遇しました。


VZONE創刊号

 (1985年11月:少年出版社:VZONE:表紙)

 

大塚英志氏が編集を担当し、創刊号の1号でやめてしまったアニメ雑誌です。

内容は白夜書房制作のアダルトアニメ「魔法のルージュ りっぷすてっく」の紹介がメインで、

特撮や模型の情報も載ってました。

各コーナーのライターには、あさりよしとお、豊島U作、くあTERO、ふじたゆきひさなどがいて、

次号が出るのをとても楽しみにしていました。しかし、1号で終わったのでとても残念です。


アダルトアニメ「魔法のルージュ りっぷすてっく」

 (1985年?月:白夜書房)

 

 

 

森野うさぎ氏が中心となって制作されたアダルトアニメです。

大塚英志氏が原案を担当しています。


「漫画ホットミルク」創刊

1986年3月、「漫画ブリッコ」の後継雑誌として 「漫画ホットミルク」が創刊されました。

ブリッコよりもニューウェーブ色が薄れ、エロ漫画中心にシフトしています。

残念ながら、この雑誌もほとんど処分してしまいました。

 (1989年12月:白夜書房:漫画ホットミルク12月号:表紙)

 

この号は表紙が気に入っていたので、手元に残していました。


ゼネプロカタログ89-90

 (1989年8月:ゼネラルプロダクツカタログ表紙)

 

カタログの表紙のイラスト(セル画)を美樹本晴彦氏が担当しています。

美樹本氏の描いた「DAICON IVの女の子」や「ナウシカ」など、なかなか興味深いです。

(情報提供:名無しか・・・何もかも皆懐かしいさん)


おたくの本(別冊宝島104号)

 (1989年12月:JICC出版局:表紙)

 

米沢嘉博氏、中森明夫氏、藤田尚氏など、多数のライターが「おたく」についてのコラムを書いています。

特に注目するのは中森氏のコーナーで、「漫画ブリッコ」に掲載された「おたくの研究」のコラムが

再録されています。

ここで中森氏は、「ブリッコ」の連載が一方的に打ち切られ、弁明する機会が失われてしまった事や、

大塚氏の評論の中で、事あるごとに「おたく」が引用されているのを見ると、本当に「おたく」という

言葉を広めてしまったのは、大塚氏の方ではないか?と論じています。

それから、土本亜理子さんのコラムでは蛭児神建氏のインタビューがあり、ロリコン誌の編集長を

やめてお坊さんになった経緯が書かれています。


その他に情報がありましたら、よろしくメカドック!


INDEXへ戻る