ご出席(発言順)

三橋順子(みつはし・じゅんこ)さん
女装家。中央大学社会学研究所客員研究員。
国際日本文化研究センター客員研究員。
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/index2.html

大江千束(おおえ・ちづか)さん
レズビアンとバイセクシュアル女性のためのLOUD代表
http://www.space-loud.org/

伏見憲明(ふしみ・のりあき)さん
作家.「魔女の息子」で第40回文藝賞受賞
http://www.pot.co.jp/gay/fushimi/index.html


●コミュニティ同士の「距離」が遠い

編集部 昨年の12月に台湾国立中央大学で開催された、トランスジェンダーをテーマとした国際シンポジウムに三橋さんが招かれました。三橋さんの、その折りの見聞についてはsexual sience2月号で紹介したとおりですが、日本のセクシュアルマイノリティのコミュニティのあり方が、外国と比べてかなり違うようです。そのへんを中心に話を進めさせていただきたいので、まず三橋さんからお願いします。

三橋 国際シンポジウムの後、台湾唯一のゲイタウン、と言っても本屋さんや喫茶店が3軒固まっている路地ですが、それとレズビアン系のパブとかを案内してもらう機会がありました。

 そんな所を巡っていた時に、日本のゲイやレズビアン事情について尋ねられました。また、シンポジウムの休憩時間に「日本ではLGBT(Lesbian,Gay、Bisexual&Transgender)連合は、どんな形で機能しているのか」と、台湾の先生や、メインゲストのレスリー・ファインバーグさん(米国のFTM作家)に質問されました。
 でも、私は日ごろ日本でゲイやレズビアンの方とほとんど交流がないので「わかりません」と答えざるを得ませんでした。

 そんな経験をして日本に帰ってきて、“お互い何か一緒にやる”というほどではなくても、もっと相互に情報交換できるような場があってもいいのではないか、と思うようになりました。私は“運動系のこと”をやってこなかったので、そのへんの実情に詳しくないのですが、今日はそこらへんの事情も含めてお二方に教えていただきたいと思っています。

 また、昨年のGID特例法(性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律)の成立前後には、TG/GIDの内部だけでなく、ゲイ、レズビアンのコミュニティの一部にもごたごたが波及しました。
 伏見さんと96年に最初に対談した時に、コミュニティ同士の利害の不一致は必ず生じる、その時にどう調整していくのかが大切、みないな話をした覚えがあるのですが、それがまさに現実になりました。

 特例法が結果的にであるにせよ、同性婚の否定を強化する形になってしまったわけで、そのへんについても、ご意見もうかがいたいと思います。

●GIDのパートナーの声が聞こえない

編集部 大きなテーマが2つ出ましたが、えーと、トピックスの、特例法問題のほうから話題にしましょうか。

大江 確かに、特例法がゲイ、レズビアンの人たちに大きな問いかけをすることになったと思います。「連帯」という言葉を使うのであれば、世田谷区議に当選した上川あやさんの立候補問題が大きかった。上川さんは2回ほどだったでしょうか、新宿2丁目で街頭演説をされましたから。それはゲイ票を取り込むという意図があったわけでしょうから。

 特例法に関しては、ゲイ、レズビアンがコミュニティレベルで見解を出してはいないと思います。 率直に言えば、ゲイ、レズビアンはGIDの人たちの法律なんだから口を挟みにくいので静観のスタンスを取っているのかと思われます。

 特例法の中の特に非婚要件が同性婚の否定に繋がるという意見がありましたが、それがなぜ同性愛者に響いてこなかったかを考 えてみると、これはきわめて個人的な 意見ですが、現実にGIDで婚姻関係にある方たちが、どのようにこの要件を考えているのかが伝わってこなかった点が大きいように思いますね。

 男女の婚姻関係から同性同士としてのパートナーシップを築いていきたいといった声が、もしたくさん聞こえてきたならば、同性愛者がもう少し関心をもったのでは、と感じました。
 実際にそうした事例は確かにあるそうですが、そのパートナーシップのあり方がどうなのかが分からない。実際のところ、その場合は、婚姻関係を解消するケースが多いとも聞きますし。

編集部 特例法を、どう受け止められたのか。よかった、悪かった、仕方なかったとか、一言で言うと、どうなりますか?

大江 それは、むずかしいですねえ。本当に個人的な意見を言えば、最初の一歩として考えるならば、ないよりかはあったほうがいいと思います。

●論議されなかった「非婚要件」

伏見 基本的なことを確認させてもらうと、戸籍の性別を変更する要件----婚姻していない、子がいないといったことについて、当事者のGIDの方たちは、どう受け止めているんですか。

三橋 正直なところ、非婚要件については、あまり議論されず、最大の焦点になったのは「子なし要件」でした。子どもをもつ当事者は決して少なくないし、非婚要件の場合は、形式的に婚姻を解消すればクリアできますけど、子どもはそれが不可能ですから。

伏見 非婚要件が話題にならなかったのは、どうしてなんでしょう?

三橋 現状では仕方がないという受け止め方でしょうか。外国のケースでも非婚要件がついてるところは多いですし。
 私は以前から、将来的に性転換法ができるならば、基本的には、ドメスティック・パートナー法と一緒にしないとまずいんじゃないかと考えていました。ご承知のように、予想できなかったスピードでとても不十分な性転換法であるGID特例法ができてしまいました。

伏見 非婚要件については、当事者のGIDだけでなく、そのパートナーからも意見が出てくるべきテーマだと思いますけど。だけど、パートナーのほうは、自分の連れ合いがGIDかどうか、知らない人が結構いるようですね。そのことについてあまり話し合っていないとか、夫婦で認め合っていないとか。

三橋 自分の連れ合いが性別違和感を抱いているかどうか知らないというのは、私らくらいの古い世代の状況で、GIDがマスコミで話題になるようになって、奥さんや子どもにカミングアウトするケースが増加しました。

 それなのに、パートナーの意見が案外表面に出てこない。いちばん影響を受ける人なのに。ようやく昨年の後半ぐらいから、GIDのパートナーをもつ女性のホームページができるなど、動きが出はじめています。

伏見 第三者的に見ると、GIDのパートナーから「私はそういう人生設計で、あなたと結婚したのではない」といった反応が出てくるケースも考えられるから、両者の利害が一致しないことはままあるでしょう。同性婚問題を別にして、両方の人権、立場を考えると、特例法の中の非婚要件は、配偶者にカミングアウトしていない人が少なくない時代状況においては、否定できないんでしょうね。

三橋 配偶者からすれば、歯止めというか制約があったほうがいいということですね。

伏見 子どもにとっても、ある日突然、お父さんがお母さんに変わるのが(あるいは、その逆)、いいことなのかどうか。この辺りは、本当に議論や経験が必要だと思う。

三橋 おっしゃることは分かります。特例法、というかGIDをめぐる問題で今まで欠けていた議論は、パートナーや子どもの立場からの視点なんです。それがほとんどなかった。

伏見 さっき大江さんが言われたように、実態が見えないので、夫婦間のコンセンサスがどうなのかが分からない。

三橋 一昨年のGID研究会で、婚姻関係を継続しながらトランス(性別移行)して行きたいという当事者の報告に対して、会場のある女性から「そんな勝手なこと、言わないで!」という激しいヤジがあったことを思いだしました。たぶんパートナーがトランスしようとしていることに納得ができない方だったのでしょう。

 そんな感じで、GIDと家族という問題がやっと見えはじめた時に、それとは別の政治的な次元で特例法が一気にできてしまった、それが実情だと思います。

伏見 そこでヤジを飛ばした方にとっては、おそらく非婚要件があってよかった?

三橋 そのへんは、どうなんでしょうね。非婚要件がトランスの歯止めになるとは思えませんが。

●TGとGIDの大きな違い

伏見 当事者の、そうした性自認がいつ顕在化するのかも、いろいろでしょうし……。ぼくは、自分とあまり関係がないという気があるから、特例法には関心がなかった。同性婚との絡みで批判が出てきたけど、それは、ごくごく一部で、ほとんどのゲイは知りもしない。

 「コミュニティ」という言葉も胡散臭い言葉で(笑)、一部団体系の人が、そうしたネットワークを全体だと錯覚して使う言葉になっているきらいがあります。それはともかく、特例法に関心をもっていたゲイは非常に少ない。

 確かに細かく見れば同性婚否定の考え方が特例法にあるけれど、もともと否定されているわけであって、多少それが明示されるようになったとしても、それで助かる人がいるんなら「いいんじゃないですか」ぐらいな感じだと思うのね。ぼく自身もそうなんですよ。

 同性愛者の問題とGIDの問題は共有しているところもあるけれど、この問題は個別に解決されるしかない。レズビアン&ゲイのアクティビストは、そんな批判にエネルギーを注いでいるよりも、さっさと同性婚法を実現すべくロビー活動やらを展開したほうがいいと思う。

三橋 コミュニティという点に関しては、そもそも、あの人たちはセクシュアルマイノリティだと思っていない人が多いわけで……。

伏見 そこで「あの人たち」というのは、三橋さんは自分をそこに入れてないわけね?

三橋 はい。今言った「あの人たち」というのは「性同一性障害の人たち」という意味です。私は性同一性障害ではありませんから。

伏見 読者にもぼくにもよく分からない。それはなんで?

三橋 簡単に言えば、私は自分を精神疾患だとは思っていませんから。それとお医者さんのところに行って診断や治療などのサポートを得なくても社会的に望みの性でやっていけますので。

伏見 そうすると、ご自分の性的な属性は、なんでしょうか?

三橋 MTF(Male to Female)のトランスジェンダーです。

伏見 医者の診断書があって、性同一性障害になるわけ?

三橋 厳密に言えば、性同一性障害は精神疾患の診断カテゴリーですから、診断できるのは精神科医だけです。自分が性別違和感をもっていることは自覚できても、それに「性同一性障害」と診断を下せるのは医者です。

 つまり、咳が出る、熱っぽい、自分で風邪をひいたかなかと認識はもてても、それがインフルエンザなのか、マイコプラズマ肺炎なのかの診断をつけるのは医者というのと同じです。宮崎留美子さんのように性同一性障害を自称できるという考えは私はとりません。

伏見 宮崎さんが以前、「自分が性同一性障害です、と名乗るとすごく反発を受けた」と言われてた。はたから見ると、診断書があってもなくても、それぐらい勝手に名乗ってもいいじゃないかと思う(笑)。それでだれかの腹が痛むのかしら? 

 ぼくには性的属性の違いというよりは処方箋の違い、あるいは戦略の違いに見えますが。そもそも診断書を出している医者自体が怪しいでしょう(笑)。冗談ですが。
 それで、さっきの話に戻ると……。

三橋 なんの話でしたっけ(笑)。

大江 性同一性障害の人たちは、マジョリティになるという人たちがいる話ですね。

●何かあっても、一緒にやれない?

三橋 そうでしたね。性同一性障害の人たちは、生涯セクシュアル・マイノリティでいるつもりは全然ないわけですよ。もともと自分がマイノリティ的な状態にあることが間違いであると考えて、その医学的・社会的な訂正を強く求めているわけですから。

伏見 それはそれで、いいと思います。だって、それが彼らの求めることなら、一緒にクィアパレードとかする必要はない。個人的にはその方向性を支援します。

三橋 いいと思います。ですから、セクシュアル・マイノリティの連帯を考える場合、本音を言うと、ゲイ、レズビアン、それにトランスジェンダーの三者で、どうしていけばいいのかを考えれば、それでいいのではないかと思うのです。

大江 それは、ある意味で賛成ですね。もし、セクシュアルマイノリティの連帯を考える、ということであれば、今日ここにいないのはおかしいですよね。

編集部 いやいや、それは誤解です。そういう意味で出席をお願いしたのではありません。GIDとTGとの区分を、それほど厳密に考えなかっただけで、これは編集の大きなミスかもしれません。

伏見 でも、そんなことを言ってたら、みんな十人十色で、セクシュアリティ、ジェンダーが違うわけだから。

 すべての立場の人を集めなければ語れないとか、政治的に正しくないというなら、ここにインターセックスだって、バイセクシュアルの男女だって、沖縄に暮らすバイでフェティッシュな男だって、アイヌのGIDだって、モンゴル人のゲイだって、アクティビストが嫌いなレズビアンだって……みんな呼ばなければならないでしょう?(笑)。そんなのキリがないし、根拠もない。

編集部 三橋さんの説明の補足みたいになりますが、GIDを自認する方は、男女の二分法を前提に、男か女のどちらかに属そうとする。

伏見 それはそれでいいと思うんです。GIDの人たちがゲイやレズビアンや他の性的少数者に義理立てするいわれはないわけだから。自分たちの自己実現する世界を築いてください、と申し上げたい。

 ぼくはクィアというか性的マイノリティの土俵やらネットワークをいっぱい作ってきた人間のつもりですが、それで分かったことは……最初は共通なものがあるような感じがあって、「変態」という言葉で差別されてきた仲間だし、「連帯」という言葉は古いけれど、一緒に何かやったほうがいいんじゃないかなと思っていた。

 しかし、どーも求めているものが違う面が多くて、それだったら、ケンカするわけではないけど、一緒にやっていかなくてもいいんじゃないかな、というのが最近のぼくの感じなんです。

三橋 伏見さんがクィア連合的なネットワークを作ってくださった時代を知ってるだけに、「一緒にやっていかなくてもいいんじゃない」と言われてしまうと、とても残念な気がするのですけど。
トランスのほうの状況でいうと、トランスジェンダーがようやくクィア連合的なものの中に位置させてもらえるようになった頃(97〜98年)、ちょうどGIDの問題が一気に表面化してきて、そちらに重心がドッと傾いてしまいました。タイミングが悪かったと言えばそれまでなんですけど、今にしてみると心残りがありますね。

●セクシュアリティによる「連帯」は…?

大江 おっしゃることは、よく分かります。私自身も、関われば関わるほど、知れば知るほど、「違い」 をつきつけられる感じが強まります。またセクシュアリティを同じくする者の連帯に、自分なりの幻想もあったわけですが、幻想は所詮幻想だと認識したり、自分が年を重ねていくことで、何か言われても余り動じなくもなってくる。

 そうなると、セクシュアリティでつながることの必要性が薄れてくる感じがしてくるわけで、気持ちはが離れ気味になってきていると思います。

伏見 その「セクシュアリティ」というのは、レズビアンというカテゴリーですか。

大江 もちろん、ウエートとしては大きいんですが……あとで話そうと思っていたことですが……ラウドというのはフリースペースには実に雑多な人たちが集まる。MTFレズビアンの方がかなりいらっしゃいますし、さまざまなLGBTが集まりますから。

伏見 理念としてLGBTでなければいけない、とは思わないんです。よく「パレード」(東京レズビアン&ゲイパレード)なんかの議論で、レズビアン&ゲイという冠はよくない、という話が出ますけど、ぼくはいいと思う。もっと違う形でやりたい人がいるなら、別にやればいいんです。こういうパレードのほうがいいからと提示して支持を集めてやっていくのが生産的。

 最初の前提としてLGBTでないといけないとか、そんなことを、何の権利があって言うのか分からない。

 それだったら、セクシュアルマイノリティだけで「連帯」することだって、他を排除しているって批判も成り立つでしょう? 

 LGBTIがもともと近いところにいることを根拠にしても、そういう意味ではコミュニティの中にはずっと少なからずのヘテロだっていたのだから、パレードの名称にヘテロがないのもおかしいということになりかねない。すべては恣意的に分割線を入れたコンセプトでしょう。

 運動業界って、そういうふうな、自分の勝手な思いこみで前提を作りがちなんだけど、それよりも、具体的にこれをやりたい、そのためにだれと繋がるのかというところから考えたほうがいいように思う。すぐに○○を排除してる!とかの批判を持ち出して、何かの動き自体をつぶしたがる人がいるけど、そういうのは相手にしなくていい。暗いし、結局ただの権力志向なんだもん(笑)。

三橋 ただ、それにしてもそれぞれの距離があまりにも離れてしまっているように感じるんですね。何かあった時に一緒にやればいい、というのはおっしゃる通りかもしれませんが、そのための取っかかりみたいなものも見えなくなってきているように思うんです。今のまま距離が開いていったら、何かあった時にも一緒にやれなくなってしまうような気がするんです。

 大江さんが言われるMTFレズビアンを自称する人たちのレズビアン世界への接近は、最近の話でしょ?

大江 3、4年ほど前くらいからでしょうか。LBGTIの中では、おそらくレズビアンとMTFが一番身近だと思いますよ。

 FTMでゲイという人(FTMで、性的指向が男性)は少なくても、MTFで性的指向が女性、つまりレズビアンという人は多いようです。そうした方はレズビアンと知り合いになりたいからラウドにこられるわけです。レズビアンとMTFとは、性的指向を同じくするもの同士としての連帯がしやすいのではないかと思いますよ。

三橋 LGBTの連帯を無条件の前提とするわけではありませんけど、相互の距離感がやはり気になるんですね。

伏見 大江さんたちの場合は、そこに必要がある。それで、実際どんな問題が生じたんでしょう?
大江 最初にGIDのある団体の方々がこられて、MTFの中にもレズビアンであるという自認を持っている人が非常に多いので、こちらに出入りしてもいいだろうかと尋ねられました。もちろん構いませんよと答えたわけです。
 
 現在、ラウドのオープンデイやキャンドルナイトの参加者の中には、MTFの方が1割近くいます。MTFでヘテロセクシュアルの方もいますが、その方たちとは距離を感じることがあるんですね。どこかに同性愛嫌悪をもっている場合があるようで、そこに敏感になってしまいます。

●TGの内なる同性愛嫌悪?

三橋 最近の傾向は耳でしか聞いていませんが、私らの世代の感覚としては、この恰好で……女性性の強いファッションで、ゲイの世界に入って行くのは悪いんじゃないかって気があるんですよ。
 それが、内なる同性愛嫌悪にどうつながるかは難しいのですが、ともかく、この恰好で2丁目のゲイバーに遊びに行くのは雰囲気を壊すというか、場違いというか、やはり遠慮してしまいますね。

 たとえ私が、相手として男がOKでも、ゲイの世界にはこの恰好では行きにくい。だから、私らの世界(女装の世界)が、ゲイの世界とは別に成立したという歴史的経緯があるわけです。
 レズビアンのお店は、私は身体的には男性であることを自覚しているから、いくら私が女好きであっても、レズビアンのサークルに入って行くのは遠慮がある。レズビアンの方の中に「MTFはやっぱり男だから、ちょっと…」という方がいるのを、私は知っていますから。

 MTFがレズビアンの世界に押しかけて行って「入れてくれ」というのは、やはり失礼だという感覚があります。レズビアンの世界に入っていって、身体的に男であることを問われるのは、私にとってやっぱり辛いですから。

大江  戸籍上あるいは染色体など、完全な女性でないと、受け入れないという極端なセパレイテスト・レズビアンは、今でもいますよね。

伏見 だれがそんなことまで調べてるんだよ、と言いたくなる(笑)。

大江 MTFレズビアンを受け入れているラウドは「毒されている」なんて、言われることもありますよ(笑)。

伏見 清濁合わせ飲んでいるのが人間だから、そこそこ毒されているほうがいいと思う。レズビアンだけで何かをやるのもOKだけど、境界をあいまいにやっていこうとする人たちを非難する資格のある人がいるのか。

 ぼくは“レズビアン&ゲイ”という看板で、他の性的少数者やヘテロに開かれている東京パレードみたいなのが好きだけど、どういう線引きで仕切るかは、そこに関わる人たちが、その都度決めていけばいい。

 ただ、ゲイバーでも、たとえば若専のピチピチした子たちが発情し合うところにぼくが行ったら居づらいわけですよね。

 ですから、その場がどんな原理で成立しているのかということと、それと自分との兼ね合いは、確かに考えるべき課題だとは思うのね。だけど、バーとかを三橋さんが遠慮するのは分かるけど、ラウドの場合はもう少し社会的な意識のある場なわけであって……。

大江 確かに、「場の作法」はあると思うんです。MTFの方の中では、女装の度合いの基準が結構厳しいようですね。ラウドでは女装度を重視していませんけれど。でも、三橋さんがラウドにいらっしゃったら、きっとモテると思う。いつも着物できめていらっしゃって。

伏見 結局は本人がその場と自分をどう調和させるかっていう、感性とか品性の問題になるのでは。

大江 ルックスとかよりも、ラウドで煙たがれるのは、いやな男のタイプを振りかざすような人たち。そのほうが嫌われますよね。

●「きたない女装」を楽しんでる人も

三橋 先ほど内なる同性愛嫌悪の話が出ましたけど、それと同じで、内在している女装嫌悪みたいなのがあるんです。
 私が「パレード」に行きたくない理由は……私は「パレード」の社会的効果にあまり期待していないからということもあるのですけど、それ以上に、「パレード」の時だけ女装するゲイの人たちがいるじゃないですか。あれが嫌なんです。

大江 ドラァグ(drag:裾を引きずるほどに強調した女装)とか。

三橋 いえ。本格的なドラァグはいいんです。あれは様式美ですから。そうじゃなく物まねドラァグや中途半端ドラァグみないな、わざと“きたない女装”みたいなのを見てしまうと、自分の中にある女装嫌悪みたいなものが刺激されてダメなんですよ。

 違う言い方をすると、「パレード」の時だけパフォーマンス的に無邪気な遊びとして女装している人に対して、日常的に女装を真剣にやっている者の気持ちとして、抵抗感があるということです。

 ゲイ、レズビアン、トランスそれぞれ異文化なんですから、そういう違和感や抵抗感みたいなものは、お互いに持っていると思うんです。だけど、それをもう少し擦り合わせないと、何かあった時に話ができない、ということになりかねない。

伏見 きたない女装は、きたない女装をしたいんだから(笑)。

三橋 それは尊重するけれども、私たちMTFのトランスジェンダーの内面心理としては、やはり抵抗がある。

伏見 それは個人的な問題だよね。「パレード」が三橋さんのような存在を拒否しているかと言えば、全然そうではありませんから。

三橋 でも、そういう所に私が行くと、言われるわけです。「もっとおもしろい恰好をしてきなさいよ」って(笑)。女装が「おもしろい恰好」でなければならないというのはゲイの論理であって、私たちの論理ではない。それに合わせなさいというのでは、やはり入って行きにくいわけです。

伏見 そりゃ、そういう人もいるだろうけど(笑)。みんなが一斉にそう言ってるとはとても思えません。

大江 期待されているんじゃないですか、三橋さん(笑)。

三橋 ドラァグ・クイーンの活躍によって、世の中の「女装」のイメージが、ゴージャスで、おもしろくて、とっぴなみたいな形で形成されてしまった。でもそれはゲイ文化が生んだ「女装」であって、私たちの文化の女装ではないです。

 そうした異文化を暗黙に要求されるから、トランスの人の多くが「パレード」に参加しにくいのでしょうね。そこらへん、もう少しゲイの方たちが理解してくださらないと、「レズビアン&ゲイパレード」が「レズビアン&ゲイ&トランスジェンダーパレード」にはならないでしょうね。

伏見 そうしたら“地味女装のフロート”を作るとか(笑)、そういうアプローチでないと。
 距離というのは、それぞれやっぱり違うからであって、でも境界はあいまいなんですよ。一方で、そもそもカテゴライズすること自体だめだと言う人もいるけれど、そんなこと全然なくて、そこには求めていく道理もあるわけです。

 何か対立点ができた時にどうするのかが第1の課題で、第2の課題はどうやったら楽しく一緒に出来るのか、だと思いますよ。というか、抽象的にこうあるべきだというところではなく、具体的に何を一緒にやりたいのか。それがなければ仕方ない。必要なのはプランです。

●「洗練につれて分化する」コミュニティ

編集部 コミュニティはあいまいな言葉ですが、バーという物理的な場所に置き換えた時、外国ではそれが一緒なんでしょうか?

三橋 台湾の場合は、MTFもFTMもわりとレズビアンの店に来ているようでしたけど。

伏見 1つには、洗練されてくると細分化してくるんですよ。三橋さんがよくご存じなことですが、日本でも初期の頃は、ゲイバーはマッチョも女装もデブも細もごちゃごちゃ。でもすぐ女装バーとゲイバーというかホモバーは分かれるし……みんな欲望の論理で動いているから、すごく分かりやすい。

 それをいけない、という言い方はできないと思う。三橋さんは、台湾に行ってみんなが一緒にいるのがいいと思われたんでしょうか?

三橋 台湾の場合、人口規模が小さいので、分かれたら商業的にも成り立たないという面が大きいと思います。単純に一緒が良い、分かれるのはいけない、と言ってるのではありません。伏見さんが言われるように、分かれるには分かれるなりの必然性があったわけですから。

 ただ、東京のようにきわめて細分化された状況がベストであると断言できるかというと、ちょっとためらいを覚えます。

伏見 東京の経済規模の問題もあるでしょうね。でも札幌でも名古屋でも博多でも、ある程度棲み分けは出来ている。

三橋 欧米の事情をあまり知りませんが、東京はたぶん世界の最先端というか、いちばん分化が進んでると思います。

伏見 お店のつくりが、ニューヨークなどはすごくでかい。日本は「スナック」で、こぢんまりと経営が成り立っている。

三橋 札幌のレインボーマーチに関わっている方が月刊誌の『情況』に、東京の状況を当たり前だと思ってはいけないと書かれていて、今までの自分はつくづく東京中心主義だったなと反省してます。

 コミュニティが分かれていること自体はそれでいいでしょう。ただ、その上で相互コミュニケーションというか、交流できるうまい方法はないのかなと思うわけです。

●同性愛は「性指向性障害」?

伏見 でも、そこが分からない、というか分かるんですが(笑)、なぜ、三橋さんはコミュニケーションしなければならないって、規範的に考えるんでしょう?

三橋 利害対立の調整とか、一緒にやらなければならない問題とかがあった場合、いまの距離は少し遠すぎると思うからです。でも、伏見さんや大江さんがコミュニティを代表しているのではないにしろ、相互コミュニケーションの必要性を私ほどには感じていらっしゃらないのは、今日のお話でよくわかりました。残念ですけど。日本ではLGBTの連帯のような形は現実としてむずかしいということでしょう。

大江 トランスジェンダーの人がもう少し声を上げてくれることは有効だと思うんです。ラウドにいるとMTFのTGでもGIDでもいいんですが,当たり前のようにそうした方がいる、接触が多ければ距離は縮むのではないでしょうか。また現在のバックラッシュの問題にしても、協力して対応できるのではと思いますね。

三橋 一緒にやれる問題のひとつに、大江さんがいま触れた、対バックラッシュの問題があります。

 ゲイの人たちはマイノリティであっても、もうマジョリティに近いぐらいの力をもっている。だから不安に思わないのでしょうけども、私たちトランスはマイノリティの中のさらにマイノリティですから、バックラッシュはものすごく「怖い」。

 バックラッシュの動きはいろいろですけど、性的マイノリティが社会に出てくることは“性差をあいまいなものにする”という意味で攻撃する。

 その一方で、性同一性障害に対しては、“男らしい男”、“女らしい女”になりたいのだからと容認する。現に某右翼系の新聞には「性同一性障害の人たちは、ゲイではないのだからいい」といった書き方がありました。

伏見 先のご発言に一言申し上げれば、ゲイがマジョリティに近いくらい力があるというのは事実認識が違うのでは。ゲイはGIDの方々のように国政を動かすほどのパワーを持ったことはないし、大新聞などで記事に取り上げられるのもGIDが近年多いのでは? 実際の人口を考えれば、GID関連の出版点数は他の性的少数者に比べて突出しているし。

 ところで、バックラッシュと呼ばれる論調の中では性同一性障害とTGは分けて批判しているんでしょうか?

三橋 トランスジェンダーについては、きちんと認識できていないようです。性同一性障害と対比されるのは、ほとんどの場合、同性愛、ゲイです。まあ、私のように、性のあいまいさを大切にすべきだというのは最悪なのでしょうけど。

伏見 でも、そうした保守的な人たちからすると、性同一性障害もTGもいっしょくたでしょう。ぼくだってそうなんだから(笑)。“病気なんだからOK”になってるわけでしょう? 病気ではなくてセックスに関する同性愛はいやであっても。

 でも、それはあるよね。「病気」というものの強さは。

三橋 ですから、特例法をめぐる議論の中で、あるレズビアンの方が「病気であることに寄りかかって、特例を認めさせようとしている」と批判したら、「だったら、あなたたちも、“性指向性障害”と名乗ればいいじゃないか」という反論がありました。

 最初は悪い冗談かと思っていましたけど、そういう発想は冗談ではないのかもしれません。社会的権利を認めさせるには、病気になるのが早道だという論理ですね。「病気になってしまった者の勝ち、悔しかったら(診断書をもらって)病気になってみろ」という意識は、一部のGIDの人の間にはあるように思います。

 バックラッシュの問題では、トランスジェンダーのような打たれ弱い存在は敏感になるけれど、力の強いゲイの人たちは、悪く言うと鈍感な面があるような気がします。

(以下、4月号に続く)