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京極夏彦

京極夏彦 2006年10月18日掲載
邪魅の雫  京極夏彦/著 (2006年8月発行)

インタビュー

狂骨の夢 / 京極夏彦/著
狂骨の夢
京極夏彦/著

――益田や青木程度とは?

「読みやすいでしょ(笑)。たとえば榎木津の一人称なんか、むりやり書いたとしても意味不明でしょうし、中禅寺の一人称も考えられませんよね(笑)。と、いうか、レギュラーとか、主役脇役という感覚もないですよ、映画やテレビじゃないですから。今回はこういう小説だった、というだけで。まあ取り分け特殊な、癖のあるキャラだと作りにくい話だったという」

――個人は世界の一部でしかないということが繰り返し語られるので、あえて2人のような“自分は主役じゃない”と思っている人を中心にしているのかなと考えたのですが。

「なるほど。確かに作品全体のトーンは世界と個人を対比するような言説で統一されています。“私が主役だ”と思っている人に“そうじゃないでしょ”と言う話ですし。でも“私は主役じゃない”と思っている人にも“そうでもないでしょ”と言ってるわけですが」


――レギュラー以外の重要な登場人物は、“私が主役だ”と思っている人たちですよね。自分の世界の外側にいる人はいないのと同じだと考えている。

「まあ、ほとんどの人がそうなんじゃないかと思いますけどね。大言壮語を吐いても、しょせん人間は目で見たり触ったりできる範囲で暮らしていくしかないし、それは仕方がないことです。でも、そのへんを自覚していない人が増えている気はします。自分が見たり触ったりできるものが世界のすべてだと思ちゃう。もちろん“個”は尊重されるべきだし、確固として独立したものであるべきだという主張はもっともなんだけど、結果的に世界史と自分史を容易に重ねてしまうようなことをしてしまう。
 年末になると“今年の重大ニュース”みたいな企画があるでしょう。“恋人に手ひどくふられた”と“アフガニスタンで暴動が起きました”では、確実に失恋のほうが重大ニュースになっちゃうはずですね、個人の場合は。当然といえば当然なんだけど、それはおそろしく個人的なことで、自分以外には何の影響力ももたないできごとなんだということを、あまり認識していない。それが世界に影響を与えるってことになると、“セカイ系”のお話に限りなく近付いちゃうんでしょうけど」


――自分の内側だけで完結している。

「個人的なことで世界が一変する、宇宙が崩壊する、みたいな考え方は心地よいんだろうと思います。自分が世界の中心にいるような錯覚を持ってしまえる世界観でしょ。それはね、何か悲しいことがあった時に世界中が“かわいそうに”と言ってくれたらいいですよ。でも実際は何も言ってくれませんから。個人に何が起ころうと世界にはカンケイないわけですからね。それなのに“言ってくれたらいいな”“言ってくれるかもな”と、どこかで思ってる」


――そういう部分は、自分にもありますね。

「そんな“気になる”ことは別に悪いことじゃないんでしょうけど、“そうに違いない”と思っちゃうといけませんよね。占いで運命がわかるとか、血液型で性格がわかるとか、赤いものを持っていたらいいことが起こるとか、そういうのも一緒ですけどね。みんな嘘ですよ。全部思い込みですね。まあ、良し悪しはともかく、無条件で信じちゃうという姿勢は、考えるべきですね。それって、世界を動かしている何かが個人とシンクロしているという考え方なわけでしょう?」


――私が動くと世界が動く、みたいな。

「古代の中国には天人相関説という考え方がありました。簡単にいってしまえば世界の出来ごとと人間のありかたがシンクロしているという考え方なんですが、これは、当時は主に王様の問題で。天変地異が起こったり、世の中が乱れたりするのも、王様のふるまいのせいにされる。ところが今は個人個人が王様になっちゃってるんですよ。この小説にはタイプの違う王様が何人か出てきますけれど、どれも特殊な人間じゃないですよね。小説の登場人物というのは、少なからずカリカチュア化されているので、読まれた方は変わったキャラクターだなあと思われるかもしれませんが、そういう意味で彼らは“普通”なのかもしれませんね。僕らはみんな自分のことを棚に上げてしまいがちですからね(笑)。自分は凡庸かつ一般的な人間だと思っている。でも、何か勘違いしてる可能性はつねにあるわけで」  


――本書を読んで、京極さんがインタビューなどでたびたびおっしゃっている言葉がしっくりきたんです。本というのは作家だけで成り立っているのではなくて、読者に読まれてはじめて完成するという。本もひとつの世界じゃないかと。

「それはうれしいですね。物語を完成させるのは読者だと、常にそう考えて書いているんですけど、なかなかむずかしいですからね。作者がどんな結末を用意しようと、実はあまり関係ない。読み終わったときの読者の感想そのものが、その小説の物語なんだと思います。同じ本でも、愉快だなとか腹が立ったとか悲しかったとか、読む人によって違う物語が生まれる。いかにたくさんの人に違う物語を産んでもらえる作品が作れるかが、僕が一番気にしていることです」



 『邪魅の雫』は1冊で完結しているけれども、京極堂シリーズという大きな世界の一部でもある。たとえば、本書のあとに時系列的には後日談にあたる『百器徒然袋-風』を読むと、発見があるかもしれない。同じ本でも読むたびに新しい物語が生まれる。そこが京極さんの小説の魅力なのだ。
(石井千湖)

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