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教員の仕事と周辺_佐藤淳

interview     インタビュア:中西洋一助教授

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亀倉雄策さんのポスターを見て「こういうものを作る仕事をしたい」と思って。

 

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先生にお話を聞くならまずは自転車の話ですよね。先生の自転車マニアっぷりは普通じゃありませんが(笑)、そこまで自転車にはまったきっかけは?

まず昭和39年の9月に、自転車と、今の仕事、デザインの両方と大きな出会いがあったんですよ。
僕は小学校4年生のときに初めて自転車にのるようになったんです。すごく遅いんですけど。
子供の頃はとても病弱で、ほとんど小学校にいってないくらい病気がちで。それが自転車に乗るようになって、それからすごく健康になっていったんですよ。それで自転車でいろんなところに行ってね。

自転車に乗れるようになって、それでそろばん塾に行ってたんですが、そろばん塾に東京オリンピックのポスターが貼ってあったんですよ。亀倉雄策さんの。短距離走のスタートのね。そのポスターを見て「こういうものを作る仕事をしたい」と思って、デザイナーになろう、デザイナーって言葉はなかった、商業美術家とか商業図案家とか、そんな言葉だったけど。とにかくなろうと思って、今こうなったんです。
とにかく、自転車に乗れるようになったことで、健康にもなったし、世界が広がったっていうのかなぁ。

デザインの会社を辞めてフリーになった時もね、仕事が無くて(笑)。
年末に「仕事をとってこなあかん!」ということになって、とにかくどっかいかなきゃと思って、大阪の自転車のオーダーメイドの工房に行ったんですよ。そしたらそこで、これはあんまり儲からなかったけど、ズノーっていう自転車の輸出用のカタログの仕事を貰って、そのカタログを作らせてもらって。
で、アメリカで大きなショーがあって、ズノーの人がそのカタログを持ってって展示をしたら、そこに来ていたアメリカのセンチュリオンっていうトライアスロンの自転車を作っているメーカーが、日本で販売を始めるので一切合切やって欲しいって言われて。
そしたらその仕事を見て、今度はビアンキが日本で総代理店を作るから全部やって欲しいって言われて、急に自転車の仕事が何本も入って、それでやっと、フリーになって、やっとお金が入るようになった。



佐藤淳 研究室



インタビュー@研究室

 

送られてくる自転車の組立からなにからなにまで僕がやって。




ビアンキのパンフレットとか

パンフレット写真

ビアンキの仕事は今もしておられるんですか?

いや、ビアンキの仕事は立ち上げの3年くらい。
ビアンキの仕事をした時は、クライアントに自転車のことをわかっている人がひとりもいなくてね。ただの商社なんで。で、全部、送られてくる自転車の組立からなにからなにまで僕がやって。
イタリアで設計したパーツで日本に入ってくるんだけど、おっきいんですよ、何から何まで、みんな。日本人にはちょっと乗れないようなサイズばかりなんです。それをなんとか考えてくれって商社に言われて、いやそんなん考えてくれって言われても(笑)。
でも仕方ないから、いちおう図面だけ引いて渡したら、それを台湾に送って、日本向けのクロスバイクを作って、売り出したんですよ。
それすごいじゃないですか、自転車のデザイナー、しかもビアンキでしょ!

そうそう、そのときは(笑)。
そのころのビアンキのパンフレットとか?

えぇーっと、あるかなぁ。ありますよ。(資料を探しながら)
まえにチネリの仕事もなさったとか。

えぇ。チネリもやりました。 チネリは、僕がまた別の仕事でイタリアに行った時、僕の知り合いに元レーサーで、今はレースの写真を撮ってる人がいるんですけど、その友達が、いろんな工房に連れて行ってくれて、チネリの工房にも連れて行って社長を紹介してくれたんですよ、で、デザインやってますって。ちょうどそのときイタリアでこの(資料を見ながら)シンテジのパッケージデザインをしていて、その仕事を見せて、そしたら仕事してくれって、ハンドルステムを入れるパッケージをデザインしてくれって言われて。 で、その話をしてた工房にはいっぱい自転車のフレームがぶら下がってるんですよ、そこで、チネリのフレームは乗ったことあるか?って聞かれて、僕はその頃スーパーコルサのパールホワイトとBMWブルーに乗ってたんで、そう言ったらすごく喜んでくれて、じゃあ、この赤は持ってないだろうって言って、赤のフレームくれたんですよ(笑)。

カンパニョーロの工具セットを持ってるくらいオタクだった。




カンパニョーロの工具セット



この仕事はサイコ〜に楽しかったんですよ。

えぇ〜。いいなぁ(笑)。

あ、これがビアンキの最初のカタログ。(資料の中のビアンキのカタログを見ながら) このカタログに載ってる自転車、全部僕が組んだんですよ。
すごい!なんでもやるデザイナー(笑)。

笑。だけど、この仕事はサイコ〜に楽しかったんですよ。だってこれ〜、49万円か、このパーツだけですよ、で、こんなパーツが全部バラバラで届いているのを、撮影のために組み付けて、倉庫で、一週間くらい倉庫に通って組んで、トラックに積んでスタジオに運んで、撮影して。
確かにそれは自転車マニアにとっては最高に楽しいかも(笑)。でも、どうして自転車を組み立てたり図面を引いたりすることができたんですか?

うん、そのまえから、僕は自転車オタク(笑)を15の時からやってて、ビアンキの仕事をした時にはすでにカンパニョーロの工具セットを持ってるくらいオタクだったんで。
参考までに、カンパニョーロの工具っていくらくらいするんですか?

あれは、セットで揃えたら40万円かな。
工具だけ、ですよね(笑)。自転車のフレームっていくつくらいお持ちですか?

今、乗れるのは5台です。でも前に、今まで何台くらい乗って来たかなっていうリストを作ってみたらだいたい60台くらいなんですよ(笑)。34年間で。

 

職人、人、を介在させないデザインのしかたをするからじゃないかな。




先生ご自宅の自転車小屋入り口の看板



先生愛車のモールトン

いままでに、いくらお金を使いましたかっていうのは、あえて聞きません(笑)。ところで自転車って最近安くなりましたよね。10万もだせばそこそこの物がある。台湾とかの工場でも品質の良いものが大量に作れるようになったからでしょうが。そういう傾向って、どういう風に見ておられますか?

う〜ん、なんかねぇ。
作り方が、どういったらいいのかなぁ、もう完成されて作られているんですよ。例えば100人の人が乗ったら100人がすんなり受け入れて乗れるような自転車の作り方をしてるから、なんか、あんまり面白くないんですよね、それは自転車だけじゃなくてオーディオなんかでも、みんな均一な音しか出ないし、個性が無いっていうか。 少し手を加えて良くするとか、チューンアップするとか、そういうことができる自転車の方が僕は楽しいと思いますよ。最近の自転車はもう全部がコンプリートされている、でき上がってしまっているから。どれを買っても同じような。
自動車も、今は世界中の車がトヨタ車みたいになって。

そうそうそうそうそうそう、それと同じ。モノに対しての愛着がわかないような。
僕は今、ライツアンドミューラーとブロンプトンに乗ってるんですけど、ライツアンドミューラーは工場は台湾だけどやっぱりドイツ的な感じで、ブロンプトンはやっぱりイギリスのにおいがするんですよね。でも、日本の自転車からはそういう、日本の文化、みたいなものが見えてこないんですが、どうでしょう?

う〜ん、なんて言うかな、職人、人、を介在させないデザインのしかたをするからじゃないかな。
日本の場合はすべて機械で、まぁマザーマシンもしっかりしてるし、製造する機械も精巧で、スイッチを押せば100個なら100個完全に同じ物を作るけど、例えばイギリスの物の作り方って言うのは、機械が作る物にはばらつきがあるけど、それを手で、職人が直したりしながら作って行くから、それは自転車だけじゃなくても、人間の手の入り方が、ちょっと微妙に違うような気がする。

日本の工業製品は確かにきれいで、100%完璧なんだけど、なんか、面白くないですよね。愛着がわかない。でも完璧だけど、壊れるとどうしようもないような壊れ方するでしょ。部品がまるごと壊れたり、交換部品も無い、とかね。
でもイギリスの物なんかだと、なんとか修理して使おうっていうか、修理もできるしね。
イギリスっていえば、先生はモールトンもお持ちですよね(笑)。

はい(笑)。モールトンなんて、日本では絶対作れない自転車ですよ。あんな生産効率の悪いフレームで、生産行程もすんごくややこしい。熟練した職人でも作るのは大変。ああいう自転車は日本じゃデザインしないでしょうね。

イタリアとかイギリスは、プロダクトに対する考え方とかデザインの発想が、日本とまったく違うなぁ。

 

でも、日本の工業製品、例えばシマノのパーツなんかは、さっきの100個まったく同じ品質の物を作れるってところが評価されているような面もあるんでしょうね?

ん〜。う〜ん、ありますけどね。ありますけど。
シマノのパーツは面白くないですよ。はっきり言って。まったく。シマノのパーツの面白くないところは。マニュアルどぉ〜りに調整しないと、きれいに動いてくれないんですよ。ホントにマニュアル通りにね。
ここでネジを1/4回す、とかまで書いてあるんですよ。その通〜りにやれば動くんだけど、それじゃ面白くないんですよね。
カンパニョーロの製品にはそんなん書いてないんですよ。ただ、取り付け場所、ネジ付けるところ、くらいしか書いてないんですよ。ここのガイドの平行に注意しなさい、だけしか書いてなくて、あとは自分で調整しろっていうんだから、工夫できるところがあるんですよね。

そう、カンパニョーロのブレーキに、すっごいきれいな、デルタブレーキっていうのがあってね、そのブレーキはワイヤーがメカの中をとおって外に出ないワイヤーの止め方なんだけど。その組み立て方は書いてないんですよ。自分で考えろってことですよ。ふつうに止めてからワイヤーを切ったらワイヤーがバラバラになる。
そういうところがイタリアとかイギリスの、組み立てる人が考えて工夫しないと、出来ないようなところが、プロダクトに対する考え方とか、デザインの発想が、まったく違うなぁと思う。
組み立てるのも人間なんだから自分で考えられるでしょ、ってことですね。自転車を組み立てる人にもクリエイティビティを求めるっていうか、認めるんですね。

うん、そう。だから取り付け方を工夫して考えついた時の喜びってすごいですよ。
そのデルタブレーキも、組み方をず〜っと考えてて、ひらめいて、一回ワイヤーを通して仮止めをして印をつけて、抜いて、ワイヤーを切って、ハンダ付けしてしまうんですよ。ワイヤーを。そしたらワイヤーを切ってしまってもばらけないし、外にもでないし、きれいに収まる。そんなやり方書いてないから。それはメカニックがそれぞれのやり方を持ってて、それぞれのスタイルでやってると思うんですけどね。



取り付け方を工夫して考えついた時の喜びってすごいですよ。



自転車小屋の様子

 

定規には、なぜ、ゼロがあるヤツと無いヤツがあるか、とかね。



禅問答みたいな授業なんですよ。

さっきおっしゃってた、人、が介在することが前提のデザインですね。ところで、職人っていえば、私は先生のデザインを拝見していて、あいまいな言い方ですが、ストイックで職人っぽい印象を持ってるんですが、ご自分ではどう思われますか?

う〜んまぁ、そうですね。だから僕がそういうデザインをするようになったきっかけは、大学で教えてもらった先生の影響なんですけど。
その先生は、普段デザインなんか全然しない人なんですよ。釣りばっかりしてる人で。一年に一回だけ個展をするんですね。個展を見に行くと、小さな、30センチ四方くらいの額に、天気図が書いてあるんですよ。天気図の前線が書いてあるんですよ。ま、前線だということまではわからないんですよ、線と三角形がずっとつながってて。そういうのがあるんですよ。三百六十何枚か。で、何枚か、白紙があるんですよ。それを見て先生にこれはなんで白紙〜なんですか?って。そしたら、この日は前線が無かったって(笑)言うんですよ。それで、あ〜そういうことか〜って思って。

その先生の影響っていうのが。別に何か要素を減らせとかね、そういう指導は一切しないんですよ。デザインの先生なのに、禅問答みたいな授業なんですよ。
学校に行くと、小さなゼミ室みたいなところに10人くらい入って、今日は〜それじゃぁ、ゼロについて考えようとか言うんですね。それでみんながゼロについて意見を言うんですね。定規には、なぜ、ゼロがあるヤツと無いヤツがあるか、とかね、話し合うんですね。その先生の話を、もう家までべったりくっついて行って、泊まりがけで話をしたりとかしてて。その先生がいろいろ見せてくれた資料が、スイスの、抑制を効かせた、できるだけ余分なものを入れない、白いスペースを大事にしたデザイン。それが、影響が大きいですね。

その先生は、大学生の時に彫刻家に弟子入りして、その彫刻家も変わってて、個展に行くと1メートル四方の黒〜いアクリルの固まりがならんでて、それだけ、なんですけど、近づいてよ〜くよ〜く見ると、さざなみが見えるんですけどね、それだけ。黒〜い立方体なんですけど、よ〜く、近づいて見ると波なんです。
その人の最近の本が、彫刻家は何もすることが無い、っていう、その本も禅問答みたいな本で(笑)。
そういうミニマルな表現って日本文化の伝統のなかにもありますよね。

そう、ありますよね。

これ以上物事が複雑化してゆくと、人間としてついて行けなくなるというのが本能的にわかっている。

 

それとさっきの話の職人の技、なんかを大切にする文化も日本の伝統のなかにも、あったんじゃないかなって思うんですが、それが今のプロダクトやデザインのありかたに見られないのは何故なんでしょう?

うん、そうですねぇ〜。日本の文化には昔からそういう伝統もあるんだけど、それとは別に、もったいないから全部詰め込もう、っていうかなぁ。
日本の家電って多機能すぎるくらい多機能じゃないですか。パン焼くのに何十種類って機能がついてる(笑)。ね、そういう欲張り主義、みたいのも一方ではあって、あれもこれもっていうのかなぁ。

家、なんかでも、たとえば京都の昔からの町家なんかは、小さな庭を利用して自然に空気の流れ、風を起こして涼しくするとかね、空気の流れを作るために何か装置をつけるんじゃなくて、間取りとか庭の配置、のデザインで解決してる。すごく考えられてるんだけど、今の住宅メーカーの建てる家ってのは、過剰なくらいいろんなサービスのための装置なんかが、そんなに必要じゃないのについてる、でしょ。

でも、最近AERAで読んだのが、深澤直人さんのINFOBARの話が、たしか広告として載ってたと思うんだけど、あのデザインを、時代に逆行したような、シンプルなストレート型のデザインを提案した時に、実際に作るのは大変だったけど、それについて、それを作る職人さんが、メーカーが必死になってあのデザインを実現させた、みたいな話が載ってて、そういう、いい方向に向かってる現象もあることはあるなぁ、って思ったんですよ。
携帯電話もいっぱい機能が、すっごいいっぱい、付いてるでしょ。でも、ある程度人間も、気づいてきてるんだと思うんですよ。これ以上人間のコントロールできないスピードで、物事が多機能になって複雑化してゆくと、たぶん人間としてもついて行けなくなるっていうのが、本能的にわかっているから、INFOBARのような携帯電話がでてきたり、あの、換気扇みたいなCDプレイヤーを作ったりとか、そういうところを許すんやね。そういう動きも、ある。
あのCDプレイヤーも深澤直人さんでしたっけ?

そうですね。



デザインで解決してる。

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