フセイン政権の崩壊と北朝鮮


 4月9日、米英軍がイラクの首都バグダッドを制圧したことによって、サダム・フセイン政権は事実上崩壊した。現在もなお、地方では散発的な戦闘が続いているが、すでに情勢は決したと言ってよい。こうした状況に鑑み、今回のイラク戦争を通じて得られた諸教訓を、北朝鮮金正日政権にあてはめて考えたい。

 

【教訓1】独裁政権は必ず滅びる

 24年にわたってイラクを独裁支配したフセイン政権は、3月20日の開戦からわずか三週間で崩壊した。開戦当初、精鋭「共和国防衛隊」や親衛隊「サダム・フェダイーン」の存在などを根拠に、「泥沼の地上戦」の可能性がまことしやかにささやかれたものの、蓋を開けてみれば抵抗らしい抵抗もなく、気がつけばバグダッド陥落を迎えていた。
 これらの根拠として、米英軍との圧倒的な武力(兵器の質)の差を挙げる向きもあるが、それは本質的な問題ではない。ベトナム戦争の例を引くまでもなく、戦争は兵器と志気の兼ね合わせである。イラク側は正規兵、民兵、非戦闘員の民衆ともども、自分たちの守るべきものがフセイン政権ではないことを熟知していた。恐怖と暴力によって維持された政権は、恐怖と暴力の復活があり得ないと分かった時点で、いち早く用済みとなったのである。
 金正日政権がフセイン政権に勝るとも劣らない独裁政権であることは、論を待たない。民衆支配の期間はフセイン政権のおよそ倍である。独裁支配の苛烈さについては、判断基準が分かれるとしても、少なくともフセイン政権には、北朝鮮にあるような強制収容所は存在しないようである。
 ちなみに、昨年10月、フセイン政権は「大統領選挙における100%信任」を祝い、収監者の恩赦を実行した。その直後には、恩赦にも関わらず帰ってこない収監者の家族らが、バグダッドで請願のデモを行っている。北朝鮮では絶対にあり得ない事態である。
 また、石油資源のおかげで、曲がりなりにも一般民衆に対する富の再配分が可能であったイラクに対して、北朝鮮は比較を拒絶するほどの現状である。言うまでもなく、富の再配分は政権に対する忠誠心を確保する上で、重要な鍵となる。百万単位の民衆が餓死を余儀なくされた北朝鮮では、政権に対する潜在的な離反の度合いはイラク以上と見ることができる。
 以上、ごく限られた現象から推察してさえ、イラク民衆のフセイン政権に対する反感・憎悪に数倍するそれが、北朝鮮民衆の中に潜在していることは明らかであり、何らかのきっかけさえあれば、今回イラクで現れたように、怒濤の勢いで噴出することもまた、疑問の余地はない。
 バグダッドにおけるフセイン像の倒壊は、まさしく平壌における金日成像の倒壊を予告するものである。

 

【教訓2】戦争の最大の犠牲は民衆である

 今回のイラク戦争に対しては、世界各地で大規模な反戦運動が繰り広げられた。「武力行使ありき」で短兵急に動こうとする米英に対して、様々な疑問が生じるのは当然であろう。納得しがたい国家の論理に対して、民衆の論理を直接対置することは、今後ますます重要性を増すはずである。
 ただ、その一方で、反戦運動の中に独裁政権下で苦悶するイラク民衆の姿がどこまで捉えられていたか、検討の余地があるのではないか。この点について、在日イラク人のモハメド・カッサブ氏は次のように述べている。

 イラク国民は長い間、自らの手ではフセイン政権を倒せずにきた。私自身、フセインを追放してくれるのであれば、だれの力でもいいから借りたいと感じてしまうときがあった。米国でも、ロシアでも、日本でも、悪魔でもいい、と。
 米軍の武力行使の是非をめぐっては、私の周囲にいる在日イラク人たちの間でも賛否両論がある。[中略]
 とはいえ、侵攻が始まってしまった今となっては、望むのはフセイン政権の打倒である。そしてそれによって、イラク国民が今より少しでも自由と民主主義を手に入れることだ。
 今の故国は大きな刑務所のように見える。秘密警察につかまる恐れのある国。国際社会から制裁を受け、皆が食いつなぐことに必死な国。反政府運動など想像することもできない国。それは私にとって、戻ろうと思える祖国ではない。[中略]
 日本の人がどこまで、イラク国民にとっての戦争の意味を想像できているか、私には疑問がある。戦争反対を言う人は多いが、「もはや武力による解決しかない」と考える我々の絶望の探さを、どこまで認識した上で語っているのだろう。[後略](2003年3月29日付『朝日新聞』「私の視点・ウィークエンド」欄)

 カッサブ氏は、あくまで在外イラク人としての立場から説き起こしているが、ここで言われていることが多くの面で現地イラクの民衆の立場と重なることは、十分推察し得る。実際、フセイン政権打倒を願うイラク民衆にとって、米英軍による軍事侵攻が一面で大きな追い風となったことは、評価はともあれ事実として押さえておく必要がある。
 もちろん、だからといって米英軍による軍事侵攻を支持すべきだという論拠にはならない。カッサブ氏もまた、決して手放しで軍事侵攻を支持しているのではなく、「侵攻が始まってしまった今となっては」「我々の絶望の探さ」など、様々な限定の上で問題を提起しているのである。われわれに求められているのは、こうした厳しい現実と真摯に向き合う態度である。
 民衆の巻き添えをいとわず、体制の生き残りという利害を追求するフセイン政権と、さまざまな美辞麗句を押し立てながら、自らにとっての「不安定要因」を除去しようとする米英軍。いずれにせよ、イラク民衆、とりわけ戦火の犠牲となった人々にとって、それは「自らの闘い」とはかけ離れたものであった。
 ハイテク兵器の多用によって、かつての戦争に比べれば、非戦闘員の犠牲ははるかに減少した。にもかかわらず、否、だからこそ、「誤爆」によって犠牲となった人々の存在は際だってくる。イギリスのNGO「イラク・ボディ・カウント」によれば、イラク戦争による民間人の死亡者数は、4月17日現在で最大1887人、最小1631人である。
 「バンカー・バスター」など大量破壊兵器の巻き添えで、あるいは精密誘導装置のわずかな狂いによって跡形もなく吹き飛ばされた人々、辛くも死を免れたとはいえ、手足を失った子供たち。また、身内や知人がそうした目にあった人々。こうした人々にとって、米英の言う「イラクの自由」「解放の戦い」は、決して自らのものとはなり得ない。実際、フセイン政権の崩壊が不可逆的な現実となって以降、イラクでは米英軍に対する抗議のデモなどが発生している。
 仮に、これを朝鮮半島に置き換えた場合、事態はさらに深刻である。「誤爆」による北朝鮮民衆の犠牲はもちろん、南の民衆が被害を受ける可能性もゼロとは言えない。
 イラク戦争を見る限り、「独裁者は自滅的な攻撃に打って出る」という当初の悲観的な推測は、幸いにも「杞憂」に終わった。この例に倣えば、北朝鮮の場合も同様の結果になると見ることができる。たとえ、金正日政権中枢が「自滅的な」対南攻撃を呼号したところで、実行部隊の離反がそれを不可能にする確率は高い。とはいえ、混乱のなかでわずかな間違いでも起これば、それは朝鮮民族にとって耐え難い事態の現出につながる。日本に住むわれわれにとっても、決して他人事ではない。
 こうした意味からも、北朝鮮の民主化に際して、今回のイラク戦争のようなやり方は決して許されるべきではないと再確認したい。

 

【教訓3】危機は緩和されていない

 現在、イラク戦争の「終結」を受けて、「第二のフセイン」が取り沙汰されている。衆目の一致するところは、もちろん金正日だ。
 ただし、今のところ、ブッシュ政権の動向は意外に抑制されたものである。対イラク攻撃に際して、ブッシュ政権内で最も強硬派であったウォルフォヴィッツ防副長官でさえ、「北朝鮮はすでにいくつかの核兵器を持っているものとみられるが、北朝鮮とイラクの状況はまったく違う」「北朝鮮には今後も経済難を加えることはできるが、核兵器を放棄し、国際義務を順守することで国際社会から尊重される国家になることができる」などと、北朝鮮核問題の平和的解決を強調している(4月7日付『中央日報』) 。
 もともと、ウォルフォヴィッツを含め「ネオ・コンサバティブ(新保守主義)」と呼ばれるグループは、イスラエルとの親密な関係もあって、イラクをテコとする中東政策については政権獲得以前からかなりの蓄積と方針を持っていた。反面、アメリカが北朝鮮問題を意識しだしたのがクリントン政権下の1993年ということもあり、北朝鮮問題に関する蓄積はそれほど持っていない。クリントン政権に比べれば対応ははるかに厳しいが、イラクに対して行ったような「体制変更(regime change)」については一応否定している。
 北朝鮮側もまた、これまで表面上は強硬な姿勢をとり続けてきたものの、やはりイラク戦争の衝撃は相当なものだったようである。4月12日、北朝鮮外務省報道官は「米国が(北朝鮮の)核問題解決のために対朝鮮政策を大胆に転換する用意があるなら、我々は対話の形式にはさしてこだわらない」と表明し、これまで拒み続けてきた多国間協議について、初めて柔軟な姿勢を示した。
 この背後で、北朝鮮側に譲歩の根回しを行なったのが中国である。すなわち、4月16日付の『東亜日報』によれば、中国の銭キシン前副首相が3月下旬に極秘訪朝、金正日総書記と直接会談した上で、多国間協議に応じるよう強く説得したという。中国側からすれば、イラク戦争の展開によって勢いづくアメリカに対して、北朝鮮があくまで「瀬戸際外交」に固執すれば、場合によってはアメリカの武力行使を引き出しかねないという危機感があったものと思われる。
 このように、とりあえず小康状態を保っているように見える北朝鮮情勢だが、当然にも本質的な部分では危機は何ら緩和されていない。まず、ブッシュ政権はクリントン政権時代の「見返りを与えて譲歩を迫る」という政策を峻拒し、核を含む大量破壊兵器の廃棄を交渉の前提としている。北朝鮮側がこの前提を受け入れない限り、議論の余地はないという立場である。しかし、金正日政権からすれば、核開発に伴う緊張感の醸成は、対米関係におけるいわば「虎の子」である。東アジアの安全保障を脅かすだけでなく、状況次第ではアメリカに対しても脅威を与えうるという「不気味さ」こそが、アメリカとの関係を保障する唯一の鍵である。これを突破口に、対米直接交渉の中で体制認知をもぎ取り、対南関係を同等にすると同時に周辺諸国からの経済協力を獲得することこそ、北朝鮮側の狙いなのだ。そこからすれば、北朝鮮側がアメリカの言う前提を認めることは敗北に等しい。核のない北朝鮮など、アメリカにとっては、時間が経てば崩壊する弱小国家に過ぎないからである。
 したがって、金正日政権は依然、核開発を外交上の武器とした「瀬戸際外交」を継続せざるを得ず、さらに外交上の武器を実質的な武器に鍛え上げる可能性も少なくない。北朝鮮側にとって、イラクの敗北はまさに武装解除の必然的帰結だからである。

 

【教訓4】戦争なき解放の道はある

 米朝両国が自らの論理にしたがって戦争への危機を押し上げている現在、われわれが注目すべきは、そうした状況を強制されている北朝鮮民衆の姿であり、彼ら彼女らが自らの解放をつかみ取ることが可能な道筋である。
 イラク民衆にとってそうであったように、北朝鮮民衆にとっては金正日政権もブッシュ政権も自らの解放を託すことのできる相手ではない。もとより、両者の争いは民衆に多大な犠牲をもたらす。とはいえ、仮に両者の間で何らかの和解が生じたとしても、民衆にとっては現在の抑圧の継続に過ぎない。
 イラク戦争の過程を踏まえるならば、これら二つの隘路を避けるには、北朝鮮内部における反乱を組織し、金正日政権の放逐を実現することを通じてブッシュ政権による介入の糸口を絶つことが必要である。
 すでに見たように、フセイン政権以上の抑圧と窮乏化によって、北朝鮮民衆の潜在的な反政府感情は高まる一方である。イラク戦争の帰結についても、遠からず人づてに波及していくだろう。この際、国際社会が一致して金正日政権に対する批判を強め、政権崩壊後の復興支援策を提起するならば、あたかも一枚岩に見える北朝鮮にも、政権と民衆との間の分岐が明瞭な形で浮かび上がってくるに違いない。
 その意味で、問われているのはわれわれである。北朝鮮の内部と外部をつなぐ情報経路の強化、様々なレベルでの支援と協力によって、北朝鮮民衆自身の立ち上がりを後押ししていかなければならない。
 今からでも決して遅くはない。否、むしろ今だからこそ必要なのである。

2003年4月20日

救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)