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大阪帝拳吉井前会長が死去

 ボクシング世界王者3人を育て上げた大阪帝拳ジム前会長の吉井清氏(現代表)が17日午後5時15分、肝内胆管がんのため、大阪市内の病院で死去した。74歳だった。ジム会長、プロモーターとして手腕を発揮。82年には渡辺二郎を関西で初の世界王者に導き、辰吉丈一郎、六車卓也も世界王者へと育てた。05年3月に会長職を勇退。今年4月に入院し、闘病生活が続いていた。吉井氏の自宅は、大阪市都島区東野田町2の8の7。葬儀・告別式の日程は未定。

 関西ボクシング界の重鎮が、帰らぬ人となった。吉井氏は04年に肝臓を悪化させて手術を受け、その後回復。しかし、今年4月に再び体調を崩して大阪市内の病院で闘病生活を続けていた。

 ボクシングを愛し「大阪から世界王者を育てる」というロマンを追い求め、実現させてきた。東京の帝拳ジムの故本田明会長にジム経営のノウハウを学び、64年1月に大阪帝拳ジムを創設。プロ経験はないが、選手の減量や合宿計画を綿密に立てるなど、優れた指導力で力のあるボクサーを次々に育てた。

 そして82年、渡辺二郎がWBA世界スーパーフライ級タイトルをつかんだ。関西初の世界王者を誕生させ、ジム創設以来の悲願を達成した。会長職を受け継いだ二男の寛氏(45)は話す。「渡辺が最初に世界をとった時の父の喜びようはすごかった」。会長でありながら、プロモーターとしても一流だった。韓国での海外防衛成功や、WBC王者との「統一戦」をマッチメークするなど、業界に刺激を与え続けた。

 87年にWBA世界バンタム級王者の六車卓也、91年にはプロ8戦目の辰吉丈一郎をWBC世界バンタム級王者に育て、合計3人の世界王者を輩出。97年にはプロスポーツ界の振興、発展に貢献したとして、文部省からスポーツ功労者の表彰も受けた。最近では女子ボクシングの国内認可に向けても尽力していた。

 今年2月には、関西で切磋琢磨(せっさたくま)してきたグリーンツダジムの津田博明元会長が亡くなったばかり。吉井氏は告別式の会場で「自分はまだまだ頑張る」と元気に話していたが、関西ボクシング界は立て続けに貴重な人材を失ったことになる。

 それでも、吉井氏の思いは消えない。寛氏は「父親は偉大な人だった。常に業界が発展することを考えていた。自分も世界王者を育てたい」と気丈に話し、ボクシングにすべてをささげた父に近づく決意を語った。

[2007年7月18日11時49分 紙面から]

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