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クールな人とはどんな人か?


 クールな人とは表情も変えずに、凡人には真似の出来ないことを次から次にやってのける人でしょうか?それならクールではない人とはどんな人でしょうか?

 クールな人には強い人が多く、クールではない人には弱い人が多いという見方も出来ます。クールではない人とはこれは良いことだとか、これはやってはいけない悪いことだとか声だかに叫びそうです。なぜそのように叫ぶのでしょうか?

 歴史的な事実を嫌悪する人もいると思いますが、つねに強い者が弱い者の領地を奪い、その勢力を広げていったという歴史があります。奴隷のように支配される側に回った人は、力では負けたが道徳的には負けてはいない、人間の生き方としては負けてはいないと叫ぶことになります。そのためには何が悪くて、何が良いことか、つまりことの善悪を決めなければいけません。その悪とは人の命、物、そして最愛の人を奪うことです。

 どんなに良くないことだと叫んでも、弱い者が負けることは目に見えています。もうこの世には神も仏も居ないのかと感じることもあります。同じことを言った人がドイツの哲学者ニーチェ【Friedrich Wilhelm Nietzsche(1844-1900) 】でした。彼は神は死んだと表現し、それを虚無主義(ニヒリズム)と言ったのです。キリスト教的な善悪を示す道徳は弱者が強者に対して持つ妬みからきたものだと言っています。

 たしかに病気でさえ、病気の力が強ければ、人間はあっさりとその病気に負け、死に行く運命にあります。いくら医療が進んでも、治せない病気はいくらでもあります。人の意志というのは自分の届かないところで、勝負が決まっている部分があるのは事実です。

 クールな人はそのすべてを悟っているかのごとく、表情も変えずに、前に進み続けます。しかし、そのクールさの中に感じる熱いものとは何でしょうか?クールな人が人の興味を引くのはただのニヒリズムでは無いように思えます。

 それは自己の限界に挑戦するという熱い心を持った人では無いかと編者は考えています。クールな人と虚無主義者の違いはまさにそこにあるのではないかと考えます。クールな人は独自の善悪の判断を持っている。その善悪とは、結果的に人を殺したり、人の物を奪うことを悪とするのではなく、自分との闘いに勝つことが善であり、負けることが悪であるという価値観を持っている人ではないかという気がします。

 これなら強い者も弱い者も熱く闘うことが出来ます。もし人参が嫌いであれば、それを食べられるようになることは自己との闘いに勝つことです。ただし、これはもちろんそれを食べることが自分のささやかな目標だと決めた場合の話です。ちなみに最近自己目標であった禁煙をあっさり断念した編者はとてもクールな人になれそうもありません。

 -2001/8/31


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