引き算や掛け算は教えてもらったから買い物には困らない。ひらがなや漢字も教えてもらったからメールも書ける。それでも楽しく笑って暮らす方法はいつ教えてくれるのだろうかと待っているとそのまま一生を終わることになる。
世の中には泣きたくなるようなことが毎日の様に起こる。しかも自分自身もまたその例外ではない。泣いて暮らしても笑って暮らしても同じ一生だと言われると笑って暮らしたいものだと考える。ところがそう考えただけではすぐに忘れて元に戻ってしまう。
ある本を読んでいたら地面と星について書いてあった。編者流に原形をとどめないくらいに脚色すると次のような内容になる。
我々は罪を犯した意識も無いのにまるで犯罪者のように牢屋に入って自由を失っている。繋がれた縄を解きたくて仕方が無い。小さな窓の外を眺めながらある人は星の輝きに心を躍らせ、もう一人は灰色の地面を眺めて内も外も同じだと考える。
地面や星は眺めても眺めなくても同じく存在し続ける。特に星は数十億光年のかなたからやってくる光。それはつまり数十億年前に発した過去の光だから変えようがない。それでもその光は脳裏に刻まれて気持ちをくすぐってくれる。
明日もまた牢屋暮らしに違いない。それでもくすぐられた喜びをまた得たいと願って体は動き始める。それはその喜びを再び得られるように体の中のあらゆる部分が働き始める。
そうやって勝手に動き始めるもう一人の自分は親しい友人のようなものだからたまにはそいつのことも考えてあげた方が良い。そいつを励ます方法は笑ってあげることだと思う。そいつは感情に支配されて笑いを自ら作り出すことができない。
ところが自分(自我)は無理矢理笑顔を作り出すことができる。すると、そいつはその笑いに騙されて励まされる。だから自分に降りかかった小さな不幸は笑い飛ばせばいい。大きな不幸がやってきても、ときどき笑顔を見せた方がいい。
-2001/6/22
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