2006年11月20日(月)

m-flo タカハシタクさん

htc061120.jpgm-floのタカハシタクです。
二十歳の頃はですね、大学生でした。
ロサンゼルスのほうに、ビバリーヒルズ青春白書のセットにもなったところなんですが、オキシデンタル大学に通ってました。

ちょうどその頃はですね、まぁいま流行りの「自分探し」みたいなモードでした。
僕は最初物理学で入ったんですけど、物理やってる時に計算機持つのがすごい嫌になってきて、今度は哲学試してみて、でも、何かうまくいかなくて、その後は……経済学をやってみたんですけど、これもまた計算機だなーと思って、それで落ち着いたのが、アジア学。
政治とか、歴史とか勉強するんですけど、その中でも韓国の、日韓関係の勉強をしようと思っていて、それを専攻しようかなと思ったときに、ふらふらと音楽学校行ったりするみたいな。
いろんなことを試していた時期なんですけど、ちょうど大学に行っている間に日本人が海外で活躍し始めた頃で、当時野茂英雄選手が大リーグ・ドジャースに入って活躍しだしている。それと同時に、「アシッドジャズ・ムーヴメント」って言うのがあって。UFOとか、大沢真一さん(モンド・グロッソ)、テイ・トウワさんとかいろいろと日本出身のアーティストたちがアメリカやヨーロッパで活躍しだしている時期で。

それで僕もいろいろとアメリカに住んでいる人たちに「こんなにすごいかっこいい音楽を日本人も作れるんだよ」っていうのを、クラスメートに紹介していた時期だったんですけど、やっぱり、そうやって紹介したいがためにいろんな日本のものを聴く、そのときに聴く音楽っていうのは、すごく自分のハートにぐさっと刺さりやすい多感な時期だったと思うんですよ。
だから、極力そういった多感な時にいろんな経験を、ひょっとしたら自分は何をしたいのかって見つからない人もいるかもしれないんだけど、「見つからないから何もしない」って言うのが悪いケースで。

二十歳の頃はいろいろがむしゃらやっていいと思うんですよ。
やっぱりそれの結果、その時に聴いた音楽って言うのに今の僕にもすごく影響を受けてると思いますし、音楽的な部分じゃなくて感情って言うのも入っているから、それはすごく特別なものになってると思うんですよ。
また戻りたいですね、二十歳に。もっと吸収したい。

TOMORROW STAFF

2006年11月16日(木)

m-flo verbalさん

pic06111620yers.jpgm-floのverbalです。
m-floは実は最近”m-flo loves BONNIE PINK”の「Love Song」という曲をリリースしたばかりなんですけれども、lovesといえば恒例で、自分で恒例って言うのもなんですが、今回で32組目。
シングル20枚目という、なんかうちらいろいろとやってきなという感じなんですけれど。
今日のテーマは二十歳の頃ということで、話をさせていただきたいんですけど。
二十歳の頃、僕はちょうどボストンカレッジに行ってまして、大学生真っ最中でございました。
高校の頃から、今のm-floのメンバーTAKUといっしょにバンドも組んでいたりして、ミュージシャンになりたいって夢を持っていたんですけれども、その当時は現実的じゃないなって思って、ラッパーでやっていくのってちょっと難しいじゃないかって言われてましたし、現実的じゃないってことでその時あきらめてですね、大学にそのまま進学したわけですけれども。
で、その頃実は大学に入ってから哲学にハマりはじめたりして、教会に行きはじめた時期だったんですね。
いろいろ人生について考え始めてですね、今までの行ないを悔い改めたり、これからこういう人間にならなきゃいけないんじゃないかなって考えはじめた時期で、もう勉強、将来のこと、人生設計、そして自分を人間としてもっと良い人になっていかないとっていうのを真っ最中でした。
その時期があったからこそ今の僕だなって思うのは、僕、高校の頃、音楽の夢をそのまま追いかけてたとしたら、今このm-floのverbalはいないです。
確実に。
人生においての考え方、すなわち音楽についての考え方も自分中心、自己中心なやりかただったと思いますし、今になってその他の人のために何かやる、お客さんを楽しませるためにやるとか…。
なんかちょっとフォーカスがかわってますけれども、その当時そのままいっていたら、今みたいな音楽は出来ていないかったんじゃないかと思うので、自我の強い自分の強い味を出していかなければならないヒップホップとはいえ、とは言え、人を思いやる心とか、お客さんを楽しませるためにやるとか、そういう心構えっていうのは一回、二十歳の頃の経験があってからだと思うので、そういう時期があって良かったなと思っている今日この頃でございます。

TOMORROW STAFF

2006年11月15日(水)

大貫妙子さん

pic06111520yers.jpg大貫妙子です。
私の二十歳の頃は1973年でしたので、シュガーベイブというバンドで活動していました。
『SONGS』というアルバムを一枚出して解散しましたけれども、当時70年代の最初というのはブルースロック全盛の時代でしたので、私たちのようなポップスバンドは全くと言っていいほど、受け入れられなかったんですね。
コードにメジャー7thというのを私たちは多用していたんですけれども、そいうのを使うだけでも軟弱だと言われた時代で、ライブ評もことごとく良くなかったですね。
下手だとか。
実際、下手だったんですけれでも当時のロックフェスにでましたけれども、やっぱりブルースロック中心の中に私たちのようなポップスバンドが入るわけですから、演奏すると野外などではいろんなものが飛んできて、「帰れ」とか「止めろ」とか本当に散々いわれた時代だったんですけれども。
その極めつけが京都の拾得というライブハウスで、ひとりの方が最初っから私たちが演奏している間、真ん前にいて、「帰れ」とか「止めろ」とかずっと最後まで言い続けた人がいるんですよ。
本当に辛いライブでしたね。
悔しくて、半泣きで楽屋に戻ったんですけど、みんな落ち込んじゃって。
そしたら楽屋にライブを聴きに来て下さった他のお客さんが来て下さって、「ああいう奴もいるが気にするな。とてもいいライブだった。これからもがんばれ」って言ってくれたんですよね。
本当、その一言にどれだけ励まされて、救われたかしれない。
音楽の好き嫌いは生理的な問題だし、趣味の問題だからしょうがないとは思うけれど、私も音楽を作る立場ではありますけれども、音楽を愛するいちファンの立場でもあるわけですよね。
そうすると、自分が本当に大好きなアーティストにファンレターとかは書かないし、なかなか会うってことはないけれど、その音楽によって助かってするし、幸せになっているっていう自分がいると思うと、サイレントなお客さんというか、私には何も声はとどかないけれど、聴いて下さる人がいるということを信じて、やっぱり音楽を続けていこうと思ったのが、その時のお客さんが言ってくれた一言なんですよ。
それで今まで、続けられたんですけれども。
二十歳の頃、バンド時代はお金がなくて、お金が入ると食べるものを差し置いても中古レコード屋さんでレコードを買っていた時代だったので、レコードを食べていたと言ってもいいでしょうね。
音楽でお腹をいっぱいにしていた。
それが私の血となり肉となって、今J-WAVEでも番組をやらせてもらっていますが、非常にそれが役に立っています。
結局若い時はいろいろと夢を持つけれど、それにむかっている時が本当に楽しいとか夢中になってしまうとか、時間を忘れて熱中してしまうということでないと、結局長続きしないのかと思うので、どんなことでもいいので、自分にそういうものがあったら見つけていただきたいし、夢中になって欲しいと思います。

TOMORROW STAFF

2006年11月14日(火)

MUROさん

pic06111404.jpgこんばんは、MUROです。
このたびMUROとして活動してきた集大成の「ULTIMATE COLLECTION Murotimate Breaks & Beats」のVol.1とVol.2、そして井上三太さん原作のアニメ「TOKYO TRIBE 2」サウン

ドトラックを手がけさせてもらって、この3枚、11月22日に同時にリリースされますので、ぜひ聴いてください。

僕の二十歳のころなんですが、二十歳のころといいますと、15歳のころからターンテーブルをいじくり始めてですね、二十歳のころにようやくクラブでまわせるかまわせないか…半年に2回ぐらいまわせるぐらいのお仕事を貰いつつですね、クラッシュのレコードを持って、六本木や下北沢のZOOって言うハコを往復していたんですけれども。
その頃はクラブシーンがディスコ寄りだったりクラブ寄りだったりっていう風にちょっと分かれていて、
六本木だとニュージャックスイングがかかってるんだけど、西麻布、シモキタだとスカとかレゲエとか、土っぽいものがいっぱいかかったりとかしてですね。
僕はどっちも好きだったんですが、一般的にはどっちかに分かれる修正があったんですが、クラッシュも何でも音を聴く人だったんで、そういういい影響を貰ったおかげで、僕も両方の現場を行き来して、その現場で違うものをかけるっていうのが自分のひねくれた楽しみだったんですが、六本木のニュージャックスイングばっかりかかってる所でレゲエをかけてですね、シモキタのレゲエばっかりかかってるような所でボビー・ブラウンかけたりですね、その逆をやったりしてたんですけれども。

そこですごくいい感じにお客さんがクロスオーヴァーしてくれて、年齢層も男の子も女の子もすごく入り乱れてくれて、自分的にはすごくやってて良かったなと思いますね。
ですんで、自分のやってることを信じることはすごく大事なことだと思いますし、
今二十歳の子がたぶんこれから大人になっていくころってのは今よりもっと大変状況になってると思うんですね。世間的にも。
だから「自分でやりたいことを見つける」難しいんですけれど。僕は二十歳ぐらいは試しましたね。バイトももう色んなものをやったし、とにかく色んなものにトライしてみるのはすごく、いいと思いますね。

TOMORROW STAFF

2006年11月13日(月)

松崎ナオさん

htc061113.jpg松崎ナオです。11月15日に5年ぶりの相当久しぶりになるニューシングル「川べりの家」をリリースします。それを引っさげて12月14日Zher the ZOO YOYOGIでワンマンライブをやるので、ぜひ来てください。

私はデビューして8年になりました。あぁ…
私の二十歳の頃はですね、いつできるかわからない“デビュー”というものに向けて、色々準備をしていた時期でした。
で、19の時にソニーのオーディションに受かって、EPIC SONYって言うところに決まって、それで担当のディレクターさんとかが決まって、それでその人に「曲を聴かせてよ」って言われてたんですけど、「なんでこの人に聞かせなきゃいけないのか」「なんで、じゃあオーディションを受けたんだ」なんて思っている時期だったんですよね(笑)。

結局一曲も聞かせないままかなりの時間が過ぎたんですけど、いい加減「この子は何もできないんじゃないか」観たいな雰囲気になってきたんで、これはマズいなと思って、もともと作っていた曲があったので、テープのテレコに録って、持ってって。
でも、デモテープって言うものを自分の前で聴かれるっていうのにかなり慣れていないので、もう本当にディレクターさんの席のところに行って、そのテープを投げ捨てて…!?ひたすら逃げて帰ってきたという。「どうだったのかな」っていうのも考えないで、でも体だけ妙に緊張してて、ヘンな汗をかくみたいな状態で待ってたらすぐ電話がかかってきて「なんか、すごいいい曲だったよ」って言われて。
「あー、嬉しいな」って思いましたね。音楽を人にほめられる、初めてそういう自分ひとりで作った曲をほめられるとすごい嬉しくて。

私は完全にそこで自分に才能があると思い込んで、それから週一曲、曲を作ってこいって言われて、あの、もう「やりますよー!」みたいになって……っていうのが二十歳のころですね。だからひたすら曲を作ってたという記憶がありますね。
最初に出したのが「白いよ。」って言う曲で、その時、私はほめられるとそのまま上っていくということが分かったということが、その経験で分かったことですね。

TOMORROW STAFF
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