流派の秘伝書 その1その2
「九鬼古文書」

 


 九鬼宗家に伝わった古文書−いわゆる「九鬼文書(または九鬼古文書)」については、戦前の昭和16年(1941)に、三浦一郎氏(故人)が発表した『九鬼文書 の研究』によって、世に知られるようになった。しかし、時節がら、特に“神代史”の部分について不敬罪の適用を受け、当局によって押収される結果となり、著者の三浦氏自身も、大阪の特高 1(とっこう)の施設に収監されて、拷問にも匹しい過酷な取調べを受けたといわれている(隆治翁懐旧談)。
 もとより、九鬼文書は、記紀(古事記・日本書紀)に漏れた神代の記録を書き継いだものとして、竹内文書や富士・宮下家文書などと並ぶ貴重な資料であるこ とはいうまでもない。しかし、それ故に、記紀至上説を、牢固(ろうこ)として墨守(ぼくしゅ)する学者たちにとっては、危険この上もない存在と捉えられたであろう。況 (いわん)や、当時の国体の精神的支柱をなしたものが、この種の官製の学問と、それに携わる人々であったなれば、猶更(なおさら)のことといえる。
 ところで、前述のごとく、三浦氏が『九鬼文書の研究』を発表するまでは、江戸末期の嘉永(かえい)元年(1848)8月に、24代・隆キ(たかひろ)(綾部藩・9代藩 主)が、当時、令名の高かった二宮尊徳(そんとく)に“神道の書物10巻”を送っていたことが『尊徳翁夜話』巻之二に録されている以外は、まったく世に知られるこ とはなかった。この“10巻”の書が、今日、伝承されている九鬼文書の、一体どの巻物にあたるのかは、今もって不明であるが、幕末という混乱の時代なればこそ、九鬼家祖伝の不滅の息吹(いぶき)が、何がしかの働きかけを歴史に及ぼそうとしたように感じとれてならない。
 その後、超古代史研究の泰斗(たいと)として著名な吾郷(あごう)清彦先生の手によって、昭和58年(1983)、『九鬼神伝全書』として新国民社より 刊行され、この事業に、当時若輩の筆者(高塚叡直)もまた、微力ながら協力させていただく栄に浴した。
 ここでは、筆者(高塚叡直)が、昭和47年(1972)から仝52年(1977)にかけて、神戸市西灘の九鬼家に於いて、資料整理に携わった際に作成した 文献目録を紹介しておきたい。この時、神道書・27巻、武術書・19巻、修験書・9巻の、合計55巻(うち、冊子5帖を含む)を確認しているが、このうち、“古写本”と 表記してあるのは、その紙質や記述内容などから、少なくとも江戸期をくだらないと認められる巻物で、“近写本”とは、明治後に転写されたと思われるものである。
 序(つい)でながら、現在、一部の間に、第二次大戦中の明石大空襲によって九鬼邸が全焼したときに、仝家の所蔵文献が、すべて烏有(うゆう)に帰したとする 説があるが、これは、実態を知らぬ者の妄言(もうげん)に過ぎない。実際に見ても触れてもいないのに、他に発表されている二次資料のみを頼りに、九鬼文書を 喋々(ちょうちょう)するなど、洵(まこと)に噴飯(ふんぱん)の極みである。
 この“焼失云々”についての根拠は、『天津蹈鞴秘文解讀遍(あまつたたらひぶん・かいどくへん)』の巻頭に於いて、編者・高松澄水自身が記した昭和22年 (1947)7月20日附の序文「天津蹈鞴秘文之巻起源」の、たった4行の文章 2と、仝師範が、後日、関係者に対して語った談話にもとづいているが、この『天 津蹈鞴秘文解讀遍』そのものが、歴史的には、非常に疑わしい代物(しろもの)であることは別記のとおりである。但し、事実上、戦禍に遭ったとされるのは、その原本ともいうべき一巻『熊野社古止文(くまのしゃ・ことふみ)』を指すものと目されている。
 ここに、九鬼古文書が焼失をまぬがれた、もっとも大きな物的証拠がある。前述のごとく、昭和16年当時、明石市明石上之丸(うえのまる)三丁目の九鬼邸に踏み込んだ特高によって、『天地言文(あめつちことふみ)』の“天之巻”を押収されたが、巻物を納めていた木箱(上蓋に“天地言文・天”と墨書されている)については、その後も九鬼家に残り、他の資料や什宝(じゅうほう)類などとともに、兵庫県印南(いんなみ)郡西志方(にししかた)村字(あざ)成井(なるい)の皇道宣揚会・高御位道場の疎開先に移転させている。古文書そのものが燃えた後に、“箱”のみを復元させるということは、常識的には考えにくい 3し、第一、歴代の九鬼宗 家が、家宝にもまして大事に扱っている宝典を、如何に戦時下とはいえ、戦火を避ける配慮を怠るなど、まったくあり得ない話である。しかも、おなじこの時期、「後鳥羽天皇の御宸翰(ごしんかん)」や「豊太閤の御朱印状(ごしゅいんじょう)」などの家宝の品々は、確実に高御位に移動し、現在もなお、九鬼家に於いて歴然と継承・保管されているのである。

 

九鬼文書「大中臣神祇秘文」 

「大中臣神祇秘文」 冒頭部分 

 

 

 

九鬼文書 総目録

 

 

神道書
書名 巻数 概要 現存の有無
1 天地言文
(あめつちことふみ)(天之巻)
1巻  散佚。原本は、戦前、特高によって押収され、その後の所在は不明。現在、九鬼家に、表題を記した木箱のみ残る。内容は、三浦一郎著『九鬼文書の研究』中に「神代系譜」として収録されており、神武天皇以前の系譜を記したもの。
2 天地言文(地之巻) 1巻  近写本。神武天皇以降、62代・村上天皇までの皇統譜(こうとうふ)。
3 大中臣神祇秘文
(おおなかとみしんぎひぶん)
1巻  近写本
4 中臣秘法遍
(なかとみひほうへん)(1)
1巻  
5 中臣~傳秘想遍
(なかとみしんでんひそうへん)(1)
1巻  
6 中臣神司秘法遍
(なかとみかみつかさひほうへん)(1)
1巻  
7 中臣秘法遍(2) 1巻  古写本
8 中臣秘法遍(3) 1巻  近写本。高松澄水筆写によるもの。
9 中臣秘法遍(4) 1巻  近写本
10 ~傳秘想遍(2) 1巻  古写本
11 中臣~傳秘想遍(3) 1巻  近写本
12 ~傳秘想遍(4) 1巻  「~傳首飾勾玉(まがたま)」と呼ばれているもの。
13 中臣~傳秘想遍(5) 1巻  
14 神司秘法遍(2) 1巻  古写本
15 中臣神司秘法遍(3) 1巻  近写本。「神字(しんじ)」である。
16 中臣神司秘法遍(4) 1巻  
17 中臣神司秘法遍(5) 1巻  近写本。巻頭に「中臣神司秘法遍之二」とあり、「薬草(やくそう)之巻」である。
18 布篤乃里止(ふとのりと) 1巻  九鬼隆治宗家手写によるもの。
19 鬼門乃里止(きもんのりと) 1巻  
20 天地生(てんちせい)
神法秘諦(しんぽうひたい)
1巻  前記『九鬼文書の研究』に於いて「藤原鎌足卿傳之(これをつたう)」として紹介されているもの。今日、残存するのは、「大道志貴布命(おおみち・しきふのみこと)記」の一巻であるが、古いものとは思われない。
21 天雲日保幸傳
(あめのくもひ・ほこうでん)
1巻  前出・17の『中臣神司秘法遍之二薬草之巻)』の後半部分、すなわち、九鬼玉温灸(ぎょくおんきゅう)を抄出したもの。
22 神史略(しんしりゃく) 1冊  皇道宣揚会・神祇局時代に、文部省より藤原俊秀師を「中臣神司」として招聘したとき、仝師の家伝(大中臣神道)と合わせて作成した、中臣教司(きょうし)養成用の教本(三部作)のひとつで、これは歴史編。
23 大中臣神法秘奥
(おおなかとみしんぽうひおう)
1冊  前記に同じく、中臣教司養成用の教本中の神法編。
24 大中臣神法秘文
(おおなかとみしんぽうひぶん)
1冊  前記に同じ。秘文と祝詞集を載録。
25 古止文(ことふみ) 1巻  近写本。冒頭に、昭和10年(1935)4月3日の日付で再写された旨の、高松澄水の“断り書き”がある。出雲系の文書が断片的に引用されているなど、傍系文献と見ることができる。原本は、元来、熊野権現社に秘蔵されていたもので、正しくは「熊野社(くまのしゃ)・古止文」という。
26 熊野権現社遥拝詞記
(くまのごんげんしゃ・ようはいしき)
1帖  筆者不明。
27 神代巻
(じんだいのまき)
1帖  高松澄水写本であるが、下書き原稿のまま残されている。「明治3年(1870)、九鬼隆キ(たかひろ)拝冩」と記され、巻頭題字・奥書ともに欠落。
以上、27巻(冊子を含む)

 
武術書
書名 巻数 概要 現存の有無
1 天真兵法心剱活機論
(てんしんひょうほう・しんけんかっきろん)(1)
1巻  古写本
2 九鬼宗門體術活法論
(くきしゅうもん・たいじゅつかっぽうろん)(1)
1巻  古写本。題字の“九鬼宗門”は、“天真兵法”の誤り。
3 天門地門遍(1)
(てんもんちもんへん)
1巻  古写本
4 天真兵法城築陣営戦略遍(1)
(てんしんひょうほう・じょうちくじんえいせんりゃくへん)
1巻  古写本
5 起證文前書之事(きしょうもん・まえがきのこと) 1巻  古写本。三浦一郎著の『九鬼文書の研究』に於いて『九鬼神流・武教(ぶきょう)之大道』として掲げられているものにおなじであるが、これは、冒頭文(前書)・第一条の初頭句から取ったもの。
6 九鬼~傳・天真兵法體術活法論(2) 1巻  近写本。高松澄水筆写。
7 九鬼~傳・天真兵法天門地門遍(2) 1巻  近写本。高松澄水筆写。前記・3の『天門地門遍』の詳解書である。
8 九鬼~傳・天真兵法體術活法論(3) 1巻  近写本。高松澄水筆写。
9 天真兵法心剱活機論(2) 1巻  近写本。高松澄水筆写。
10 天真兵法心剱活機論(3) 1巻  近写本。高松澄水筆写。
11 天真兵法城築陣営戦略遍(2) 1巻  近写本。高松澄水筆写。
12 天真兵法・龍虎之巻
(てんしんひょうほう・りゅうこのまき)
1巻  近写本。高松澄水筆写。末尾に「延宝(えんぽう)6年(1678)戊午(つちのえ・うま)天三月吉良日、四郎左衛門子孫・武國、源正國冩」とあり、別所家の資料であることがわかる。ただし“武國”の2字だけが消されてあり、誤記のようである。内容は、冒頭の由来文につづいて、龍之巻・虎之巻の各目録名を箇条書きにしているが、奥書がない。この両巻は、本来、別個に伝わったもののようで、前者は“宗門の秘術”、後者が“武術の巻”である。
13 城取縄張武功ノ秘傳之事
(しろとりなわばり・ぶこうのひでんのこと)
1巻  近写本。高松澄水筆写によるが、下書きのまま残存。前記『天真兵法城築陣営戦略遍』の抄出本である。
14 九鬼神流體術・極意目録 1巻  高松澄水筆。
15 九鬼神流極意・免許目録 1巻  高松澄水筆。
16 九鬼神流體術・總目録 1巻  高松澄水筆。
17 九鬼神流・四巻目録 1巻  高松澄水筆。“四巻”とは、初伝・中伝・権(ごん)極意・中極意のことで、これを一巻にまとめたもの。
18 入門誓約書 1巻  高松澄水の筆になるが、後半部分は、適当に加筆・潤色した形跡がみられる。
19 武道歴代系圖 1巻  高松澄水作成。断片的な伝承をまとめたもので、各人物の事蹟を、幾分詳しく記している点で、資料的価値は捨てがたい。
以上、19巻

 
修験書
書名 巻数 概要 現存の有無
1 金剛秘法遍(こんごうひほうへん) 1巻  古写本。
2 三密法力遍(1)
(さんみつほうりきへん)
1巻  古写本。
3 金剛密法遍
(こんごうみっぽうへん)
1巻  近写本。下書きのかたちで残存。前記・金剛秘法遍の姉妹編である。
4 三密法力遍(2) 1巻  近写本。下書きのまま残存。
5 護摩次第濟藤式畧・古式行者修法
(ごましだいさいとうしき・こしきぎょうじゃしゅうほう)
1巻  近写本。高松澄水筆写本。ただし、奥書なし。“濟藤”は“柴燈(さいとう)”のあて字。
6 熊野修験禮拝作法
(くまのしゅげん・らいはいさほう)
1巻  
7 熊野修験行者・中臣式護摩作法
(くまのしゅげんぎょうじゃ・なかとみしきごまさほう)
1巻  
8 熊野修験行者之精神と道知るべ 1巻  原本は、高松澄水作成によるもので、『天津蹈鞴秘文』の由来と目録を列記。
9 悉曇書(しったんしょ) 1帖  原本、無題。光新著。悉曇(しったん)(梵字)の手控え帖。
以上、9巻(冊子を含む)

 


[ 註 ]
1  特高とは“特別高等警察”の略称で、戦前の特務警察のこと。
2  七十三代子孫・九鬼家保存中、昭和二十年、大東亜戦争中ニ子爵家空襲ニテ焼失ス。幸イニ余ハ、此寶巻ヲ拝讀・栄觀ヲ成ス事ヲ賜フ。此蹈鞴秘文ノ 一巻は文覺上人ヨリ二十三代ノ子孫・九鬼鍋三郎隆幸完成再冩ヲ謹ンデ再冩成スモノ也。
3  筆者(高塚)が、かつて、神戸・西灘の九鬼家に出入りしていた頃、50数巻にのぼる九鬼文書は、年代を経たことを証明するがごとく、古ぼけて、其処彼処(そこかしこ)が剥げ落ちた茶色の皮鞄に入れて保管されていたが、これは、疎開当時そのままの状況で、今日(昭和47年ごろ)に到っている由(隆治翁懐旧談)。