2007/11/28
「偽イスラエル政治神話その4」
第1節:アメリカのイスラエル=シオニスト・ロビー-1/2
《イスラエルの首相は、中東に関するアメリカの外交政策に対しては、自分の国に対してよりも、遥かに強い影響力を持っている》(ポール・フィンドレイ『彼らは遠慮せずに語る』)
さて、以上のような神話は、なぜ、何百万人もの善意の人々の心の奥底に、抜き差しがたい信念として、深く根を張ることができたのだろうか?
それは、政治家の活動に影響を与え、世論を操作することが可能な、最強力の“ロビー”を作り上げたからである。
ロビーは、その活動の方式を、それぞれの国の事情に合わせている。
アメリカには、六百万人[総人口の四%弱]のユダヤ人が住んでいる。"ユダヤ票"は、決定的な影響力を持っている。なぜなら、棄権は増大する一方であり、二大政党の政策に大した違いがないから、選挙で過半数の票を確保するためには、小さな問題もおろそかにできないし、勝敗は、ほんのわずかの票差で決まるからである。
その他にも、アメリカの軽佻浮薄な世論は、候補者の“ルック”[外観]や、テレヴィ写りの善し悪しに大きく左右されるので、後援組織の資金収集力と、政策の“マーケティング”[売り込み]能力とが問われる。
《一九八八年のアメリカの上院議員選挙では、一億ドルの政治資金が必要だった》(アラン・コッタ『世界各国の資本主義の現状』91)
アメリカの議会で公式に認められているロビーの中で最も強力なのは、AIPAC(“アメリカ=イスラエル公事委員会”)である。
アメリカのシオニストが、いかに強力なものであるかを如実に示すのは、すでに一九四二年、ニューヨークのビルトモア・ホテルで作成されていた過激な内諾の憲章による決定である。その決定とは、[世界シオニスト機構イギリス代表のロスチャイルド家当主に、一九一七年当時のイギリス外務大臣]バルフォアが約束した“パレスチナの内部のユダヤ人の郷里”[homeland]を、その主旨のような、イギリスまたはアメリカの保護下における土地の買収による緩やかな植民としてではなくて、「ユダヤ人の主権国家」[Etat]の創設として通用させることだった。
政治的シオニズムの歴史を全体にわたって特徴付ける二枚舌の性格は、その創始者、ヘルツルの努力の帰着点としての、この一九一七年の「“バルフォア意思表示”」の“解釈”の仕方に典型的に表わされている。“ユダヤ人の国家的郷里”という用語は、バーゼル会議[前出、一八九七年八月]でも問題になっていた。ロスチャイルド卿は、「“ユダヤ民族の国家的原点”」を唱導する宣言の草案を準備していた。バルフォアの最終的な意志表示では、パレスチナ全体について語っておらず、ただ単に、“パレスチナの「内部に」[in]ユダヤ民族のための国家的郷里を設立する”となっていた。実際のところ、世間は皆、いかにもそれが精神的および文化的なセンターとしての「“郷里”」であるかのように語りながら、心の中では、ヘルツル自身がそうであったように、国家[Etat]として考えていたのである。
ロイド・ジョージ[バルフォア意志表示当時のイギリス首相]は、著書、『平和協定の真実』(38)の中で、《疑いもなく閣僚の全員が、その当時、……やがてパレスチナは独立国家になると考えていた》と書いている。意味深いことには、戦時内閣のメンバーだったスマッツ将軍も、一九一五年一一月三日、ヨハネスバーグで、つぎのように語っていた。
《つぎの世代には、あそこ(パレスチナ)に再び、偉大なユダヤ人の国家が築かれるだろう》
一九一九年一月二六日には、カーゾン卿が、つぎのように書いていた。
《ヴァイツマンが何かを語る時、聞き手は“ユダヤ民族の国家的郷里”のことだと考えるかもしれないが、彼は、まったく違うことを考えているのだ。彼が思い描いているのは、ユダヤ人国家と、ユダヤ人に服従するアラブ人の全住民の有様である。彼は、この計画を、イギリスの保証を取り付けて、その煙幕の陰に隠れて実現しようと企んでいる》
ヴァイツマンは、イギリス政府に対して、シオニストの目標が四百万から五百万のユダヤ人からなる“ユダヤ人国家”であることを、明瞭に説明していた。ロイド・ジョージとバルファオアは、彼に対して、つぎのように保証した。《バルファア意思表示では、“ユダヤ人の国家的[national]郷里”という用語を使用するが、われわれは当然、それがユダヤ人国家[Etat]であることを了解する》
一九四八年五月一四日、テル・アヴィヴでベン=グリオンは、つぎの言葉で独立を宣言した。《パレスチナの内部[in]のユダヤ人国家は、イスラエルと名乗る》
ユダヤ人の間にも意見の相違がある。ベン=グリオンのように、世界中のすべてのユダヤ人にはイスラエルに来て住む義務があると信ずる者もいれば、アメリカにおけるユダヤ人の活動の方が、より重要だと思う者もいる。イスラエル自体との関係でも、後者の方が優勢である。アメリカとカナダからイスラエルに移住した三万五千人の内、イスラエルに定着したのは、わずか五千四百人のみである(『われわれは一体だ!/アメリカのユダヤ人とイスラエル』78)。
イスラエルは、ロビーの厚かましい圧力の効能あればこそ、国連の目こぼしを受けられるのである。
アイゼンハワー[第二次世界大戦でヨーロッパ戦線の最高指揮官、元帥、のち大統領]は、石油産出国のアラブ諸国の離反を望んでおらず、つぎのように語っていた。
《[アラブ諸国は]驚異的な戦略的エネルギーの源泉であり、世界の歴史上、最も巨大な富の宝庫の一つである》(『民族的連携と外交政策』)
トルーマンは、選挙に勝つために将来の不安を棚上げにして、彼の後継者たちと同じ姿勢を示した。
シオニスト・ロビーの勢力と“ユダヤ票”に関しては、トルーマン大統領自身が一九四六年、ある外交官たちの集まりで、つぎのように告白している。
《皆さんには申し訳ないが、私は、シオニストの成功を願っている何十万人もの人々の期待に応えなければならない。私の選挙民の中には、アラブ人は千人もいない》(『ローズヴェルトとイブン・サウド/中東のアメリカの友人たち』54)
元イギリス首相、クレメント・アトリーは、つぎのような証言を残している。
《アメリカのパレスチナ政策は、ユダヤ票と、いくつかの大きなユダヤ人企業の献金によって、具体化された》(クレメント・アトリー『首相の回想』61)
一九五六年には、イスラエルが、フランスとイギリスの指導者の支援を得て、スエズ運河を侵略したが、アイゼンハワー大統領は、ソ連と協調により、これを中止させた。
ケネディ上院議員[当時]は、この事件に対して、何らの熱意をも示さなかった。
一九五八年、ユダヤ人協会の“組織代表者協議会”は、議長のクルズニクに、大統領選挙の予定候補、ケネディとの接触を依頼した。クルズニクは、ケネディに対して、無遠慮に宣言した。
《もしも、あなたが、言うべきことを言うのであれば、私を当てにしても良い。そうしないのなら、あなたに背を向けるのは私ひとりではない》
その言うべきことについては、クルズニクが、以下のように要約してケネディに告げた。スエズ事件の時のアイゼンハワーの態度は最悪だったが、一九四八年のトルーマンの選択は正しかった、と。……ケネディは、彼が民主党の大会で大統領候補に指名された一九六〇年に、この“助言”に従った。彼は、ニューヨークで、ユダヤ人のお歴々を前にして立候補を発表し、五〇万ドルの選挙資金を受けとり、クルズニクを助言者にし、ユダヤ票の八〇%を確保した(前出『われわれは一体だ!/アメリカのユダヤ人とイスラエル』78)。
一九六一年の春、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで、ベン=グリオンと初めて会った時、ジョン・F・ケネディは彼に対して、こう語った。
《私は、アメリカのユダヤ人が投票してくれたお陰で選挙に勝てたことを、良く知っています。私は、選挙で恩を受けました。私がユダヤ人のためにしなければならないことを、おっしゃって下さい》(『ベン=グリオン/武装した予言者』に引用された『ロビー』の記述)
ケネディの後継者、リンドン・ジョンソンは、さらに先を行った。あるイスラエルの外交官が、こう記していた。
《われわれは重要な友人を失ったが、さらに良い友人を得た。……ジョンソンは、ユダヤ人国家がこれまでにホワイトハウスで得た最良の友人である》(『イスラエルの防衛線』81)
ジョンソンは、実際に、一九六七年の“六日間戦争”を強力に支えた。その後、アメリカのユダヤ人の九九%が、シオニズムのイスラエルを守った。
《ユダヤ人であるということは、現在では、イスラエルとの連携を意味する》(『現代のシオニズムの形成過程』81)
一九六七年一一月の国連二四二号決議は、戦争中の占領地区からの撤退を求めている。ドゥ・ゴールは、この侵略が行われたのちに、イスラエル向けの武器の輸出禁止を宣言した。アメリカの議会も、これに呼応した。ところがジョンソンは、一二月になるとAIPAC[前出]の圧力に屈して、輸出禁止を解除し、イスラエルが注文した戦闘機、ファントムを引き渡した(前出『民族的連携と外交政策』)。
この結果に鑑みて、イスラエルは、ヴェトナム戦争への批判をしなかった(アッバ・エバン『自伝』)。
一九七九年になって、ゴルダ・メイア[当時のイスラエル首相]が欧州連合を訪れた。ニクソンは、彼女を“旧約聖書のデボラ”[女性の予言者]と比較し、イスラエルの経済的発展(ブーム)へのお世辞を垂れまくった(『もう一つのアラブ=イスラエル紛争』85)。
ゴルダ・メイアは、国連決議二四二号の主な要素を再確認した“ロジャーズ提案”を拒否した(前出『イスラエルの防衛線』81)。
ニクソンは、さらに四五機のファントムをイスラエルに引き渡し、八〇機のスカイホーク爆撃機を追加した。
一九七〇年九月八日、ナセル[元エジプト首相]が死に、後継者のサダトは、イスラエルに平和を提案した。イスラエルの国防大臣、モシェ・ダヤンは、外務大臣のアッバ・エバンを差し置いて、その提案を拒否した。
そこでサダトは、一九七三年一〇月六日、のちにヨム・キップル戦争と呼ばれるようになった奇襲攻撃に成功し、ゴルダ・メイア夫人の評判を打ち砕いた。一九七四年四月一〇日、彼女は、モシェ・ダヤンとともに、辞任に追い込まれた。
にもかかわらず、アメリカ議会のユダヤ・ロビーはワシントンで、イスラエルの武装強化を加速する上での重要な勝利を得た。二〇億ドルの援助の予算が、競争相手のアラブ・ロビーとの戦いに備えるという口実で成立したのである(『エルサレムの戦士』)。
さらにウォール街のユダヤ人銀行による献金が、政府の援助に付け加えられた(前出『民族的連携と外交政策』および前出アッバ・エバン『自伝』)。
ヒュバート・ハンフリイ上院議員に一〇万ドル以上の政治資金を提供した二一人の内、一五人はユダヤ人だった。その筆頭格は、“ハリウッドのユダヤ人マフィア”の頭目、リュー・ワッセルマンだった。彼らは、通常、民主党の選挙資金の三〇%以上を提供していた(『ユダヤ人とアメリカの政治』74)。
AIPAC[前出]は、さらに活動を強めて、三週間の努力により、七六人の上院議員の署名を取りまとめ、一九七五年五月二一日、フォード大統領に対して、彼らと同じようにイスラエルを援助するよう申し入れた(『アラブ人・イスラエル人とキッシンジャー』)。
ジミー・カーターは、教えられた通りに動いた。ニュージャージー州エリザベス市のシナゴーグ[ユダヤ人教会堂]で、青いビロードのトーガをまとった彼は、こう語った。
《私は、あなた方と同じ神を敬う。われわれ(バプチスト)は、あなた方と同じ聖書を学ぶ》。そして彼は、こう結んだ。《イスラエルの存続は政治的な駆け引きの問題ではない。道徳的な義務だ》(『タイム』76・6・21)
この時期に、ベギンと宗教政党が、イスラエルの政権の座を労働党から奪った[訳注1]。彼の伝記には、つぎのように記されている。《ベギンは、彼自身のことを、イスラエル人である以上にユダヤ人だと考えている》(『ベギン/取り付かれた予言者』)
訳注1:ベギン[7代首相]は、典型的な極右・暴力優先主義者。本書にも出てくるイギリス植民相モイン卿を暗殺したウラジミール・ジャボチンスキー系統のヘルートを率い、一九七七年に政権を奪取、その後、群小極右政党を吸収し、リクード[統一の意]を結成した。ベギン以前は、すでに“ハアヴァラ商会”計画参加のイスラエル首相として本書にも登場したベン=グリオン[初・3代]、シャレット[2代]、エシュコル[4代]、メイア[5代]から、政権に返り咲いて二度目の勤めで暗殺されるラビン[6・10代]まで、すべて労働党。ラビンの前後は、シャミール[8代・リクード]、ペレス[9代・11代・労働党]、ネタニヤフ[12代・リクード]となる。ただし、労働党だから左とは限らない。イラエルの労働党も、アパルトヘイト時代の南アフリカ労働党と軌を一にする極右人種差別主義政党である。
一九七六年一一月、世界ユダヤ人評議会の議長、ナフム・ゴールドマンは、大統領と、彼の補佐官、ヴァンスとブルゼジンスキーに会うためにワシントンに出掛けた。彼は、カーター政権に、つぎのような予想外の助言を与えた。
《アメリカのシオニスト・ロビーと手を切れ》(『シュテルン』78・4・24)
ゴールドマンは、シオニスト運動に一生を捧げてきた。トルーマン時代から、“ロビー”の中心で重要な役割を演じてきた。その彼が今や、彼自身が創設した[アメリカ・ユダヤ人協会の]組織代表者協議会について、中東の平和を実現する上での“破壊的な圧力”であり、“主要な障害”であると語っているのである。
ベギンが権力の座に着き、ゴールドマンは、自分が築いた圧力団体が崩壊する危険を冒してまでして、ベギンの政策を地下から爆破しようとした。
六年後、この会見の参加者の一人、サイラス・ヴァンスは、ゴールドマンの助言の内容を認めて、こう語った。《ゴールドマンは、ロビーと手を切れと助言した。しかし、大統領と国務長官は、われわれには、そんな力はないし、下手をすると、反ユダヤ主義に市民権を与えかねないと答えた》(前出『ロビー』)
労働党と権力を分かち合っていたベギンは、シモン・ペレス[労働党]に代えて、モシェ・ダヤンを外務大臣に任命した。アメリカのユダヤ人の組織代表者協議会の議長、シンドラーは、この極右を優遇する政策転換を歓迎し、ダヤンは実用主義的だと強調する支持を表明した。ベギンは、しばらくの間、アメリカのシオニストを労働党の支持者と見なし、気にもかけていなかった。
しかし、アメリカの実業家たちは、ベギンに対するユダヤ人法師たちの影響力や、とりわけ、労働党の国家管理による干渉政策とは対照的なベギンの“自由企業”への執着振りに注目し、一九七八年のキャンプ・ディヴィッド協定を歓迎した。サダトは、イスラエルと単独和平協定を結び、ベギンに言わせれば“聖書の地”であるジュデやサマリアを含むヨルダン川西岸にはふれずに、同じくベギンに言わせれば“聖書の地”ではないシナイ半島だけを取り戻した(前出『『ユダヤ人とアメリカの政治』74)。
一九七六年、カーターはユダヤ票の六八%を得た。一九八〇年には、四五%しか得られなかった。この間にアメリカが、F15戦闘機をエジプトに売り、“エイワックス”[戦略戦闘爆撃機]をサウディ=アラビアに売ったからである。その際にアメリカは、それらの兵器がイスラエルに対して使われることはあり得ないと保証し、アメリカ軍がそれを管理し、現地情報を掌握すると約束した。
それでもカーターは一九八〇年、レーガンに負けた。レーガンは、カーターとは反対に、イスラエルに対する六億ドルの軍事資金貸し付けの二年間延長に同意した。
ベギンは、キャンプ・ディヴィッド以後、エジプトから背後を襲われる心配がなくなり、さらには、サウディ=アラビアのエイワックスを完全にアメリカが管理するという保証を得たので、予防戦争を実行する力があることをアメリカ人に見せつけた。ベギンは、日本がやった真珠湾攻撃や、イスラエルがエジプトの空軍基地を急襲した六日間の戦争の場合のように、イラクがフランスの協力を得て建設したオシラクの原子力発電所を、宣戦布告なしに、いきなり破壊した。
ベギンは、いつも同じ文句の聖なる神話の祈りを唱えていた。
《ホロコーストは二度と許さない》(『ワシントン・ポスト』81・6・10)
中東の状況悪化を恐れるアメリカ人の抗議が、あまりも小さいので調子に乗ったベギンは、一か月後の一九八一年七月一七日に、彼の説明によると、PLOの基地を破壊する目的で、ベイルートの西部を爆撃した。
レーガンは、その時、サウディ=アラビアに、八五億ドル分のエイワックスとミサイルを売る計画を発表した。もちろん、決してイスラエルへの脅威にはならないし、アメリカの管理は万全だという条件の下である。
アメリカの上院は、この経済的に結構な商売と、ペルシャ湾岸におけるアメリカの計画の強化を、喜んで承認した。サウディ=アラビアは、シリアやヨルダンの上空にエイワックスを飛すつもりはないし、当然、イスラエルの上空を飛せたりはしないと約束した(『ファクツ・アンド・ファイルズ』81・9・20)。
相も変わらず旧約聖書の伝説の“偉大なイスラエル”の幻想に取り付かれたベギンは、労働党が始めたヨルダン川西岸の入植地へのイスラエル人の移住を熱心に継続した。カーターは、これを“違法”であり、国連決議二四二号と三三八号に違反していると宣言した。ところが、レーガンはイスラエルに、ペルシャ湾岸の石油に対するソ連の狙いを防ぐ役割を見ていた。一九八一年一一月、ベギン政権の国防大臣、アリエル・シャロンは、アメリカの同役、カスパー・ワインバーガーと会見し、彼と一緒に、ペルシャ湾岸に対してのソ連の脅威の、すべてを封殺する“戦略的協力”計画を作り上げた(『ニューヨーク・タイムズ』81・12・1)。
一二月一四日、ベギンはゴラン高原を併合した。レーガンは、この新しい国連決議二四二号への違反行為に抗議した。ベギンは反抗した。《わが国はバナナ共和国か? 貴国の属国か?》[いつでもアメリカの言いなりになる中南米の弱小国とは違うという意味](『ニュー・リバブリック』82・6・16)
翌年、ベギンは、レバノンを侵略した。アメリカの統合参謀本部長、ヘイグ将軍は、この侵略に青信号を出した。ベイルートには、キリスト教徒の政府が実現した(『イスラエルのレバノン戦争』84)。
アメリカ人で、この侵略を批判した者は少数だった。それは、イスラエル人がアメリカのヴェトナム侵略に対して取った態度と同様だった。しかし、サブラやシャティラでの虐殺が、シャロンやエイタンの目の前で行われ、共犯関係にあったことが知れ渡り、テレヴィの映像が与えた印象が増幅されると、ユダヤ・ロビーも沈黙を守り続けるわけにいかなくなった。
世界ユダヤ人評議会の副議長、ヘルツバーグと、かなりの数の法師たちが、一九八二年八月に、ベギンを批判した。ベギンは、テレヴィで彼を批判したシンドラー法師を、《ユダヤ人である以上にアメリカ人》だとして非難した。彼の子分の一人は、シンドラー法師を、《裏切り者》として告発した(「アメリカのユダヤ人とイスラエル/その分裂」『ニューヨーク・タイムズ』82・10・18掲載記事)。
AIPAC[前出]スポークスマンは、自分と同様に侵略を容認している人々の戦略を、つぎのように説明した。
《われわれは、イスラエルへの支持を右翼から強めることを望んでいる。“ヨルダン川西岸”[不法占領地]で起きていることなどは気にせずに、むしろ、ソ連を相手にする人々と協力する》(前出『ロビー』)
この折には、キリスト教徒のシオニストも、イスラエルの侵略を支持した。彼らの指導者のジェリイ・ファルウェルは、ユダヤ人が六百万人しかいない国の中で、《アメリカの六千万人のキリスト教徒を代表する者》とベギンから呼ばれ、シオニストとしての最も高い栄誉を受けた。イスラエルに対する協力に対して、ジャボチンスキー賞とともに、イスラエル国家から一億ドル、スワッガート基金から一億四千万ドルが授与された(「力、栄光……政治」『タイム』86・2・17掲載記事)。
経済力は、その結果としての政治力とともに、何でも売り買いの対象となる世界の中で、ますます決定的となる。
一九四八年以来、アメリカはイスラエルに、二八〇億ドルの経済および軍事援助を供給してきた。
第1節:アメリカのイスラエル=シオニスト・ロビー-2/2
[外部資金による“偉大なイスラエル”への野望]
イスラエルには、外部からの資金が溢れるように流入した。
1、ドイツとオーストリアからの“賠償”。
2、アメリカからの無条件な贈与。
3、“ディアスポラ”からの献金。
これらの流入資金に力づけられて、イスラエルの指導者たちは、外交政策の中で、“偉大なイスラエル”の実現という途方もない野望を抱くことができた。
その野心の正確な証言となる論文が、エルサレムで発行されている世界シオニスト機構の機関評論誌、『キヴーニム』(指針)[前出。14号、82・2]に掲載されていた。論文の題名は、「一九八〇年代のためのイスラエルの戦略計画」であり、つぎのよう主張が述べられている。
《中央集権的機構として見た場合、エジプトは、特に、ますます深まるイスラム教徒とキリスト教徒の間の対立を勘定に入れると、すでに死体同然である。西欧の最前線におけるわれわれの一九九〇年代の政治的目標は、エジプトを明確に、その地理的条件にもとづく各州ごとに分割することでなければならない。
ひとたびエジプトが、このように分解して中央権力を失うならば、スーダンや、リビアや、その他の離れた国々も、同様の崩壊に至るであろう。上エジプトにコプト人の国家が形成されたり、その他、さして重要な力を持たない地方政権が生まれたりすることは、歴史的な発展への鍵であり、現在は平和協定の締結によって速度が緩まってはいるものの、長期的に見て避け難い必然的な結果である。
西部戦線の状況は見掛けとは違って、東部戦線と比べれば、はるかに問題が少ない。レバノンが五つの地方に分割されている状況は、アラブ世界全体が経験する将来の予告である。シリアとイラクの、民族的または宗教的な基準で決定される各地方への爆発的な分裂は、長期的に見ると、イスラエルに最も有利な到達目標であり、その最初の段階は、両国の軍事力の破壊である。
シリアは、民族的構成が複雑なために、分解の危険にさらされている。やがて、長い海岸線に沿ってシイア派の国、アレプ地方ともう一つはダマスカスにスンニ派の国、ドゥルーズがまとまれば、彼らには……とりあえず、われわれが支配するゴラン高原に、……いずれはフーラン地方とヨルダン北部を含む地域に、自分たち国を希望する権利がある。……このような国家の成立は、長期的に見て、この地域の平和と安全を保障するものである。これらは、すでにわれわれの射程距離内の目標である。
石油資源は豊富だが内部抗争に苦しむイラクは、イスラエルの照準線内にある。イラクの分裂は、われわれにとって、シリアのそれよりもさらに重要である。なぜなら、イラクこそが短期的に見て、イスラエルに対する最も危険な脅威を代表しているからである》(『キヴーニム』14号、82・2)
この記事の原文はヘブライ語だが、その全文のフランス語訳が、拙著『パレスチナ・神の伝言の土地』(86)に収録されている。
この膨大な計画の実現のために、イスラエルの指導者たちは、アメリカの無制限の援助を思い通りに使った。レバノン侵略の最初の襲撃に投入した五〇七機の内、四五七機は、ワシントンの贈与と同意による貸し付けのお陰で、アメリカからの購入が可能になったものである。アメリカ人のロビーは、シオニストの“ロビー”の圧力の下で、自分たちの国の利益に反しても、あえて、必要な財源の獲得を引き受けた。
『キヴーニム』の計画の目標は、極めて遠大で非常に危険な対立に満ちていたが、イスラエルのロビーは、作戦の実現をアメリカに託すことに成功した。イラクに対する戦争は、その最も戦慄すべき実例の一つである。
《二つの有力な圧力団体が、紛争に際してのアメリカの攻撃開始を推進する。
第一は、“ユダヤ・ロビー”である。なぜなら、サダム・フセインの除去とは、とりもなおさず、最も強力なアラブ人国家による脅威の粉砕だからである。……アメリカのユダヤ人は、大西洋周辺のメディアの仕組みの中で重要な役割を演じている。大統領と議会とが常に緊張関係にあるため、ホワイトハウスは、メディアを握る彼らの願望に対して最も敏感に反応せざるを得ない。
第二は、“財界ロビー”である。……彼らは、戦争が経済を活性化させる効果を考える。第二次世界大戦と、あの膨大な軍需は、アメリカにとって、一九二九年の世界恐慌以来まだ抜け切れなかった危機に、終止符を打ってくれるものだったのではなかっただろうか?
朝鮮戦争は、その後に、また新しいブームをもたらしてくれたのではないだろうか?
幸多き戦争よ、なんじはアメリカに繁栄をもたらすであろう……》(『フィガロ』90・11・5)
《アメリカ=イスラエル公事委員会(AIPAC)の政治的影響力は、いくら高く評価しても、し過ぎることはない。
……彼らは、一九八二年から一九八八年の間に、四倍以上(一九八二年には一六〇万ドルが、一九八八年には六九〇万ドル)に増えた予算を思い通りに処理している》(『ウォール・ストリート・ジャーナル』87・6・24)
[二重の忠誠心による下院と上院の政治への支配]
シオニスト指導者たちは、彼らのロビーのこのような役割を隠さない。ベン=グリオンは明確に、こう宣言している。《アメリカであろうとも、南アフリカであろうとも、ユダヤ人が仲間のユダヤ人に“われわれの”政府と語る時、彼はそれをイスラエル政府だと理解している》(『再び誕生したイスラエルの運命』54)
ベン=グリオンは、世界シオニスト機構の二三回総会で、外国にいるユダヤ人の義務を、つぎのように、あけすけな率直さで正確に語った。
《すべてのシオニスト組織には、住む国の違いはあっても、集団的な義務があり、いかなる状況にあろうとも無条件でユダヤ人国家を援助しなければならず、たとえ、その振舞いが、それぞれの住む国の当局の意図と矛盾したとしても、それに左右されるべきではない》(ベン=グリオン「現代のシオニストの課題と特徴」『エルサレム・ポスト』52・8・17および『ユダヤ電報通信』51・8・8掲載記事)[原注1]
原注1[改訂版での増補]:半世紀経っても、この態度はまったく変わっていない。フランスの大法師、ジョセフ・シトルクは、エルサレムでイスラエル首相のイツァク・シャミールに対して、こう言明した。《フランスの個々のユダヤ人がイスラエルを代表している。……フランスの個々のユダヤ人が、あなたがたが守ろうとしているものの守り手であることに、確信を持たれたい》(『ラディオ・イスラエル』90・7・9放送、『ル・モンド』90・7・12&13再録)。
フランスのユダヤ人社会の日刊紙、『ジュールJ』(90・7・12)では、つぎのように付け加えていた。
《私の心の中には二重の忠誠心などという考えは、まったくない》
この問題に関して、これほど完璧な騙しっぷりが、ほかに考え出せるだろうか?
他のすべての宗教と同様に尊重されてしかるべき宗教としてのユダヤ教と、政治的シオニズムとの、このような混同は、イスラエルの神の代わりにイスラエル国家への無条件の忠誠を要求するものであって、実際には反ユダヤ主義に根拠を与えることになる。
アメリカ国務省は、これに反論せざるを得なかった。“ユダヤ教アメリカ評議会”が一九六四年五月七日に公表した同評議会宛ての手紙の中で、国務長官のタルボットは、アメリカの憲法の原理まで持ち出していた。シオニスト指導者たちの要求は、その憲法の原理に対する挑戦になっているので、タルボットは、自分の国とイスラエルとの関係を考え直さざるを得なかった。彼によれば、アメリカは、《イスラエル国家の主権と、イスラエル国家の市民の権利を、十分に尊重している。アメリカが、これほどに、その主権と市民権を尊重している例は、他にない。アメリカでは、市民の宗教的立場を基礎とした政治的および法律的関係は尊重しないし、市民を宗教によって差別しない。結果として明瞭なことは、国務省が“ユダヤ民族”という概念を、国際法の概念として尊重することはできないということである》(『ユダヤ民族の終末』56)
だが、これは、まったく効果のない形ばかりの声明である。この法律的な指摘に対して、ロビーは何の反応も示さなかった。
ポラード事件は、その実例の一つである。
一九八五年一一月、戦闘的なシオニストのアメリカ人で、海軍総司令部の分析官だったジョナサン・ポラードは、自宅に、いくつかの秘密文書を持ち帰った容疑で逮捕された。FBIの尋問を受けて、彼は、一九八四年の初めから、これらの文書をイスラエルに渡して、五万ドルを受けとったことを認めた。
《ポラード事件は、何の原因もなしに突然起きたのではない。この事件は、厚かましい態度を許し、過度の依存を特徴とするアメリカとイスラエルの間の、……不健全の度を増し続ける現在の仕組みに……深く根差している。
この状態が作られたのは一九八一年である。この年、レーガン[前年の一九八〇年に大統領に初当選]政権は、イスラエルの自衛を口実とする軍事的冒険に対して、世間が“白紙委任状”と呼ぶ無償贈与の援助を与えた。
……その最初の結果は、レバノン侵略だった。
……このようなワシントンの、ご機嫌伺いの姿勢が、エルサレムの傲慢さを増長させるに違いないことは、誰も目にも明らかだった。……良く知られているように、緊密すぎる依存関係からは、恨みに満ちた攻撃的な憎悪の情が泌み出す。……イスラエルに関する問題では、この攻撃性が無思慮な態度を取らせて、一方ではチュニスへの奇襲攻撃を生んだ。ポラード事件は、もう一方の現われ方なのであろう》(『ワシントン・ポスト』85・12・5)
《ここ何十年か、アメリカのユダヤ人たちは、アメリカの世論に働き掛けて、彼らのイスラエルに対する無条件の支持が、彼らのアメリカに対する忠誠心には影響しないと、信じてもらえるように努力してきた。現在、この点で、彼らに信頼を託せるかどうか、難しい局面を迎えたように思える。“二重に忠誠心”について語る声の方に、人々が快く耳を傾けるようになっている》(『ハアーレツ』85・12・1)
イスラエル=シオニスト・ロビーがアメリカ政府に働き掛けて、イスラエルの政策には有益だが、アメリカの利益には反する態度を取れせた例を挙げれば、まさに枚挙に暇がない。ここでも、いくつかの例を挙げてみよう。
上院外交委員会の委員長、フルブライト上院議員は、彼らの秘密活動を明るみに出すことを目的として、主要なシオニスト指導者たちの委員会への呼び出しを決定した。彼は、一九七三年一〇月七日に放送されたCBSの『フェイス・ザ・ネイション』のインタヴューに答えて、その調査結果の要約を語った。
《イスラエルは、下院と上院の政治を支配している》。彼はさらに付け加えた。《われわれの上院の同僚たちの約七〇%は、彼ら自身が自由と正義の原理にもとづいて抱く理想に従うよりも、ロビーの圧力に従って意見を決定している》
つぎの選挙で、フルブライトは上院の議席を失った。
フルブライト上院議員の調査以後にも、シオニスト“ロビー”は、アメリカの政策に対する旺盛な働き掛けを強め続けた。アメリカの下院で二二年間も議席を確保し続けてきたポール・フィンドレイは、一九八五年に発表した著書、『彼らは遠慮なく語る』の中で、シオニスト“ロビー”の実際の機能や、その影響力の強さを描き出した。この事実上の“イスラエル政府の出店”は、下院と上院、合衆国の大統領、“国務省”とペンタゴン、“メディア”はもとより、教会と同じ程度に大学までも支配している。イスラエルの要求が、どのようにして、アメリカの国益よりも優先されるのかを示す証拠と実例は、溢れるほどある。
一九八四年一〇月三日、下院は、商務省およびその関係組織による不利な報告を押し切り、九八%の賛成によって、イスラエルとアメリカの間のすべての通商制限を解除した(同前)。毎年、すべての他の項目の予算が縮小された場合でも、イスラエルに対する財政融資は増加し続けた。最も重要な機密文書のほとんどがイスラエル政府の手に渡るほどのスパイ活動が続いていた。
大統領候補だったこともあるアドレー・スティーヴンソンは、『フォーリン・アフェアズ』(75〜76冬)に、つぎのように書いた。
《実際問題として、イスラエルに関する決定は、いかなる場合でも行政の段階では、公開されず、議論もされなかった。イスラエル政府にも同様に知らされなかった》(同前)
レバノンで明白な侵略行為を繰り広げているイスラエルに、民間人を対象とする兵器の炸裂爆弾を供給する件では、アメリカの法律にもとづいて国防総省長官が禁輸解除に反対したのに、イスラエルは、これをレーガンから獲得し、ベイルートへの二度の奪回作戦で住民の虐殺に使用した(同前)。
一九七三年、アメリカの提督で三軍の司令長官、トマス・ムーラーは、つぎのように証言した。ワシントン駐在のイスラエルの武官、モルデハイ・グル(のちのイスラエル軍最高司令官)[一九九七年現在、国防大臣]は、彼に対して、アメリカが“マヴェリック”と呼ぶ非常に精巧なミサイルを装填した戦闘機を供給するように要求した。ムーラー提督の記憶によると、彼はグルに対して、こう答えた。《この戦闘機を供給するのは不可能だ。われわれも一中隊分しか持っていない。しかも、これはわれわれが議会に対して、ぜひとも必要だと誓って獲得したものなのだ》。するとグルは、こう応じた。《その戦闘機を回してくれ。議会の方は、私が面倒を見る》。といった次第で、と提督は続けた。《たったの一中隊分だけしかなかった“マヴェリック”を装填する戦闘機は、イスラエルに渡ってしまった》(同前)。
[一三年間も極秘扱いされたアメリカ軍艦への攻撃]
一九六七年六月八日、イスラエルの空軍と海軍は、精巧な電波探知機を備えたアメリカの軍艦、“リバティ”を攻撃した。その目的は、ゴラン高原への侵略計画を察知させないためだった[訳注1]。
三八人の乗組員が死に、一七一人が負傷した。イスラエルの飛行機は、“リバティ”の上空を六時間に渡って飛び、爆撃は七〇分も続いた。イスラエル政府は、これを“間違い”だったと謝罪し、事件は一定期間の極秘扱いとなった。真相が初めて公式の場で復元されたのは、一三年後の一九八〇年である。当時の状況を調査するための委員会が、アイザック・キッド提督を議長として開かれた。そこで確認された目撃証人の一人、“リバティ”の甲板将校、エネスの証言によって、“間違い”だったという公式の説明は崩壊した。エネスは、攻撃が周到な計画の下に行われたものであり、殺人であることを立証した。トマス・L・ムーラー提督は、エネスの報告書がシオニストの画策によって封じ込まれたと証言し、この犯罪行為がなぜ見逃されたのかを説明した。《ジョンソン大統領は選挙に際してのユダヤ人の反応を恐れた。……》。提督は、さらに、こう付け加えた。《アメリカ人は真相を知ったら怒り狂っただろう》(同前)
訳注1:巻末紹介の『ユダヤ人に対する秘密の戦争』によると、当時のアメリカ国防総省安全保障局(NSA)はエジプトのナセル大統領に肩入れし、ゴラン高原向けに兵力を割こうとするイスラエル軍の動きを電波探知で分析してキプロス島のイギリス軍基地に送る過程で、実質的にアラブ軍にリークしていた。イスラエルは、その事実経過をNSAに潜入していたモグラ情報によって逐一知っており。いざとなればアラブ荷担を暴露する構えで“リバティ”を攻撃したため、アメリカは沈黙せざるを得なかった。
一九八〇年、アドレー・スティーヴンソンは、イスラエルへの軍事援助の予算を一〇%削減する修正案を推進した。その目的は、占領地区内の入植地建設を止めさせることにあった。その際、世界中で三〇億人が飢えに苦しんでいる状況には構いもせずに、アメリカの対外援助の四三%が人口三百万人のイスラエルに与えられ、軍備増強に使われていると指摘した。
アドレー・スティーヴンソンは、こう結論する。
《イスラエルの首相は、中東に関するアメリカの外交政策に対しては、自分の国に対してよりも、遥かに強い影響力を持っている》(同前)
[“わがままなだだっ子”の決め手は殺しの脅迫]
[この項の大部分は改訂版での増補]
まだまだ溢れるほどの実例がある
《ラビン氏は、一九六七年以来の占領地の自由奔放な併合というイスラエル労働党好みの戦略〈“土地を一坪に続いて一坪、山羊を一匹に続いて一匹”〉を長期にわたって放棄してきたが、この町への植民によるユダヤ化計画を加速する時期が来たと判断して、すでに一九六七年から三分の一をユダヤ人のみの専有と定めていた東エルサレム地区内で、五三ヘクタールの土地を没収した。到達目標は、一九九六年と予測されている和平交渉に際して、“交渉の余地なし”という既成事実を作り出すことにある。
この新しい挑発行為は、アラブ諸国からの激しい抗議を招いた。その上に、一九九〇年にも一度、イスラエルを“わがままなだだっ子”だと批判したことのあるドール上院議員が、エルサレムからアメリカの大使を召喚せよと提案したことによって、さらに深刻な事態となった。アラブ諸国は、フランスが独自に五月二日に行ったのと同様に、国連の安全保障委員会を緊急に開催せよと要求した。同委員会での採決の結果、一五の理事国の内、一四か国が、ラビンに対して土地の没収計画を撤回せよと求める決議案に賛成した。残る一か国のアメリカは、一九七二年以来で三〇回目を数えるイスラエル支持の拒否権行使を決定した。……
このようなアメリカの孤立状態は、トマス・フリードマンのようなアメリカのロビーの代表者を、不安に陥れている。彼は、『ニューヨーク・タイムズ』(95・5・15)に、つぎのような意見を寄せている。〈最も重大な問題はエルサレムの国際管理規則との関係ではない。エルサレムは、とにもかくにも、イスラエルの首都であり続けるだろう。……重大なのは、アメリカが、イスラエルとアラブとの紛争の唯一の仲介者として、パレスチナ人との交渉を指導するだけの信用を維持できるどうか、ということの方ではないのだろうか?〉》(『ハアーレツ』95・5)
アメリカ=イスラエル公事委員会(AIPAC)の年次総会に招かれて出席したクリントン大統領は、アメリカのイスラエルに対する目一杯の軍事援助について、つぎのように強調した。
《アメリカ合衆国は約束を守った。イスラエルの軍事的な力は、これまで以上の最も“鋭い”状態にある。航続距離の長い世界で最優秀の戦闘機、F15Iを売ることにも同意した。湾岸戦争後に始まった二百機の戦闘機と戦闘ヘリコプターの引き渡しも続けている。すべての新型のミサイル攻撃からイスラエルを防衛することができる“アロウ”の生産に向けて、三五億ドルの予算を組んだ。複数のロケット弾の発射が可能な超近代的システムも、イスラエルに対しては輸出禁止を解除する。
……イスラエルにおける高度技術の能力を高めるために、スーパー・コンピュータを供給し、アメリカの宇宙ロケット発射装置の状況に関する情報アクセスを許可したが、これは、アメリカがいまだかつて行ったことのないことである。
……われわれの戦略と情報に関しての協力関係は、同じく、いまだかつてなく緊密である。われわれは何年も掛けて、大規模な共同の機動演習を行い、イスラエルにあらかじめ軍需物資を備蓄できる設備を拡張してきた。ペンタゴンは、イスラエルの部隊に高度技術の物資を供給するために、三百万ドルの購入契約に署名した……》(『中東インタナショナル』95・5・26)
[ここまでで、この項の改訂版での増補は終了]
すべての手段は、シオニスト“ロビー”にとって善である。予算に関する圧力から、精神的な強請に至り、メディアや編集者によるボイコットなどは、お安い御用で、決め手は殺しによる脅迫まで揃っている。
ポール・フィンドレイは、つぎのように主張していた。
《イスラエルの政策を批判する者は、苦しく絶え間ない復讐に悩まされ、イスラエル・ロビー・によって、収入の道さえも閉ざされる。大統領も彼らを恐れる。議会は彼らの要求のすべてに応じる。最も有名な大学では、彼らに反対する講義がまるで組まれていない。メディアの大物と軍の首脳は彼らの圧力に屈している》(『下院公聴会記録』パート9、63・5・23)
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