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2006年8月


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箱根駅伝とは−歴史−


公式プログラムの歴史

 箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から84年も前のことである。
 創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との熱い思いだった。
 金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。

写真:ゴール写真集ゴール:25回

第35回六郷橋を渡る中大選手

 そうした中で、1917年(大正6)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
 読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都—東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。
 東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の“原型”となった。

 「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じたというのが、創設のいきさつである。
 第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものだ。
 箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが実を結んだものでもあった。
 当時は、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終わったばかり。
 工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。
 スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。

写真:第55回瀬古の力走


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