小説「鋼の錬金術(1) 砂礫の大地」 原作/荒川弘 著者/井上真

 

  プロローグ

 荒れ果てた黄土色の大地。
 その一角に、女の子が伏せっていた。
 年の頃は、七〜九歳くらいだろうか。ぱっちりとした瞳。桃色の唇。二つに結ばれた肩まで伸びたブラウンの髪。笑った顔はさぞかし可愛いだろうと思わせる。
 だが今、彼女の頬は強張って震えていた。泣くまいと我慢はしているが、瞳は潤みきっている。
 彼女の下半身には、鉄製の台車が覆い被さっていた。
「…う…」
 地面には棒で描いた絵がいくつかあり、彼女がつい先ほどまでここで遊んでいたことが分かる。だが、いつものように彼女がトロッコに寄りかかった時、それは今日に限ってぐらりと倒れてきたのだった。
 声を上げて泣きたいのを我慢しながら顔を上げる。這い出そうと試した結果できてしまった擦り傷を腕に見つけて、彼女はついにしゃくりを上げた。
 動く上半身を必死に曲げて見つめる先には、土埃に霞む家々が見えた。
「…パパァ!」
 懸命に叫ぶが、その声は届かない。
 誰も気づいてくれなかったらどうしよう、そう思った途端、小さな胸を恐怖が満たした。
「うわ〜〜〜〜〜んっ」
 堰を切ったように泣き出す彼女の頬に、涙がいく筋も流れる。零れた涙跡に土がこびりついた。
「パパ〜!」
 その時、汚れた顔に影が落ちた。
「…大丈夫。すぐに助けてあげるから、泣くな」
 突然の声に驚いて顔を上げた少女の瞳に、太陽を背にして立つ姿が映った。
 逆光で風貌は見えないが、身体つきと声の感じで少年であることが分かる。
「ちょっと待ってな」
 少年はそう言うと、下を覗き込んだ。
「痛くないか?」
 トロッコを少しだけ押して少年は聞く。
「…うん」
「トロッコと地面の間に鉄骨がある。丁度その間に挟まってるだけだよ。大丈夫、足は怪我してないみたいだ」
 鉄製のトロッコは、中になにもなくても充分に重い。大きな石を載せて走るものだ。頑丈に出来ている。そんなものが少女の下半身にまともに乗ったら大怪我しているところだ。彼女が助けを呼ぼうと上半身だけでも動かせたのは、トロッコを支える鉄骨が間に挟まっていたからである。
「今、どかしてやるから」
 重いトロッコを前に、少年は事も無げにそう言った。トロッコを思い切り押すかなにかするのかと少女が見守る前で、少年は一歩下がった。
「じっとしてな」
 少年の両手が、勢い良く合わさる。手と手を合わせる小気味よい音。続いて少年の手がトロッコの脇に突き出た鉄骨に触れた。
「……?」
 なにをしてるのだろう、と思った途端、身体の上の圧迫感がふいに消えた。
 自分の足を振り返った彼女の目の前で、トロッコが弾かれたように向こう側へ倒れていく。そして、足の横には見慣れない鉄の柱。それは、確かにトロッコの下に挟まっていたものなのに、今は空に向って飛び出したように立ち上がっている。
 まるで、地面から飛び出した棒がトロッコを跳ね上げたように。
「…?」
 なにが起きたのか分からないままの少女の足元に少年が膝をついた。
「…うん、擦り傷が少しあるだけだ。良かったね、大きな怪我がなくて」
 笑った少年の顔が太陽に照らされた。その顔は少女の知る町の誰かではない。
「…お兄ちゃん、誰?」
 少年は額にかかった金髪を払いのけながら、笑顔を見せると手を差し出した。
「エドワード・エルリック、だ。よろしく」
 彼女に向けられた銀色の瞳が、太陽の光を受けて輝いていた。


第一章 金の髪


「本当にここでいいのか?」
「多分…」
「聞いてた話と違うぞ?」
「そうだね」
 立ち尽くした二人は、揃って地図を見る。
「…ここで、合ってるよなあ?」
「うん。駅のおじさんもこのレールの先にあるって言ってたしね」
 まっすぐに続くレール。その線上を歩いていた二人は足元を確かめる。靴の下で、レールは確かにまっすぐ先へと続いていた。
「…緑の絨毯を進め。辿り着くのは希望の地。そびえる山は金色に輝く…か」
 そう呟くとエドワードは眼前の土地を見渡した。
「金鉱の町ゼノタイム。とてもそうは見えないな」
「そうだね…」
 隣に立つ、アルフォンスも同意する。
 長い金髪を後ろで編み、小柄な身体に黒い服、白い手袋、赤いコートを纏っている少年は、名をエドワード・エルリックという。髪と同じ色をした金色の瞳。意思の強さを表わすようにすっきりとした眦が印象的だ。一見するとただの生意気そうな少年だが、人にはそうそう言えない重い過去を背負っている。その経歴の果てにあるのが、機械鎧の右手と左足だった。
 その横に立つのは、アルフォンス・エルリック。エドワードの弟である。
 アルフォンスは全身青銅色の鎧に包まれたいでたちである。その中にエドワードより一つ下の少年が入っているとは想像しにくい。実際、鎧の中は空洞である。彼を彼たるものに至らしめているのは、鎧の内側に描かれた血文字であった。アルフォンスの魂もそれによって繋がれている。
 この大きな鎧と対比するとエドワードはずっと小さく、まわりから見るとこの鎧を着た少年の兄だとは思えない。もっとも、エドワード自身の対比として、同じ年頃の少年を連れてきたとしても、小さく見られるのに違いはないのだが。
「…結構歩いたけど、誰にも会わなかったな」
 エドワードは後ろを振り向く。
 レールの向こうには、駅がぼんやりと見えた。前を見れば、同じようにレールが伸び、町へと吸い込まれている。二人が町を目指して歩く間、すれ違う人はおろかトロッコがレールを走ってくることもなかった。
 金の町ゼノタイム。エドワードたちの知っている話では、信じられない程に金が取れる山があるということ。金細工の技術が素晴らしく、ゼノタイムの金細工といえば、高額な値段で売り買いされる、ということだ。以前は緑豊かで農業がさかんだった町は、金が見つかった当初、揺れる草の間に金が光っている、とまで言われた楽園のような土地らしい。金が発見されてから大分たっているとはいえ、その豊かな大地の片鱗は拝めるだろうと二人は思っていた。
 だが、実際見えるのは、茶色の世界。
 二人が道しるべにしたレールも錆びつき、朽ちかけた枕木が横たわっている。風が吹くたび舞い上がる土が、遠くに見える家々を霞ませていた。そして、その向こう側には奇怪なものがそびえていた。もとは大きな山だったのだろう。だが、今は切り崩され、削られ、薪を割ったような巨大な縦長の岩が、何本か立っているようにしか見えなかった。
 レールの脇に放り出されたトロッコや、数え切れないほどの岩や土砂利の山。そのまわりに立つ鉄骨。荒れた雰囲気は否めなかった。
 茶色の大地の上で、ぶらさがった滑車が、風が吹くたびカラカラと揺れていた。
「見ろよ、これ。随分使われていないみたいだ」
 エドワードは、赤く錆びた塔をつついた。
「今にも崩れそうだよな。指一本で倒せたりして」
 はは、と笑ったエドワードに押されるままに、塔がゆっくりと傾く。
「あ」
 本気で倒すつもりはなかったのだが、すでに遅い。
 キイィィィィィ………ドォォォン………。
 塔は、力尽きたかのように倒れてしまった。
「………」
「…崩れそうっていうか、崩したね、兄さん」
 この塔は放置しているのだろうと勝手に思い込んではいるが、まだ使っている可能性もないとは言えない。
「…錆びてたし、使ってないよな?」
 しまった、という顔をしながら同意を求めるエドワードに、アルフォンスはうなずきながらも優しく答える。
「でも、町から聞こえるあの音は、まだ採掘はしている感じだよね」
 耳をすませば機械の稼動する音と、山を削る音が風に乗って聞こえてきていた。となると、このことが知られたら、町の物を壊した二人はいい印象を抱かれないだろう。旅先でわざわざ問題を自ら提供するのは馬鹿らしい。
「兄さんたら、そういうトコ相変わらずだよね。気をつけてよ」
 まるで小さい弟を注意するようにアルフォンスに言われて、エドワードは肩を竦めた。
「とりあえず、直しとくさ」
 手にしたトランクをアルフォンスに突きつける。
「崩れそうなものに、わざわざ手を出す人なんてそうそういないよ、もう」
 そう愚痴るアルフォンスの前で、エドワードの両手が勢い良く合わさった。
 崩れた塔の一点に、空気が収縮したかのように見えた。その一瞬後に弾けるように大気が振動し、光が飛び散る。
「…一丁あがり。さ、行こうかアル」
 霧散した光が消えると、エドワードはトランクを持ち直し、歩き出す。追いかけるアルフォンスの後ろで、そっくり元のまま、塔が建っていた。

 やっと着いた町の入口には、何軒もの朽ちかけた家があり、窓枠や土台は地面と同じように土色に変わっていた。それでも町の真ん中辺りまで進むと、活気が感じ取れるようになる。人々の話し声や、岩を叩く音。店には「オープン」の札がかかり、窓からは豪奢な金細工の商品が見て取れた。
 エドワードはゆっくりと走って行くトロッコを目で追う。
「この寂れた町にオレ達の探すものがあるといいけどな」
「どうだろうね。異常に金が発掘されると聞いたから、もしかしたらと思っていたけど…それにしては荒れ果ててるね」
「大量の発掘は、ただの偶然みたいだ。金が無限に生まれたわけじゃないのかも」
「…じゃあ、戻る?」
「まさか。決めただろ。しらみつぶしに探すって。「そうかも」や「そうらしい」かは、行って確かめるさ」
 エドワードの瞳が強い意思を秘めて煌く。その揺るぎない決意にアルフォンスも大きくうなずいた。
「そうだよね」
「そうさ」
 互いの意思を確認し合った二人は、とりあえず一息つくために町の中心にある食事屋へと入って行った。
 店には、十個ほどのテーブルがあり、採掘で土にまみれた男達が数人座ってコーヒーを飲んでいた。彼らに、どーも、と挨拶しながら二人は席につく。
「見ろよ、アル。金細工の平面図だ」
 エドワードは壁に張られた紙を指差した。
「この完成品をどっかの金持ちが買ったんだってさ」
「凄いねぇ」
 アルフォンスは感嘆する。
 豪奢に、そして、緻密に描かれた図は、完成品がどれだけ素晴らしいものか、見る者の想像力を刺激する。壁には何枚もの図面が貼られており、店に来た旅行者にこの町の技術を知らしめるには充分だった。
「うわ、凄い値段だ。えっと、一、十…」
 一枚の図面に顔を近づけて見入っていたエドワードは、下に書かれた売買時の価格を見つけて、ゼロの分だけ指を折る。
「百…五百…五百万センズ!? ホントかよ」
 べたりと壁に張り付いて数字を数えるエドワードの隣で、アルフォンスは落ち着いて壁をゆっくりと見る。
 繊細な模様のついた大きな器や、短い足のついた小さなテーブル。黒いペンで描かれたそれらが本来は金色だと思うだけで目が眩みそうだ。欲しいとは思わない。だが、目を奪われる図面ではある。
 アルフォンスは、一番大きな図面に見入る。それも素晴らしい細工だった。
「金細工なんて、贅沢品なだけかと思ってたけど……」
「芸術品でもあるだろう?」
 まさに言おうとした言葉を当てられて、アルフォンスは声の主へと目を向けた。
「注文、なんにするかい?」
 そう二人に笑顔を向けたのは、顎に髭のたくわえた、ひょろりと背の高い男だった。店の主人であるらしく、エプロン姿がさまになっている。
「いらっしゃい。旅の人だね? ここの金細工も素晴らしいが、うちのチキンの香草焼きもなかなかだよ」
 主人が屈託なく笑うと、店にいた他の者たちがそれぞれのテーブルから話し掛けてくれた。
「旅の人、それを頼むのがいいよ。香草焼き以外は、おススメできない」
 誰かが言うと、店の中に笑い声が溢れた。
「この前の煮付けは、とても食べられたモンじゃなかったしなぁ」
「わはは、そうそう」
 主人は気にしたふうもなく、コーヒーカップを取り出す。
「なぁに、いずれレシピも増やすさ。注文は香草焼きでいいかい?」
「じゃあそれを下さい。あとパンも」
 エドワードの注文を受けて、主人はカウンター内のキッチンで皿を並べる。
「鎧の君はいいのかね? 遠慮はいかんよ」
「ええ。お腹空いてないので、いいんです」
 アルフォンスは『食べる』ことが出来ない。気を遣ってくれた主人に申し訳無さそうに断りながら、図面を指す。
「あの、この図面は、えっと…ご主人…?」
 主人はにっこりとして名乗ってくれる。
「レマックだよ」
「レマックさんが作ったものなんですか?」
「殆どがそうさ。もう随分前の作品だけどね。大きな図面のは、町の皆で作ったものだ」
「凄いなあ」
 アルフォンスは、心からそう言う。
「ありがとう。金持ち以外は買えないものばかりだから、ただの贅沢品にしか思われないが、それを見ると皆、芸術的だと言ってくれるのさ」
 スープの入った皿をテーブルに出すレマックに、エドワードは問う。
「その芸術品の図面を公にしてしまっていいの?」
 卓越した技術こそ、秘密にすることは当然である。店に貼り出せば、町の者どころか、エドワード達のような通りすがりの旅行者まで見てしまうことが出来る。だが、レマックは気にしてないようだ。
「一朝一夕で培われた腕じゃない」
 簡単に真似が出来るような仕事ではない、という自信がそこにはあった。
「すごく綺麗です。とても人が作ったとは思えない」
 アルフォンスの簡潔な褒め言葉にレマックは照れる。
「ははは、昔のことだけどね」
「最近は、作ってないんですか?」
 レマックの表情が僅かに暗くなった。
「…君たち駅から歩いてきたんだろう? トロッコとはすれ違ったかい?」
「いいえ」
 レマックは、香草の入ったビンを手にしながら、窓から見える鉱山に視線を送る。そこからは、鉱山の前の広場が見える。数人が石を注意深く観察しては、放り投げていた。
「…見ての通り、最近は列車に乗せられるような鉱物も商品も少なくてね。駅へのレールは錆びる一方だ。昔は、一日中鉱山を掘る音がしてたもんさ。町中に金細工職人がいて、それを買いに来る客も多くてね。活気があったよ」
 寂しそうにそう言う。
「もう金は出ないんですか?」
「掘り尽くしたようでね。新しい金脈がかなり下にあるらしいが、それが見つかるより前に町を出て行く者も多いだろう。岩と土埃で野菜もろくろく作れないしね」
「そうだったんですか…」
 重苦しい沈黙が流れる。
 レマックはそれに気づいて、明るく言い放つ。
「ま、細工の腕だけじゃなく、料理の腕も磨かなきゃいかんしな。忙しい毎日さ」
 それを聞いて店にいた町の者も、続ける。
「レマックの料理が上達する頃には、金がまた出てくるさ」
「そうさ。金脈に辿り着く前に、マグワール様の研究が成功するかもしれん」
「そうだといいがなぁ」
「なに言ってんだ。もうちょっと辛抱しようじゃないか。また目をみはらせるような作品を作りたいだろう」
 皆が壁の図面を見上げながら話す言葉の一つを、エドワードは聞き逃さなかった。
「マグワールさん?」
「ああ、ここの金鉱の管理人だよ。ほら、あそこにでかいお屋敷があるだろう。あの家に住んでる」
 山の手前に、高い塀が見えた。だが門らしき扉は堅く閉ざされ、中を窺うことはできない。
「へえ。でっかい家ですね。金鉱の管理人ってのはよほど儲かるんだ」
「ここの金脈をまっさきに商業化した人だからね。だが、今は金の産出も少ない。苦しい状況は一緒だ。研究が成功すれば復興もするさ」
「その研究って?」
 何気ないふりをして聞いているが、エドワードはその返事に集中する。
「ああ、金を掘るだけでなく、無限に作り出せるものを研究している。『賢者の石』というらしい」
 レマックが答えた。
 エドワードとアルフォンスはさっと視線を合わせた。
 二人の望むキーワードが出てきたのだ。勢い込んで問い詰めたいが警戒されるのは避けたい。二人ははやる気持ちを押さえて、レマックの話に耳を傾けた。
「…君たち子供には分からないかもしれないが…。錬金術は知っているだろう? その錬金術の研究を進めるとそんな『石』ができるらしいんだ。相当な学が必要だから、詳しい理論も完成するかも私たちには分からないがね」
「きっと成功するさ」
 別のテーブルで話を聞いていた男が同意する。他の者も皆うなずいている。全員が、その研究に期待をしているのだ。
 だが、皆の明るい声を遮るように、端の席から低い小さな声が聞こえた。
「…無理じゃないか?」
 皆は一様にそちらに顔を向ける。
 誰だろう、となんとなく振り返ったエドワードたちと違い、他の者はきつい表情を浮かべて睨んでいた。
 テーブルでスープを飲んでいるのは、レマックと同じかそれ以上の歳に見える、がっちりとした体格の男だった。ごつごつした手がスプーンを置く。店内に向けた顔はよく日焼けしていた。
「…『賢者の石』だかの研究をしてもうどれくらいになる? 何人もの錬金術師を雇って研究室にこもっている間に、町は荒れていく一方だ。それなのにまだ金に執着し続けるのか」
 低く響くその声に、何人かが語気荒く立ち上がった。
「俺たちは誰にも負けない金細工を作ってきたんだぞ。ゼノタイムの金装飾品と言えば、誰だって感嘆の声を上げる。その腕を簡単に他のことに使えるものか!」
「そうだ! 新たな金脈の目星はついてるんだ。研究室には優秀な錬金術師を迎えている。できないはずはない! ベルシオ、お前は金細工の腕だって大したことなかったから簡単に諦められるのかもしれないがな、オレたちは違うんだ!」
 ベルシオ、と呼ばれた男はゆっくりと立ち上がると、怒気を含んだ空気の中で一人静かに言葉を紡いだ。
「金脈を探すのはいい。だが、実際は、ひたすら岩を削って放り投げてるだけだ。研究だってできるならやればい。だが、無いお金をはたいてまで協力する義理はない」
 そう言うと、食事代を置いて出て行ってしまう。残された者たちは怒り心頭と言った体で口々にベルシオの言葉に反論し出した。
「苦しい状況なのは、町中一緒なんだ! だからこそ皆でマグワール様の研究資金を出し合ってるのに、ベルシオの奴ときたら…!」
「今までだって多くの錬金術師に協力して貰ったし、きっと金を生む『石』はできる。そしたらまた皆で細工の腕を競える!」
「…だが、そろそろ違う道も考えないと…」
「なんだって? その腕を捨てるのか?」
「捨てたくはない。だか、息子の具合が悪いし、違う仕事を探して引っ越そうとも考えてるんだ。ここにいても仕事はないし」
「だからそのために…っ」
「まあまあ」
 暗い雰囲気に皆が飲まれる前に、手を叩いたのはレマックだった。
「今ここで議論しても始まらん。できることをやっておこうじゃないか。ノリス、金脈を見る専門の先生は探したのか? それにそろそろ坑道に戻らないと。デルフィーノは細工の仕事を一件受注しているんだよな?」
 レマックは店内の皆に声をかけて、励ますように彼らの背中を叩く。最後に言われたデルフィーノという男は、ベルシオに一番きつく当たっていたが、不服そうにしながらも立ち上がる。
「そうだ、君たち」
 レマックがエドワードを振り返る。
「デルフィーノは町一番の腕を持っているんだ。小さくて安い商品も扱ってるから見に行ったらいい。他に見せられるようなものはないしね」
「ありがとう。…でも今は、マグワールさんとこの研究室が見たいな」
 真剣に言ったのだが、途端、レマックは笑い出す。出て行こうとしたいた皆も戸口でおかしそうに笑っていた。
「ははは。娘とあまり変わらなそうな歳なのに、あんな小難しい錬金術の方に興味があるとはね!」
 レマックはエドワードの頭をぐりぐりと撫でる。レマックから見れば、エドワードはただの小さな少年だ。
 この町の住人にとって、錬金術は希望でありながら、難しく高度な学問なのだ。
「あそこは出入り禁止なのさ。我々も研究室には入れない」
 誰かが続ける。
「錬金術に興味がある子供なんてはじめてだ。あ、もしやお父さんの影響かい?」
 お父さん、を、町の者が一斉に見る。その視線の中心には、青銅の鎧。
「……はい?」
 事態を飲み込めず、聞き返したアルフォンスの横で、エドワードは、これは初めての説だな、と感心していた。
「…ちょっと、ひどいよ」
 アルフォンスは兄を睨む。
「悪い悪い。だって、お父さんと間違われのは初めてだからさ」
 大きな鎧姿と少年、という組み合わせは、今までも他人に色々な間違った想像をさせてきた。兄と弟が逆に思われることはもはや当然で、兄弟だと名乗らなければ、さらに想像は突飛なものになる。大道芸人、闇の仕事を請け負う伝説のコンビ、どこかのご子息と護衛人。数々の肩書きを貰ってきたが、父親と息子説は意外に初めてな二人であった。
「…違うのかい?」
 笑うエドワードと困った様子のアルフォンスに、町の者が聞いてくる。
「違うよ、オレ達は兄弟だ」
 エドワードははっきりと言う。そして、毎度のように見てきた反応をまた眺めることになる。
「兄弟!?」
「本当に!?」
 一同は皆驚いて二人を見比べている。
「本当ですよ」
 アルフォンスが答える。
「これでも結構似てるんですよ」
「へええ。言われれば、声の感じが若いものなぁ」
「こりゃ失礼したね」
「いえいえ」
 アルフォンスは、謝る皆に手を振る。
「よく間違われるので気にしてません」
「いやいや、お父さんなんて言って悪かったね」
 一人が、謝罪と友好を込めて、アルフォンスの肩を叩こうと手を伸ばす。
「お兄さん」
 ポン。
 ———しばしの沈黙が流れた。
「…オレが兄だ!!」
 数秒後にエドワードが大声で宣言すると、今度こそ一同は驚愕したのであった。
 いつものこととは言え、怒りで震えるエドワードと、同情しつつも仕方ないと傍観するアルフォンス。兄弟の旅人を親子と間違った上、どちらが兄であるのかということまで間違えてしまい、申し訳ないと思いつつもミスマッチに驚く町人たち。
 そんな微妙な空気の流れる店に、突然明るい声が響き渡った。
「ただいま、パパ!」
「ああ、おかえり、エリサ」
 レマックが両手を広げると、そこに少女が飛び込んできた。
「娘のエリサだ。エリサ、お客さんに挨拶を」
 少女が振り向く。
「こんにちは」
 手を振ったエドワードを、エリサは大きな目で見つめると叫んだ。
「あ、錬金術師のお兄ちゃん!」
 その一言は、町の者を驚愕させた。
「なんだって、エリサ?」
 一同の前で、エリサは目を輝かせて言う。
「さっきトロッコの塔を倒したあと、このお兄ちゃんが錬金術で直したの見たよ! パアって光って綺麗だった」
 レマックはエドワードを見る。
「…君は…錬金術師なのかい?」
 こんな子供が、と視線が語っていた。
「…まあね」
 隠すことでもないので、エドワードは認める。
「だから研究室に興味があったのかい?」
「そういうこと。まあ、こんな子供が錬金術師なんて信じにくいだろうけど」
 必ず言われる言葉を先に言う。大抵の大人は信じないからだ。だが、町の者は信じない、とは誰も言わなかった。変わりに手をギュッと握られる。
「そうか、錬金術師なんだな! ではぜひマグワール様の研究所へ行ってみないか?」
「え?」
「賢者の石を作るのに、少しでも協力して欲しいんだ。『石』の作り方が分からなければばすぐにやめてかまわない。でも万が一有効なヒントが得られるとも限らないし、一度見に行ってくれないか」
 皆はエドワードの手を次々にギュッギュッと握る。
「こんな若い時分で錬金術ができるんだ。いいひらめきがあるかもしれない。ぜひ行ってやってくれ」
「そうだ、頼むよ」
 盛り上がる皆は、すっかりエドワードに対して友好的かつ尊敬の態度を持って願い出る。
「…どうする、アル?」
「その施設、見れるなら見たいよね」
 二人の旅の目的『賢者の石』について研究しているところなら、なんとしてでも見たいのが本音だ。公開しないのなら、忍び込むしかないと考えていたところである。それが頼まれて堂々と行けるのならそれにこしたことはない。
「分かりました。行きましょう」
 エドワードのやる気に満ちた眼差しに希望を感じ取ったのか、皆は笑顔で盛り上がる。
「若い者の想像力がきっと『石』を作るのにいいヒントを与えてくれるに違いない」
「最近じゃ若い錬金術師が多いのかねぇ。研究室にもいるんだよ」
「へええ」
 エドワードほど若い錬金術師など滅多にいるものではない。ちょっとだけ興味が沸いて聞いてみる。
「その人って、どれくらいの歳なんですか?」
「そうだなぁ…。君はいくつなんだい?」
「オレ、十五歳。こっちのアルフォンスは十四歳だよ」
「ええ!?」
 驚く一同は、エドワードの頭のてっぺんを見、足先を見る。言いたいことは一つだろう。
 その様子を見ながら、兄を怒らせるあの言葉を町の者が言わないよう、アルフォンスは祈った。それが通じたのか町の人はその言葉を言わず、ただ素直に感心していた。
「十五歳かあ…。もっと若く見えたけど」
「ま、でもこれくらいの歳でも錬金術師はいるところにはいるもんだね。研究室にいる人も同じ位の歳だったと思うよ」
 それにはエドワードがちょっとびっくりした。
「へええ」
「ああ、そうだ。まだ名前を聞いていなかったね」
 レマックがコーヒーのおかわりを注ぎながら聞いてくる。それを受け取りながらエドワードは答えた。
「ああ、オレはエルリック。エドワード・エルリックだ。こっちはアルフォンス・エルリック…」
 そこまで言った時だった。空気が一変した。
「…なんだって?」
 錬金術を知っている者なら、その名前も耳にしたこともあるかもしれない。エドワードにとって、有名な国家錬金術師エルリック兄弟を名乗って驚かれるのは当たり前のことだった。だから、気にせずもう一度言う。
「エドワード・エルリックだよ」
 だが、驚きの声は聞こえなかった。代わりに耳にしたのは弾けるような笑い声。
「わははははっ!」
 皆は思い切り笑う。
「エドワード・エルリックだって? エドワード様の名を騙るとはなぁ」
「坊主達、嘘をつくにもそりゃあ背伸びしすぎだって」
「ぼ、坊主ぅ?」
「エドワード様は国家錬金術師だものな。君たちが憧れるのも無理ないが嘘はいかんぞ」
 エドワード様、と彼らは言った。まるで知り合いのように。
「は? なに言って…」
「ああ、笑わせてもらったよ。で、本名は?」
「なに言ってるんですか? ボクたちは本当に…」
「もういいって。本名はなんだい?」
 誰も信じてくれなかった。訳も分からず、何度もエルリックと名乗るだけだ。
 だが、やがて町の者は呆れたような顔になり、そのうち言うことを聞かない子供を咎めるような目つきになった。
「君たちのような子供が、憧れの存在を真似る気持ちは分かる。だが、度が過ぎるぞ。これが大人なら即刻殴るんだが」
 レマックの傍で、エリサも悲しそうに二人を見ていた。
「…なに言ってんだよ」
「改心して、ちゃんと名前を名乗る気になったら、また来なさい」
 アルフォンスとエドワードは背中を押され、店の外に追いやられる。追って投げられるトランク。
「なんだよ、ちゃんと名乗るもなにも俺はエドワード・エルリックだ!」
「ボクだってアルフォンス・エルリックですよ」
 だが二人の主張は無視された。町の者は本当に信じてないのだ。誰かが言った。
「そんな不釣り合いな兄弟だってのがそもそもおかしかったんだ」
「なんだと!?」
 その一言が、エドワードを怒らせた。
「ふざけんな!! オレたちは嘘なんて言ってない! オレはエドワードで、こっちはアルフォンス! オレの弟だ! 不釣り合いなわけないだろうっ」
 今にも殴りかかりそうなエドワードをアルフォンスは押さえる。
「兄さん!」
「アル、止めんなっ」
「待ってってば。…皆さん、誤解があるようですが、ボクたちは本当にエルリック兄弟なんです。信じにくいかもしれないけど、本当です」
 ちゃんと話そうと努めるアルフォンスの腕を、エドワードは掴む。
「行くぞ、アル! こんな失礼な奴らと顔も合わせたくない」
「兄さん!」
「嘘でもないことを頭ごなしに否定されてムカつく! こっちは勝手にやらせてもらう。研究室だって行きたきゃ行くさ」
「なんだ、研究室見たさに嘘をついたのか? ちゃんと名乗れば…」
 エドワードは振り向くと、町の者たちをぎっと睨んだ。
「ちゃんとした名前はもう名乗った。信じないのはそっちだろ!」
 アルフォンスはトランクを手にする兄を見ながら、レマックにお金を差し出した。
「御飯代です。ご馳走様でした」
「…ああ。残念だよ」
 レマックは言う。錬金術師への期待を裏切られたこと、素直そうな子供が嘘をつくこと。どちらにもがっかりしたに違いない。
「もっといい嘘なら良かったんだがな。エルリックを名乗るとはね。さあ、皆戻ろう」
 レマックは皆を促す。
「どうして嘘だなんて思うんです?」
 その問いに、扉を閉める直前でレマックは振り返った。
「…エルリック兄弟は、すでに研究室にいるよ」
 その言葉を残して、扉は静かに閉ざされた。

    ■小説「鋼の錬金術(1) 砂礫の大地」につづく■