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惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を分析する(批判第2回)

惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏は,作品評価をする際に,上下関係を持ち込む傾向があるように思う.今回はそれを論証するため,第二次惑星開発委員会 今日のクロスレビューを元に,彼の価値観を分析してみよう.

第二次惑星開発委員会 今日のクロスレビューの文章を元に,左側に Better 右側に Worse と書いて,善良な市民(宇野)氏の価値観を分類した.その結果が以下のファイルである.

惑星開発委員会の善良な市民氏を分析するチャート

これらのまとめから善良な市民(宇野)氏の自意識を箇条書きにしよう,善良な市民(宇野)氏は……

 

ちなみに彼がクサす相手にはあるパターンがある.

1.プライド・自意識過剰系

2.真面目・優等生系

3.大衆系

1に当てはまるのが,

「イト山に憧れちゃうカワイソーな女子」「超越性に接続できるアウトローが体温の低そうな厭世感漂う少女を救うなんていう援交オヤジロマン」「狂気に憧れる凡庸」「僕らはこんな世界のつまらなさ(絶望)を知っているんだよという乾いた暗さ」「今どきカウンターカルチャーを気取っちゃう人間」etc

2に当てはまるのが,

「『WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語』のこけおどしをありていな無頼派マッチョと忌み嫌い逃げ出す人」「教科書的に真面目すぎて白ける『男たちの大和』の現代パート」「学級会センスの説教」「なんだって勉強すれば器用に書けますよという自己主張」

3に当てはまるのが,

「QJ矢沢特集とか読んでお勉強中のC級文化オヤジ」「日曜洋画劇場を楽しみにまっているくらいの人」「B級バカ映画に慣れていない人」

 

普通,この三つは相互にカウンター関係をなす.つまり統計的にマスな大衆文化にカウンターしようとすると,「プライド・自意識過剰系」か「真面目・優等生系」になり,「プライド・自意識過剰系」にカウンターしようとすると,「真面目・優等生系」か「大衆文化(をあえて持ち上げる)系」になる.以下同様.

だから,善良な市民(宇野)氏の批判に順番に答えていくと,立場がループしてしまうのではないか,という危惧があるのである.そしてそのループから本当に善良な市民(宇野)氏本人が逃れているかは疑わしいと私は思う.自意識過剰はダメだ,だけれども優等生的な器用さで自意識を隠すのもダメだ,かといって大衆文化に開き直るのもダメだ,と八方塞の状況を作り,彼はそれを俯瞰して喜んでいるように思う.しかしその態度こそが,自分はこの状況を(本人は上空100メートルにでもいるつもりなのだろうが)俯瞰できる人間だ,という自意識の発露のように私には見えるのはどうしたものだろうか.

もし彼が,「ダメな奴らをよりましなレベルに引き上げてやる」系の「啓蒙」的言説の担い手となるつもりであるのならば,「よりましなレベル」を定義するために,彼にはもう少し統一的な価値観を出して欲しいと思う.どの立場もダメなのだとしても,「よりまし」なのはどれなのか,偏差値をつけて上から下まで定義し,かつ自分が偏差値いくつにいるのかを客観的に述べて欲しい.(とか言うと,「それは優等生的な器用さに逃げてますね」と反論されそうだが).さもなくば,終わりの無いカウンターゲームを自覚する必要がある,と思う

それらの差別的言説の構造は,タームを変えているだけで実質的には変わりない.そのことはトリエント公会議の第一回でも述べたはずだ.

あくまで私見だが,この人は「このレベルなら自分が叩いても大丈夫」といえる仮想愚民をクサすことによって語りの場を確保しようとする人なのではないかと思う.それが,彼自身の客観的なレベルを他人から評価されることへの事前防御でなければよいのだが…….