2001年に韓国名のまま日本に帰化
マルハン・韓昌祐会長インタビュー(5/6)
■2001年に日本に帰化、韓国名はそのまま。
2001年に韓会長は日本国籍を取得し在日韓国人社会で多くの話題を呼んだ。
「その問題についても言いたいことはたくさんある。外国に住む同胞は700万人ほどいるが、そのうちのほとんどが自分が住んでいる国の国籍を持っている。しかし在日はそうではない。もちろんいやなことは知っている。日本が昔、韓国に野蛮な行為を行ったので感情的になる。今も子供たちには自分が死ぬまでは帰化するなという人も多い」
「しかしもう変わるべきだ。そのように非難ばかりしているから同胞が日本に帰化して苗字も名前も日本式に変えてしまうのだ。米国では市民権を得ても苗字は変わらない。米国社会に韓国の苗字を持った米国人が多くなれば韓国にとっていいことだ。同じように日本社会にも韓国の名前を持った日本人が多くなるべきだ。自分が生まれた韓国、自分を育てた日本、両方に恩返しをしたい。自分が韓国ばかり見つめていれば、あいつはいつでも日本を裏切って韓国に戻る人間だと見られるようになる」
韓会長は国籍を変えながらも韓昌祐(ハンチャンウ)という名は変えなかった。韓会長が韓国名を変えずに国籍を変えようとした頃、朝日新聞は2001年3月24日付けの記事で、本名で日本国籍を申請した韓会長のストーリーを社会面のトップに掲載した。
「民族は100年、200年、300年経っても変わらない。国籍はその国で生きる権利を得ることだ。次男が高校生の時に甲子園に出場したが主催者側が電光掲示板に西原という日本名を使おうと言って来た。しかし息子は幼稚園の時から自分は韓だったとしてそれを拒否した」
もちろん韓会長が韓国名を維持するのも簡単ではなかった。法務省の許可は得たが今度は外務省が反対した。そこで韓会長が訴訟も辞さないと出ると1年半で受け入れられた。同じく、韓会長の息子娘たちも皆韓国名で日本国籍を取得した。
韓会長は激しい競争に生き残るためには他人よりも2倍の努力をする以外に方法はないという。自分は今会長だが、今も専務だと思って仕事に取り組んでいるというのだ。
京都に住む韓会長は朝5時に起きて1時間ほど散歩し、すぐに出勤して日本の主な週刊誌や地方紙など7つの新聞をすべて読む。「新聞を読まないとこの世の動きがわからないから」というのだ。
月曜日と木曜日は全国の店舗を結び遠隔会議を主催する。マルハンは京都本社と東京本社に分かれており、実際の業務の70%は東京本社で行っている。しかしすべての決済は韓会長を経なければならない。
趙正薫(チョ・ジョンフン)記者
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