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成田空港・開港30周年:わたしは思う/2 鎌田慧さん /千葉

 ◇代執行の教訓、後世に--ノンフィクション作家・鎌田慧さん

 国は1966年、新空港の位置を成田にすると閣議決定した。地元農民への十分な説明がない突然の決定。用地買収は進まず、国は71年、土地収用法による代執行を2回実施した。2回目の9月16日には、反対派と機動隊が衝突して警察官3人が死亡する東峰十字路事件が発生。鎌田慧さんは事件をきっかけに成田に足を運ぶようになる。

 --成田闘争を取材するようになったきっかけは?

 テレビニュースで成田闘争の映像を見て衝撃を受けた。東峰十字路事件が起きたことを知り、取材に行こうと思った。現地の第一印象は落ち着いた古い農村。75年に結成した市民団体「廃港要求宣言の会」の事務局長になって、現地を頻繁に訪ねるようになった。初めは闘争の現状を書こうと思って入り、農民と交流するうちに引き込まれていった。

 --事件を取材して、著書「三里塚東峰十字路」(第三書館)を出版した。

 現地で付き合っていた青年たちが、目の前で次々と逮捕され、起訴されていく。彼らは収監されると、農作業ができなくなる。その悲壮感はものすごかった。彼らの裁判の前に事件の経過を記録しておこうと思った。本という形にしておけばそれが公判の資料にもなるとも思った。

 --成田闘争が社会にもたらした影響は?

 成田闘争はその後の農民運動の先駆けといえる。国は成田闘争以来、富士山静岡空港(09年3月開港予定)の土地収用手続きまで30年近く空港用地の代執行の準備に入らなかった。成田闘争で血が流れ、大混乱が起きたことを、国が「まずい」と思った結果だ。成田空港は代執行という建設過程のミスが尾を引いて未完成のまま。それを後世に伝え、教訓にしなくてはいけない。

 --成田闘争は「風化した」との指摘もあるが。

 時間がたてば何事も薄れ、記憶があいまいになっていく。世の中には消えていく歴史もある。しかし、あれだけの大闘争があって警察官の死者や農民の自殺者も出た。さまざまなドラマもあった。忘れ去られるのは胸が痛む。そういう歴史があったということは人々の記憶に残ってほしい。記憶に残さないと、将来、同じ過ちが繰り返される。

 --成田闘争の経験は、その後の取材活動に影響したか?

 成田では農民の中に入り込んで取材した。取材対象ときちんと付き合い、向かい合って取材しないといけないという姿勢を学んだ。

 --空港用地の未買収地である成田市東峰地区では、今も農業を営み、生活している人たちがいる。国や空港会社はどう対応していくべきか?

 暫定平行滑走路を2500メートル化する北伸事業が完了すると、大型機の発着増が予想される。東峰地区の騒音は一層激しくなると思う。「そうなれば農民がどこかへ行くだろう」というような強権的なやり方ではなく、きちんと話し合っていくべきだ。

 --空港会社は09年度以降の株式上場、完全民営化が予定されているが?

 空港会社はこれまでも地域との共存、共栄を言ってきた。民間企業になる以上、利潤を追求するだろうが、それが一番になってはいけない。空港のそばで農民の生活があることを忘れないでほしい。【聞き手・柳澤一男】=つづく

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 ■人物略歴

 ◇かまた・さとし

 1938(昭和13)年、青森県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、新聞、雑誌記者を経てフリーライターに。労働、教育、事件など社会派のルポルタージュを数多く執筆。代表的著書に「自動車絶望工場」(講談社)、「教育工場の子どもたち」(同)、「狭山事件」(草思社)など。

毎日新聞 2008年5月5日 地方版

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