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車両(実物)

「初代2号御料車」
1. ドイツから輸入した初代2号御料車
我が国の鉄道のルーツを訪ねると、本州が最初はイギリス式、北海道がアメリカ式、そして九州がドイツ式と地域によって異なる国の方式を導入してスタートしています。
初代2号御料車は九州鉄道会社が1891(明治24)年にドイツのファンデル・チーベン社から輸入し、小倉工場(1896〜1907年は小倉製作所と改称、現在のJR九州小倉工場の前身)で組み立てられました。当初は貴賓車でしたが、明治天皇が1902(明治35)年秋の熊本県下で行われた陸軍大演習に御行幸の際に初めて御召し列車に使用されました。貴賓車のままでは御召し列車としては不適当なため、同年春に小倉製作所で大改造を施されて御乗用に供されています。
まず大きさは、長さ8,190m、幅2,570m、高さ3,570mで、初代1号御料車よりも一回り大型になっています。その基本構造や外郭の大きさとも九州鉄道の一般の営業車に準じています。
屋根は飾り金具の付いた二重の丸型、露台(ろだい)の上のみ一重です。露台はオープンデッキ(開放形出入り口のこと)で、腰部は開き戸を含めて幾何学模様の鉄柵で囲っています。窓は上辺を軒近くまで開口し、一端の両隅部には曲面ガラスを用い、車体下辺部は湾曲をつけて絞り込み、外板の継ぎ目には飾り押縁を付けています。この裾を絞り込んだデザインはヨーロッパ調の貴賓車の風格が感ぜられます。屋根両側の軒の上部には、獅子面の浮き彫りの飾りを付け、さらに軒下には草葉連続模様の彫刻を施してあります。
車体の内部は、一端に玉座室を設け、次いで御化粧室(御厠を含む)、侍従室の順に3室が配置されています。
玉座室は最大の広さを確保してあり、ドイツ製のテーブルや、玉座となるソファ、安楽椅子2脚、隅棚、剣立てなどが置かれています。天井には琥珀織りを張り、随所に飾り帯金を配し、欄間には楓杢板(かえでもくいた、複雑な木目を生かした板)の無双窓を設けています。腰部には褐色のビロードを張って、窓や仕切り框(かまち)類にはチーク材を用い、漆の木地呂塗り(きじろぬり、ツヤ消し)仕上げてあり豪華なたたずまいです。このような改良時に手掛けられた数々の装飾は、当時の九州鉄道が明治天皇のご乗車を光栄に想い、芸術と技術の粋を凝らした意気込みが感ぜられるものです。

2. 国有化後の初代2号御料車
この御料車は鉄道国有化法案の成立により、1907(明治40)年に九州鉄道は帝国鉄道庁の所管となり、同時にこの御料車も2号御料車として国鉄の籍に編入されました。ところがすでにボギー台車の御料車が3号から6号まで完成している状況だったので、1913(大正2)年には初代1号とともに廃車になりました。
この御料車は1923(大正12)年に九州から東京へ送られ、大井工場へ送られ保管されました。その後1936(昭和11)年に初代1号とともに交通博物館に移され、保存されるようになりました。このようにドイツ式貴賓車の風格を備えた名車であるため、1963(昭和38)年10月14日に鉄道記念物に指定されています。この間、鉄道開通100年の1972(昭和47)年には製造から長い年月が経過していて外板の痛みがひどくなっていたので、その真価を長く後世に伝えられるように大井工場で盛時を再現できるような修復が施され、初代1号ともにずっと交通博物館に保存展示されています。
※実際の展示物・展示内容は変更となる場合があります。
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