ウルトラレオ 014 






 彼は言葉をしゃべらない。人形だから、木人だから。
 太い木の円柱から、同じく木製の三本腕が上、中、下段に伸びている。
 顔面の位置には青いミットがあり、線で描かれた目、鼻、口は、シンプルだが愛嬌を感じさせる。
 かつて「ボールは友達」などと公言しつつ、その友だちを昼夜蹴り回す少年がいた。
 そういうわけでウッディ君(五代目)は友だちだ。彼は嫌な顔一つせず、レオのトレーニングに付き合ってくれる。
 カッ、コッ、腕刀と小手が樫の腕を払い、捻りを乗せた右ストレートが友の顔面を襲う。
 ズドン、鈍い音が澄み切った青空にこだまし、三百キロの錘に支えられたウッディ君が中庭を滑った。

レオ
「傷は癒えた!」

 高らかに回復を宣言したレオは、後ろ頭をはたかれて訝しげに振り返った。
 もちろん、瞬間移動したウッディ君が反撃に回ったわけではない。
 早朝ロードワークから帰ってきたのだろう。ハーフパンツにTシャツ姿の乙女さんだった。
 彼女はうっすらと紅潮させた顔を険しくして、

乙女
「早起きするのは関心だがな、鍛錬にはまだ早いんじゃないか? まあ、顔の方は……」

レオ
「綺麗なもんでしょ」

 無理くり六時間睡眠の賜物であり、読んでいると確実に眠たくなる有り難い小説のお陰である。
 ――羊を数えるより確実に、あなたを夢幻へと誘うだろう。
 反三国志、絶賛発売中。枕代わりに是非どうぞ。

乙女
「とにかく今日まではやめておけ。確か手首も痛めていただろう? 筋系のケガは治りかけが大事なんだぞ」

レオ
「はーい」

 乙女さんの言葉はまったくの正解正論。レオは大人しく家に入ることにした。
 もともと朝から体を動かす習慣はない。たまたま早く起きたので、回復の度合いを確かめていただけなのだ。

レオ
「乙女さんはまだやるの?」

乙女
「いや、家事に戻ろうかと思っているのだが……」

 乙女さんの視線はウッディ君に注がれていた。
 殴るために作られたものを見れば、殴らずにはいられない。格闘家の性である。

乙女
「その前にアレ、使ってみていいか?」

レオ
「いいけど、キヌガサ君は遠慮しといて。朝にはちょっと音が大きいんだよね」

乙女
「キヌガサ君?」

レオ
「あーっと、鉄人の方」

乙女
「了解した」





 炊事は交代制だという話だったが、その順番を決めてはいなかった。
 レオが今活動しているのは想定外のことなので、朝食は乙女さんが作る予定だったのだろう。
 蒸気を上げている炊飯器が、何よりの証拠である。
 しかし、時刻は七時半。バタバタと家に上がってきた乙女さんは、先ほど洗面所に駆け込んだばかり。
 おそらくは朝食の危機なのだろうが、そういうことなら作れる方が作ればいい。助け合ってこその共同生活である。
 リビングのテレビはそのままに、レオは冷蔵庫の扉を開けた。

(昨日の残り……じゃ厳しいな)

 レオ一人だけならまだしも、乙女さんの健啖ぶりも驚きの隠し芸だったので、残り物だけで一食賄うのは無理である。
 基本的に朝はパン食のレオではあるが、炊きたてのご飯を無碍にはできないし……。

(ご飯に合うもの)

 朝から生臭いのは勘弁だが、焼き魚は定番だろう。飢え死にした方がマシだが、納豆も合うらしい。
 だが却下。どちらも冷蔵庫の中にはなく、買い物に行く時間もない。何よりレオが食べたくない。
 野菜室、チルド室、ドアポケットに整然と並んだ生卵。

(オムレツ食いてえ)

 まあ、合わないこともないだろう。
 レオは簡単な料理しか作れない。従ってメニューが決まれば、調理時間は十分とかからない。
 野菜たっぷりのスペイン風オムレツ、面倒なのは食材を細切りにすることだけだ。
 オリーブオイルを引いたフライパンに放り込んだ後は、たまねぎが色づく瞬間を見逃さなければいい。 

レオ
「こんなもんかな」

 目と勘を頼りに溶き卵を入れ、粗引きの塩胡椒をパッパと振る。
 味付けはシンプルイズベスト。料理は引き算。タモさんも言っていた。
 チーズを満遍なく散らし、菜箸で適当に色彩と形を整え、卵が完全に固まる前に大皿へスライドアウト。
 早くも完成だが、我ながら上出来。優しい黄色のキャンバスに、ピーマンの緑とトマトの赤がよく映える。
 綺麗な丸型を壊すのが忍びないので味見はやめておくが、盛大に焦げていない限り、オムレツは大概食べられるはずだ。
 “それなり”を完成させるのはまったくもって簡単であり、チンパンジー辺りならできても不思議ではない。

『えへへ、これボクが作ったんだ。ちょい焦げてるけど食べてみてよー』

 ただしカニ、テメーには無理だ。

(ちょっと早く作りすぎたかも)

 冷める心配はなかったが、それなりに時間は流れた。
 ドライヤーの音を聞くにいたり、レオは重ねたお茶碗を手に取った。
 タイを結びながらキッチンに入ってきた制服姿の乙女さんは、テーブルの上を見るとパチクリと目を瞬かせて、

乙女
「これはお前が?」

レオ
「うん、手が空いてたから」

 しゃもじ片手に炊飯器を開けたレオも、ジャーの中身を見て驚いた。
 いったい何合炊いたのだろうか。合宿所みたいなご飯の量である。
 二人のお茶碗を並べてレオが席に着くと、乙女さんはバツが悪そうに椅子を引いた。

乙女
「すまん。朝食の準備も忘れて、つい夢中になってしまった……」

 いいってことよ。乙女さんのコップにペットボトルのお茶を注ぐ。

レオ
「早く食べよう。乙女さんって学校行くの早いんじゃないの?」

乙女
「ああ、風紀委員の仕事があるからな。……それにしても、これは本当にお前が作ったのか?」

レオ
「そうだよ。ミネストローネはレトルトだけどね」

乙女
「たいしたものだ」

 そう言われても、オムレツと生野菜にドレッシングをかけただけのサラダである。
 ともすれば皮肉を言われたような気もしないではないが、乙女さんはそういう小難しいタイプではないだろう。

乙女
「それでは、いただきます」

 お茶を一口飲んだ後で、乙女さんはレオ謹製のオムレツに箸を伸ばした。
 予め包丁を入れていたので、綺麗に黄色い欠片が取れる。
 口に入れ、咀嚼、嚥下、乙女さんは「おいしい」と顔をほころばせた。
 スバルの何十分の一の苦労なので、たった一言でも有り余る対価に感じる。
 少しの緊張から、少しの安堵を経て、むずがゆいような悪くない気分。
 乙女さんの食べっぷりは素晴らしいが、見とれていると味見分も残りそうにないのでレオもさっさと栄養補給を始める。
 もぐもぐ。自画自賛だが、普通に美味しい。そして、ご飯は万能選手である。

乙女
「……伊達に甘やかされてばかりかと思ったら、ちゃんと料理できるんじゃないか」

 世話焼き属性がそうさせるのか、「話が違う」みたいな少々残念そうなニュアンスだ。
 スバルに甘やかされているのは否定しないが、彼にも都合というものがあり、当てにするにも限度というものがある。
 だから、昨晩も言ったとおり、

レオ
「簡単なものなら作れるって言ったじゃん」

 え゛っ、と喉の奥で叫び、乙女さんはテーブルに箸を落とした。
 目を見開いたまま、なんだか呆然としている。もしくは目を開けたまま寝ている。
 レオが小声で呼びかけると、彼女は当惑したような表情で、のろのろと箸を掴み上げた。
 そのままオムレツをもう一口、乙女さんはもそもそとお上品に味わった後、

乙女
「簡単? これが?」

レオ
「うん、簡単」

乙女
「……簡単」

 どんより。乙女さんの箸が止まり、不穏なしじまが二人の食卓に降りる。
 レオは週刊少年誌野郎ではないので、なんとなく察しはついた。
 乙女さんは年上の女性。レオより料理ができないことに、コンプレックスを感じても不思議ではない。
 さしでがましいかとは思うが、夕食の時まで気を病ませるのも可哀想である。
 何より彼女がカニレベルだった場合、レオの健康を害する恐れがある。

レオ
「朝食は起きられないから無理だけど、基本的に炊事はこっちが引き受けるよ」

 パッと顔を明るくした乙女さんを、おそらくは彼女なりの常識と理性が引き止めた。

乙女
「いや、そういうわけにはいかないだろう。仮にも私はお前の姉だ」

 声と瞳に力がない。本心はもうわかっている。
 レオの意志を通すのは、野菜をざく切りにするよりも簡単だろう。

レオ
「姉とか弟は関係なしで、そうしないと不公平でしょ? 洗濯と掃除は乙女さんがしてくれるのに」

乙女
「そ、そうか?」

レオ
「そうだよ」

 話は終わりとばかりに視線を切り、レオは意識を朝食に戻した。
 そうだな、と自己説得を終えたらしく、乙女さんは頬を緩ませてお茶碗を持ち上げるが、

乙女
「いやいや、やっぱりダメだ。姉弟の問題ではなく、それでは女として立つ瀬がないような気がする」

 案外、面倒くさい女だった。





 乙女さんが学校へ向かった数分後、レオも制服に着替えて家を出る。
 ご近所さんとおしゃべりしていたマダムは、レオを見つけると「あらレオちゃん」と右手を振りつつ近づいてきた。

マダム
「お姉さん素敵ねえ。背筋がピシッとしてて、礼儀正しくて……ウチの出涸らしとはえらい違いだわ」

 話題の中心は乙女さんだったのだろうか、レオは「そうですかね」と適当に返し、

レオ
「それじゃ、お邪魔します」

マダム
「あ、もうそんな時間なの。それはそうと、よかったら嫁にもらってくれない、アレ?」

レオ
「“上の図を見てください”って問題で、天井をぼーっと眺めてるような娘はちょっと勘弁願いたいです」

マダム
「そうよねぇ。私がオトコでも絶対イヤだもん」

 いつものやり取りをやけに懐かしく感じながら、二階カニの部屋へ。
 いつも通りの大いびきで悪寝相、今日のしましまパンツはピンクである。
 カーテンと窓を開けると、カニは光を嫌って寝返りを打った。

レオ
「起きろ、狩りの時間だぜ」

 ぐにっ、とほっぺを引っ張る。

きぬ
「う〜ん……ボクもうザリガニ食べないよ」

 馬鹿丸出しの寝言だが、不思議とレオの心は安らいだ。

レオ
「これはキャロットちゃんの分だ」

きぬ
「あいでっ!」

 転げ落ち、床を這いずり、緩慢に上体を起こす。
 変わらない日常、カニはその象徴である。

レオ
「ベランダ出てるから、ちゃっちゃと用意しろよ」

きぬ
「ふぁあああああぅー。んー……わかった」

 外はいい風だ。網戸を開けてレオはベランダ用のスリッパを履いた。
 アルミフェンスに体を預けて我が家の庭を見下ろすと、二人分の洗濯物が仲良く揺れている。
 黒いトランクスと純白のパンティ。風にはためき一際目を引く白布は、妖怪一反木綿ではなく、乙女さんのサラシだ。

(アレって試合の時だけじゃないんだな……)

 覗いたわけではなく、胴衣が乱れれば嫌でも見える。
 時代に流されない孤高のサムライ。ブラジャー代わりに常用しているとは思わなかったが、乙女さんのキャラクターにはぴったりだった。





 合流したフカヒレとドブ坂通りを歩く。
 街路灯のフラッグ、ライブ告知のチラシ、英語の立て看板。
 カニの部屋に居座って朝デッドを切り上げさせたので、雑多な雰囲気を楽しむ時間的余裕がある。

レオ
「だから、ソファの隣で眠ってたって意味だな」

新一
「もう、悪い冗談やめてくれよな……。悶々として全然眠れなかったじゃねーか」

 五月三十日。今日はとても爽やかな朝である。
 よって、げっそりとクマを作っているフカヒレが、何を思ってどう夜を潰したかは詮索しない。

新一
「あんな美人と一つ屋根の下かぁ、やっぱズルイよ」

 王道だぜ、とフカヒレのついたため息が、成分を変えてレオに伝染した。

レオ
「代わってみるか?」

新一
「その顔から察するところ、『うおっマジで!』って喜んでばかりじゃいられないってこと?」

 カニはしたり顔で、噛んでいたガムを銀紙に包んだ。

きぬ
「乙女さんってきっちりしてっから、やっぱ息苦しいんじゃない?」

レオ
「息苦しい、とは違うような……融通利かないから取り扱い注意って感じ」

きぬ
「ふーん、辛かったらボクの部屋で寝ていいからね」

レオ
「……罠だな。フカヒレはどう思う?」

新一
「んー、お姉さんの参戦で幼馴染が焦ってる、ってとこ」

きぬ
「バッカじゃねーの? ギャルゲーと現実の区別くらいつけろよ。ボクは宿泊料が欲しいだけだもんね」

レオ
「そんなこったろうと思った」

きぬ
「ちなみに一晩二万」

レオ
「素泊まりにしちゃ高くね?」

 かと言って食事がつくとなると、治療費と慰謝料を貰わなければならないが。
 カニは両手を頭の後ろに組んで、無邪気に笑った。

きぬ
「取れるトコから取っておかないと、夏を前に出費がかさみそうだからねー」

 少女の夏。一夏の体験。プチ家出。我ながら俗っぽい発想だった。

レオ
「いかがわしい店にパンツ売るなよ」

新一
「ははっ、こんなのでも、一応女子高生だからな」

きぬ
「売らないよ、失礼だなぁ! ボクその手の冗談は――って、“こんなの”とかどういう意味だグラァ!」

新一
「自覚がないなら言っても無駄だろ? ま、人の好みは千差万別ってね、割と高値がつきそうだけどさ」

 小馬鹿にしたような顔のフカヒレは、何もないところでたたらを踏んだ。
 怒鳴りながら振り返った先にカニはいない。レオは心の中で合掌した。フカヒレ南無。
 ボグン、と奇怪な音がして、

新一
「へちゃめんころぴあ!」

 奇妙な悲鳴を上げたフカヒレは、ゴロゴロと道路を転って悶絶を表現。
 それを見下ろすカニは、満足そうに右肘をさすっていた。

レオ
「急所はダメって言ったろ」

きぬ
「外してるって、ちゃんとみぞおちの下を打ったよ」

レオ
「……えらいえらい」

 櫛で梳いた成果を壊さない程度に、カニの頭をなでる。
 どう見ても入っていたが、あまりにも得意げに言うものだから。

新一
「な……なんかさ、痛すぎて気分がフワフワしてるんだけど、これって大丈夫かな? 大丈夫だよね?」

きぬ
「心配すんな、ロスじゃ日常茶飯事だぜ」

レオ
「ほら、肩貸してやる」

 フカヒレを道の端に寄せた後で、レオとカニは登校を再開した。
 路傍のフカヒレ、とは取るに足らないものの意。

新一
「へへっ、空は青いってのに……止まねーんだ、心の雨がよぉ……」

 決して振り返るな。涙を見せるな。
 フカヒレが安心して逝けなくなるから。

レオ
「そういやロスって、ほとんど雨降らないらしいな」

きぬ
「ふーん」

 五分後。学校近くの遊歩道は、いつもより生徒の姿が多い。
 遅刻する生徒としない生徒を比べれば、当然の風景ではある。

きぬ
「そういえば乙女さんの好きな音楽とか聞いた?」

レオ
「いや、まだその話題は出てない」

 風呂場で歌う曲はあまり当てにならない。
 レオだってたまに、とんでもないのを口ずさんでいる時がある。
 ……アヴリル・ラヴィーンとか。

きぬ
「これといった趣味がないなら、デッドの曲でもすすめてあげようかな」

新一
「出たよデッドヘッズが。そういう布教活動的なのって、迷惑だからやめろよな」

 後ろから会話に割り込んできたのは、回復力だけはレオとタメを張る男。

きぬ
「るせーんだよガリオタ、カタギにギャルゲー押し付けるよりマシじゃろが」

新一
「ガリオタで結構、それで幸せになれるなら結構なことじゃねえか。どうせなら異次元への案内人と呼んでくれ」

きぬ
「ハタから見れば不幸だと思うけどね……、ちなみにレオはどっちが迷惑?」

 どっちもどっちなので、レオは聞こえないフリをした。
 やがて校門が見えてくる。帯刀、腕章、鉄の風紀委員長。
 威風堂々たる立ち姿が、周囲一帯の空気を引き締めているようだ。

きぬ
「こうやって見ると存在感あるね」
レオ
「あぁ、不審者なんか逃げていくぞ」
新一
「あんなに絵になってるのに、よく今まで気がつかなかったな」
きぬ
「いつも校門はダッシュで駆け抜けてるか、くっちゃべってたからね」

 要するにほとんどがカニのせいだが、無意識に嫌なものから目を背けていたのかもしれない。
 臆病は元来の性質。今も視界の隅っこで金髪がチラつき、レオの体には微弱な緊張が走っている。
 今か今かと待ち構える警戒心を嘲笑うかのように、キッと小さなブレーキ音がレオの隣で鳴った。

エリカ
「ドブリジェン、諸君」

きぬ
「ボルシチ」
新一
「それって食い物の名前だろ」

 意識的に目を背けていたら、くいくいと袖口を引かれる。
 無視して手痛くやられた経験は、まだ記憶に新しい雨の木曜日である。
 赤いMTBに跨るおてんば姫は、レオと目が合うとにっこりほほえんだ。
 優雅さの中にも小悪魔っぽさを感じさせる、魅力的な笑顔。
 レオも負けじと、ロイヤルスマイルで応戦した。

レオ
「あらエリカさま、ごきげんよう」

エリカ
「ふふ、ごきげんよっ」

 サドルから降りた姫は、ぴったりとレオの隣に並んだ。 
 互いに笑顔で、心に一物を抱えたまま残り少ない通学路を歩く。
 一悶着あると信じているので、カニもフカヒレも、もちろん他の生徒たちも離れたところから邪魔も加勢もしない。
 呉越同舟で校門に差し掛かる。傍からはどう見えているのだろうか、乙女さんは目を丸くして言った。

乙女
「お前たち、本当は仲がいいのか?」

エリカ
「そうですよ。私たち付き合ってるんです」

 乙女さんが驚きの声を上げる前に、姫の頭が乾いた音を響かせた。
 彼女の立場と乙女さんの性格、現在の居場所を考えれば、空気を読めないにもほどがある冗談である。
 後頭部を擦りつつ、「なによぉ」と抗議の涙目で見つめてくる。そのリアクションも含めて、悪質極まりない。
 拗ねたような口元が、凄艶に歪んだ。

エリカ
「頭痛〜い。対馬クン、いつもみたいに“オマジナイ”して」

 不二家のケーキよりも甘ったるい猫なで声に、レオは思わずバックダッシュを決めた。
 これは姫の偽者である。もしくは何者かに操られている。

エリカ
「なんで逃げるのよ?」

レオ
「お前が何の真似だよ」

エリカ
「対馬クンに恋する女の子のマネ」

 スパッと笑顔を消して、姫はつまらなそうに言った。
 ざわざわ……。ひそひそ……。やっぱり。そうだよね。でも。これって。
 姫はうっすらと笑みを浮かべて、周囲の反応を見渡した後、

エリカ
「私先に行くから。そういうことで、今日の放課後開けといてね」

 どういうことなのかは知らないが、振り向きもせずに自転車置き場へと向かった。
 乙女さんは首をひねり、女子たちは耳相談に忙しく、男子たちは悔しそうにレオから目を逸らす。
 はっはーそういうことかぁ。実際はよくわからないが、レオは青空を仰いでカラッと笑った。

レオ
「ったく、姫の嫌がらせにも困ったもんだぜ! なあ!」

 そして引き下ろした視界に、雷鳴轟く黒雲を見つけた。

きぬ
「……クソが、ノロケかよ」
新一
「ばっ、バッカだなぁ、姫の冗談に決まってんじゃん。冗談……冗談だよ、な? でなきゃ、俺は……俺はぁあああぁ――!」

 帰りたい。





エリカ
『――より鮮烈に、記憶に残るような体育武道祭にしたいと思っています。皆さんもご意見ご要望などございましたら――』

 月曜恒例の朝礼を、姫はいつものように卒なくこなしていた。

平蔵
『暇人どもが色々勘繰っとるようだが、烏賊島のアレは儂の仕業だ。何も心配は要らんからな』

 やっぱり、と全校教師生徒が納得。
 館長の話は今日も短かったが、レオの方を見てニッと笑ったような気がした。
 そして、朝のSHR。今週は教育強化週間で土曜日にも授業があるらしい。
 教室の至るところでため息が漏れる中、


「まぁまぁ、たまにはこういうイベントも悪くないではありませんか――」

 生徒たちをなだめる担任が一番だるそうだった。


「皆さん、今週も楽しい学校生活を送りましょう」

 祈先生の指示棒が黒板上の張り紙を差した。


「Have a pleasant time」

 “楽しみましょう”。いかにもこのクラスらしい生活目標である。

(……絶対地雷だろ)

 “姫たちと楽しいお茶会”。本日の放課後の予定である。
 佐藤さんが一緒なのは嬉しいが、幼馴染たちまで呼ばれているのが気にかかる。

新一
「行く行く、イっちゃう!」

 美少女からのお誘いをフカヒレが断るはずもなく、

きぬ
「ブルジョアなお菓子とか出るんでしょー」
スバル
「いいけど、部活あるから途中で抜けるぞ」

 残る二人もこんな感じだった。
 朝の妙な態度といい、ヤツの狙いはいったい……。
 全然わからない。わからないから怪しい。モンドセレクションの選考基準くらい怪しい。
 用件だけを告げて席に戻った姫は、レオの疑念を含み笑いで受け流していた。
 頬杖をついて、バチンと綺麗なウィンクを一つ。ダメだこりゃ。
 頭のいい人の考えは理解できない。もしかすると心の病気なのかもしれない。
 そして切り替えたフォーカス、目の前の佐藤さんは、無垢なほほえみで念を押してくるのだった。

良美
「対馬君も絶対に来てね」

 光があふれる。にこにこ、きらきらと、まるで天使のようである。
 人を疑うことが、酷く醜いことだと感じる。姫はともかく、佐藤さんなら信じてみてもいいかもしれない。

良美
「……に、逃げたら家まで呼びに行っちゃうから」

 シャツの裾を掴み、上目遣いで、佐藤さんの可愛い脅迫だった。
 なんというか、これはちょっと――逃げちゃダメだこりゃ。

(よく見たら地雷じゃないかも……)

 たまには、こういうイベントも悪くなかったりして。





 ――放課後。

新一
「あっという間に終わったぜ」

レオ
「あァ……そうだな……」

 胸を躍らせていたフカヒレと、頭を抱えていたレオ。気づけば放課後、という点では同じである。
 嵐の前の静けさというか、今のところ平和な一日であり、特に奇異な出来事は起こっていない。

女子生徒F
『恋人が従姉弟のお姉さんで、しかも同棲してるって本当?』

 そういう質問が何度かあったので、カニを問い詰めた後に、

真名
『きゃう! あはっ……ひゃあん! つ、対馬君、堪忍……あんっ……堪忍やぁ』

 浦賀さんを酸欠に陥るまで擽りの刑に処したくらいである。

(くすぐり、って漢字で書くとなんかエロいな……)

 姫はいつの間にか姿を消していた。
 引率の佐藤さんは、雁首揃えた四人組を確認すると「うん」とうなずき、

良美
「全員集合だね。じゃあ出発しよっか」

きぬ
「どこへ行くの?」

良美
「それはついてからのお楽しみ」

 少しだけ悪戯っぽい笑みを湛えて、佐藤さんは一階へ下りた。
 ぞろぞろと後に続き、各々靴に履き替え校舎の外へ。
 グラウンドも体育館も道場も、お茶会を開くには不向きである。
 となると、一行が向かっている方角には、

レオ
「学食のテラス?」

良美
「惜しい、その隣でした」

 学食の隣には、生徒会執行部の独立した木造建物があったはずだ。
 歴代生徒会長(女性)が、主にそこで生徒会を運営するためこう呼ばれるようになったとか。
 通称“竜宮(りゅうぐう)”。名前負けしている木造二階建ては、海辺の小さなペンションを思わせる佇まいであった。
 扉を開けた佐藤さんは、ゆったりと振り向いて微笑した。

良美
「みんな入って」

 執行部とは無縁の四人なので、この先はもちろん未踏の地である。
 好奇心に駆け出すカニとフカヒレ。それを追うスバル。
 彼らには見えないのだろうか。ぽっかりと開いた奈落への闇穴が。
 護身発動で立ちすくむレオのシャツを、佐藤さんがしっかりと掴んでいた。
 多くは女の子特有の癖みたいなものなので、「コイツ俺のこと好きかも」なんて勘違いしてはいけない。

レオ
「靴のままでいいの?」

良美
「うん。昔は専用の上履きがあったみたいだけど、エリーが土足解禁にしちゃったから」

 先行した三人以外に人気はない。一階は物置として利用しているらしい。
 学校行事などで使う大物小物が、棚に詰められ床に積み上げられていた。

良美
「カニっち、鮫氷君、あんまり備品に触っちゃダメだよ」

 悪魔のお茶会は二階で開催されるらしい。こっちこっち、と佐藤さんは先に階段を上がった。
 プリーツスカートの中身に誘われるように、レオも十三階段に足をかけた。
 今日に限ってパステルカラーの淡い期待は裏切られ、あっけなく階段を上り切る。
 後ろから押されて地獄の門をくぐると、そこには……なんじゃこりゃ!

エリカ
「ようこそ諸君!」

乙女
「やはりお前たちか」

 左手を腰に当てた姫と、右手を腰に当てた乙女さんが凛然と立っていた。
 二人は生徒会執行部のメンバーなので、ここにいることについてなんら疑問はない。
 レオの視線を奪っているのは、竜鳴館生徒会室、その無駄に豪奢な全容である。

 革張りのソファとローテーブル、高そうな応接セット。
 その奥には十脚のダイニングセット、さらに奥の壁際に広い台所。
 パソコン、エアコン完備。大きな出窓は海と空とを贅沢に切り取っている。
 設備充実、眺望抜群。とても生徒会室という趣ではない。
 びっくりするほどユートピア。ニコガクの部室よりパラダイスだ。
 キョロキョロと室内を見回して、カニが叫ぶ。

きぬ
「なにこれぇ、ほとんど一軒家じゃん!」

 姫は「まあね」と前髪をくりくりしつつ、

エリカ
「私とよっぴーで色々手を加えているから」

スバル
「台所とかって生徒会に必要なのか」

乙女
「それは昔からだ。よく茶会が開かれていたらしい」

スバル
「ほー、コーヒーやら茶菓子やら、揃ってるな」

新一
「お、結構新しいパソコン……。ネットにも繋がってる」

エリカ
「生徒会のデータが入ってるから触らないでね」

きぬ
「海が一望できるねー、こりゃ気持ちいいー」

良美
「なんといっても学食の隣だもん」

 佐藤さんがえっへんと胸を張った。

きぬ
「うわ、雑誌や漫画も置いてあるじゃん、好き放題ですねオイ」
新一
「姫によっぴーに乙女さん、しかもこの環境か。生徒会のヤツが羨ましいね」

 わはー、いいなー。学内の異空間ではしゃぐ海鮮類を一瞥して、姫は一瞬だけ企み笑いを見せた。
 ここに連れて来られた意図は未だ不明だが、やはりただのお茶会ではなさそうだ。
 まあ、乙女さんがいる限りそんなに無茶な展開はないとは思うが……ないと信じたい。
 逃走ルートを脳内で点滅させた後、レオは金髪の悪魔と対峙した。

レオ
「でさ、なんで俺たちをここへ呼んだの?」

エリカ
「だから紅茶でも嗜みつつ、対馬ファミリーとの親睦を深めようかと思って」

 平然と答えた姫に、レオは同じ質問をループさせた。
 北欧チックな無垢の大テーブルには、赤い薔薇とガラスの花瓶が飾られているだけである。
 ようやくきな臭いものを察知したか、カニとフカヒレは意識をこちらに集中させた。
 うーん、と指先で眉尻をノックしつつ、姫の思案顔は少しも焦った風ではない。

エリカ
「タイミング的にはどうでしょうか?」

乙女
「いいんじゃないか」

 謎のやりとりの後で、姫は威儀を正すように顎を引いた。

エリカ
「それじゃ単刀直入に聞くわ。あなたたち四人、執行部に入る気はない?」

 俺がオレがボクが、俺たちが……!?
 レオは一瞬石になった。これこそが無茶な展開である。
 四人の困惑を楽しむように、姫は不敵に笑っている。

レオ
「なんの冗談?」

エリカ
「冗談じゃないわよ。私にスカウトされるなんて、光栄に思いなさい」

 高飛車なゴールデン馬鹿はともかく、

良美
「あのね、今の執行部ってここにいる私たちだけなの。……だから皆が入ってくれたら、とっても助かるんだ」

 良識派の佐藤さんからは、真摯な思いが伝わってくるし、

乙女
「風紀委員長の任や拳法部の指導があり、私もなかなか手が回らなくてな」

 生真面目な乙女さんが冗談を担ぐとは思えない。

エリカ
「頼めば大抵の人はヘルプに応じるんで、それで済ませてきたけど、やっぱり正式なメンバーは欲しいってワケ」

 こんな感じね、と姫が締めくくる。
 口調こそ軽いものの、そんなにおちゃらけた雰囲気ではない。
 幼馴染たちは示し合わさずに、顔を見合わせた。
 皆一様に義務や面倒が大嫌い。自分を含めて生徒会なんてとてもとても、な人間ばかり。
 人手不足なのはわかったが、やはり無茶である。

新一
「でも、他にメンバーっていなかったっけ?」

 フカヒレの質問に、姫は会心の笑みで即答した。

エリカ
「目障りなんでクビにしちゃった」

スバル
「おいおい、勝手にクビにしちまったらマズイんじゃないか姫」

エリカ
「知らない、私が決めたことは絶対だから」

 気分で解雇して、省みず悪びれず。こんな暴君の元で働けるわけがなく。
 しかし、フカヒレは下手な口笛で囃し立て、カニは「わお、かっくいー」と羨望の眼差しを送っている。
 強烈なリーダーシップを妄信するのは、日本国民の危ういところである。
 そして、圧倒的なカリスマに支えられたワンマン指導者。彼らが辿る運命は、古今東西あまり明るいものではない。

乙女
「それでも人望はあるからな。面接には何人も来る。だが、能力は悪くないはずなのに片っ端から落としていく」

 乙女さんの嘆息にも、やはり姫は悪びれずに、

エリカ
「気に入れば取るわよ、気に入らないだけ」

スバル
「じゃあオレたち四人が気に入ったってことか?」

エリカ
「そうよ。あなたたちは一緒にいても不快じゃないもの」

 フカヒレなどは弓引きガッツポーズするほど喜んでいるが、それは嘘だろう。
 姫が現在ほほえみを向けている人物とは、浅からぬ因縁があるはずだ。
 ふいに硬くなった姫の笑顔が不安げな表情に変わり、

エリカ
「私と一緒じゃ嫌なの?」

レオ
「質問反射」

 姫は恥ずかしそうに目線をさ迷わせて、フェードアウトの声で告げた。

エリカ
「対馬クンとは色々喧嘩もしたけど……今は仲良くしたいと思ってる。少なくとも嫌じゃないわ」

レオ
「語ろう真実」

エリカ
「……」

 女の演技力とは恐ろしいものである。
 目線を落として口をつぐむだけで、なんとなく物憂げに見える。本当に悲しんでいるように見える。

レオ
「演劇部入れば?」

 姫はキッと眦を吊り上げて、唇をかみ締めた。
 胡乱げな眼差しを注ぎ続けていると、馬脚を現す前にうつむいてしまった。

乙女
「お前、ちょっと酷いぞ」
良美
「エリーもこれで反省してるから、あまりイジメないであげて」
きぬ
「鬼かテメーは」

 帰りの会で女子たちに冤罪を糾弾された、あのやるせなさ。
 フカヒレは「フラグバキバキ」と邪笑して、スバルは黙して語らず、苦笑していた。

エリカ
「……いいの」

 目元を拭う仕草もわざとらしく、姫は顔を上げた。
 涙の痕はないが、題名は『健気』。力なくほほえむ様は、額に入れて飾りたいくらいである。

エリカ
「散々意地悪してきたんだし、すぐに信用してもらえるなんて思ってない。だから対馬クンを責めないで……。ただ、先週の木曜日、皆で食べた夕食が美味しかったから……」

 皆が皆、口々に余韻たっぷりの『姫(エリー)……』。
 姫に傾く天秤、姫に絆される空気の中で、

乙女
「お前たちは仲間として姫に見込まれたんだ、意気に感じてやってくれ」

良美
「あまり堅苦しく考えないでね。常駐のヘルプみたいなものだと思って構わないから」

 じりじり、と囲い込み作戦は佳境に入っているようだった。

新一
「別にいっかな、暇だし」
きぬ
「かったるいのは嫌だけど……んー、どうしよっかなぁ」
スバル
「オレ、陸上部に所属してるんだが」 

 旗色良しと見たのか、姫はケロリと笑ってダメを押した。

エリカ
「そこらへんは考慮するわ、要するに頭数だから。もちろん少しは仕事してもらうけどね」

良美
「誰にでもできる簡単なお仕事だよ。明るく楽しい職場だよ」

 にこにこ。にこにこ。美少女の笑顔が並ぶ。
 知り合いの宇宙刑事が言っていた。悪いヤツラは天使の顔をして、心で爪を研いでいるものらしい。
 ――みんなっ! だまされちゃダメよぉおおおー!
 心の叫びは届かない。秒針が半転するのも待たず、姫は結論を迫ってきた。

エリカ
「まあ、迷ってるんだったら今じゃなくてもいいけどね」

新一
「は、レオじゃあるまいし、一万と二千年前から決めてたぜ!」

 スッ、と姫の後ろに控えるフカヒレ。
 執行部はなんといっても美人揃い。隠し切れないニヤケ面が、不純な動機を吹聴していた。
 邪に歪む可憐な唇に、レオは姫の狙いを疑う。
 十年来の幼馴染を取り上げることにより、もしやレオの精神を攻撃するつもりだろうか。

(フカヒレが……ショックだぜ)

 腐った油揚げをトンビにさらわれた、そんな気分だ。

きぬ
「生徒会入ったらここ自由に使っていいの?」

エリカ
「常識の範囲内でね」

きぬ
「じゃあボクもやるー!」

 トテテと助走を付け、カニはソファに飛び込んだ。
 フカヒレに続きカニまで。マラソンで同時ゴールを誓い合い、裏切られたあの感じ。
 要するに、少しショックだがどうでもいい。レオはもう高校生、一人ぼっちの帰り道だってヘイチャラだ。
 だいたいやねぇ。心の友というのは、一人いれば充ぶ――。

スバル
「そんじゃ、どこまで力になれるか微妙なモンだが、オレもやってみるかな」

 ――何ぃいいいいぃ!?
 耳を疑うほどのショック。膝が笑うほどのロンリネス。目鼻口からエクトプラズム。
 なぜだ。何が気に入らないんだ。待て。待ってくれ。逃がさんぞ……ガッツ!
 五臓六腑から終結したスバルへの執着が、レオの喉を駆け上がった。

レオ
「俺より姫を選ぶんだな」

 応接セットに向かっていたスバルは、笑いながら振り返る。
 口元にはいつものごとく、ニヒルを貼り付けたまま、

スバル
「んなアホな、面白そうだからやってみるだけだ。オレはレオたん一筋だぜ?」

レオ
「口では何とでも言えるからな」

スバル
「じゃあ、行動で示せばいいのかよ」

レオ
「……やめてよ、皆見てる」

 ポッと頬を赤らめて、薔薇遊戯に興じている場合ではないが、

エリカ
「うわ……うわぁあ、よっぴー、やっぱりこの二人って!」
良美
「違う違う、きっと冗談だって。ねえ、カニっち?」
きぬ
「フカヒレにパス」
新一
「限りなく黒に近い灰色、チャコールグレーな関係」
乙女
「む、なんと非生産的な……しかしこれは、どうしたものか……」

 こういう無用な波風が楽しくて、機会があればやってしまう、そんな二人って素敵だ。
 きゃあきゃあと一人で騒ぐことしばし、ハッと我に返った腐り姫はCMが明けたように本題に戻った。

エリカ
「カニっちもフカヒレ君も、愛しのスバル君さえ執行部に入りました。そして、残るは対馬クンただ一人。さぁどうするこの一手?」

 十二の瞳がレオを捕捉する。
 嫌、というより無理である。放課後まで姫といちゃいちゃなんてとても我慢できない。
 テンションに身を任せるのはマズイとか、そういうレベルの話ではない。

きぬ
「オメーも入れよ、どうせ寂しくなってボクに会いにくんだからさ」
新一
「別に要らねーって。俺が二人分働くからなー」

 黙ってろ。

乙女
「壊滅的な内申書をなんとか修復するチャンスだぞ」

 確かに。

良美
「対馬君と一緒だと、私も嬉しいんだけどな。……あ、えっと、変な意味じゃなくて、うん」

 ほほう。

エリカ
「私がスカウトした理由の一つに、“幼馴染ならではのチームワークに期待”ってのがあるの。対馬ファミリーはやっぱり四人揃ってナンボでしょ?」

 なるほどね。

エリカ
「あんまりまどろっこしいと、『来い』って命令しちゃうわよ」

レオ
「なんで俺にだけ強引なの?」

エリカ
「だって対馬クン、基本受身じゃない」

 よくわかってら、とレオは苦笑して頬をかいた。
 佐藤さんの懇願するような眼差しを受け、充実の職場環境を見渡す。
 カニどころかスバルまで動かしたのだから、当然悪い話ではない。
 空と海を望み、美少女に囲まれて、対外的には責任ある立派なお仕事。

(仕方ないな)

 レオは観念するように右手を差し出し、

エリカ
「あら、対馬クンにしては早い決断」

 嬉々として伸びてきた姫の手のひらをバシンと弾くと、満面の笑みで決断を告げた。

レオ
「バーカバーカ! 執行部なんて誰が入るか!」

 頬を引きつらせて唖然としている姫をしっかり目に焼き付けて、スタコラーッ――。

レオ
「へ?」

 見えざる力でレオの足が、一寸と進まなくなった。

乙女
「ちょっと待ってみようか」

 レオが乙女さんの羽交い絞めに気づいた瞬間に、佐藤さんが「えいっ」と腰辺りにしがみついて来る。
 始めから狙っていたとは思えないが、レオにとって厄介な拘束が完成していた。
 佐藤さんをどかそうとするなら、乙女さんに絡め取られた腕が必要である。
 だからといって、乙女さんを振り解くほどの力を出してしまうと、いたいけな佐藤さんが大変なことになってしまうのだ。
 おぉぉ、とのんきなヤツラがどよめきを上げる中、レオの眼前にツカツカと現れた姫の姿が、

エリカ
「私って相当嫌われてるみたいね。ま、わかってはいたけど……」

 髪の色も相まって“女の心変わりは恐ろしいのぉ”のアイツを想起させた。

レオ
「……また墓標のない墓穴を増やすつもりか」

エリカ
「殺すには惜しいわ。あと五分だけ説得の時間をちょうだい、それでダメなら諦めるから」

 言い終わると姫は身を翻した。
 こちらの了解などお構いなし、いわゆる「事務所行こか」である。
 友好を謳ってもとどのつまりはこんなもの。執行部の正体見たり、フロント企業。
 チワワで誘ってドーベルマンをけしかける、これヤクザものの常である。

乙女
「佐藤、油断するなよ」
良美
「は、はい」

 磔にされたような体勢で連れて行かれるのは、ゴルゴタの丘ではなく姫が扉を開けた右手奥の部屋だろう。
 荷馬車は揺れない。赤い靴も履いていない。ただ歩くたび、ふにっと、ふにょっと。
 レオは少女たちの微熱を感じながら、死を悟ったキリストの心境に思いを馳せてみた……が無理だった。

レオ
「乙女さん、胸が当たってるんですけど」

乙女
「ふん、それがどうした」

レオ
「……わかってないなぁ」

乙女
「?」

 “無知は罪、無恥は大罪である。汝、乙女ならば『あててんのよ』と言え”。
 ――尖約聖書、第十四章、三十七節より。





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