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挑戦者の軌跡「困ったらど真ん中!」

挑戦者の軌跡「困ったらど真ん中!」

ウチでは「おでん」は売りません

2007 / 10 / 26

秋沢志篤は高度経済成長という、日本が最も熱かった時代を駆け抜けてきた企業人である。石油業界の風雲児として名を高めた後は、社内起業家としてコンビニエンス・ストア・チェーン事業を構築。その間に磨いたリーダーシップと人望をもとに、62歳の時には、新たに私塾事業に乗り出した。情熱と冷静の間を行き来する足跡は「男子の本懐」そのもの。すべてのベンチャー魂の持ち主たちへ。秋沢の生き方は格別のエールである。
 秋沢にとって、共同石油内でam/pm事業を始めることは、規制緩和という時代の潮流を、自分なりに考え抜いた結果だった。ガソリンスタンドはガソリン供給所ではなく、生活支援施設になるべき、という総論は合っていた。しかし各論として待っていたのは苦難の現実。それでも秋沢は売れ筋に迎合しなかった。

 1989年6月。チームが心血を注いだam/pm1号店が日吉にオープンした。
 アメリカのよきオリジナルに日本の特性を融合させたコンビニエンスストア。しかも、その店舗はガソリンの給油施設を備えていて便利さはいっそう際立つ――。秋沢らのチームが構想した新種のコンビニ・モデルは、自分たちにとって「斬新で都市的」であり、可能性に満ちたものだった。

 しかし、各論に落とし込んだ時、理想はことごとく現実の壁に阻まれた。
 am/pmでは便利さ以上にアメリカ流の「明るい楽しさ」を意図して、当初、店内に手焼きのホットドッグとハンバーガーの厨房も設置した。スタッフがひと手間かけて作るあつあつのホットドッグとハンバーガーは、他のコンビニ・チェーンにはない仕掛けであり、am/pmにとって大きな売り物になることは間違いないと信じて取り組んだ。

 アメリカ仕様にこだわったのは、内装も同じだ。第1号店を初め、初期のam/pm店舗では、遊び心を失わないように、看板や店内のサイン類などを、わざわざ経費のかかる航空便で取り寄せて使っていた。来店客をウエルカムする、という気持ちをチームは一体となって持ち続けたのだ。

 だが、スタッフがいくらがんばっても、焼きたてホットドッグやハンバーガーの売り上げはいまひとつだった。ビーフの配合やパテの種類、焼き方まで、あえてこだわったアメリカ仕様が、日本人の舌にはどうもなじまないらしい。

 こだわったゆえに割高になる材料費に人件費。せっかく作り上げた本国仕様のモジュールを、日本的に直す手間と経費。かと思えば、店頭では無断欠勤するアルバイトの穴埋めが急遽、必要になったりする。チームの面々は、昼はスーツ姿で奔走し、夜は当初、am/pmのユニフォームだったラガーシャツとGパンに着替えて接客だ。とにかく、次から次へと噴出してくる課題を、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。そんな目の前の火消しを続けるよりほかになかった。

■コンピュータゲームも売りません!

 一方で、商品の調達も相変わらず思うようにはいかなかった。先行する大手コンビニに比べて、店舗数が圧倒的に不足していたからだ。店舗数で劣っていると、供給ルートをとりあえず確保しても、二流の商品や在庫品しか回してもらえない。商品の供給ライン確保は、何としても解決しなければならない課題だった。

「でもね、大手商社系のベンダー(問屋)と交渉して、やっと道筋が見えたと思ったら、直前でダメと言われたり。くーっとなる事態はたくさんありましたね」
 当時の苦労を、マーチャンダイジングオペレーションの担当だった野村和夫は振り返る。
「不足している商品の供給交渉がうまく行かなくて、それで交渉先のオフィスの窓からふと下を見ると、他の大手コンビニのロゴマークが付いた供給用のトラックがびゅんびゅん走っている。なんだ、あれは! あんなに走っているじゃないか! と、大手対零細の力の差を痛感です」

 そんなメンバーの苦労をすべて理解し、また誰よりも身に染みて背負っていたのは、もちろんリーダーの秋沢当人だった。
「マーチャンダイジングについては売れ筋が何ひとつ揃わない。自分たちにとっても悔しいけれど、お客さんにとっては、悔しいどころじゃなくて、相手にもされない現実です。それでも、見えない世界を手探りしながら猛進、いや盲進。止まるということは、私たちの辞書にありませんでしたね」

 しかし秋沢は、そこで大手のやり方には決して迎合しなかった。
 いつものように「あるべき論」を考えに考え抜き、店舗作りに一つの揺るぎない基準を設けた。キーワードは「ライフ・オン・デマンド」だ。
「コンビニは単にモノを売る場所ではなくて、生活支援インフラである、ということは以前からずっと考えていました。だったら人体、環境、地球、資源に、そして何より人々の生活に少しでも負荷をかけない商売をしよう、と。自分たちが納得できない品を売るのだけはやめました」

 その象徴が、am/pmでは、おでん、コンピュータゲーム、食品添加物だった。
「おでんって、コンビニにとっては、売れ筋商品なんですよ。ところが、実験店で実際のオペレーションに取り組んだ時、その結果には驚いて、ひっくり返ったね。掃除しようとして、底を見たら、髪の毛とか、臭いと光に集まる虫とかが、溜まっていたんです。どんなに売れても、お客さんがほしがっても、これはお客さんに食べさせられない、と思いましたよ」

 業績も定かでない時期に、コンビニの店頭から、売れ筋を撤退させる。その決断は、勇気のいることだった。
「おでんだけじゃない、コンビニに来た子どもがコンピュータゲームに夢中で、友達と会話を交わさない姿を見て、これも、絶対売らねえ、と」
 その原則は、秋沢の在社中、am/pmの大きな柱となって社内に受け継がれていった。

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秋沢 志篤

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