ひとのときを、想う。  JT

SMOKERS' STYLE

ゲスト一覧ページへ
vol.62 スタジオジブリ プロデューサー 鈴木敏夫
鈴木敏夫 | Toshio Suzuki keywords
1948年、名古屋市生まれ。慶應義塾大学卒業後、徳間書店に入社。『月刊アニメージュ』の創刊に参加し、後に編集長を務める。1985年、スタジオジブリ設立に参加し、数々のジブリ作品プロデュースを手掛ける。2003年には『千と千尋の神隠し』で米アカデミー賞長編アニメーション部門賞を受賞。現在、徳間書店から独立した株式会社スタジオジブリの代表取締役を務める。
今回のゲストは、スタジオジブリの名プロデューサーにして代表取締役でもある鈴木敏夫さん。話題の新作『ゲド戦記』の公開を間近に控えての登場だ。以前、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組に出演し、自身の仕事に対する考え方について語る鈴木氏を拝見したことがある。そこで彼が自身の仕事の流儀として語っていたのは、「仕事を忘れたところでいい仕事ができる」、そして、「仕事を祭りにする」ということ。「本来仕事は楽しくないもの」という前提に立つその言葉に、これまでのジブリ映画が表現してきた『正しさ』と相通じるものを感じ、感銘を受けたことを覚えている。表現したいことと、それを実現するための過程や努力が、1つの価値観で貫かれている気持ちよさ。それはおそらく、ジブリの顔である宮崎駿さんと、それを支える鈴木さんの関係そのものでもあるのだろう。そして、『ゲド戦記』。今回、監督初挑戦の宮崎吾朗監督が、父である宮崎駿さんの世界観の原点ともいえるこの原作を映画化するにあたって、そのテーマとして掲げるのが、「まっとうに生きる」ということ。感動的なほど美しき継承である。それもまた、鈴木プロデューサーの偉大なる『仕事』の成果なのだろう。 <文/Shoji Smily>

「ある日気が付くと、いなくなってる。」
― スタジオジブリの新作『ゲド戦記』が、とうとう7月29日に公開されますね。『指輪物語』、『ナルニア国物語』と並んで、世界3大ファンタジーに数えられるこの原作を映画化しようと思ったきっかけは?
「もともと宮崎駿が大好きだったんですよ。僕が彼と知り合ったのは78年なんですけど、その頃、彼に奨められて読んだのが最初ですね。それで、すぐにこれを映画化しようということになって。で、原作者のアーシュラ・K.ル=グウィンさんに了解を取るべく連絡を取ったんですけど、その時はダメだった。『映画にしたいと思わない』と言われて。誤解を与えるかもしれませんが、それで仕方なく作ったのが『風の谷のナウシカ』なんです(笑)。でも、宮崎駿は本当に『ゲド戦記』が好きだったんで、『風の谷のナウシカ』もずいぶん影響を受けているんですよね。」
― 鈴木さんは、この原作のどんなところに惹かれたんですか?
「宮崎駿が日頃話したり、映画で表現していることの元が、この原作の中にあったんですよ。例えば『風の谷のナウシカ』に出てくる『腐海』は、人が立ち入ってはいけないところで、みな近づかないんだけれど、実はその『腐海』にこそ、地球再生、人類再生のための鍵がある。要するに醜いものの中に美しいものがあるという、逆転の発想みたいなもの。『天空の城ラピュタ』でもね、その浮かぶ城は、半分は緑だけれど、もう半分は機械という。そういう、物事には2つの側面があるという表現は、やっぱり『ゲド戦記』の影響ですよね。断言しますけど、明らかにルーカスも、この本の影響を受けて『スター・ウォーズ』を作っています。読んでください。面白いですよ。映画がそれを裏切らなければいいんですけど。」
― 今回はどうやって原作者の方を納得させたんですか?
「4年くらい前ですかね。ある日突然、『ゲド戦記』の日本語翻訳者の方から連絡があって、『原作者のル=グウィン自身が、自分の作品を映画化するなら宮崎駿以外考えられないと言っている』と逆オファーが来たんです。まあ、アカデミー賞を獲ったことなんかも関係があったと思うんです。で、宮さんがびっくりして。本当に尊敬してやまない作品でしたから。『どうしようどうしよう』って。どうしてかというと、悩む理由は2つあった。『ゲド戦記』をやるには、随分と年齢を重ねたし、それに、これまで作った作品も『ゲド戦記』の影響を随分と受けているという。」
― 宮崎駿さんの息子さんで、ジブリ美術館の館長を務めていた宮崎吾朗さんが監督に初挑戦ということでも話題となっていますが、その起用は鈴木さんの判断だったわけですか?
「そうですね。実は、ジブリで若い監督を起用するのはなかなか困難なことなんです。これまでも、いろんな作品で最初は若い監督を起用したんだけど、そうすると、宮崎駿という人は、その横にぴったり張り付いて動かない。そればかりか、非常に親切なことに、『ここはこうしたほうがいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないか』と責め立てる。で、ある日気が付くと、その監督はいなくなってる。すぐ胃が痛くなっちゃったり十二指腸潰瘍になったりで、いなくなっちゃうんです。気になるんでしょうね。優しすぎるというか、おせっかいというか…。簡単に言うと若い人が育ちにくい。それで色々考えている時に思い付いたのが息子の吾朗君なんです。彼はジブリ美術館の館長をやっていたんだけど、作ったのも彼です。元のイメージは宮崎駿が絵を描いた。そこから具体的な設計図を起こして、どういう素材で、どうやって作って、どれくらいの人が必要なのかということまで、彼は全部やってのけた。未経験であるにも関わらず、父親ともちゃんと渡り合って。それは期待以上でした。だから、『美術館を作れたんだから映画もやれるんじゃないかな』と。ただ、結果として言うと、ここまでやってくれるとは思っていなかったですね。」
このページのトップへ

「説得に2年かかりましたから。」
― 吾朗さんにとっても相当なプレッシャーだったでしょうね。
「彼は普段、決断がすごい早い青年なんですよ。ジブリ美術館の時も、僕が『こうこうこういう話がある。やってみないか』と言うと、答えは2つ返事でした。『やります』と。それは見事でしたね。くどくど理由も聞かなかった。しかし、今回は彼も迷いましたね。気がついたら説得に2年かけていた。考えてみれば、当たり前。親父は偉大なる父、宮崎駿。アニメーションは一切作ったことがない。おまけに『ゲド戦記』はお父さんが『影響を受けた』と公言してはばからない原作。この3つの要素が重なって、よくやろうという気になったと、今にして思います。でも、逆に言うと、この3つが揃っていたからこそ彼はやったんでしょうね、多分。昨日そういう話をしていたばかりなんですよ、本人と(笑)。」
― 鈴木さんが吾朗さんを説得している時、宮崎駿さんは何も口を出さなかったんですか?
「説得している時は宮崎駿にその話をしませんでしたから。していたら最初からダメだったと思う。だから、吾朗君でいくことになったと初めて話した時は、怒りましたねえ。『鈴木さん、どうかしちゃったんじゃないか』と。まあ、すごかったです。やっぱり自分と同じ道を歩ませたくないと。それから、『1度も経験のない奴に作らせるのか!』とも言いました。でも、僕はその時、宮崎駿が作った『紅の豚』という作品を思い出していました。『紅の豚』の主人公のポルコ・ロッソが、自分の飛行機の調子が悪いということで修理に出すんです。そうしたら出てきたのは女の子で、ポルコ・ロッソは『この子がやるの?』という顔をするんです。そうしたらその子が、『何かをやるときに大事になのは、経験か、インスピレーションか』って聞く。すると、ポルコ・ロッソがかっこいいんです。『インスピレーションだ』と。むろん、この話はしませんでした(笑)。」

― では、どうやって説得したんですか?
「吾朗君に、1枚の絵を描いて貰った。『竜と少年』というテーマで。宮崎駿という人は、1枚絵を描けば、それで1本の映画を作ることができると思っている人なんです。だから、その1枚の絵をどうやって作るかというのがテーマなんですよ。で、吾朗君に描いてもらったその絵を見せた。『吾朗君でやりたい』と。その時だけは黙り込みましたねえ。絵に説得力があったんだと思います。やっぱり作り手ですよね。この絵に力があることは認めてくれたんです。だからといって賛成したわけじゃないんですけどね(笑)。でも、そうこうするうち家族会議を開いて、みんなで応援しようということになって、本人も一旦は、ニコニコしながら『応援するよ』と言ってくれたので、僕はプロデューサーなんでね、『じゃあ宮さん、吾朗君のために1枚絵を描いてくれ』と。それで描いてもらったのがこの絵、物語の中に『ホート・タウン』という街が出てくるんですけど、その設定を描いてもらったんです。息子へのプレゼントとして。でも、結局は未だに賛成していない(笑)。」
― 宮崎家のお父さんと息子の仲はいいんですか(笑)?
「普通ですね。息子と仲がいい親子って気持ち悪いでしょう(笑)。お父さんがね、色々な映画を作ってきていますけど、ああいうものを作るために、まあ日本人にありがちですけど、家庭を顧みなかった(苦笑)。これも、よくある日本の親父像です。吾朗君に今回色々聞いてみて分かったんですけど、子供の頃、物心ついてから親父とまともに話したことがないらしい。だから中学の時とか、『本当にいるんだろうか?』とか思って部屋をのぞきに行ったりしていたみたいです。でも、宮崎駿がね、いろんな媒体で『子供たちを育てるにはこうあるべきだ』なんて言うでしょう。息子は怒りますよね。『何言ってんだ!自分は子供をほっておいたくせに』って(笑)。でも、得てしてそういうもんですよ。こういう話をしているぼく自身が、そうでしたから(笑)。ま、親子というのは、そういうもんじゃないですか(笑)。」
このページのトップへ

「作りたいという気持ちが先なんですよ。」
― 映画のプロデューサーをなさる前は?
「雑誌の編集者をやっていました。『アニメージュ』というアニメの雑誌なんですけど、その創刊の時から都合12年ですかね。その途中で宮崎駿と出会ったんですよ。だから映画が始まってからは二股をかけてたんですよね。昼間は映画作って、夜は雑誌作るという二重生活で(笑)。でも、雑誌だといろんな映画監督のものを扱わなければいけないじゃないですか。だけど、宮崎駿や高畑勲と付き合ううちに、どうもこの2人以外の人がつまんなく見えてきちゃって(笑)。そうなるともう雑誌は作れないんですよね(笑)。両方やるというのがいかに難しいか、よく分かりましたよ。」
― 映画プロデューサーというお仕事、先ほどのお話からホントに大変そうですけど(笑)、その面白さは?
「好きなものを作らせてもらっているから、しょうがないからやっているという感じですからね(笑)。僕の場合、作りたいという気持ちが先なんですよ。で、作ったらいろんな人に観てもらうための努力をしなければならない。そのための色々なことはやりますよ。作るところから関わっているから、その映画の本質的な部分は分かっているので、それをどうやって世の中に伝えるかということですよね。それが僕の仕事ですから。好きなことだけやって、あとは猫のように日がなゴロゴロしていられればいいんですけど、それでは人間としてダメになってくるわけでしょう。会社があるから朝起きるしね。仕事があるから頑張る。本来仕事って本当に面白いものかというと、そうじゃないんじゃないかって、どっかで思っていますからね。僕は日本人だからかもしれないんですけど、仕事というのは本来お金を得るためにあるものだから、面白いものであるはずがないという発想なんですよ。本来面白くないことなんだけど、それに費やす時間はすごいわけでしょ。だったら多少は面白くしようよと逆に考えるわけです。仕事が面白くてしょうがないという人を見ていると、『この人どうかしているんじゃないか』と思ったりしますね。」
― リラックスすることはないんですか?
「ないですよ。ずっとエンドレスですね。また、それが平気な世代なんでしょうね。休んだら元に戻れなくなりそうだし。ディズニーの幹部も朝6時から夜中まで働いていますよ。国際的な責任者、例えばビデオ部門の責任者だったら、相手が77カ国なんです。そうなると電話ミーティングの連続ですよ。『いつ寝ているの?』という。で、僕が『家族とはどうしているの?』なんて聞くと、『こういう話はアメリカでは絶対にしないんだよ。でも鈴木には話すけど…』って(笑)。ただ、面白いと思ったのは、向こうの人間はリタイアすることも自覚していて、みんな『プランB』を持っているんですよ。僕も聞かれたけど、『俺にプランBはない』と答えましたよ(笑)。『このまま続くよ』と言ったら、相当びっくりしていましたね。プランBのために、山の中腹に家を持っていたりするんですよ。『それが本当に面白いの?』なんて、僕なんかは聞いちゃうんですけどね(笑)。」
― 嗜好品は? たばこはかなり吸いますよね。
「たばこ以外は特にないですね。たばこを吸っているから、ストレスが少ないんだと思います(笑)。」
このページのトップへ

「小さく維持するほうが難しいんです。」
― 今更なんですけど、ジブリってすごく印象的な響きですよね。何か由来はあるんですか?
「ジブリというのは、『サハラ砂漠に吹く熱い風』という意味なんです。本当はギブリ(Ghibli)って発音なんですけどね(笑)。名前を付ける時、僕は、『宮さん、これギブリですよ』と言ったんですけど、『違う、ジブリだ。イタリア人の友達がジブリって発音した』って。『本当かなー』と思いながらもジブリに決めちゃったんですけど、そうしたら後で間違えていたということが分かって(笑)。その時はもう遅かったんですけどね。」
― 今後ジブリをこんな会社にしていきたいという目標はありますか?
「ジブリという会社を作った時、会社の維持発展とか、そういうことは何も考えなかったんですよ。『映画を作りたかったから会社を作った』というそれだけで。この基本的な考え方は今も変わっていませんね。やりたい映画があってのもので、企画がなくなれば会社は閉じたいですよ。大きくしようと思ったら、これまで色々チャンスはあったんですけどね。そういうことはやってこなかったし、これからもやる気はないし。むしろもっとこじんまりの会社にしたいんです。大きくしたら誰が大変かって僕が大変なんですよ。冗談じゃないですよ、そんなの(笑)。『愛社精神』という言葉が日本にはありますけど、変な話、ジブリで1番愛社精神がないのは僕と宮崎駿ですね(笑)。なんででしょうね。あるときジブリに投資会社がいっぱい来たことがあって。そしたら宮崎が、『だったら売っちゃおうよ』って言うんですよ。『売っちゃって新しく作ればいいんだから』って(笑)。それで新しい会社の名前まで考えたりして(笑)。」
― 今ジブリは何人くらいいるんですか?
「美術館を含めると、なんだかんだで300人近く。ちょっと多いですね(笑)。大きくするのは簡単だと思いますよ。むしろ小さく維持するほうが難しいんです。でも、努力します。人数が少ないほうが僕にとっては面白いんですよ。大きな集団をピラミッドでやっていくというのはつまらないですから。文鎮ってあるじゃないですか。横に長い棒で、真ん中にポチンと丸いつまみがある。そういう形が面白いんですよ。全部に関われるから。しかもダイレクトに。アメリカの人もそうですよ。ディズニーとジブリがタイアップする時、結局向こうから出てきたのはプレジデントでしたもん。『あんなに何百人もいて、だれもやらないのか』って(笑)。会社のトップも現場と密接な関係を持つところは、アメリカの好きなところですね。僕も一応社長ですけど、ずっと現場にいたいですよね。」
― ジブリの映画にはいつもメッセージがありますけど、今回の『ゲド戦記』で、伝えたいことはどんなことでしょう?
「ありますかね?やっぱりジジイたちが作っているから説教するのが好きなんですよね(笑)。
この映画はまず第1に楽しんでもらえたらいいですね。面白い映画を作っているので。あとは、おじさんたちはリストラの不安に怯えているし若い人たちは未来の図が描けない、先行き不安な世の中じゃないですか。でも、『考えようによってはいい時代だよ。いろんなことができるよ』ということは言いたいですね。この映画を観ると、目の前の霞を取るためのあるヒントはつかめると思いますよ。是非観ていただきたいですね。」
このページの先頭へ
「STYLE CAFE」TOPへ